IoT時代には“人間”の定義も変わる

梶原健司氏(以下、梶原):これから絶対起きてくる流れとして、人間自体がどんどん機械というか……機械って言っちゃうとすごく冷たくなっちゃうんだけど。

人間が生み出した別のツールともっと同化していって、それの総体としての人間になっていくと思うんですね。そうなっていくんじゃないかと言われているし、たぶんそうなっていくと思うんですよ。

めちゃめちゃ具体的な話でいくと、今ってオリンピックとパラリンピックがあって、同じ種目だとパラリンピックのほうが記録が低いわけですよね。100メートル走でもやっぱりウサイン・ボルトが1位。飛ぶといっても、高飛びをやるみたいな。でも最近だと、義足の技術がどんどん伸びてきていて。

もしかしたら、(パラリンピックの)高飛びや幅跳びって、オリンピックの記録よりもいくんじゃないのかな、というかたぶんそうなるんですよね。為末(大)さんもそう言ってて、「間違いなく将来なります」と。そうすると、そもそも何をもってこの人の記録とするのかみたいな、どんどん揺らぐ話になってきていて。

例えば、スマホもそうだと思うんですけど、パソコンのときには外部化されて別々だったんですけど、スマホになって、日々、常に寝るときもここにあるということになってくると、どうなってくるかというと、僕もそうですけど、子供の写真をめっちゃ撮るわけですね。昔の「写ルンです」とかしかなかった時代からしたらありえないくらい写真を撮っている。

これがクラウドに保存されていたりすると、人間の記憶の外部化がどんどん進んでいく。何かわからないことがあったら、すぐGoogleとかで調べて検索結果が返ってくるみたいな。

昔だったら、自分の頭の中の知識だけで、知らないことは知らない、知ってることは知ってるとなってたのが、その場でパっと確認して、すぐ調べて返ってくるみたいな話にどんどんんなっている。

一番わかりやすいのがGoogleマップで、昔は「どこに行く?」というときに、めちゃめちゃ調べていたわけじゃないですか。今は知らなくてもその場で「B&Bどこかな?」って。着いてからGoogleマップで調べて行くみたいな。

これって完全に自分の記憶だけじゃなく、いろんな人の記憶が外部化・拡張されているんだと思うんですよね。そういう流れにだんだんなってきている。これがトレンドとして進んでいくというのを前提とすると、さっき岳弘くんも言ったような、「何を持って『この人』とするの?」みたいな。どんどん定義が変わっていくよね。

小説家として人工知能に抗いたい

小説も今は自分で書いているけど、例えばそれをクラウドに上げて、誰かがどんどん改変していって、作品になっているというのもあるんだけど。その先が人間じゃなくて、人工知能が進んでいったときに、人工知能がいろいろなパターンを出してくるとか。

上田岳弘氏(以下、上田):それは十分あり得る。

梶原:あり得るよね。何をもって「岳弘くんの作品」とするのかがどんどん揺らいでいく。

上田:人工知能が「将棋に勝つ」とか「チェスに勝つ」とか。その流れで、「小説を書く」というのはあると思うんですけど。そこにどう負けないかというのも1つのテーマだと思いますよね。

梶原:抗いたいわけね。

上田:「ここまで来るのに、まだまだ時間がかかるだろう」というものを書きたいですよね。

梶原:「ここまで」というのは、人間が書けるようなものというのを。

上田:将棋よりチェスのほうが、解読の期間が短いし早いじゃないですか。将棋のほうがルールが複雑だから、解読というかどっちが勝つかわかると。小説は、普通の人間が書けるものよりもすごいものが書けるというものを、どれだけ延長できるのか見たいなとは思います。

梶原:例えば今、音楽の世界でいくと、人工知能が作った音楽を人間が聞いて感動するみたいなことって、起きてきているんだよね。

上田:そういう意味では、音楽のほうが文章よりもコードが少ない。

梶原:そうそうそう。音の数が限られていて、基本的にはその組み合わせなんで。もちろんテンポとか音の長さとかがパラメーターとしてはあるので、若干複雑だけど。たぶん、文字の組み合わせとか、そこに起きる意味みたいなものはもっと複雑だから。

上田:そうですね。

梶原:将棋と囲碁くらいの複雑な差が。

上田:どこまで負けないようにやれるかというのが興味ありますよね。

梶原:抗いたいというのはわかるんだけど、どうなると思う? 抗い切れないものもあるじゃない。

上田:そうなんですよね、そこですよね。そこをどうやって……。

梶原:今、良いこと言ったよ!(笑)。

上田:そこが「どうなのかな?」って日々考えながら書いているんですよね。

梶原:なるほど。

上田:ある意味、パーツパーツというか、書いている内容はいろいろな作品を一応書いていますけど、どこか共通するところはあります。

梶原:抗いきれないというのは、どうなると思ってるの?

上田:抗いきれないというのは、さっき言った自己顕示欲のあり方とか、プログラミングされているものってありそうな気がしていて。それって、そう思ってしまうようになっているから。それって、どうなんだろう?

「『抗いたい』という気持ちすらもエゴなんじゃないの?」と言われると、そうかもしれないし。そういうのって、どこまで何をやったら勝てるのかっていう。ちょっとわからないですね。勝ち負けのない世界というか。

梶原:「勝てる」というのは、何かわからないけど、元々自分に生まれたときから勝手にプログラミングされている欲望とか、自然現象とか。

上田:あらゆる自然現象がある中で、複雑かもしれないけれど、もしかしたらルールがあるのかもしれない。

そのルールを解読していくという自然科学的なアプローチと、人間という感受体が、認識の方法論として小説を書いたりを広げていくという流れがある中で、それはある意味自然な流れだと。ほっといたら誰かがやってくれてたと。そういう自然なものがある中で、これそのものがどうなのかなという問題提起をしたい。

梶原:なるほど。

上田:この前渡した本に、「神に抗い、時間に抗い」って、覚えてないかもしれないけど書いたんですよ。

梶原:ははは、忘れてる!(笑)。

上田:そういうのがある。

小説家と起業家それぞれのエゴ

梶原:今の話はめちゃくちゃ共感してて。小説家がそう感じるんだと。全部の小説家がそう思っているかどうかはわからないですけど、小説家の1人がそう考えるというのがすごくおもしろい。

なぜかと言うと、先ほど2つの世界の話があったときに、例えば、僕は今起業して、「まごチャンネル」をやっているわけですよ。なんでやっているかといったら、誰もやってないからやっているわけですよ。誰かやっているんだったら、別にやらなくていいわけで。それを使えばいい話なんだけど。世の中に僕の欲しいものがないから作っているみたいな。

基本的には新しいことをやろうとしている人って、「新しい」「誰もやっていない」ということ自体に意味を感じている。だから自分でリスクをとってやってるところがあると思うんですけど。そのときに思うのが、「自分がやらなくても、いずれ誰かがやるやん!」みたいな話がやっぱりあって。

僕はけっこう悩んだんですよ。10年20年くらいしたらスマホを使う人がもっと増えてくるから、そうしたら別にニーズ自体ないかも? とかいろいろ悩んだんですよ。その時に、最終的に出した結論は「いや、でも俺はこれをやりたい」と。

上田:「自分がやりたい」

梶原:そう。「誰かがやるかもしれないけど、これは俺がやりたい」という想いというか。

だから、岳弘くんにとってのエゴは「抗う」という言葉ではないんだけど、「でも、俺はやりたいんだから!」みたいな。

上田:そうですね。

梶原:僕は起業家の代表じゃなくて、まだ右利きか左利きかもわからない赤ちゃんみたいな。まだ起業家と名乗るのもお恥ずかしいなかで……。

上田:まだ「先行予約」段階ですもんね。

梶原:そう(笑)。出荷もしてないから、本当にお恥ずかしいんですけど。でも、「俺がやりたいんだ、これは!」という想いがあるかどうかみたいな。人というのは、小説を書く人もいれば、起業家もいれば、もっと違うカテゴリーでなにかチャレンジする人もいるということなんじゃないのかな。

小説を書くモチベーション

上田:小説を書くということは、つまり認識の拡張というか実験みたいなところがあって。形がないがゆえに、いろんな人に影響を与えて、もしかしたらこの小説を読んだからこういう考え方をして、こういうふうなことをやっているんだというような動き方ってあると思うんですよ。要は、形がないものが影響を与えている。

起業家というのはおそらく、自分の思ったことを社会に実装するみたいなことだと思うんですよね。うちの社長もそうですけど、ないものをやろうと。

「これ、便利だろうな!」ということを実装していく。そのモチベーションがおそらくエゴというか自己顕示欲かもしれないし、そういったものは発生してしまう。なんだか不快なんですよね。

梶原:エゴが発生してしまうということが?

上田:つまりそれは、プログラミングされているので。プログラミングするかどうかという判断に、僕は噛んでないから。

梶原:そう思わされてしまっているんじゃないかと。

上田:そうそうそう。推論しかできない。

梶原:めんどくさいなぁ……。

(会場笑)

梶原:ええやん、そんなの!

上田:俺はその会議に参加してない!

梶原:勝手にどこかで決めた会議があって、その通りに動かされているみたいな。

上田:それがちょっと不快なんですよね。

梶原:どないすんねん!

上田:いや、わからないですよ。だから小説書いているんでしょうね。逆にそういう考え方があるというのを知ってもらうと、「確かにあるかも」って思う。

梶原:そこで気づく必要がもっと増えるみたいな。「俺、もしかしたら、思わされてるかも?」みたいな。

上田:みんながそう思っていると。でしょ?

梶原:そういう社会ってどうなの? なんか面倒臭くない?

上田:超面倒くさいよね(笑)。

梶原:なるほどねぇ~。

上田:たぶん、ベーシックインカムというのは、働かなくてよくなった場合に、やることというか、考えを疑っていくことだと思っていて。その先頭を走りたいというエゴ。

梶原:小説家として。

上田:それで、どうなるかなという疑問。それなら書くというのが気持ちいいんですよね。

梶原:気持ちいいってことも、思わされているからね。

上田:そうそう。どうなのかなと。そうやっているうちに、もしかしたら、わからないですけど、永遠の命があったり、新しい世界を作ろうという技術ができた場合、次、俺はその会議に参加できるかもしれない。

梶原:どういうこと?

上田:わからないっす(笑)。ノリで言いましたけど。そういう感じですかね。

淡路島出身の反抗心

梶原:なるほどね。いや、おもしろいなと思うのは、「思わされているかもしれない」って話もそうだし。どう言ったらいいのかな。

「人間全体の流れってあるよね」みたいなところで「抗いたい」みたいな話があるわけよね。たぶん、そこで自分が抗うことが自己存在というか。

上田:どうなんでしょうね。ひねくれてるだけかもしれないですけどね。みんながいいと思っているものって、ちょっと首をかしげたくなるじゃないですか。

梶原:天邪鬼なところは俺もそうなんで。

上田:どうなのかな。邪魔はしないけど、首をかしげたくなるのはありますよね。

梶原:なるほどね。おもしろいね。僕も思っていたのが、そういう抗いとか自己主張みたいなのが。

上田:淡路島が流刑地だったからなんじゃないかと。

梶原:ははは(笑)。淡路島って、飛鳥や奈良、平安時代政争に敗れた皇族の方々が流される場所というので、けっこう古墳とかがいっぱいあるんですよ。俺らはもしかしたら……。

上田:もしかしたら……。

梶原:やんごとない人の……。

上田:妙な反抗心というのはあるか。

梶原:そっちのほうね。流されたほうだから。

上田:そうそう。千年前くらいから恨みがこう積もり積もってきている。

梶原:うちは400年続く農家なんで。

上田:淡路御三家のひとつ?

梶原:いや知らんけど、もしかしたらそういうのかもね(笑)。せっかくここにいらっしゃってるので、もう1個だけ意見を聞いてみたい。岳弘くんの話を聞いてて、さっきの大きな流れみたいな話があるじゃない? 人間ってどうなっているのかなみたいなのがすごく興味があって。

昔、これをブログに書いたんですけど。これは一番最初に書いた記事で、多くの人に読んでもらったんですけど。なんていうんですかね? 人間ってずっと進化して、進んできているんじゃないかなって思っていて。

技術革新と人間の欲求

何が言いたいかというと、「マズローの欲求」ってあるじゃないですか。生存欲求、安全欲求、所属の欲求。誰かと繋がっているみたいな承認欲求があって、自己実現みたいな話があるんですけど。

人間の欲求って、ちゃんと分類化されたものがたぶんないと思うので、これが全部正しいと言うつもりはないんですけど。これを正しいと思ったときに、結局人間って、欲求があってそれを満たしたいみたいなのがずっとあると思うんですね。それが人間だと思うんですけど。

1万年前とかって、このマズローの欲求を横にしたときに、ここが一番最初の欲求ですね。1万年前って、家もないとか食べ物にも困っている狩猟民族なので、基本的にどうやって生きるかという人ばっかりだったと思うんですよ。社会的に言ったら。ほとんど、安全欲求とか所属の欲求、承認欲求とかを満たしている余裕もないみたいな。

農業革命でご飯が食べられるようになって、だんだん社会的には飯は食えるようになったから、もうちょっと安全欲求を、ちゃんとした家に住みたいとか。そういう人って世の中に増えてきてたんだと思うんですよ。農業革命で。

今度は、産業革命で物を大量生産できるようになったんで、家にもだいぶ住めるようになってきたりもして。

人間って、結局テクノロジーとか技術革新が起きることで、総体としては右側にきているんじゃないかと。技術革新って何かと言ったら、何かの生産性がすごく向上することだと思うので。それが起きることで、例えば昔は自分を食べさせるためのコストがすごく高かったと。狩猟民族で、日々食えるかどうかもわからないみたいな。

それが、農作物が作れるようになって、貯蓄もできるようになったから、食うことには基本的には、あまり意識を使わなくてよくなって。「じゃぁ何なの?」という時に、「もうちょっとちゃんとした家に住みたい」とか、そういうふうになってきて。

今度は物が大量生産できるようになって、みんな家に住めるようになりましたと。そうすると、所属の欲求とか、今度はコミュニティーに属したいとか、人と繋がっていたいみたいな。だんだん人間は相対的に右にきてるなと思っていて。

この流れを持っていくなら、もっともっと右に行くんじゃないのかな。人間相対としては。

今はもうちょっと安全欲求が満たされて、特に先進国だと基本的には食うにも困らないし。さっきベーシックインカムの話があったんですけど、飢え死にすることはないじゃないですか。そう考えると、けっこうこの辺の人だと思います。多いよね。もっとこうなってくるんじゃないのかな、今ここにすごい人がいますと。

「まごチャンネル、なんでやっているの?」みたいな話になってくると思いますね。繋がりたいという欲求がどんどん増えてきているんだけど、Facebookとかで繋がってるのが当たり前になってきているじゃないですか。離れていようがなんだろうが。

だけど、そうなってない人もいるのがものすごいもったいないし、これは解決しないとダメだろうみたいな。

人間のエゴがなくなっていく過程

さっきの話じゃないけど、誰かがやってくれるのかもしれないし、もしかしたら10年経ったらみんなスマホを使うから関係なくなるかもしれないけど。でも、「俺がエゴとして解決したい」と。それでやっているんですよね。

上田:僕のイメージで言うと、人間ってこういう感じですよね。ここを延長したいみたいな。芸術とか。

梶原:小説家とか芸術の人って、ここをもっと増やしたい。

上田:モデル化して言うとですね。

梶原:たぶん、起業家とかテクノロジーというのって、もしかしたらここを何とかしたいみたいな。小説家とかアーティストは、もっと先のもっとエッジな先端の。

上田:前提を変えたい。

梶原:場所が違うだけで、やろうとしていることは結局これを何とかこっちに増やしたい。こちら側に総体として動かそうとしているんじゃないのかなと。動かそうと思っていること自体がプログラミングされていること?

上田:そうそう。

梶原:そうかもしれないんやけども。それはちょっとわからないよね。

上田:僕も考え中ですけどね。

梶原:究極的には、「ここって何なの?」みたいな。マズローは、ここから先も行っているんですけど。欲求を分類しているので、どんどんこっちに行けば行くほど欲求が。

松下幸之助さんなんかもそうだけど、自分の欲求はどうでもいいから、世の中がもっと良くなってほしいみたいな。ものすごい公的な欲求になっていっていると思うんだけど。

それって、どんどんエゴがなくなっていく過程なのかなと思っていて。そうすると、エゴをどんどんなくしていく方向に人間はいくんじゃないかなと。

上田:そうですね。そこをどこまで、「じゃあ、それで終わりなの?」みたいな。 そうやって終わっていいの?

梶原:面倒くさいね……。

上田:(笑)。

梶原:終わっていいのか。なるほどね。

上田:今のところ、長く生きて100年くらいじゃないですか。伸びていったときに、今の人間観で対応できるのかみたいなところもありますよね。暇な時間が長くなるはず。

梶原:はいはいはい。そういう意味では、暇な時間が増えるわけじゃない? そうすると、個人的には、(一番右側をさして)ここにいる人って一番はお釈迦様だと思う。悟ってるみたいな。

上田:悟りのその先って何だろう?

梶原:悟りの先……。わからないな。悟りじゃダメなの?

上田:そこなんですよ。「悟りじゃダメなの?」ってまだ思っている人が少ないと思っていて、そこの問題提起を。

梶原:小説でしたい?

上田:と思った上で悟っちゃいけない。

梶原:ほう。

上田:「その場合、何するの?」とか。そういったことになるんだろうなって考えている。そういう意味では、読者がすごく限られると思うんですけど。

梶原:だいぶ限られそうだけどね。おもしろいね。

上田:というのを考えるために書いているというのはありますよね。無駄にこう、まわしていくみたいな。

梶原:僕はそういう意味では、人類は基本的に総体としては悟りの方向に向かっているんじゃないかとまで思ったりもしています。