フィクションを見なくなった理由
梶原健司氏(以下、梶原):個人的に興味あるんで、もう1人だけ聞きたいんですけど。奥のすごい美人な方。
(会場笑)
梶原:読まれます? 小説。何で読むんですか?
観客4:私は毎日から逃げるわけではないんですけど、毎日と違う世界に行くというか。
上田岳弘氏(以下、上田):別世界に行くみたいな。
観客4:そう。
梶原:今自分が生きてる現実世界があって、ある意味それ以外の世界に行くというか。
観客4:そうですね、毎日がけっこうルーティンなので。
梶原:なるほどね。
観客5:いいですか、突然。
梶原:どうぞどうぞ。
観客5:カジケンさんは映画とか見ないんですか?
梶原:見ないですね。
観客5:じゃあ、フィクションを一切見ないっていう生き方を。
上田:(笑)。
梶原:見ないですね。いや、見なくなったっていうほうが正解かもしれないですね。小説はまだあれなんですけど、映画とかは2時間拘束されるじゃないですか。
僕は昔すごいクラシックが好きで、オーケストラとか聴いてて。シンフォニーとか聴くと、1時間とられるんですよ。映画だと2時間くらいとられるみたいな。それがもしかしたら、自分的にはちょっと。それに価値がないっていうことじゃなくて。
上田:集中してられない?
梶原:集中してられないというか、2時間とられてしまうのがすごい辛いみたいな。そういうのはちょっとあるかもしれないね。
上田:小説だって2時間どころじゃないですもんね。
梶原:そうね。
上田:5、6時間。
梶原:長いやつだともっとかかるとかね。
観客5:でも細切れの時間で消化できるんで。
梶原:そうですよね、映画とかと違うのはそこがあるなって思ってて。なるほどね。
仕事に忙殺されたApple時代
上田:なのに、何でブログは書き始めたの?
(会場笑)
梶原:ブログはものすごく端折って言うと、Appleでずっと働いてたときに、1個陥ってしまったことがあって。すごくいい会社でめちゃくちゃいい経験をさせていただいて、めっちゃ感謝してるんですけど、やっぱりすごい忙しいんですよ。めちゃめちゃ忙しくて、仕事ばっかりしてたの。
上田:時間的にはどれくらい? 朝は?
梶原:もう朝7時には会社に行って、夜タクシーで帰るみたいな。そういうのを何年もやって、みたいな感じでしたね。土日も当然。アメリカ本社はね……あいつら金曜日に「俺らは家族だから」みたいなこと言って、ものすごい重い宿題を日本にドンって投げて、そのままメールが繋がらなくなって。こっちはその宿題こなして、あいつらが月曜日に出社するまでに返すみたいな。
上田:ええー!
梶原:彼らは土日普通に休んでるのに、俺らはぜんぜん土日もないみたいな。なんじゃこれみたいな!
上田:代休はあるんですか? 土日を頑張ってくれたから、月火は休みとか。
梶原:マネージャーになったら、そんなん関係ないですね。
上田:大変だね。
梶原:何が言いたかったかというと、周りからの要求とか要望に対してどう答えるかみたいなのは、めちゃめちゃ上手になったの。
なんだけど、自分が何をしたいかというのが、まったくわからなくなったのね。心の中に聞くわけよね、「俺、何したいのかな?」と。問いを投げるじゃない、自分の中に。何かを思ってるはずなんだけど、ベールというか、硬い何かにカチンと当たっていかないんですね。
よく自己啓発みたいな感じだと、やりたいことをまずは10個書出しなさいとか言うじゃない。フェラーリ欲しいとか、海外旅行に行きたいとか、書き出したときに「これほんまにやりたいことかな」みたいな。
上田:前会ったときに、「Apple辞める前に車買おうかな」みたいなこと言ってた(笑)。
梶原:言ってた(笑)。それってでも最大公約数的な。いい車欲しいって、男だったらなんとなく思ったりすることじゃないですか。
上田:なんとなくね。他人の欲望みたいな。
梶原:そうそうそう、他人の欲望みたいな! それを思ってるだけで、自分は本当に何がしたいかとか、何を感じてるかとか。周りからのリクエストに応えるみたいな生活を何年も続けてるとわかんなくなってしまって。
それである人に勧められて、「日記書くと良いですよ」と。それで書いてて、だんだんそれを外に言いたくなって。何で日記書くと良いかっていうと、内省することじゃない、日記って。自分の中に聞く、それを外に出すみたいなことだから。内省する習慣がついてくると、だんだん自分が何を感じてるかだとか。
上田:そうね。でも重症だね、それね(笑)。自分が何を考えてるのかわからない!
梶原:わからない、わからない。
上田:働きすぎて?
梶原:働きすぎて。日記よりもブログの何が良いかっていうと、他人に読まれることが前提なんで。他人に何かを伝えようとするって、もっと整理しないと伝わらないじゃない。
そうすると、何となくもやっとしたものを、何か他人に伝えようとすることで、もっと自分の中に何があるかを見ないと、書けなかったりするから。そういうのでだんだん自分が何を感じてるのかとか(がわかってくる)。
上田:ある種のリハビリみたいなものとして、ブログを始めたと。そうなんだ(笑)。
ブログを書くと頭の中が整理される
梶原:でも、それが結局繋がったなと思って。自分が何をやりたいかって、最初はわからないかもしれないけど。最初はやっぱり、周りからどう見られるかとか、格好良くなきゃいけないとか思ってたんだけど。だんだんこう、自分がそういうことは考えてない、感じてないなというのが、書いていくうちに見えてきて。
上田:でも、同じ動機で小説を書く人もいると思いますよ。リハビリ的に書くみたいな。
梶原:へー!
上田:僕は違いますけどね。違うというか……。
梶原:ほんなら、何で書いてんの?
上田:リハビリというか、科学の実験みたいなもので。文章を読んでいくことと、自分の思考ってすごい近いじゃないですか。考えてることと文章って、すごい近いじゃないですか。
それを研ぎ澄ますことによって、新しい認識ができるんじゃないかなみたいな。それができれば、大きいこと言うようですけど、人間の可能性が広がるとか。
梶原:人間の?
上田:新しいことにチャレンジしようっていう気持ちが湧いてくるとか、そういう処方箋的なものを作りたいなという。
梶原:それは、自分以外の誰かにとっての処方箋?
上田:にもなれば良いなって。
梶原:なるほど。そうやって今は作品を作ってると。
上田:そうですね。ただ、それだけが完全に理由なのかって言われると、違う気もしますけどね。あと、無駄に考え事をしてしまうんで、それを論理立てて、系統立てて作品に昇華していくと、ラットが延々とカラカラ回すみたいな感じで、回しておかないと頭がおかしくなりそう。
梶原:どういう意味? 頭おかしくなりそう?
上田:いろいろ考えるじゃん、人って。その考えるのを作品に昇華していくと、落ち着くんですよね。
梶原:あー、なるほど。めちゃめちゃわかる。
上田:出していかないと、こっちにくる。
梶原:これどこまで話して良いんかな……。
上田:良いんじゃないですか、もう。
スタッフ:休憩?
梶原:休憩1回入れようか(笑)。
梶原:でも、それはすごくわかりますね。
周りの世界に与えたい影響
梶原:自己紹介がものすごい長くなったんで、アジェンダはいろいろと作ったんですけど。何から話しますかね? これ聞きたいみたいなのってありますかね? なければ僕ら勝手に話しますけど、大丈夫ですか? 今手が挙がりました、どうぞ。
質問者6:周りにどういう影響を与えていきたいというか。順調にいってもっと自分に力がついたときに、どういう世界にしたいみたいなのってありますか?
梶原:先生。
上田:私から。そうですね……。作品の中ではよくフェアネス、公平さを謳ってるんですけど。自分が生まれたのは日本なんで、あんまり公平じゃない。
たぶん平均よりはるかに上で、先進国だし、少なくとも食うには困らない。天寿は普通に全うできるという中で、そういうものが全世界的に当たり前になるまで発展するのがまず1つ目の、人類の大きな区切りだろうなとなったときに、それを早回しできるような、影響を与えるような作品を書きたいなと。大きい話ですけど。
梶原:今ものすごいおもしろいことを彼は言ってて。早回しって言ったんですよね。早回しっていうことは、要は早く回さなくても、何かこう回っていくみたいな何かがあるという。
上田:何でしょうね、そうそう滅びないだろうとは思ってるんです。
梶原:人類が?
上田:人類が。
梶原:2部に入ったんで、すいません。こいつら大丈夫かって思ったかもしれないんですけど。
上田:そうそう滅びないだろうとは思うんですけど、極力、善は急げというか、早いほうが良いのかなと。
梶原:早いほうが良いというのは、滅びないとは思うけど、早くしないと滅びる可能性があるって思っているということ?
上田:どうなんでしょうね。そこはまだ未整理ですね。単純に与えたい影響はというとそういう感じかなと。
梶原:なるほど、おもしろいですね。この辺の感覚が何となくね。こんなこと話したこともなかったんですけど、淡路島の従兄弟のおばあちゃん家で普通に遊んでただけなんで(笑)。
そこに関しては僕もすごい思うことがあって。昔、ブログを書いて、それに対して珍しくFacebookでコメントをくれたことがあって。「2つの世界があるよね」っていう記事を書いたことがあるんですよ。1つ目の世界は何かというと……いきなり人類の話になるんで、着いてきてくださいね(笑)。
(会場笑)
梶原:淡路島というところからいきなり人類の話になるんですけど。ものすごい俯瞰して見たときに、人間の歴史、例えば1万年でも10万年でもいいんですけども。俯瞰して見たときに、いろんな人類のマイルストーンってあったと思うんですよ。例えば、火を使うことができるようになったとか。
もうちょっと先にいったら、文字をどうこうとか。活版印刷がどうこうとか、羅針盤がどうこうとか。人類の何大発明っていっぱいあるじゃないですか。それって、個人がどこまで影響を与えられたのかなってすごく思ったことがあって。
普通に俯瞰して人類の歴史を見たときに、例えば中国で活版印刷できましたと。何百年とか何千年とかしたらヨーロッパで生まれてたりして、活版印刷自体は、誰か個人がいろんな積み重ねの上で発明したんだと思うんだけど。
でも、どっかでまた同じようなものって生まれてるわけで。そうすると、それこそスマートフォンだって、スティーブ・ジョブズっていう天才がいたから確かに作られたんだけど、仮にもし彼がいなかったとしても、遅れたかもしれないけど、10年とか何十年とかしたら、同じようなものができてたかもしれない。
というか、できてたと思うんだよね。それで世界の発明って、この人じゃなかったら絶対発明されてなかったっていうものって、たぶんないと思うんですよ。
そうすると、個人はたまたまそこにいて、たまたまその役割でやっただけであって。別にその人じゃなくても、いずれ同じようなことは起きたよねみたいな。
そういうのをけっこう思ったことがあって、自分が何かをするような意味って、別に俺じゃなくてもできるやん、誰かがいつかはやるよね、みたいなのは思ったんだよね。だから早回しするっていうのはすごくそこに近いなって思って。
上田:早回しっていうキーワードでいうと、なぜ早回ししなきゃいけないのかっていうと寿命があるからですね。いつか死ぬと。早く回していかないと。
梶原:個人がね。
上田:個人として。今の時点としては、早回しが良いことのほうに入ってるんじゃないかなっていう気はします。
梶原:個人としてはそうだと思うんだけど、もうちょっと俯瞰して人間全体っていったら。
上田:そうですね。
梶原:別にええやん、みたいな。
上田:そういう見方もありますよね。
梶原:あるよね。そういう作品を書いてるんですよね?
イノベーションの源泉は自己顕示欲?
上田:カジケンも言ってたけど。自分が生まれてきたことの「差分」っていうやつ。生まれてきたことの差分自体が自分なんだみたいな。差分を刻みたいっていうのは、自己顕示欲だと思って。
梶原:そうだよね、わかる、わかる。彼が今言った差分って何かっていうと、僕が大好きな人で、同い年なんですけど。シリコンバレーでDrivemodeという会社を起業された古賀洋吉さんという方がいらっしゃって。僕はその人が大好きで。
その人もブログを書いてたんですけど、「自分とは何か」みたいなことをつぶやいてたんですね、Twitterで。僕はそれが大好きで、「自分とは自分がもし生まれなかったときと生まれた場合の、世界に残した差分」だと。
だから、例えば何か壁に傷を付けたでも良いし、誰かにものすごく良い言葉を伝えて、その誰かがすごく感動したというのも、その人が起こした変化じゃないですか。
そういう自分が生まれたことによって生まれた、自分が外に与えた物質的、精神的な差分、変化の総量が自分なんじゃないの、みたいな。確かにそうだよね、自分が生まれなかったらその変化は生まれなかったわけで。
上田:その変化を起こしたいというのが、単なる自己顕示欲なんじゃないかって。その自己顕示欲を利用して、早回しをさせられてるような気もしますね。
梶原:させられてる?
上田:プログラムさせられてるというか。遺伝子上に。
梶原:おお、いいねえこの展開! 勝手に僕がテンション上がってるんやけど(笑)。遺伝子上。
上田:格好良く思われたいとか、逆に格好良く思われずに油断させたいとか。そういうのを含めて、そういうふうになってると。早回しせよと。
梶原:早回しせよという、何かが。
上田:プログラミングされてると思うんですけど。されてる以上は、それに反抗したいと思うんですよね。
梶原:どういうことや(笑)。
(会場笑)
上田:まずはそういうのを読み取った上で、できるよって誇示した上で、でもやりませんみたいな。
梶原:それもエゴやね。
上田:それもエゴなんやけど。それをどういうふうに表現するかというか。
梶原:今の話は要するに、ものすごく大きな、個人としては抗えない流れがある中で、個人として「俺は俺でいるんだ」というのを出したいってことね。
上田:つまり、自分がやらなければ誰かがやってたでしょうという場合に、確かにそうかもしれないと。でも、俺が一番早くそれをやれるんだという。
スティーブ・ジョブズみたいに誰よりも早く製品としてスマートフォンを世に送り出すみたいなのがあったときに、自然と才能があったらやってしまう。それを自己顕示欲と。それをやれるけど、でもやらない。
梶原:(笑)。それも結局エゴよね。
上田:それをやったときに、どうなるのかな、何を思うのかなという。
梶原:それを見てみたいみたいな。
上田:見てみたい。
梶原:それはおもしろいね、抗っていくという。大きな流れがある中で、抗うというのが1つテーマとしてあるんやね。
上田:そこを見せながら、ダラっとやりたい。
梶原:(笑)。
上田:整理しすぎてややこしいんです。
梶原:だいぶややこしい。なるほど、だいぶこじらしてるね。でもさっき言った2つの世界って、1個目の世界は、大きな流れがあって、個人個人がたまたまその場所にいてその役割を与えられただけで。別にその人がやらなくても、遅れるけどいずれは誰かがやる流れなんじゃないのというのがけっこうあって。
よく歴史を見たらそうだと思うんですよ。個人が歴史に対して決定的な影響を与えたのって、本来ないんじゃないのって。
2つ目の世界は何かというと、自分が例えば、今ここでこうやってやらしてもらってる話を含めて、個人としての世界ってあるじゃないですか。それこそ家族とかにも繋がっていくんだけれども。
例えば自分の家族にとって、自分って代えられないものやと思うんですよ。別の人が来て、自分の息子に対して「お父さんです」みたいな。それはあるかもしれないですけど、基本的にはないじゃないですか。俺と似たようなものが出てきて「友達として、役割やります」って言われても、それは違う話ですよね。お前は違うとなるわけで。
その代えられないものって、公的なパブリックな歴史みたいな話と、もっとプライベートな、私的な個としての世界があるよね、みたいな。
上田:その個としての世界がどこまで作用してるのか。つまりお父さんの記憶を持ったアンドロイドは、お父さんになるのか。それで足りないとして、そのアンドロイドの存在が人間と同じ組成になるならば、それこそお父さんになるのか。どこまでいったらお父さんじゃないのかという話になりますよね。取り換え可能なのはどこまでなのか。
梶原:私的な世界であっても、取り換えが可能なんじゃないのみたいな。
上田:どこまで可能なの? みたいな。もちろん、遺伝があったら遺伝的なお父さんじゃないですか。脳が違ったら違うのか。どのパーツが違えばお父さんじゃないのか。
梶原:今はどう思ってるんですか?
上田:今はやっぱり人間の記憶ですよね。
梶原:記憶?
上田:記憶。お父さんの記憶を持ってれば、お父さんと認識しやすい。身体に刻まれたものかもしれないし、それこそ脳に刻まれたものかもしれないけど、とりあえず記憶と。
梶原:記憶って何なの? お父さんがお父さんとしての記憶もあるけど、その家族がというのも。
上田:もちろん、両方ありますよね。
梶原:両方ってこと。
上田:どこまでその人のことを見るのか、見られないのかというのが、テクノロジーの進歩とともに変わってくるものなんじゃないかなって思いますけどね。
梶原:なるほどね。結局個人としての人間って、何なんみたいな。
上田:そうですね、人間って何なんって。