時系列に沿った事実関係

司会者:代読というのは異例のかたちなんですけども、石原さんがそれを読んでいると時間がかかってしまうので、ちょっと今回は……。

石原慎太郎氏(以下、石原):ちょっとすみません、できるだけ早く済むように、みなさんにもお配りしました、時系列に沿った事実関係を若いスタッフからご説明したいと思います。

スタッフ:それではこれから代読させていただきます。まず移転経緯について。築地から豊洲への移転が決まった経緯についてお話します。

私の都知事在任中に豊洲移転に向けて事業が大きく進んだことは間違いありません。しかしながら、1999年4月に私が都知事に就任する10年以上も前の1986年に築地市場の現地再整備の方針が決定され、90年代前半に工事に着手し、数百億円が支出されたにもかかわらず、頓挫したという経緯と、これによって東京都の幹部や市場関係者らが築地市場の限界を認めざるを得なくなったという経緯がございます。

すなわち、決して初めから移転ありきで話が進められたものではなく、築地市場の操業をやめずに現地再整備することが極めて困難で暗礁に乗り上げたことで、移転やむなしとなったわけです。

その後、移転先候補地を調査するなかで1995年には有力な候補地として豊洲地区の名前が挙がるようになり、遅くとも1998年の時点では市場関係者の団体の過半が豊洲地区を念頭に移転推進の意見を取りまとめるに至っていたようです。

その後の1999年4月、私が都知事に就任して早々に豊洲という土地への移転は規定の路線であるような話を担当の福永副知事から聞いた記憶です。

次に土地売買の経緯について話します。ここで東京ガスとの用地取得交渉の経緯についてお話します。報道によれば、東京都は遅くとも私が知事に就任する前年、1998年の8月には豊洲地区の東京ガスの所有地の調査に着手しており、同年9月には東京ガス本社を訪問し、説明したようです。

少なくとも私の記憶の限りでは、東京都の関係部局では豊洲地区以外の候補地と地権者と具体的な協議をした報告を受けたことはありません。つまり、私が知事に就任する以前から東京都の関係部局では豊洲地区以外で移転先の適当な候補地がないとの考えで一貫していたものと思います。

東京ガスとの具体的な交渉は、私の知事就任後は、まずは福永副知事、その後、2000年10月以降は浜渦副知事が担当してもらいました。浜渦氏から交渉の細やかな経緯について逐一報告は受けていませんでしたが、私には詳細はわかりませんでしたが、このような話を進めているというおおまかな報告は受けていたのかもしれません。

最終的に2011年3月31日に至って東京ガス他との間で土地の売買契約の締結をいたしました。譲渡価格が妥当かどうかは専門家に鑑定していただき、外部専門家が委員となっている都の財政価格審議会の意見も得ていたということですから、妥当であったものと思います。

また、売買契約の際の土壌汚染対策費用の扱いについて現在問題定義がなされていますが、私は詳細な契約文言について法律的判断をする知見はありませんし、具体的な記憶はありません。

ただ、時系列表をご確認いただければわかるとおり、売買契約以前に東京ガスが当時の法令に従って必要な土壌汚染対策を実施済みであり、東京都はそれを検査、確認していました。その範囲を超えて、法令が要求する水準以上の安心のための土壌汚染対策については東京都が費用負担をすることも十分あり得ることと思います。

現に、都議会にも土壌汚染対策費用の予算をお認めいただきました。その点、最近見せていただいた契約書等の資料によれば売買契約の際、東京ガスには78億円の追加負担をいただいていたようです。

盛り土が行われなかった経緯

次に豊洲市場の土壌汚染対策と建物の下に盛り土が行われなかった経緯についてお話します。土壌汚染対策の問題については関係者は誰しもその必要性をわかっていたことで当然用地取得交渉の過程で協議されていたはずですが、専門的、技術的な事柄なのでそれらの知見を有する都の関係部局が検討しており、私が具体的に判断した記憶はありません。

今般、確認したところによれば、都と東京ガスの間では土壌汚染対策に関して2002年および、2005年に合意を取り交わしており、都の環境確保条例に基づく対策、さらにそれ以上の追加対策、東京ガスの責任で実施いただくことを合意しています。その後、東京ガスは2007年4月までにこれら対策を実施し、東京都環境局においてその完了を確認しています。

それでも、豊洲用地の土壌汚染を懸念する声があったことから、安全を期するため、同月、土壌汚染対策等に関する専門家会議が設置され、安全性の調査検討をしていただいた部の地点から環境基準を大幅に超える高濃度の汚染が検出されました。

さらに同専門家会議調査結果及び報告書における土壌汚染対策追加実施の提言を受けて、2008年8月、土壌汚染対策工事に対する技術会議が設置されました。

同技術会議は二次に渡って報告書を公表しましたが、その結論は「一定の技術的対策を講ずれば、豊洲用地の土壌汚染を克服できる」という内容でした。つまり、同技術会議はその時点における土壌汚染の状況を前提としても、豊洲新市場への移転は可能であると判断したことになります。

私は技術的知見は自分自身にありませんし、お配りした時系列表に記載された細かな経緯については記憶にありませんが、このような専門家会議や技術会議の判断を踏まえて、政治家として、長年の築地市場問題を解決すべく、豊洲新市場への移転を判断し、2010年10月22日、その旨を記者会見で発表しました。

都知事就任から、2011年3月31日に土地の売買契約を成立するまでに、関係部局の職員らから、豊洲移転への私に対する報告の中で、土壌汚染に言及されたことは何度もあったものと思いますが、基本的には「日本の技術で処理可能である」と説明を受けていたと認識しています。

私は実際、土壌汚染が処理できないということであれば、豊洲へ移転できないし、無理に土地を購入すべきではないと認識していて、2009年12月にはメディアの取材に対して実際、そのような発言をしたこともありました。

次に、建物下に盛り土が行われなかった経緯については、私にはなにも記憶がありません。この点は小池都知事のもとで調査特別チームが二次にわたって詳細な調査をされましたが、私が報告を受けた事実はなかったものと理解しています。

私が2008年5月30日に記者会見で「新しい候補について指示した」と発言したことについても、地下空間の問題とは無関係だったという調査報告が公表されていますので、その資料をご確認いただきたいと思います。

以上で、代読の方、終わらせていただきます。

司会者:この声明の全文は後でみなさんにコピーをお配りする予定です。

今の説明は、もう石原さんは自分の代ではなくて、豊洲は前から決まっていた路線なんだと。ただ、決めるこの2001年7月に基本合意し、12月に移転を決定するんですけれども、その前に環境基準の1,500倍の濃度のベンゼンが検出されるんですよね。明らかになるんですよね。そうするとなぜそこで、「ちょっと待てよ」「踏みとどまってみよう」とそういうことにならなかったんですか? 

石原:いや、それはですね。私も専門家ではありませんから、要するに専門部局にですね、環境局もありますし、それから公安局もありますし、それから専門家を入れた検討委員会もありますし、それに一任するしかなかったですし、私は科学者ではありませんから、その報告を待って、最終的に各局をまたぎ、その結論というものを上申してきた、たぶん地方局長が私のところへ来て、こういうことで、「裁可願います」と。私はその時改めて、「土壌の問題は大丈夫なんだろうな?」と言ったら、「今の技術を持って大丈夫です」ということで「わかった。裁可しよう」と。

その前にやっぱり、都庁は都庁で議会は議会で専門委員会も構えていろんな調査もしたはずですしね、決算の時も決算委員会の時に了としてきたわけですからね。行政の組織と都庁全体が、つまり、専門家も含めて検討し、しかもそれを議会が了としてですね、それを決済したわけですから、私も裁可をしました。ということです。