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「攻めのシニア起業術」~“正しい”を疑え! 混沌とした時代を戦略的に生きる方法~(全3記事)

ミドルシニアに必要なのは、迷った時に多数決を選ばないこと 小説家・真山仁氏が語る、「人間力」の身につけ方

公益財団法人 東京都中小企業振興公社の主催で行われた「第3回 東京シニアビジネスグランプリファイナル」の基調講演に、『ハゲタカ』シリーズで知られる小説家の真山仁氏が登壇。「攻めのシニア起業術」をテーマに、小説における「視点」や「自分ではない視点」を持つ方法などを語りました。

物事を肯定的に見る日本人

真山仁氏(以下、真山):私がなぜ「正しいを疑え」と訴えるかと言うと、日本人は基本的に物事を肯定的にしか見ないからです。

例えば、新聞記事を読んで「ほうほう、なるほど。そういうことか」「嫌だな、かわいそうだな、ひどいな」と感じる時は、自分が得た情報を肯定的に見ています。ところが、こんなに肯定的に見ている人たちはたぶん他の国にはあまりいません。人の話なんか信用しないのが当たり前という文化を持つ国もたくさんあります。

例えば、「話せばわかる」と日本人はよく言いますけど、アメリカ人や中国人に取材していると、「話してもわからないから交渉するのだ」と言われます。文化や歴史、目的も違うんだからわかり合えるわけがない、と言われた時に、「なんて心の狭い人だ」と思うのは間違いです。

心の広さの問題ではないからです。外国の人と話す際には、物事をすぐに肯定せず、それはあなたにとっての都合の良い話であって、我々はそうじゃないんだという視点を持つのは当然なのに、日本は島国で、単一民族とは言いませんけど、民族性や文化がモノトーンに近い。

そのため、同調圧力が強いのも辛いけど、同調圧力の中にいるほうが楽だという気持ちもあるから、その均衡を破りにいくと大変な目に遭うこともある。

でも、「こういうもんです」ということに関して、「本当かな?」という目を持つ必要は高まっています。なぜなら、これだけグローバルになり、世界中から情報が入ってくると、みんなが同じ価値観なわけがないからです。

わかりやすい例を言うと、食べ物の好き嫌いだとみんな譲ります。私はエスニックが嫌い。私はカレーが好き、焼肉が好き。ご飯はいらない、パンがいい。そういう他人の好みは、そのまま認めますよね。

でも、これがビジネスになると、急に「それは違うだろう」と認めなくなる。社会的な面では「同性婚なんかありえない」「LGBTなんかおかしい」とか。それはあなたの価値観であって、異なる価値観を持つと愛を感じる対象が変わるという想像力はないのか、と。

逆に、それを振りかざして、我々は差別されていると声高に言う人たちに、「そうだそうだ!」と応援するべきかという疑問もあります。今の社会は、このように正解はないようなものであり、「正しい」はないのです。ないけど、正しいと考える人が多い側にいたほうが特に日本人にとっては楽なのです。

人を寄せ付けない=正しさを押し付ける

でも、この「正しい」にしがみついていると、さっき私が申し上げた、好きだった物から自分の将来を考えようという目や、自分が辿ってきた軌跡に対して「たぶんこういうことならやれるな」という判断が鈍るんです。

なぜなら、「正しい」を気にする人は、自分は正しいと思いたいからです。自分がやってきたことに間違いがあるわけがない、不安があったとしても、「そう思わなきゃ生きていけない」と。

自分のことを信じるのはすごく大事で、死ぬまで大事にすべきですが、それは人の話を聞かないとか、批判を受け付けないとか、間違いを謝らないということではありません。

自分はこう思うという考え方や生き方を否定してはいけない。失敗も、ひどいことをしたことも、取り返しがつかないこと、あるいは、逆に、すばらしくうまくいったことも含めて、自分を信じることは大事です。

だからと言って、他人を寄せ付けないようではダメです。「人を寄せ付けないイコール正しさを押し付ける」だからです。正しいを疑う以前に、まず正しいにしがみつかないようにしなくてはなりません。

例えば、多様性が大事だともう10年、15年以上前から言われています。もっと前、私が大学時代の就職活動の時に、言っていた気がします。でも、すでに会社は多様性なんか無視してモノトーンな子ばっかり採っていましたけど。

多様性が大事なのはわかりますが、多様性の意味がはっきりしない。多様性は認めるけど結論は1つだよ、が日本のやり方です。

例えば、「好きにしよう」という答えがベストです。みんな好きにしよう。ところが、好きにできないことがたくさんあります。目の前に血を出している人が倒れているのに、多様性だから救急車を呼びませんというのはおかしい。

あるいは、みんなが時間を守っている中で、私は多様性なので時間を守りませんというのも認められません。時間を守れないなら、最初から参加しないでください、これが多様性の中の責任です。

日本人は極端です。「正しい」にしがみつかないなら、どうぞ好きにしてください。そのかわり、あなたを誰も守りませんと、平気で言う。自由という言葉と、好きにするは同じことです。

自由はとても良い物だと思われていますけど、自由は「誰も守りません」ということでもある。だから日本人はずっと、不満があっても、「うちの会社は正しいです」「うちの組織は正しいです」「社会は正しいです」と言って、寄り添ってきました。

それが間違っているわけではないですが、思いどおりに人生を生きてきたわけじゃないと言った時に、みなさん強く頷いていらっしゃったんで、あえてもう少し言うと。

「社会の主流はそうかもしれないけど、自分は違う」という思いを大事にすべきです。なぜならここにヒントがあるからです。

新しい挑戦のヒント

私が小説家を志した理由は、なんでみんなあまり考えもしないで、簡単にYESと言っちゃうのかなと思ったからです。

もっといろんな意見が世の中にあったほうがおもしろいし、日本では当たり前でも、例えばイギリスに行くとぜんぜん違うことを言っている。イギリス的な視点も持って選択肢を増やしたほうがいいんじゃないのかなと。自分はそれを伝えるための小説を書こうと思いました。

否定する必要はない。「正しい」を疑うけれども、あなたの正しさはおかしいとケンカをする必要はない。ただ疑っている人は意外に多いんじゃないか。自分のこの違和感をどうやって、これまでに得たスキルや経験の中で伝えていけばいいかというところに、新しい挑戦のヒントが出てきます。

みんなはこう考えるけど、そこは違う。当たり前と言っているのは意外に幻想だとか、そういうふうに思いがちだけど、本当に求められているのはこういうことだとか。

あるいは、ものすごく大きなビジネスをするには、今のあり方がいいけど、そもそも本当にそんな大きな物がすべての人に必要なのか、というアプローチもある。

つまり、前提にある「常識」や「正しい」の周辺にある隙間や歪みを探して、そこにどうやって光を当てるかが目新しさになる。

ポイントは、前提を疑えるかどうかです。あるいは、極端なことを言うと、自分が経てきたキャリアはこういうステップだったから、志半ばで組織から出ていく結果になった。このステップを変える方法はないだろうかという発想です。

ずっと自分の中で抱いていた違和感や疑問や、本当はこういうことができたらよかったと考えるのが、「正しい」を疑うことなのです。

それを言葉ではなく、行動にして証明できれば、ベストです。本当はこういうことが大事なのでは、あるいは、こういう助けがもっと必要とされているのでは、と。そういう自分の中にある違和感や疑問を、どうやったら形にできるか。

小説における「視点」

ここで重要なのが「視点を変える」ということです。私はいつも講演会で、「みなさん小説を読みましょう。できたら、いろんな視点や価値観を持つ登場人物が出てくる小説をたくさん読んでください」と言っています。

視点とは、小説の主人公や登場人物の後ろについているカメラを指します。カメラが見えていることを描写するのが約束事としてある。

このカメラには、登場人物の内面を映す力もあります。小説を読んでいると、地の文と言われる説明の文の中で、感情やいろいろな自問自答が書かれていますが、これはそれぞれの人物の視点であり、ここにさまざまな価値観が表れています。

つまり小説を読むと、否が応でもそのカメラを持つ登場人物に感情移入をしていきます。

日本の小説では視点が1つの場合が多いのですが、イギリスやアメリカの小説、特にミステリーでは複数の視点を使い分ける作品が多く、時に5つとか6つになります。私はこれまで外国の小説をたくさん読んできたので、書く時も視点を増やす傾向が強い。

視点が複数だと、まったく異なる価値観の人たちが、1つのテーマで議論したり、行動するのを各々の視点で読むことができます。一番わかりやすいのが、クリスチャンとイスラム教徒です。もうこれは絶対に折り合いません。

ただ、宗教観が折り合わないだけで、人間的な魅力を知って、「この人がクリスチャンだったら親友になれるのにな」という内的独白があるかもしれない。

あるいは逆に、イスラム教徒の人が、クリスチャンの彼の相手を「神が違うだけで考え方は自分と変わらない」と気付くかもしれない。1つの問題を、いろんな角度からそれぞれの視点で感情移入して見ることって、現実の人生では不可能です。

なぜなら、常に自分が主人公で、他人のカメラは見れないからです。でも、できたら、例えばビジネスの交渉や恋愛で、「相手はどこまでお金を出すつもりだろう」とか「本当にこの人は自分のことを好きなのかな?」と、知りたいですよね。小説はそれができる。

読んでいる時は、「この人はこういうふうに思っているのか。ひどい人だな」とか「まったく同感。その通り」と感情に流されて読んでいる。でも、ふと冷静になると、「なるほど、世の中にはこんなにいろんな考え方をする人がいるのか」と。

私が好きなスパイ小説だと、イギリス人が主人公でもロシア人やアメリカ人も出てくる。同じように見えても、イギリスとアメリカでは価値観が違うし、気質の違いも見えてくる。

こういう体験を続けて、いろんな人生観を持つ人たちの視点を知り、理解を深められたら、想像力がつくし、広い視野で見えるようになる。

「自分ではない視点」を持つ方法

今日は、前半で、みなさん自身の人生やキャリアについて見つめましょうと言いました。でも、それは個人の視点でしかない。もちろん、長い人生、長い仕事経験の中で、他人の目にどう映るか考えながら配慮してきたと思いますが、どこまでも自分の目で見ています。

もちろんそれも大事なのですが、「正しい」を疑ったり、自分の経験から少し飛躍した新しい提案を出す時に必要なのが、この「自分ではない視点」であり、それをいかに持てるようになるか。結論から言うと、慣れです。

海外に留学した方なら、今、私が言っていることがよくわかると思います。いくら話しても、「この人とはやっぱりわかりあえなかった」と終わってしまう経験を何度もするうちに、必ずしも答えは1つじゃないとわかるようになる。

それを疑似体験できるから、小説を読むことをおすすめするのです。それなりの量を読んでいくと、この人は最近読んだ本にいた人に似てるから、きっとすべてを数字で考えるタイプだ。説得するなら数字を出したほうがよさそう、とわかるようになったり。

実際に留学したりたくさんの外国の人とお友だちになるのは難しいですが、小説を読むことならいくらでもできます。人生もキャリアも積んでいますから、もう専門書を読むのはやめて、小説を手に取りましょう。

先ほど若い人には小説は書けないと言いましたが、逆に言うと、年を経て読者になって初めて、小説の意味がわかる場合もあります。若い時は「なんだ、このめんどうくさい人は」と思うだけだったけど、「そうか、自分はこういうことができなかったから、年相応に円熟しなかったのか」と違う感想を持つかもしれない。小説を読むタイミングによって親近感を覚えるキャラクターが変わるケースもある。

小説に感情移入して読んでいると、意外な行動に出て突然主人公と心の距離が空くことがあります。そうすると、好きだったはずの人間のキャラクターが別人のように見える。現実では、なかなか経験できない感覚です。

そういうことがある程度身についてくると、ふだんの生活や仕事の中で、意識的に人の話が聞けるようになります。これがものすごく重要で、いろんな価値観をとりあえず飲み込めるようになります。

彼のこの価値観を認めてあげたら、きっと一緒に仕事をしてくれるだろうし、あるいは、戦力になってくれるだろう。でも、もし、彼の価値観を認めると、すでにいるたくさんの仲間たちから「認めたくない」と反対されるはず。どうすべきだろう、とか。

こういうケースでは答えは1つではないし、なかなか冷静に判断できない。その時に「多数決にしない」ことがたぶん、55歳以降では求められる。「人間力」が問われます。

年を取れば自然と人間力がついてくるのかと言えば、そうでもないし。黙って聞いて、どうやればこの人の問題となる部分を押さえ込んで、長所を引っ張り出せるかを冷静に考える力は、自分の中で自問自答しているだけでは身につかないのです。そこを、ぜひ小説をたくさん読んで身につけてほしい。

クリエイティブな発想を生み出すのは才能ではない

先ほど、ご自身の辿ってきた軌跡を自己肯定からではなく、ちゃんと分析して、何が強みかをまず前提に考えないと、斬新な考え方も新しい道も生まれませんと言いました。

これは、理屈はわかっても、実行するのはそこそこ難しいはずです。還暦を過ぎている私を含めてもう若くはありませんので。

ではどうすればよいのか。これからは、もう1人の自分を作って、外にカメラを持ってください。「また調子に乗ってるよ」「自分の説ばかり訴えて、人の話を聞いていない」「本当にそんなにすぐに飲み込んでしまっていいの?」などと、冷静に批判する自分です。

言うのは簡単ですが、なかなかできません。当たり前です、そんな批判はうっとうしいですから。でも、これからの人生をより豊かにするためには、常に冷静になり、下がって人の話を聞きましょう。自分は本当にそれでいいのかと考える習慣をつけましょう。その時に、このカメラがすごく効いてきます。

今日最初に座る理由や「水を飲んでゆっくりしゃべります」と言いましたが、これも、半分以上何を言っているかわからなかったという批判を受け入れた上で修正しようとしています。

「身近な人からの批判を受け止めていますか?」「悪い癖が、また出ていませんか?」「あなたの『正しい』を振りかざしていませんか?」と自らに問いかけるためのカメラ、「正しい」を疑うカメラをみなさんが身につけられるかどうかが、すごく大事になってきます。

もう一度自分の中に、何かを、新しい物を生み出そうというこのタイミングでは、自信を持って前向きに行かなきゃいけない。一方で、たくさん経験をしてきたことを活かそうとして熱くなりすぎず、時に冷静であるというバランスを大事にする。それで、もう一度自分が世の中に果たせる役割が何かを一生懸命考えていただきたいと思います。

クリエイティブな発想を生み出すのは、才能ではないです。たくさんのピースを用意して、そのピースを一生懸命糸でつないでいく中で、ある日、突然つなぎ方がマッチして生まれるものです。天才にしか作り出せないわけでもなく、座禅を組んだり滝に打たれて生まれてくるものでもない。

蒔かれた自分のピースの中から掘り起こすものです。無から有を作るのではなく、無数にあるビッグデータ、自分の中のビッグデータの中で、何がつながればクリエイティブになるかをぜひ考えてください。

そうすると、「いやぁ、55歳を過ぎてからのほうが人生が楽しい」と、負け惜しみじゃなく言えるようになるのではないかと思います。今日はどうもありがとうございました。

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