『ラスト・ナイツ』制作のきっかけは
司会:それではこれから紀里谷監督にご登壇いただきます。みなさま、拍手でお迎えください。
(一同拍手)
紀里谷和明氏(以下、紀里谷):紀里谷と申します。こんばんは。途中で(映像が)かたまっちゃったみたいでイラつきますね(笑)。何を話しましょうか。何分あるんでしたっけ? 1時間。何か質問はありますか? はい、どうぞ。
質問者:この作品を作ることになったきっかけはなんですか?
紀里谷:いや、単純に脚本をプロデューサーから渡されて、それを読んで「やろう」ということになりました。来たときには日本の台本にしていましたので……アメリカの作品なんだけれども、日本人が演じるみたいな感じでやっていました。『硫黄島の手紙』みたいな感じで。しかし、言語が英語だったので英語でやるということだったんですけれども。それがいいのか悪いのか考慮して、そこから書き直しが始まったという感じですね。
いいですか? ……さよなら!
(会場笑)
紀里谷:どうぞ。
日本はゆるいし中途半端なことが多い
質問者:ちょっとうるうるしたあとだったんですけれども。
紀里谷:しゃべりにくいよね。俺もしゃべりにくいしね。
質問者:演出とか絵とかすばらしいと思うんですけれども、海外のスタッフとかエンディングロールにいっぱいいらしたんですけれども、その方々と一緒に仕事をしていて、感想とかよかったところとか、悪かったところとか、ありますか?
紀里谷:やり方みたいなのは、別にね。Jリーグの選手がヨーロッパに行っても変わらないし、サッカーのやり方も変わらないじゃないですか。大リーグにいったからといって野球は変わらないし。
実際に現場というのはそんなに変わらないんですよ。ただ、その熱量といいますか、詰める感じが非常に高いというか。プロの集団なので、ありとあらゆるディテールにこだわっているし、最後まで詰めるという作業が強いですね。途中でブルーレイが止まったりしないし。
(会場笑)
紀里谷:そういうところは、日本で仕事をしているとすごく「ゆるいな」と思うし、中途半端なことが多い。以前はそんな感じはしなかったのですが、この10年くらいですかね。とても日本人の人たちの仕事の仕方がゆるいなというのは思います。
なんとなく和を取ってクオリティを詰めないという感じは受けますね。それは常にフラストレーションではありますけども、そういうところはアメリカといいますか、世界……これはなんていえばいいんだろう。ハリウッドというと、ただ単に。
じゃあ、何をもってハリウッド映画かというと、地理的状況でいったらハリウッドなんかで作ってないわけ。全世界で撮って、全世界でそういうのをやっているわけで、何かというと、全世界に届けられるシステムだと思っています。そのシステムの中でやっていると、ミスは許されないという感じですかね。
キャスティングは動画で選定
紀里谷:他は? はいどうぞ。
質問者:キャスティングはどのような段階で、ご自分が決めたとか、オーディションで決めたのか、どうやって決めたのか教えていただけますか?
紀里谷:ほとんどオーディションをやらないですね。だいたい自分が好きな役者を指名しますし、それでスケジュールが合わないとか、向こうが脚本気にいらないとか、俺のことが気にいらないとかある時には違う方にはいきますけれども、だいたい自分の好きな人をやっております。
なんでオーディションをやらないかというと、結局はオーディションではわからない。だから、新しい人と仕事をする時は、単純にYouTubeでもいいから、その人がやっているシーンを送ってくださいというふうにしていますね。
そうするとキャスティングデレクターからいろんな候補が上がってくるので、その動画を見て選定しますね。実際に会う必要は、あんまりないような気がしますね。
質問者:ありがとうございました。
CGは道具に過ぎない
紀里谷:はい、後ろの方。
質問者:恐れ入ります。国内映画で『GOEMON』など撮られていると思いますが、『GOEMON』に比べて今回の『ラスト・ナイツ』は、CG色というか、映像の表現が少し違うような気がしたんですけれども、その点はどうかということについてお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか。
紀里谷:CGというのは、所詮道具なんですよね。ぶっちゃけどうでもいいという感じですよ。形や道具というのはどんどん進化していくわけで、10年前にいいと思われたものが、そうでもないじゃないですか。やっぱりすごく重要だと思うのは、物事の本質だと思うんですね。
たとえば今回だったら、その物語であり、そこにいる役者さんたちの感情をどう掴むのかということだと思うんですよ。だからCGは使ってないように見えるけど、相当使っています。
とにかくクオリティーをあげているのと、ところどころCGカットも正直あります。それはいいわけになっちゃうけれども、お金と時間がなくなっちゃったからというのが最終的なところです。
だから何億あろうと、どれだけお金があろうと、最終的にはたいがいお金がなくなっちゃう感じですよね。どこまでいっても足りない、というふうに思います。
だから、あまり若い人というかクリエイティブをやっている人たちに言いたいんだけれども、とにかく今は形、形、形なんで。CGなんだ、実写なんだ、アニメなんだとか、デジタルだ、アナログだ。何々系とか、何々系はいわないか。アクションですとか、「なんとかです」というのがすごく多いんで、そういうのは抜きにして考えられないかなというのは、すごく思いますね。
はい。ほかは?
質問者:ありがとうございます。
何かを作りたいなら今すぐやり始めるべき
紀里谷:はい、どうぞ。
質問者:将来、デジタルハリウット大学ではクリエイターを目指す人もたくさんいるんですが、そういった方々にメッセージをくだされば。
紀里谷:今すぐ造り出すべきだと思いますね。僕、学校にいってないし。映画をやったり写真とか(やるべきでは)。今、ネット上にはありとあらゆる情報があふれていて、そこから拾えば何でも学べると思うんですよね。
そうすると学校を否定するようになっちゃうと思うんだけれども、所詮学校にいったところで、卒業証書は何もしてくれないと思うんですよ。それで就職してCGのデザイナーになるとか、アーティストになるとか、就職するとかならいいかもしれませんが。
もし、それで自分で映画を撮りたいと思うのであれば、今すぐに、明日にでも、もしくは今から脚本を書くべきだし、それで書いて、iPhone6sで4Kの動画を撮れるわけですから。それで編集もiPhoneでできちゃうような時代だから、すぐにやり始めるべきだと思います。
もっと優しいこと、「未来に希望が満ち溢れている」とか言いたいんだけれども、実際問題は闇しかないという。今、本当にクリエイターは食えないんですよ。これは言っときます。今、カメラマンの人たちは食えません。昔、僕の弟子をしていたようなやつ、一時はお金をすごく儲けていたようなやつが食えなくなっちゃってる。
なぜなのかというと、単価がだんだん下がってきてしまうわけです。誰でも何となく写真が撮れちゃう。見る側もそこらへんのクオリティーを要求してないし、少なくとも日本では食えなくなっちゃってる。
最近記事にも出ていましたけれども、今、Webデザイナーも食えなくなっちゃっていますよね。グラフィックデザイナーも食えなくなってきちゃってる。悲観的な話でごめんね。でも、これはリアルな話。
映画監督として食えてる人は日本に何人いる?
紀里谷:映画業界にしても、本当に作家性を求めて何かを作るということが非常に困難になってきています。たとえば雇われ監督としてビッグタイトルのマンガとかテレビの延長線上のもので、映画会社主導でやっているものを雇われ監督としてやるのであればいいかもしれませんけれども、実際に日本でそれができている人は何人ですか? 映画監督でちゃんと食えている人って30人いないんじゃないかな。
一番トップの人でも、1本のギャラが1200万円だと聞きます。「それって、すげーじゃん!」というかもしれませんけれども、だいたいそれで1年がかりで、税金取られてなんだかんだやっていくと、推して知るべしですよね。それに毎年撮れるわけでもないし。非常に苦しい状況じゃないかなと思うんですけど。日本が、ですね。
そう考えていった時に、僕が思うのはこの『ラスト・ナイツ』だって結局日本ではこの予算がでない。なぜならば、マーケットがそれを可能にしないわけですよね。興行収入をマーケットで逆算していくと、外に出るしかない。
外に出るしか、自分のオリジナルであったりとか、自分が思うようには作れないんじゃないかというのは、ずっと思いますね。だからこれから映画を撮ろうと思う人は……映画監督になりたいという人、います? あ、いないのか。1、2、3人か。じゃあ、いいか!
(会場笑)
紀里谷:アメリカで僕のマネージャーと話していてよくそういう話になるんですけれども、とにかく監督の能力があることはもちろんのこと、プロデューサーの能力、あと法務・弁護士ときっちり話をする能力。契約書のことですね。それと会計。お金の計算ができなければいけないということが、今すごく言われていますね。
自分が作家だけやって、作家的に動いて、それで映画を撮らせてもらうというのは、時代的にはたぶん終わっているような気がしますね。その裏ではYouTubeだったりとか、アメリカで起こっていますが、Netflix、hulu、Amazonとかいろいろありますけれども、そこらへんも、結局今動きを見ていると、しょせんスタジオというか、映画会社がやっていることと同じようなことを突き進んでいるわけで、インディーズの人たちは余程すごいものを出していかないと、けっこう厳しいな、と。
日本では作品を見せるところがないんですよね。単館系というか、まず見せるところがない。劇場がない。作っているものを見せるところがない。見せることができても、今度はお金がかかりすぎちゃって宣伝ができない。だから誰も見に来ない、というような状況じゃないでしょうか。
唯一、映画祭で賞を取るというのがあると思うんだけれども、それは極めて難しいですよね。夢がない話ですみません。
質問者:ありがとうございます。
限りなく多くの人たちに観てもらいたい
紀里谷:ほか、映画の話じゃなくてもいいのであったら。はい、どうぞ。
質問者:今回の『ラスト・ナイツ』という作品をどのような方に見ていただきたいと思いますか?
紀里谷:いや、みなさんですよ。僕が常々思っているのは、観客が見える映画は作りたくないと思うんですね。決まった観客がいてそこにボールを投げるのは、あまり好きじゃない。
たとえばホラーというジャンルがあって、ホラーサウンドを入れて、ホラー映画を作るとか。コメディファンがいて、コメディ好きな人たちに投げるとか。アクション好きの人たちに投げるとか。好きじゃないんですよ。
アート系といわれる映画でアート系のファンがいて、そこに投げるとか。僕は、とにかく限りなく多くの人たちに見てもらいたいと思いますよね。
質問者:ありがとうございます。
紀里谷:こちらからベラベラしゃべるのもいいんだけど、みなさんは何がほしいのかわからないと、しゃべっていても的外れになっちゃうし。
はいどうぞ。
質問者:ありがとうございます。ゆるいところは許されないとか、興行収入、予算的な意味で、ハリウッドに映像を出したということはわかるのですが、どのような経緯でハリウッドの話が進んだのかお伺いしたいなと思いました。
紀里谷:単純な話で、2004年に『CASSHERN』という作品を世に出しました。公開と同時、もしくはそれ以前にバンバンとアメリカから電話がかかってくる。アメリカにはエージェンシーが5つありますけれども、そのエージェンシーから全部電話がかかってきた。電話がかかってきて、「契約してくれ」といわれて、そのシステムの中に放り込まれたということです。
アメリカの中では、メジャーな作品は全部エージェンシーに入っていないとたぶんできないと思うんですよ。不可能だと思います。だからそれをやったということですけれども。そこから何人ものプロデューサーと会って、いくつもの企画を動かしながらやってきました。その1つが『ラスト・ナイツ』だったということですね。