17世紀のアメリカでは女性に財産権はなかった

まきちゃん先生(以下、まき):ということで、最初は植民地時代の女性たちについて話そうと思います。17世紀ですね。もちろん植民地の人たちの生活の基盤となったのは、ヨーロッパから持ち込んだ慣習とか価値観だったんですね。当時の家族というのが、まだ工業化とか進んでいないので、食糧とか衣服とかを生産していくのが精いっぱいだったんですね。

なので、男性も女性もけっこう自分たちのことだけで精いっぱいな感じだったんですよ。その中でも家族を監督する一番偉い人はもちろん男ということで、父親であったり夫であったりとか、そういう人たちが家族の中で一番偉い存在だったんですね。

女性たちは、どちらかというとそういう人たちよりも下という感じですね。女性は独身時代とかはそうではなかったんですが、結婚すると財産を所有する権利とか訴訟を起こす権利、夫とか父親とかに訴訟を起こす権利を失うんですね。

あき君(以下、あき):結婚すると!?

まき:そうなんですよ。結婚すると財産所有権と、あと男性に対して訴訟を起こす権利というものが失われてしまって、法律上は夫の保護下に置かれてという感じだったんですよ。

あき:へー! そうだったんだ。

おおたに君(以下、おおたに):保護下というか、悪い言葉でいえばもしかして所有物ということかね。

まき:そうですね。

あき:なんとなくイスラムっぽいですね。その事実はちょっとびっくりしました。

まき:はい。細かく見ていくと、もちろん女性には子供の養育権とか離婚を申し立てる権利もなかったんですよ。たとえば、夫が女性に対してすごく暴力をふるったりとか借金をしていたりとか、そういうとんでもない男であったとしても、女性は離婚を申し立てる権利がなかったし、子供を育てる権利もなかったということですね。

あき:これってある意味、日本の江戸時代よりも厳しい。

おおたに:江戸時代、三行半とかありましたよね。

あき:ね、ありましたよね!

おおたに:男性側から三行半を書けば、一方的に離婚できる。それ以外はできないというね。

あき:アメリカはそれ以上に厳しいですね。

公教育も十分ではなかった

まき:厳しいですね。アメリカというよりもヨーロッパですね。ヨーロッパの価値観がアメリカに伝えられたので、当時のヨーロッパは女性に対して厳しい国だったんですね。ちなみにこの17世紀というのは、男性には公教育が施されていたんですね。

たとえば、小学校だったり中学校だったりとか、そういう教育の機会が与えられていたのですが、女性は教育を受ける権利がなくて、がんばっても読み書き程度しかできなかった時代だったんですね。

もちろんすごく位の上の人たちだとまた話が違ってくるんですけど、一般家庭とか中産階級くらいだと、女性は読み書きができれば十分みたいな時代でした。

あき:ヨーロッパから移ってきた人たちがほとんど住んでいたんですもんね。

まき:はい。これがちょっと変わるのが、実は独立革命の時代なんですよ。具体的には1780年代から1835年代なんですけれども。

おおたに:なんか細かいね。何だ? 独立宣言は1776年だよね。

まき:はい。

あき:あ、そうだ。76のガソリンスタンド。

おおたに:そう。76のガソリンスタンド。あ、覚えていた! いいね(笑)。

あき:覚えてるよ(笑)。

まき:ということは、独立宣言はそのあとかな? すみません。独立革命もちょっとあとになりますね。

おおたに:宣言はそうだけど、独立戦争は1783年まで続いたので、そのあたりということじゃない?

まき:そのあたりですね。独立革命が宣言されたというか、行われた時代と同時期にですね。何年か忘れちゃったんですけど、イギリスで産業革命が起こったんですよ。産業革命が起こって、アメリカにもその波がくるんですね。

産業革命によって家庭での女性の労働負担が減った

まき:人々は今まで自分が作ったものであるとか、自分が着る衣装とかで精いっぱいだったのが、産業革命が起こって、どんどんそういった作業というのは機械にまかされるんですよね。なので、産業構造の変化によって女性が今までやってきた仕事というのが減ってきたんですよ。

あき:お洋服を機械で作るから。

まき:そうなんですよ。今まで植民地時代というのは、お洋服は1枚1枚手作りだったのが、産業革命によって機械でお洋服を作れるようになったので、そういった手間が省けるようになったんですね。

あき:本当だ。

まき:それで女性の家庭における労働率というのがちょっとずつ減っていったんですね。

あき:家庭の労働力の負担がなくなってきた、と。

まき:そういうことですね。またこの独立革命でイギリスと争っていた時に、アメリカの人たちはイギリスの商品を買わないという運動を行ったんですね。商品を買う買わないという選択肢をするのは、女性がけっこう力を握っていまして、その運動の中心となったのは女性なんですよ。

おおたに:今でも通販で買う買わないを決めるのは女性かな。

あき:まあそうですよ(笑)。

まき:そこは、いつの時代でも場所を問わず変わらないんだなと思ったんですけど、大きい買い物とかはそれはないと思うんですけど、小さな買い物はだいたい女性が決めていたので。たとえばイギリス産の紅茶は買わないとか、そんなことをしていたのではないかなと思います。

おおたに:その頃ボストン・ティーパーティーとかもあったしね。

まき:ありましたね。

おおたに:不買運動ね。税金か。イギリスからの税金に対抗してね。

あき:そうそう。

まき:女性もそういった活動によって独立の革命に参加しているというふうにみなされるようになったんですね。

あき:不買運動とかの活動で。

愛国心を育むために女性を利用

まき:不買運動とかの活動で。あともう1つが、当時アメリカ政府というのがあったんですけど、アメリカ政府はですね。国家を安定させる基盤として家庭の意義に着目したんですね。

女性、母親ですね。母親に息子に対して愛国心であったりとか、国家の忠誠を教育する共和国の母として、女性に役割を与えるようになったんですね。つまり独立革命に対して、一人ひとりの愛国心であったりとか、国家への忠誠というのが大事になってくると思うんです。軍隊の士気を上げるという意味でもそうですし、まとまりを持たせるという意味でもけっこう必要だと思うんですけれども、そういった役割というのを家庭に持ち込んだということですね。

あき:おー!

おおたに:なんとか宣言とかあるんですか?

まき:なんとか宣言というのはないんですけど、アメリカ政府の政策として、具体的なことはわからないんですけど、そういった教育というか愛国心とか国家への忠誠を育むために女性を利用しようといった、そういうことがあったらしいです。

おおたに:それは18世紀? 独立直後くらい?

まき:独立の最中から独立直後くらいだと思います。それでだんだん女性は、女性として社会的・政治的な意味を持つようになってくるんですね。そういった女性の役割がどんどん認識されるようになると、女性は家庭内で発言権を持ち始めるわけですね。

つまり、どういうことかというと「私たちは国家にこれだけ貢献しているんだから、家庭とかでも発言権を持つことくらいはいいでしょ」みたいな。

あき:「政府の政策によって息子をちゃんと教育している」というか、「息子が愛国心を持つように教育しているんだからいいでしょ」みたいな感じですかね。

まき:そうですね。だから「家庭でいろんな発言をしてもいいでしょ」という風潮にはなってきたらしいですね。それと同時期なんですけど、政府が女性を「共和国の母」という女性の役割を与えようとした政策と同じくらいの時に、そういったよき母を育てるためには、女子教育が必要とされたわけですね。

あき:なるほど。

社会問題を通じて芽生えた女性たちの連帯意識

まき:そこで、たとえばアメリカ共和国の歴史であったりとか、そういうことを学ばせたかったんだと思うんですけど。具体的なことはわからないんですが、どちらにしろ「共和国の母」というものを育てるために女子教育を充実させようということで、女子教育を受けられるような施設をどんどんアメリカ国内に増やしていくんですね。

なので植民地時代までというのは、女子教育というものが行なわれなくて読み書き程度だったのが、学校に通うようになるんですよ。

あき:あ、みんな学校に通うようになって!

まき:もちろんすごい下の階級とか貧しい人たちはわからないんですけど、ある程度の中産階級以上の人たちは、女子教育を受けられるような環境にはなっていくんですね。

それで教育を受けることによって、妻としての役割とか母としての役割とかを教わるんですけれども、それだけではなくて勉学によって個々に社会問題であるとか、そういったことに興味を持ち始める人たちも出てくるわけですね。

教育を受けた女性というのが、もちろん良き妻、良き母になる人たちもいるんですが、そういった人たちだけではなくて、社会問題に対して疑問を持ってボランティア活動とかを行なうことで、社会参加をするような女性たちも増えてくるんですね。

そういった人たちがボランティア活動を積極的に行なうようになるんですけども、家庭内では得られなかった使命感というんですか? 社会とのかかわりを女性たちに与えたんですよ。

次第に女性たちは自らの人権ですね。たとえば植民地時代に戻るんですけど、財産権とか離婚を申し立てる権利がなかったんですけど、そういった権利がないままでいいのかとかですね。そういった人権意識だったりとか、女性たちの連帯意識がボランティア活動を通して芽生えてくるんですね。

あき:アメリカの強い女性の始まりというか。

まき:そうですね。始まりですね。それが奴隷解放運動につながってくるんですよ。

奴隷解放運動と同時に女性の活動も活発に

おおたに:なにか具体的な動きとか、何々団体結成とかないですか?

まき:それが実は1830年以降の黒人奴隷解放の時にけっこう出てくるんですね。それまではそういった基盤、女性たちが社会運動に関わるための基盤というのが育ってきましたという話をしたんですけれども、それが表立ってきたのが、実は奴隷解放運動の時なんですよ。

そのきっかけは何かというと、1830年以降に、北部のほうなんですけど、黒人奴隷の解放運動というのが広がっていくんですね。その奴隷解放運動の中心となった人で、ギャリソンという人がいるんですよ。

あき:はい。ギャリソン。

まき:ギャリソン。男の人なんですけど。

あき:あ、男。

まき:はい。ギャリソンさんという人がいて、その人の元々の考えというのが、平等と人権は神から与えられたというもので、それで女性の社会運動の参加とか組織の結成というのをすごく応援したというか、助成したんですね。

あき:ギャリソンさんが。

まき:ギャリソンさんが応援して、ギャリソンさんたちのグループではないのですが、奴隷解放運動の中心となった人たちが、奴隷解放運動の講演とかで女性が演壇に立つことを許してもらったり。またそういったギャリソンさんが女性の運動を積極的に認めたことによって、そこで女性のリーダーというものがけっこう生まれてくるんですね。

ここで2人ほど例をあげるんですけど、たとえばアンジェリケという人がいます。アンジェリケさんは何を行なった人かというと、アメリカには議会というものがあるんですが、その議会において、女性として初めて社会問題に対しての演説を行なったんですね。このアンジェリケさんという人が、奴隷制反対と、あと女性の権利向上、双方について話されたそうですね。話されたというか訴えた。

あとグリムケ姉妹という人たちがいるんですけど、その人たちが積極的に前に立って奴隷廃止運動を行なって、男女の平等を訴えたそうです。

奴隷解放運動で活躍したグリムケ姉妹

あき:グリムケさんか。なんか強そうな名前ですね。

おおたに:知ってるぞ、知ってるぞ(笑)。

あき:知っているんですか?

まき:本を出しているはずなんですよね。グリムケさん。

おおたに:セアラさんとアンジェリーナさん。

あき:そのグリムケ姉妹の。おおたに先生、何で知っているんですか!?

おおたに:お勉強したので。

まき:さすが!

あき:おおたにさん、アメリカに住んでたしね。

おおたに:そうそう。1830年代はいないけどね(笑)。

あき:いたりして(笑)。

まき:ということで、奴隷解放運動よりも前の時代というのは、もちろんそういった社会問題に対して問題意識を持っていた女性というがいたんですけども、公に立つ場というのがそんなになかったんですね。公に立ったとしても注目されなかったりとか、強力なバックというものがなかったので、社会的に影響を与えるということはなかったんです。

でも、奴隷解放運動の一連の流れで、女性たちも公で権利向上について訴えたりとか、そういった奴隷廃止運動に積極的に参加したりとか、そういった社会問題に対して深く関わることができる世の中になったんですね。