身につまされた「オーバー40代問題」の肥大化

野水克也氏:みなさん、こんにちは。サイボウズ株式会社の野水と申します。完全に今日は油断しておりました。このプログラムが最初に発表されたときに、僕の横が青野のセッションだったので、これはもう「僕は今日は捨て枠だな」と。

ぜんぜんお客さんが集まらないから、気楽に考えて(やろう)と思ってこの間見たら、なんか青野と相当席数が競っているということで。今日来たら、もう満杯ということでびっくりしたんですけど、本当にアレな感じです。

悩めるオーバー40代のみなさん、ようこそお越しくださいました。40代に届いていない方もたくさんいらっしゃいますけれども、それだけ逆に言うとこの問題、オーバー40問題がいかに大きいかということではないかと思います。

「上から偉そうに」という感じになっちゃうんですけれども、僕自身が悩んでいるオーバー40ですから。実は53なんですけれども、みなさんと一緒に40分間悩んで参りたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

昨年に引き続きなんですけれども、40代50代を中心にしたセッションをやらせていただいて、2年連続ということになります。

あと、オーバー40の方々ね、つぶやきが少ないんですよ。(講演の)あとでTwitterで「#cybozudays」の投稿を探すんですけども、「僕のセッションだけ誰もつぶやいてない」みたいな、そういう感じになっているんですね。できましたら、(ツイートに)ご協力いただけましたら本当にうれしいなという感じです。

一応、自己紹介させていただきます。サイボウズに入って相当な年数が経ちます。2000年からいまして、僕がサイボウズに入った頃は20人しかいなかったので、サイボウズの中では社歴で言うと上から5番目くらい。年齢で言っても上から5番目くらいという、どっちも相当長老な部類に入って参ります。

今は社長室というところで働いているんですけれども、主にマーケティングの畑を歩んできたという感じです。ただ、その前の職業は、書いてあるとおり建設業でして、しかもその前がテレビカメラマンというめちゃくちゃな遍歴をしております。

今だったらサイボウズ100回受けても絶対入れない。そういう感じなんですが、既得権益なのかしぶとく生き残っているのか、今、こうやって仕事させていただいております。

年功序列・終身雇用の時代は40代以降も安泰だった

前回のおさらいなんですけれども、「40歳以降、急速に景色が変わるぞ」というお話をさせていただきました。40歳で青年会議所を卒業するんですけれど、30代までって基本的には「成長、成長」とみんな言うわけですね。「30代で今、学ぶべきところ」とか、「30代で専門性を磨け」とか、「出世するにはこうしろ」みたいなことを、ずっと言われるわけですよ。

ところが、40になった瞬間、何かわからないけど景色が変わるんですね。今までは親戚に子どもが生まれたときに「おじちゃん」とか言われて、「いや、お兄さんと呼びなさい」と言っていたんですけど、40になった瞬間に受け入れてしまう自分がいる、みたいなところとか。

あとは「子育てから介護へ」。今までは子育てに関心があったんだけど、そろそろ「ちょっと待て。次、介護か」みたいなことをちょっと考え出したりとか、そういう段階に入ってきてしまうわけでございます。

一気に世の中が攻めてきます。「なぜ40代は最も危険な年代なのか」「40代からの能力劣化を防げるか」「いきなり劣化するからどうしよう」みたいな、そういう話に変わってきます。「いや、40を過ぎた瞬間、周りの景色が違うぞ」、そういうかたちで悩んでいくわけです。NHKは“アラフォー・クライシス”とか、言い過ぎですよね。

これ、昔はあまりなかったんですよ。なんでなかったかというと、年功序列だったから。未だにだいたいの企業が終身雇用で、そう簡単にクビにならないんですけれども、年功序列はだんだん崩れ去ってきています。

昔は40の階段をのぼったら、そこから先は降りることはなかったんですよね。そのままのぼり続けるか、まっすぐ行くか。この二通りだったんですけれども、残念ながら下るという選択肢が目の前に見えてきます。何を持って下るかという問題自体はあるんですけれども、下るということが目前の問題として迫ってくると。

40代を超えると、男女ともにスペシャリストのロールモデルがいない

そうすると、ロールモデルがいないんですね。「女性にロールモデルがいない問題」というのがけっこう有名で、今まで女性の方は、だいたい「家に入ってキャリアをあきらめる」という感じで言われてきた。

それが今は、女性の方も共働きで、そうしないと食えないという問題があるし、キャリアも続けたい人が増えて。当然「男性も女性も関係ないよね」という風潮になってはきたんですが、そうなってくるとはじき出されるのは誰だと言ったら、上の方が弾き出されるという、こういう事態になってくるわけです。

女性と同じように、実は我々男性もロールモデルがいないという問題に差しかかると。女性も男性も結局は40を超えるとロールモデルがいないという話になってしまうわけでございます。

スペシャリストのロールモデルは非常に少ないですね。理系の方はまた別かもしれないんですけれども、文化系のスペシャリストって、「じゃあ、この後、60、70までどうやって食っていけばいいんだ」みたいな問題が迫ってきます。

詳しく分析をしてみます。僕が身につまされた自分の経験から、これも昨年のネタから引っ張り出してきたんですけれども、1つはビジネスモデルが変わってゆく。

自分が変われないという問題もあるんですが、例えばIT業界だとクラウドというものが出てきたりとか、サブスクのビジネスモデルとか、事務作業のスペシャリストだったのに「AI?」みたいなこととか、RPAで全部仕事を奪われるとか。

そういうリスクがでてくる、ビジネスモデルが変わっていくところに対応できるんだろうかという恐れです。

もう1つは支援者が減っていく恐怖。こっちの方がぜんぜん怖いんですよね。30代までは誰かに支えられてやってきているわけです。30代のときって、「俺が世の中の先頭に立って、世の中を引っ張っていくんだ」みたいな勢いで仕事をしていますが、あくまで上司が温かく見守ってくれたりとか、誰か年長者が自分に仕事を与えてくれたりとか、部下が自分を支えてくれたりとかいう支援があって、それを享受しながら結果を出してきているわけです。

体制の中で結果を出してきているのが30代です。

会社・人のしがらみから外れて“自由”を手にするのが怖い

ところが40代になってくると、自分を支えてくれた人が急に一線から外れていくんですよね。ガーッと。「あれ? あれ? あれ?」みたいな感じで。我々の会社も、僕なんかは43でマネージャーからスペシャリストになっていますので、そうなると部下もいなくなるということになる。

「誰が俺を支えてくれるんや」みたいなことになってきて、年功序列がなくなったら怖いな、というところを身につまされて感じるようになります。

そうなってきたときに、「まだ社会人生活20年で、一体どうやって70歳まで働いていけばいいんでしょうか」という不安にさいなまれることになるわけです。怖いですね。

でも、よく考えてみたら、今までしがらみの中で我々は生活をしていたわけです。上司のしがらみに文句を言って、「会社がどうだ」ということを言って。「『会社さん』という人はいない」というお話が今日の先ほどの基調講演でもありましたけれども。

「部下がちゃんと動いてくれないから」とか、「取引先がどうだ」とか、悪いことは誰かのせいにして暮らしていたんですけれども、実はそういうしがらみから外れたときに初めて、人が自由になるんですよ。

そう、40にして自由になるんです、人は。その時に初めて、「自分の足で立て」と言われるわけですよ。それまでは誰かに支えられて生きてきたのが、いきなりいろんな枷を外されて、枷であり支えでありというものを外されるということになるわけです。

怖い! 自由、怖いですよね、歳を取るとね。おかしいですよね、『15の夜』(注:尾崎豊、1983年のデビュー曲)の時は自由を求め続けていたはずなのに、なんで40になると怖いんでしょうね。

40代スペシャリストのキャリアと問題に対して、セッションをやるにあたっていろいろ調べていたんですけれども、一番似ているのが商店街の話。シャッター街ですね。

地方の商店街、めっちゃシャッター(が降りたまま)になっていて、こういう問題があるんですけれども、「田舎の商店街はなんでシャッター街になったのか」というところです。いろんな理由があるとは思いますけれど、一言で言えば「行く気がしない」。「面白くなさそう」。

「面白くなさそう」の根底に「役割を終えた」という無自覚の認識がある

「面白くなさそう」というのが、実は“Over 40問題”に通じるものがあるんじゃないかと思うわけです。

一言で言えば、田舎の商店街は時代についていけなかったというのがあるんですけれども。それでは、変化できなかった理由は何か? となるわけですね。

その理由としては、一つが同じ人たちでずっと運営していた。2つ目がずっと同じ人たちがお客さんだった。お客さんも変わらないわけです。ただ運営者とお客さんの年齢層がだんだんと上がっていったという図式になります。次第に歳をとっていった。

それが、子どもたちにとっては魅力的には思えなかったというわけで、だんだん客足が遠のいて人口が減っていったというところに来てしまいます。

これに対して、平田オリザさんがいいことを言っているんですけど、「街中におもろいものが何もなくて、ぜんぜんつまんない街を作っておいて、今さら何を言っているんだ。行政が婚活パーティーをやるのはおかしいんちゃうか」と。まったくその通りです。

この商店街を、会社さんに当てはめてみたらどうでしょう、ということになるわけですね。同じ人たちでずっと運営していた。同じ人たちがお客様だったと。そういう会社ないですか。みなさんの職場、大丈夫ですか(笑)。

そんな中で言っていたら、それはつまんなくなっちゃうよねということが、必然的に出てくるわけです。

今、僕は地方創生の仕事をけっこうやっていまして、いろんな市町村に行って、どうやったらこの市町村の持続可能性を伸ばせるだろうかみたいなことを、多くの市町村と取り組んでいます。その中で、中心商店街の問題が必ず出てくるんです。「どうやったらこの商店街は復活するんだ」みたいな話が。

ある時、四国のある街に行った時に、そこの若い公務員の方に「いやぁ、この街も商店街大変ですよね。シャッター多いし」と言ったら、その若い公務員の方が言ったことがすごく衝撃的で。「大丈夫です。この商店街は役割を終えたんです。みんなが静かに暮らしているからここはここでいいんですよ」ということを言って、「なるほど!」と僕はめちゃくちゃ納得したんですよ。

確かに、交通の便が良くて、閑静な住宅街としては非常に優れているシャッター街ということになるんですけれども、残念ながらわれわれは役割を終えるわけにはいかないんです。まだ30年ぐらい働かなければいけないですね。

まだ(人生を)終えたくなかったら、ワクワクさせないといけない。結論としては、商店街じゃなく、おじさんを活性化させなきゃいけないというところです。

同じ環境で同じことをして責任だけが増えていくと、好奇心が薄れていく

ただ、商店街は「会社」です。40代はその中で働く「人」です。転職をすすめるわけではないんですけれども、人は転居の自由がありますから、そういう選択肢も入れて考えるということもできます。

同じ環境で同じ仕事を続けると「なんでワクワクしなくなるのか」というメカニズムを説明したいと思います。好奇心というのは子犬とか子どもとかもそうですが、みんな、犬なんかは大人になっても好奇心いっぱいなんですよ。

ところが、人類だけが、(歳を取るにつれて)好奇心がだんだんなくなってくるんです。なんでなくなるかというと、好奇心というのは、「予想と現実の不整合さ」が適度なところで一番働く。

要するに、自分が予想している範囲のちょっと先の冒険が、一番ワクワクするわけですよ。ところが、あまりに離れすぎていると興味が薄れるという、こういう特性があります。

だから、自分の心の中の好奇心を大きくしようと思ったら、自分ができる、できそうという可能性の幅を広げるということが、好奇心を膨らますということにつながってくるわけです。

ところが、これがいろんな制約でなくなっていくんですね。同じ場所、同じ人、同じ習慣。責任と出るお金だけが増えていくという環境が長いこと続くと、制約の幅がグーっと大きくなって、それと共に好奇心がしぼんでいくという、そういう構造になっております。

ということは、ワクワクして新しいチャレンジをしようと思ったら、この制約をどうやって外していくかというところですね。これを自分にしなきゃいけないと。好奇心って、自分の中から湧き出るもんだというふうに僕も思っているんですけど、残念ながらこういう環境でずっと同じことをしてて責任だけが増えていくと、必然的にしぼみます。しぼむので、自分で意識してストレッチさせる必要があるということなんですね。

3問の好奇心チェックテストに答えてみよう

みなさんの好奇心どうですか? チェックしてみましょう。おっさん判定テスト。おばさん判定テストでもいいですね。

問題が3つあります。1つ目、新しい音楽。最近、最後にCD借りたのって……CDはもう死語かもしれませんけど、別にダウンロードでもいいんです。新しい音楽を買ったのって、いつですかね。借りるのでもいいです。

2つ目。目の前の仕事以外の学びをしていますか? 何か学んでいますか? 別に学校に行ってるとかではなくて。読書をするとかネットで学ぶとかそういうものでも、ぜんぜんありだと思います。

そして3つ目。他人をどこで評価していますか。他人と会ったときに、普通におっさんを見たときに普通にお姉さんを見たとき、普通に若い人を見たとき、おじいさんを見たときに、どこで判断しているか。その3つでだいたい判定できます。

1個目。新しい音楽を聞いているか? 海外の調査なんですけれども、新たな音楽を発見する年齢のピークは24歳だそうです。実は、30代半ばで60パーセント以上の人が既に知ってる曲ばかり繰り返し聴くということになっちゃうんですね。

30代半ばで、そうですね。思い当たる節があると思いますけど、これ、好奇心しぼんでいます。みなさん、車とかiPad、iPhoneの中とか音楽ライブラリー、どうですか。帰りに聴く曲。ここに来るまでに聴く曲もいつの曲ですかね。なかなかね。僕もあまり人のこと言えないんですけどね。

2つ目。勉強しない。新しいことを学ばない。本当学ばないんですよ。この間ホリエモンさんのこれが炎上しておりましたけれども、「手取り140,000円で何年も働いてて、これって日本終わってますよね」という問いに対して、ホリエモンが「お前が終わっているだよ」ということを言ったわけですね。

ホリエモンさんが言うには、「ネットで探せば、今から140,000円以上稼ぐ方法なんていくらでもある。なぜそれを探すことをしないでぶちぶち言っているんだ。学ばないお前が悪いんじゃないか。昔みたいな時代とはもう違うんだ」ということをおっしゃっているです。

まったくの正論です。面と向かって言われたらめっちゃ腹立つと思いますけど(笑)。

日本人は学習への好奇心・目標が圧倒的に低い傾向がある

データからも明らかでして、(スライドを指して)こちらを見ていただきますと、新しいことを学ぶのが好きだという人の割合ですね。一番上から、「非常によく当てはまる」「よく当てはまる」「あまり当てはまらない」「当てはまらない」とくるんですけれども、左側と右側は年齢で分かれているんじゃなくて、左側はスウェーデンのデータです。

スウェーデンのデータでは、65歳くらいになると「よく当てはまる」の人がこのくらいまで来るんですよ。日本はどうだと言ったら、同じ線が同じ場所に、なんと20代で来る(笑)。日本の場合、40歳くらいになると、スウェーデンの65歳の方の半分の好奇心もなくなっている。そのぐらい日本人は好奇心がなくて、しかも学ぶ率、25歳以上の高等教育機関への入学者の割合は日本最下位ですね。

今日来ていらっしゃる方はそういう方じゃない方が集まっていると思いますんで、ここに入らないと思いますけど、一般的にはこういう傾向があるということです。

他人を“仕事”というフィルターで見てしまうクセがついていないか?

3つ目。他人をどこで評価しているかというところです。これ、おもしろい記事がありまして、「なぜか周りから嫌われてしまう40男に共通する4つの特徴」、私、5回ぐらい読み返しました。(笑)。

この中で、「自分は例外的に若いと思い込んでいる」、3つ目の「社会からの逸脱行為を誇らしげに語る」。あるあるある、みたいな(笑)。「盗んだバイクで……(尾崎豊の歌の歌詞)」みたいな感じですよね。「変なプライドが邪魔してうまく人との距離を縮められない」。これ、僕10代の頃からそうなんですけど、ほっといてくれという感じなんですが、一番気になったのは2番です。

「仕事というフィルターを通して世界を見るクセが染み付いていませんか」ということです。さっきの誰かとお会いしたときにその人をどう見るかと、もちろん仕事の場で会ったときには、頭の中には円マークがちらついていますから。この人はお金になるかどうか、みたいな感じで見てしまうのが多少あると思います。

あるんですけど、近所で会った町内会の隣のおじさんを見るときに何で見ますか。名刺交換したりするじゃないですか。

名刺を見て、「俺の方が上や」「俺の方が下や」とか、何言うてんねんという話ですよね。「お歳いくつですか?」とか上か下かで判断するわけですよ。そうやって判断するということは、もうすでに仕事とか年功序列というフィルターで世界を見ちゃっているわけですよ。

これ、非常に価値観が固まる原因になるわけです。価値観の軸が変わらない中で生きていくと、どれだけ考えてどれだけ努力をしても、結果は同じだということです。自分の価値観が同じだとね。

同じ人と仕事をしていて、同じ環境で仕事をしていると、当然変わるわけないじゃないですかという話で、悪あがきになってしまうんですね。

好奇心がなくても、たしかにサラリーマンはできます。できますけれども、自分でチームを作ろうと思った場合に、チームが作れない。なんでかというと、夢のない人の周りには人が集まってこないからです。

今までの組織はお金で保っているわけです。とくに会社ですね。会社というのは、お金というものがあって、そのお金をどううまく分配するかという組織で、みんなお金のために働くんですね。

そのお金をもらいたいがため、ちゃんと自分の分配をもらいたいがために、みんなは規則を遵守して上司の言うことを聞いて働くのです。

組織のかたちは、だんだん進化していくとされている

今日も基調講演でもチラッと話が出ましたけれども、今、流行りの「ティール組織」というやつがあります。今日、これを話していくと2時間とかになってしまいますので、めっちゃはしょっていきますけれども、「組織のかたちがだんだん進化していくよ」と、そういう話です。「進化」とは言っても、進化したからいいとは必ずしも言えないんですが。

最初の頃は、レッドの組織から始まるわけです。レッドの組織は「力による支配」。恐怖でもって人を従わせるというところですね。

2番目の組織は、それよりちょっと進化する。ピラミッドを作るような大きな組織になると、分配、ヒエラルキーができて、ちゃんと上から下まで命令系統がしっかりしている。逆に命令以外のことはやっちゃいけないというところがあります。

今、日本の会社でもこういうところがまだ若干残っているかなという感じではありますけれども、基本的には軍隊が一番わかりやすいところです。

3つ目の組織ですね。これがもうちょっと進んでくると、機械という組織になります。機械は最適化の連続です。要するにAIを人間がやるというそういう感じですね。AIは自己学習してどんどん効率化を突き進んでいますけれども、それを人間自身の手でやるというところが、この機械はオレンジという組織になります。

その次がグリーンです。ここまでくると現在は「働きがいのあるいい会社」と世の中では言われるわけですね。「家族」。ヒエラルキーは残すものの、身分というほど強くはない。

権限の移譲をして、下の人が自由に働けるという環境を作ったりとか、あとはお金が目的じゃないよと。価値を作り出して、その価値をみんなで共有することによって、結果、売上が上がるんだよみたいなことを本気でやっている。