“ゴリラ”に学ぶ人間の知性
京大総長・山極壽一氏が語る、ヒトと類人猿を分かつもの

ゴリラの世界から見た続・進化論~シンギュラリティ後のホモサピエンス #1/3

“知のフロントランナー”と現役大学生が徹底討論する公開型授業『NISSAN presents FM Festival2017 未来授業~明日の日本人たちへ』が、2017年10月15日、東京大学本郷キャンパス工学部2号館212講義室にて開催されました。第8回目となる今回は、松尾豊氏・山極壽一氏・川村元気氏を講師に迎えて、「AIは産業・社会の何を変えるのか?シンギュラリティ後の世界で私たちはどのように生きていくのか。」をテーマに現役大学生と熱い議論を交わします。

ゴリラ研究に40年

山極壽一氏(以下、山極):みなさん、こんにちは。この40年ほど、アフリカの野生のゴリラの世界に入って、向こうのゴリラの暮らしをしながら人間世界を眺めてきました。

そこから見ると人間世界がどう見えるのか、というお話からはじめて。そしてAIにもたらされる未来社会というところまで、話を進めたいと思います。そのキーワードは、コミュニケーションなんですね。

僕も喋ってますけども、実は我々が言葉を喋るようになったのは、だいたい7万年ぐらい前だと言われています。その言葉を喋ることによって人間は知性を発達させたんだと、おそらくここにいる人の大半は信じきっていると思うんですが。

でも人間の脳が、現代人の脳はゴリラの脳の3倍あるんですけども、この3倍の脳が達成されたのは40万年前から60万年前です。そして、脳が大きくなりはじめたのは200万年前。だから、160万年ぐらいかかって3倍になった。

だけど重要なことは、それ以降、脳は大きくなっていないんですよ。実はホモサピエンスとは違う、ホモ・ネアンデルターレンシス、いわゆるネアンデルタール人が最近まで生きていました。彼らは、我々よりもちょっと大きな脳を持っていた。形は違いますけどね。

実は、脳は成長をやめたのかもしれない。とくにコミュニケーションは、言葉を使いはじめたから各段に進歩したと、みんな思っているかもしれない。しかし今、ゴリラやチンパンジーばかりじゃなくて、いろんな動物の認知機能や世界観が明らかになってきた。彼らのほうが、実際は優れた世界の認識のしかたをしているかもしれないんです。

我々のコミュニケーションを、もう1度見直してみる必要がある。しかもAIという、人間の脳から離れたところによって実際のさまざまな出来事が分析され、解釈され、そしてそれが決定されるという未来社会を迎えて、我々は本当にいいコミュニケーションを使っているのかということを、考え直してみたいと思うんですね。

社会脳としての人間の脳

じゃあ、聞いてみます。みなさんは年賀状を書きますか? みなさんが今、どういうコミュニケーションの位置にいるかということを調べてみたい。年賀状を書く人? そうか、(カードの)青がイエスだったな(笑)。赤がノーか。はい、挙げてみてください。

おお、約半分だね。けっこうみなさん書くんですね。じゃあ、年賀状の人の数。今、年賀状を書くと答えた人に聞いてみます。50人以内という人は手を挙げてください。

(会場挙手)

おお……じゃあ100人以内。100以上で500人以内。いない。おお、おもしろいね。じゃあ1,000人。

(会場笑)

いないんだねえ。やっぱりみんな100人以内だね。じゃあSNSを使っている人。年賀状をSNSで発信している人って、さっきノーで挙げた人はたぶんそういう人じゃないかなと思うんですが。聞いてみます、同じ質問です。SNSで年賀状的な年頭のあいさつをしている場合、10人以内の方、手を挙げてください。

けっこういるね。はい。50人以内。100人以内。おお。じゃあ100人から500人まで。いない。1,000人。お、100人から500人? いたな、1人。1,000人以上。1,000人以内ね。

これ、ほとんど同じなんですよ。年賀状を書こうがSNSを使おうが、ほとんど頻度分布は一緒です。今、ざっと私の目から見たところ。これはなにをあらわしているのか。

人間の脳はゴリラと比べて3倍大きくなった。理由は、社会脳だと言われているんですね。これはロビン・ダンバーというイギリスの人類学者が調べた結果なんですけれども、新皮質が占める割合が高くなれば、脳が体重に比べて大きくなる。

その相関関係を見つけて、じゃあ新皮質がほかの脳の部分と比べて占める割合といろんなパラメーターを比べてみたら、ぴったり合うのは集団の規模だということがわかった。つまり、集団が大きくなればなるほど、その種の脳というのは新皮質の割合が高くなって、そのぶん脳が大きくなっているということが判明した。

だから予想できますよね。集団サイズが大きくなるということは、付き合う相手の数が増えるということだから、社会的な複雑さに対応して脳が大きくなった。つまり、社会脳として人間以外の霊長類の脳より大きくなっている。

150というマジックナンバー

じゃあ、人間の200万年前から40万年、60万年ぐらい前まで、脳が3倍になったのは社会脳、つまり人間の集団サイズが大きくなったせいだろう、という予測が成り立つ。ダンバーはそれを、相関係数として化石人類から推定できる脳の大きさに当てはめてみて、化石人類が暮らしていた、当時の集団サイズを割り出してみた。

そうしたら、今から350万年前のアウストラロピテクス。ホモと言われる前の、脳がまだゴリラ並みの化石人類は、30人以下。そしてホモ・ハビリスという、200万年前にやっと600ccという脳の大きさを達成した人類は、50人ぐらい。

そしてだんだんと脳が大きくなるにしたがって、人間の集団サイズが大きくなって、我々人類1,500㏄の脳の大きさには、どのぐらいの集団サイズが匹敵するか。適当かということを出してみたら、なんと150人という数が出てきた。

実際160なんですけども、150人と言います。この数は実におもしろいことに、食料を生産しない、つまり農業や牧畜をやらない、いまだにやっていない狩猟採集生活をしている人々のバンド、つまり村の平均サイズに匹敵する。

これはマジックナンバーと言われていて、150という数が出ているんですよ。だから、食料生産をして人口を急速に高めなければ、人類はつい最近まで農耕牧畜が起こったのは13,000年ぐらい前ですから、そのくらいまではおそらく150人ぐらいの人々と、日常的に顔を付き合わせて暮らしていたことがわかっている。

私がなんで年賀状ということを言い出したのかというと、年賀状は親しい人に書きますよね? おそらく、年賀状で書く相手の数というのはこの数なんじゃないか、と思ったわけですね。実際みなさんは100人以内、100人ぐらいがだいたいマキシマムになっている。

その通りなんです。SNSを使ったとしても、実際に自分の近況を文字で書いて相手に手紙として出したとしても、数は一緒なんですよ。ということは、増えていない。それがなにに匹敵するかというと、私は社会資本的な人の数だと思っています。幼馴染で、昔体験を共有した相手。リストに載っている人の数ではないんですね。

顔もきちんと覚えているような人の数。つまり社会資本と言ったのは、そういう人たちはなにか自分がトラブルを抱えたときに、疑いもなく相談に乗ってくれると自分が思っている人の数です。その数は、実はあんまり増えていないんじゃないかと思うんですね。

なぜ人間の脳は大きくなっていないのか

それがなにを表しているかというと、我々が人との間で、きちんとした関係を保って暮らすうえで、必要だけれどもそれ以上広げられない信用の数です。我々はそういう世界に生きているんだと。

我々の頭が、もし社会脳として進化をしたんだとしたら、そのくらいの数の人たちと日常的にインタラクションを取り、人間は遠くへ行ったり離合集散性が高いですから、たとえしばらくの不在を挟んであったとしても、懐かしい顔として受け入れることができるのは、それだけの数じゃないかということなんです。

私が言いたいのは、なぜ人間の脳は大きくなっていないのか。言葉というものを発明してから、我々はずーっと頭のなかの機能を外部化することを心がけてきた。言葉はそうですよね。言葉って、ものすごく効率的なツールです。

だって、なにかに名前をつけて、そのもともとの性質を全部捨象して、名前だけで持ち運びして。そしてそれを相手に伝えれば、その内容が相手に伝わるわけですから。わざわざものを持ち運び出さずに済むわけですよ。風景なんか、絶対切り取れないわけでしょ? だけど、それを言葉によって表現して相手に伝えれば、大まかなことはわかる。

しかしここで大事なことは、大まかなことはわかるけど、実態は伝えられないってことなんです。だから、いろんなものを削ぎ落しているわけですよ。でも、それができることによって、我々はすごく自由になった。いろんな情景やものを簡単に持ち運びして、相手と共有できるようになった。それでも、持ち運びできないものがあった。それは、人間関係です。

人間関係というのは、言葉になかなか訳して持ち運びができないものです。それを我々はずっと、そうではないと頭のなかでは考えて、集団の規模を拡大してきた。今、72億に達するくらい人口がいるわけですよ。ところが、農耕牧畜がはじまったころの人口って、どのくらいか知ってますか? 地球上で500万から800万しかいなかったわけです。

それがわずか一万数千年のあいだに、72億にまでなっちゃったわけですよ。しかも都市の生活、諸君が今暮らしている都市の生活というのは、日常的にたくさんの人たちと会う。ここだって200人ぐらいの人がいるわけですよ。でも、お互い親しい関係を結んでいるわけではない。ただ同じ場所にいる。

我々は共有する時間を失ってきた

でもゴリラからすれば、あるいはチンパンジーからすれば、あり得ないことなんです。知らない人たちと、仲間と、こういう机を並べて一緒にいられるなんてことは、あり得ないことです。それは、身体を通じてさまざまな親密な関係を紡がなければ、一緒にいられないんです。

人間はそれを技術によって、見知らぬ人間と同居しても不安を感じない、脅威を感じないような社会を創り上げてきました。だけど、それは本当にそうなんだろうか? という、まさに岐路に立たされていると思うんですよ。

だって、SNSで交換し合っている人たちというのは、実際に文字でやりとりしているわけなんですけども、生の声でやりとりをしているわけではない。年賀状だって、もとを正せばそうです。一方向であり、返ってくるまで時間がかかる。しかし、会話というのは瞬間芸なんですよ。

相手と会って話をしていくうちに、相手の反応によって自分の話す内容が変わる。あるいは、相手が感じていることによって、自分が相手に対する働き方が変わる。そういうことが連鎖的に繋がり合って、なにかおもしろいことが出てくる。それは、時間と比例するかもしれません。時間をかけなければ、そういうことがすぐに出てくるわけではない。

だから、我々は機械、産業革命以降、時間と空間をどんどん節約することを心がけてきたけれども。でも、それによっては果たせないものがあるということに、ずっと気が付かずにいた。我々は、まさに共有する時間というものを失ってきたわけです。時間というものを、個人の側に引き寄せることによって、他者と離れ合ってきた。

おそらく我々は、コミュニケーションという手段をそれほど発達させなかったから、せいぜい電話ぐらいで生の声を伝え合う。あるいは手紙のように、時間がかかるコミュニケーションを使っていたがゆえに、まだ身体の繋がりというのは保てていた。

それは、会うことのほうが大事だと考えていたからです。つい最近までそうです。でも、だんだんとICT、つまり情報、インフォメーション技術が、情報通信技術が発達しはじめて、1人で何万人もの人と一気にコミュニケーションがとれるようになった。でも、これは錯覚かもしれないですよね。

友達をつくるときに一番大事な自分の魅力とは

そのおかげで、身体的なコミュニケーションが置き去りにされはじめているというのが、今の現象だと思います。友達をつくるときに一番大事だと思っている、自分の魅力ってなんでしょう? それを聞いてみたい。イエスかノーで答えてください。

会話術だと思っている人。ブルーがイエス、赤がノー。おお。けっこう赤が多いですね。会話術ではない。

じゃあ、パフォーマンスだと思ってる人。おお……これはまあ、でも赤が多いですね。ノーですか。会話術でもない、パフォーマンスでもない。

じゃあ……身なり。風体、外見だと思ってる人。けっこうみんな、赤が多いですね。ってことは、答えがないじゃん。

(会場笑)

なんなんですか? 友達になるときに一番重要だと思ってる、自分の条件ってなんですか? 誰か、それ以外の答えを言える人。

参加者1:バカっぽさというか、とくに拒否しないような……パフォーマンス、なんて言うんですかね。振る舞いにも入るのかもしれないんですけど……極力否定しないような姿勢で、最初は接している。接しているってわけじゃないんですよね、自然にそうしたいなと思っている、その姿勢ですかね。気持ちのあり方というか。

山極:なるほど。相手が受け入れて……相手が受け入れてもらえる、と思えるような自分の雰囲気ですね。

参加者1:そうですね。外見をというよりは、そういう心持ちが……なにかしら。

山極:おお……。今の意見に賛成の人? 反対の人? ちょっとカードを挙げてください。賛成が多い! そうですか。ってことは、主体性がないってことだよな?

(会場笑)

でもそれはさ、相手が自分のところにやってきたときに、はじめて役に立つことでしょ?

参加者1:そうですね。

ゴリラは構えと身体の美しさで仲間を引き込む

山極:つまり、友達をつくるときに、じゃあ友達が自分に関心を持ってくれない、近付いてきてくれないじゃないですか。それはどうやってつくる?

参加者1:最初は、自分のほうから話しかけたりするかもしれないので……。それが、そのコミュニケーション力とか、自分で意識して、自分の魅力という、積極的に関わろうとしている……その振る舞いが自分の、ほかの人にはないというか、自分から働きかけているという意味で、自分が意識している自分の魅力。

そこでなにも関わりを持ちにいこうとしなければ、たぶん関係性は生まれないし、相手から見ても、自分というものに対して関わろうと思わないかもしれないですけど。(自分から)行っているという、そこだけは確かに、心持ちというよりかは具体的な行動なので。

山極:そうか。それは……ゴリラから見るとまったく反対なんですよ。ゴリラはね、とくにこれはオスについて言うんですけれど、来るもの拒まず。これは一緒だよね? 去るもの追わず。でも来るもの拒まずというときには、来させないといけないわけですよね。

だからゴリラは、立派なディスプレイが発達していて。胸を叩いて見せたり、白い「シルバーバック」という背中を相手にジッと見せたりして、構えの姿勢をとって。それで、誰でも来ていいよ、と。その構えと身体の美しさでもって、仲間を引き込むということをやるんですけれど。

そういうことをやらずに人間の場合では、相手に対して働きかけて、なおかつ相手が自分のなかに入ってきやすいように整えることが大事なのかな。

参加者1:と、考えています。

山極:ああ。確かにそれもそうだと思うんですが。うん……でも、自分の魅力を相手にわかってもらえないと、やっぱり飽きられちゃうんじゃないですか? そこはどうなんでしょう。なにか、自分でこれはアピールしたほうがいいと思うようなことを考えてる人はいない?

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