聖書にも「女性は表に出ちゃいけない」と書いてある

おおたに君(以下、おおたに):聖書にも「女性は表に出ちゃいけないよ」と書いてあるもんね。

あき君(以下、あき):どっちですか? 旧約? 新約?

おおたに:新約聖書。

あき:そうでしょ!? 旧約にはそんなことは出てきてないから。

おおたに:アッキーさんどうですか?

あき:いや、私まだ新約までいってないんですよ。

おおたに:まだいってない(笑)。

あき:まだ旧約をゆっくりやってますよ(笑)。

おおたに:今調べたところによると、「コリントの信徒への手紙1」というので、14章34節、35節にそんなことが書いてあるらしいんですよ。「教会では妻たちは黙っていなさい」って。

あき:そうなんだ。

おおたに:彼らは語ることを許されていません。律法もいうように……法律って、法律の律に法ね。法律を反対にしたやつね。「律法もいうように服従しなさい。もし何か学びたければ家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは妻にとってふさわしくないことです」って書いてあるんだって。

まきちゃん先生(以下、まき):きっと聖書のそういった記述もあって、女性たちの権利とかじゃないですけど、例えば女性が積極的に物ごとに参加したり発言したりすることが許されなかったというか、認められなかった世の中というのがあるのかなと思います。

おおたに:そういう時代なんだね。

まき:はい。それが大きく変わったのが奴隷解放の時。

おおたに:1830年代ということね。

まき:話は戻るんですけれども、その流れを受けて、1847年にアメリカ合衆国史上初の女性会議というものが開催されたんですね。これは男性が開催したものではなくて、女性たちの手によって開催されたものなんですよ。それで女性たちは財産権とか離婚の権利とか、女性が教育を受ける権利などを要求する決議というものが出されたそうなんですね。

もちろんそれは全部が通ったというわけではないのですけども、社会的にけっこう注目されて、新聞に取り上げられたりとか、そういった動きがあったようですね。

1848年に女性のための権利集会が開催

おおたに:1848年?

あき:7年。

まき:1847年です。

おおたに:何ていう会議?

まき:会議の名前までは、ちょっと書いてない……。

おおたに:1848年にセネカ・フォールズというところで開かれた権利集会というのは?

まき:本当ですか? 私の資料……これは本が出典なんですが、その時は1847年だったんですけど、たぶん同じだと思います。1848年ですよね。

おおたに:女性のための独立宣言というのを出したんだって。

まき:そうそうそう。それかもしれない。

おおたに:それはだからアメリカの独立宣言にひっかけて、それを女性の立場で話したということなんだけど。

まき:そうですね。セネカ・フォールズですね。

おおたに:セネカ・フォールズですね。

あき:セネカ・フォールズ。

まき:そうそう。これこれ。1848年。

おおたに:これは五大湖のエリー湖の南にある町だね。

まき:私が読んだ本だと1847年と出ていたんですよ。

おおたに:その時に準備したんじゃないの?

まき:そうかもしれないですね。1847年に準備をして、1848年に開かれた。

おおたに:7月に40人の男性を含む300人以上の人々がセネカ・フォールズに集まったんだって。

まき:その時は本当にいろんな人が来ていたらしくて、中産階級、その上の階級の女性たちも来ていたし、そういう女性たちだけじゃなくて、田舎の人というか、農民の女性たちも来たし、なかには男性でも興味を持って来たらしいですね。

あき:町の名前みたいですね。ニューヨーク州の田舎町、セネカ・フォールズ。

おおたに:エリー湖の南ですよ。北側はカナダのトロントだから。

まき:じゃあ、あれですね。1847年に起草というか、女性たちの決議案というのを起草して、1848年に開かれたのかもしれないですね。

あき:そうそう!

おおたに:1848年に集まったということだね。

まき:そこはそういうことで。じゃあ、1848年にそういった流れがあったんですけれども、それがけっこう好評を博したというか、アメリカ全国各地で開かれるようになったんですね。

あき:こういった女性たちの権利向上のための会議が。

おおたに:権利集会みたいな、ね。

南北戦争後に注目されるようになった女性の参政権

まき:権利集会というのがどんどん開かれた。1860年代に、南北戦争が終わったんですね。南北戦争がいつからいつまでか調べる。

おおたに:1861年から65年?

まき:お、さすが!

あき:さすがです。

まき:1861年から1865年まで南北戦争が起こって、1865年に終了したと思うんですけど、その時に黒人奴隷の権利をどうするかという問題が起きたらしいんです。

おおたに:黒人奴隷解放のための戦争みたいなことがあったからね。大義名分としてはね。

まき:そうなんですよ。そういった憲法で黒人奴隷の権利をどう守っていくかじゃないですけど、位置づけにするかという問題が起きたらしいんですよ。これに伴って女性の権利とか、女性の参政権の問題というのが注目されるようになるんですね。

おおたに:まず参政権だね。

あき:そうそう。

まき:参政権が認められていなかったので。たぶん離婚の権利とか教育の権利というのはある程度は認められたところがあって、州によってはそういった権利が許されたというか。

おおたに:そうか。アメリカは州ごとに違うんだよね。

まき:州ごとに違うんですよ。そういった州もあったと思うんですけど、その当時は女性の参政権に対してはどこの州も認められてはいなかったんですね。

おおたに:一旦認められたりはしているんだよね。

あき:どこでですか?

おおたに:たとえば一番最初は、独立の年にニュージャージー植民地が初めて女性に選挙権を与えたんだって。

まき:はい。

あき:植民地? どこの?

おおたに:ニュージャージー。ニュージャージーってニューヨークの左側?

あき:はいはい。

おおたに:だけど、30年後には女性の選挙権が否認されたりしてる。州ごとに、一瞬認められるんだけど、やっぱりだめとかね。そんなことみたい。

女性はアメリカで自由だったわけではない

あき:ごめんなさい。それはイギリスの植民地時代に、ということ?

おおたに:そうそう。1776年の独立の年。独立直前くらいに認められて、31年間続いたんだけど、1807年に選挙権を否認されたとかね。

あき:そうなんですね。

おおたに:だから、永続的じゃないんだよね。

あき:なるほど。

まき:たぶん独立革命の時に女性が貢献したことが多々あって、それで一旦権利として女性も政治に参加することに意義があるんじゃないかということで。権利というか、そういったことを認めようという風潮にはなったと思うんですけど。それを長続きさせるための土台というか、そういうのが育ってなかったのかなというのがありますね。

あき:うん、そうですよね。断続的だもんね。

まき:一時的に女性がすごく活躍したから認められたけど、それをずっと続けていこうとか、それに何の価値があるのかといった、そういった下の部分というか土台というのが、その当時はまだ育っていなかったのかなというのがあるかもしれないですね。

あき:なるほど。

おおたに:その頃は選挙権の前に、やっと財産権を認めたという動きがあちこちであったみたいですね。さっき夫と結婚したら女性は財産の権利もなくなると言ってたじゃないですか。だけど、セネカ・フォールズの年にニューヨーク州議会が既婚女性の財産法を可決したんだって。

あき:そうだったんですね。アメリカって最初から自由のイメージがあったけど、けっこう大変だったんですね。

まき:いや、もう全然。

おおたに:大変だよね(笑)。

まき:ねー。大変ですね。

おおたに:自分の持ち物がないんだもん。

あき:大変、大変。

女性の参政権は黒人男性の後

おおたに:選挙権は、南北戦争後に動きがあったんでしょうか?

まき:そうですね。たとえば黒人奴隷の参政権を認めたとして、女性の参政権は認めるのか認めないのかという、そういった問題が起こってきたんですね。でも、ここはちょっと私も資料を読んでいて、うろ覚えな部分なんですけど、一応先に男性の参政権ということで、黒人奴隷の男の人の参政権を認めたと思うんですよ。女性の参政権というのが、その時には認められていなくて、先に黒人奴隷を含めた男性の参政権というのが認められました。

南北戦争が終了したあとでも、女性の参政権というのは認められなかったんですね。もちろんこれは憲法レベルというか、合衆国の全国の話で、ということなんですけれども。

南北戦争のあとで、憲法ではその黒人奴隷を含む男性の参政権というのが認められたんですけど、女性の参政権というのは、まだ憲法では認めるということは記述されていなかったんです。

おおたに:それは1868年みたいですよ。

あき:女性の参政権が認められたのが?

おおたに:男性が。憲法修正14条というのが批准されて、市民、有権者──選挙権のある人たちね。それに該当するのは男性であることを初めて明らかにしたんだって。その憲法修正14条で。

あき:黒人とか人種に関わらず合衆国にいる男性ということですね。

その頃、日本では……

おおたに:1868年って何の年か覚えています?

あき:1868年?

おおたに:日本人なら知っていてほしいな〜。

あき:ちょっと待って。何の語呂合わせですか?

まき:明治が始まった時代?

おおたに:そう! ピンポン、ピンポン。明治元年が1868年ですね。

あき:いやぁ、日本人なのに(笑)。

まき:たぶん、その……何でしたっけ? 黒人奴隷が参政権を持ちましたということで、そっちにスポットライトが当たってしまって、女性の参政権というのにスポットライトが当たらなくなってしまったんでしょうね。

あき:あらら。

まき:でも、そういった動きの中でも、一部の州では女性の参政権が認められるようになったんですけども。たとえばそれが州議会の議員の誰を選ぶかというのとか、そういうので認められるようになったんですけども、合衆国全体で見ると、まだまだ全然マイノリティーだったんですね。

あき:流れからして、イメージですけど、北の方にある北部の州は認められるのが早かったような気がします。わかんないですけどね。

まき:だと思います。

おおたに:1869年にワイオミング準州で女性に選挙権が与えられたって。

まき:ワイオミということは北ですよね。

おおたに:1870年にはユタ準州で女性参政権が実現したって。

あき:へぇー!

おおたに:アメリカ年表によりますと(笑)。

あき:ほうほう! そうなんですね〜。

おおたに:州レベルだね。

まき:州レベルですね。おそらく合衆国レベルになると、南部の意見が入ってくるので。

あき:そうだ。

まき:南部って保守的な人たちが多いので、女性の参政権はなかなか認められなかったんじゃないかなというのもありますしね。

あき:ユタ州というと、どちらかというと南部? ですよね。

おおたに:うん。真ん中。

まき:あれ? 関係ないですよね?

あき:でも、テキサスとかそっちのほうに比べたらちょっと北部ですね。

まき:でも、おそらく奴隷解放運動をしていたのって北部なんですよ。北部で、奴隷解放運動で女性が活躍したこともあって、女性の参政権というものに、より寛容的だったのかなということは思いますよね。

あき:北部のほうが進んでいる感じがしますよね。

おおたに:北部のほうがよりリベラルで、南部のほうが保守的ということでしょう、きっと。

あき:最初に工業化が始まったのも北部だろうから。

アメリカの憲法には2つのレベルがある

まき:ここでちょっとした小話をいれるんですけれども。

おおたに:オチはあるのかな(笑)。

まき:オチはなくて、アメリカの憲法についてなんですけど、さっき州レベルとか全国レベルという話をしたと思うんですけれども、ちょっとそこは詳しく見ていきたいなと思っていて。「州レベル、全国レベルって何? 法律が違うの?」と思う方がいると思うんですけど、一応簡単な紹介として、アメリカには合衆国憲法と州憲法というのがあるんですね。

おおたに:州にも憲法があるんだ。

まき:はい。合衆国憲法というのは、アメリカ全国民の権利を保障しているわけですよ。アメリカ全国民の権利ですね。

あき:国レベルの。

まき:はい。国レベルの。州憲法というのは州独自の憲法で、その州にしか適応できない憲法なんですね。各州というのは、主権を有しているわけなんですよ。主権を有していて、憲法上、一応アメリカ合衆国というか、連邦政府のいかなる監督下にも置かれていないんですね。各州が主権を持って独立をしているということなんですね。

ただ、たとえば州の憲法とかがあったとしても、合衆国の憲法のほうが上ですよということです。

あき:国の憲法のほうが、州の憲法よりは上。

まき:そうなんですよ。たとえば、州の憲法とアメリカの憲法であることに関して違うことが書かれていたとするじゃないですか。その時にどっちのほうが優先されるかといったら、合衆国のほうが優先されるんですね。という話です。

あき:なるほど。

まき:なので、さっきの州レベルというか、全国レベルの話になるんですけれども、たとえば州憲法で女性の参政権が認められたとしても、それはその州でしか適応できないことで、アメリカの合衆国憲法で女性の権利が認められない限り、その州だけということになってしまうんですよ。

あき:うーん。そうか……。

まき:ということですね。ということで、ちょっとアメリカの憲法の話をしました。