深い対話をするには話題を限定する

質問者2:いわゆる人工知能を監視するような人たちとよく話をします。電動化技術が日産の方向性で、それを2005年ごろに作って結果EVになって、自動運転になっています。

1個ミッシングしてるのが、当時、エージェントと対話できるロボットや、完全にフェイクなんですけど、昔モーターショーでヘッドがクルクル動くピーポくんという、人の感情を推測できるロボットがあったじゃないですか。

先生のアプローチは、どっちかと言うと人工無脳的なアプローチです。データベースにマシンラーニング、ディープラーニングをして教え込ませて、ある意味表面的な感情から入って、心っぽいところにいこうとしているアプローチのように見えるんですけれども。

一方で、リサーチとしては「自我とはなにか?」「その人はなにか?」っていうトップのほうからいくべきだという「べき論」だけはあって、ぜんぜんできないんですけれども。 このへんは、結局ユーザーにとって、人間にとってなにか好ましいものができればいいんが。どっちでもいいんですけれども、それをどうお考えになってるかちょっと教えていただければ。

石黒:なんというか、僕は「べき論」のほうをやってるつもりなんです。

質問者2:たいへん失礼をいたしました(笑)。

石黒:人工無脳は、もっと無脳なアプローチをとります。例えばチャットボットで満足してる人はそれで終わりなんですよ。あれは質問応答のパターンをたくさん用意しておいたら、どんな質問にでも答えられます。

でも、深い対話にならないでしょ? 最近、僕らがNTTとやってるのは、話題を限定するんですよ。例えば、「ラーメンと寿司どっちが好き?」っていう対話を、延々とやる。それだけでデータベースを作っちゃうと、ロボットは議論がちゃんとできるようになるんですよね。

育児に学ぶ、ロボットとの対話の深め方

石黒:なんでこういうアプローチをとるかっていうと、人間の子どもが最初はチャットボットなんです。小さいときに、「この場面ではこう喋るんですよ」って、意味なく教えられてるんですよね。

でも、そのうちだんだん意味がわかってきて、わかってくると同時に、自分の好みみたいなものを議論するようになるんです。要するに、人口無脳から徐々に中身に迫っていくのが、今起こっていることなんですよね。

一方で、神経科学的アプローチの人は、人間の脳の機能はこうなってるから、神経の機能を調べて、分子の構造を調べる。どんどん深くなっていって、ぜんぜんメタなところにいかないんですよ。

深く深くいって、しかもその顕微鏡の技術が進むと、もうどんどん深くいって、まったく浮き上がってこないんですよね。だからロボットなんかを使うとか、人工知能を使って表面的なところから。

質問者2:だんだん深くに入っていく。

石黒:入るのと、両方やらないといけないと思ってて。

質問者2:なるほど。

石黒:むしろ、ロボットや自動車など、科学が進むとメタな部分が置いてけぼりになる傾向が強いです。そういったもので人間と親和的なものを作りつつ、人間のメタな機能を理解していくのが重要かなと思ってます。

質問者2:ありがとうございます。よくわかりました。

為末:ありがとうございます。

幸せとは相対的な価値観

質問者3:お題の「人間の幸せとは結局なんですか?」っていうご質問をさせていただきたいんですけど。30年、50年、100年っていうので見ていくと、エクスポネンシャル(等比級数的)にガンガン技術革新していって、仕事も80パーセントしなくていいようになって。

それぞれ好きなことができるという社会になっていったときに、それってマイナスな面ももしかしたらあるのかな、と思うんですけど。結局、我々リーダーとか経営者っていうのは、どういう方向に人の幸せを作っていくリーダーシップを発揮すればいいんでしょうか?

石黒:僕は……それは昔も今も変わらないと思ってるんです。まったく同じだと思うんです。もし未来が幸せだったら、平安時代は地獄だったんですか? あそこは鬼が住んでたんですか? って、そんなことはないですよね。

言ってる意味はわかります? 幸せっていうのは相対的な価値観なので、極端なことを言うと、全員不幸にすれば自分は幸せになったりするかもしれない。

(会場笑)

為末:(笑)。

石黒:(笑)。だって、お金持ちが幸せだと思うのは、ほかに貧乏人がいっぱいいるからですよね。「1万円もらって幸せ!」って、全員もらってたらならないですよね。だから、幸せが完全に相対的な価値観にあることは間違いないので。

でも、経営者っていうのはちょっと波を作るわけですよね。要するに、ちょっと辛抱しておいて。これは、「どういう動物が一番元気になるか」っていう動物実験があるんです。不幸な状態、全員ずっと不幸で、ときどきちょっとだけ幸せにするとがんばるのか、だいたい幸せにしておいて、ときどき不幸にすると一番幸せなのかっていう。

これはコオロギとか、いろんな動物に似たような実験があるんですよね。動物にずっと餌をやらない状態で、ときどきやるとがんばる動物が多いのか。餌をずっとやっておいて、ときどき餌を抜くのがいいのか。餌を7割ぐらいやらないで3割ぐらいやる。そこらへんにバランスがあるみたいなんですね。

だから、会社の経営もそんな感じでいいんじゃないかなと思うんですけど(笑)。

(会場笑)

為末:(笑)。

石黒:やっぱり餌をやりすぎるのはよくない(笑)。でも、ぜんぜんやらないのもよくない。

為末:ちょっと、うちのカミさんが見てないのを願います。

(会場笑)

石黒:(笑)。

子どもには哲学を勉強させよ

為末:はい、ほかにありますか?

質問者4:(アンドロイドを作るために)石膏で型を取ってた娘さんが今、先生のところで勉強されています。どういう教育をされて、そうなったんでしょうか。

今の子どもたちに、ロボットがお話されてたような進化を遂げていくとしたら、どういう教育をすべきだとお考えになられますか?

為末:一般的に広く、の感じですよね?

質問者4:はい。

石黒:マジメに答えるんだったら哲学ですね。大学でも物の考え方を今はあんまり教えてないんですよ。例えば専門教育がずっと1、2回生にまで降りてきて、哲学的なことはぜんぜん教えないので、つぶしが利かないというか。

もう1回物の考え方とか、「人とはなにか」などの哲学的・心理学的なことは、ひと通り考えさせることをやらせておかないといけないなと、非常に強く思います。

うちの娘には、僕はまったく教育してないし、娘は教授以外に職業がないと思ってたかもしれないので(笑)。かわいそうといえばかわいそうですね。でもよかったのは、楽しそうに、家に帰らずにいろいろ遊び歩いてるので。ほかの仕事があんまり楽しくなさそうに見えたのかもしれないです。

為末:今は娘さんの専攻って、先生と一緒?

石黒:まったく一緒です。

為末:まったく一緒なんですか?

石黒:うちの研究室には来ないようにっていうか、来るかどうか微妙な線になってます。

為末:来る可能性があるっていうことですか? 

石黒:今、だからそうですね……。「来ても隣ぐらいにしておけ」って言ってるんですけどね(笑)。うちの連中が嫌がってますね。「なんかパワハラじゃないか?」と。なんて言うんですかね、娘のほうが力強いので。

為末:なるほどね。パパハラ、みたいな。

石黒:そうそう(笑)。

ロボット研究への言及を「最初は躊躇していた」

質問者5:すごい個人的な興味なんですが、お話をうかがってると、先生はたぶん人間に近いアンドロイドと毎日接していて、ある種、究極・極限の状態にいらっしゃると思うんですよね。その状態を何十年も続けてこられて、ご自身の言動が一番変わったのって、どういうところですか?

為末:なるほど。

石黒:そういう感覚はないんですけどね。やっぱり「うちの環境は特殊すぎる」と、みんなそう言われるんですよ。特殊なところで喋ってると、だんだん置いてけぼりになって。先生1人が変な人になってるっていうか。でも、うちの連中はみんな同じですからね。みんな長く一緒にやってると。

でも、どこで変わったかって、あんまりわからないんですよね。もともと、そういうことをやりたいと思ってやってきているので。ただ、自然にはなりました。最初は躊躇して「ダメなのかな」っていうのがあったんだけど、そういう躊躇もなくなって楽チンになっちゃったのがありましたね。

研究してちゃんと認められて、論文が出て。世間的に認知されたころから、素直に喋れるようになりました。これは言っちゃいけないとか、そういうことがどんどんなくなってきたのは、世間的にもロボットが認知されてきたっていうのもあると思うんですけど。そういう意味では、やっぱり世間の認知だと思いますね。

為末:最後に先生から人間らしい言葉が出て(笑)、うれしかったなって気がします。時間になりましたので、これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

石黒:ありがとうございました。

(会場拍手)