心理的虐待の割合が増えた要因

宮川典子氏(以下、宮川):だいたい、虐待をしている親が悪いっていうのはもちろんひとつの反応としてあると思うんです。でも、実はそれと同じように親も何らかの問題を受けている。

例えば今、DVの問題がありますけど、これまで心理的虐待が身体的虐待を下回っていたにも関わらず、割合が3割5分くらいになりましたね。一気に増えたんですよ。

それは法律を変えて、DVを見た子供たちも児童虐待と認めるという主旨の法律改正をしたら、圧倒的に心理的虐待が増えたと。ということは、例えばお父さんからお母さんがDVを受けていて、そのお母さんがはけ口で子供に児童虐待をすると。

家の中でこういう負の連鎖が起きているっていうのは、怖い事だと思うんですね。だから、一概に児童虐待をしたからその親が保護責任者としての責務を負っていなかったとは言い難い世の中になっているというのが、やっぱり複雑なところだなと思いますね。

三原じゅん子氏(以下、三原):そうですね。それと前回、山田(不二子)先生もおっしゃっていたんですけど、統計の取り方で数字ってだいぶ変わってくるんじゃないかと。

本当はお母さんが6割って言ってるけど、そうじゃないだろうと。あるいは、保護者だってことで、例えばお母さんが付き合ってるボーイフレンドだったり、お父さんだったり、そういう場合もあったりする。

その中で、お母さんたちがどうしてそうならなきゃならなかったかというと、近頃はシングルマザーの虐待が多くなってきちゃったりとか。だとしたら、苦しんでいるシングルマザーのほうを先に手助けをすることをもっと充実させていく。

あるいは貧困ということがきっかけだとしたら、やはり経済的な政策が必要だと思いますし、そこと決して切り離しては考えられない問題だと思うんですよね。さっき先生がおっしゃったように、望まない妊娠っていうことがあったかもしれない。

そこで関わったドクターが「この妊婦さんはこのまま放置していたら危ないな」って思ってしまったら、しっかり通報しなければいけないとか。

そういうようなご意見もどんどん出てきているようなので、この先、私たちがいろいろな意味で法を改正していくには、本当にたくさんのことが条件として出てくるのかなと思いますよね。

誰にも相談できない孤立が招いた事件

宮川:問題を見ていくと、やらなきゃいけないことが本当にいろいろあって。とっても心を痛めたのが、中学生のお嬢さんを数日前の体育祭で使ったハチマキで絞め殺してしまったお母さんの事件があったんですね。

(お母さんは)給食をつくるパートのお仕事をしてたんですけど、夏休みで学校はお休みですから、給食のパートのお金が入らない。大変生活が苦しくても、そのお子さんは健やかに育っていたんだけれども、その体育祭のビデオを自分で撮って、その数日後、2人が暮らしていた市営アパートの中で娘を絞殺してしまったという事件があったんです。

110番をして、警察の方が駆けつけたときに、その亡くなった子の頭を撫でながら、そのビデオを見ていたと。それを聞いたときに、「こういう虐待もあるんだな」と思ったんですよね。私が泣くことじゃないんですけれども、これが現実ですよね。

それを見たときに、「やらなきゃいけないことがたくさんあるな」と思ったんですね。どんなに苦しいことだったかなと。お母さんもそうだし、その亡くなった子が最期にお母さんの顔を見ながら亡くなっていったことを思うと、胸が痛みますね……。

三原:そうですよね。そのお母さんの顔を見ながら亡くなったことを思うとそうかもしれない。両方が(どんなに苦しかったか)。

宮川:そのお母さんが最後に、駆けつけた警察官の方に言ったのが「もっと早く誰かに相談すれば良かった」と。

これが私たちが抱えている児童虐待とかいろいろな問題の病巣の一番根底にあるものかなと思ったんですけど、相談するところがないんですよね。

決して児童虐待を積極的にやろうと思っている人はいないわけで、何かきっかけがあって、どうしても止まらない衝動になってしまったと。その前に「何か解決する場所があったはずなのにな」と思ったときに、「ああ、こんなに日本って悲しい国になったんだな」と思いますよね。

だからこの189番もそうですし、ご自身が電話しても良いし、周りの方が一刻も早く見つけてあげるってことが、そういう悲しい事件をひとつでも減らすきっかけなんだろうなと思いますしね。それは我々じゃないとできないだとうなと思いますね。

三原:そうですね。やはり孤立っていうのが非常に大きな原因であるということは間違いないと思うんですね。それは何から孤立してるのかって言えば、家族の中でかもしれない。

それこそ、ご主人でさえ子育てを手伝ってくれない。そういうことかもしれないし、地域の中で孤立しているのかもしれないし。あるいは、自分からシャットアウトしているのかもしれないし。

東京の一極集中と孤立化する家族

三原:いろいろあると思うんですけど、ただ私たちが子供の頃、いわゆる『(ALWAYS)三丁目の夕日』の昭和の時期を思うと、やっぱりお節介なおばちゃんが地域にいたり、家族もたくさんいたり、兄弟がいっぱいいたり、親戚のおじちゃんおばちゃんがすぐ近くに住んでいたり、それこそ従兄弟もたくさんいただろうし。

何かそういう中で普通に当たり前に育ってたから、あまりそういうことを深く考えたことがなかったけれども。でも、今はどんどん核家族化が進んで、どんどんみんな東京に一極集中っていうのももちろんあるかもしれないけど。

でも、この間の新聞記事に出ていて、東京や神奈川とかそういう都会に住んでいる人にアンケートをとったら「隣近所と関わりたくない」って声が一番多かったんですよね。

宮川:そうなんですよね。

三原:若いお父さん、お母さんたちがどんどん閉ざしていっているんですよね。本来一番活動的に地域のコミュニティを作れるはずの元気な20代30代のお父さんお母さんが「もっと孤立したい、関わりたくない」と思っているというアンケート結果を見て、私は愕然としたんですね。本当に地方創生ってやんなきゃ駄目だ!

宮川:本当にそう思います。お金があるとか、雇用の場があるとか、何があるっていう問題じゃなくて、自分がオープンマインドになって入っていける地域をつくるっていうのが、たぶん地方創生の一番重要なところだと思うんですね。

自分たちのことだけじゃなくて、子供のことだけじゃなくて、地域のことを考えられるとか、地域の人の意見を受け入れられるだけの自分でいられる余裕というかですね。やっぱりそれは都市部より地方のほうがあってしかるべきだと思うので、そういうものを一体どれだけ持てるかというのが重要になりますね。

三原:住んでいるその地域とか、そういうふるさとというものをもっと大事に愛せる、もっと良くしたいって気持ちとか。東京とかに一極集中することは悪いことだとは思わないけど、だけどそこに来てる人はもっともっと世間から孤立したいんだって考えているならば、それは止めるべきって私は思ったんですね。

だから、なんだろう……。地方創生っていうのは、地方の人たちがもっと元気になるっていうのは地方が元気になるだけじゃなくて、経済的に豊かになるだけじゃなくて、もっといろんな深い物を豊かにするために必要だと思いますよね。

宮川:そう思いますよね。だから、田舎から東京に出たりとか大都市に出る方っていうのは、あえて干渉されない世界を求めて行くんですよね。そういう田舎からの人たちの集まりが都会だと私は思っているんです。だけれども、どんどん都会で広がっていった輪がどんどんどんどん日本列島を覆っているような気がして。

田舎でもマンションに住んでる人の顔がわからないとか、この子がどこの家の子かがわからないとか、すごくたくさんありますよね。私の家の周りなんか、実はいま空家ばっかりなんですが、空き地になっちゃったんですね。その裏の大きな社宅があった所には、10軒分譲の住宅が建つと。

隣には、若いご夫婦がお子さんを連れて引っ越してくるというのがあって、ちょっと高齢化してたところに子供の声が戻ってきてうれしいなとか思うんですけど。

ただやっぱりそのときに思うのは、うちの家族とかでも言うんですけど、一軒一軒その家にどういう子がいて、お父さんお母さんがどういう仕事してるかっていうのは近所の者として理解しておこうねと。

何かがあったときに助けてあげられないよって。今まではお互いがスケルトンみたいな家にいて、何人兄弟で、どこの学校に行ってて、どういう職業に就いててって知ってたけども、いま知らない事が多いじゃないですか。何か「この家から突然子供が飛び出してきたけど、これは誰の子?」っていうのが田舎でも多くて。

ですから、やっぱり周りの子たちがどういう環境の中にいて、親御さんが何で悩んでるのかってのは近所の者として、うちの母なんかはお節介おばさんになるんでしょうけど、気にしていかなきゃいけないよねってことを言うんですよね。

防犯カメラよりも地域の目

三原:最近、何か悲しい事件がいっぱいあるじゃないですか。そのときに、警察の方が使う防犯カメラというのが今とっても役立ってますよね。でもあれって、昭和の頃は防犯カメラじゃなくて、本当の生身の皆さんの目だったんですよね。それがいっぱいあったと思うんです。

それが、悲しいかな防犯カメラに変わってしまった。もちろん検挙するためには、必要な良いこととは思いますけども、それは人の目っていうのも大事なんだってことが最近の悲しいニュースを見ているとですね。防犯カメラはしゃべりませんからね。

人の目だったら、もし子供たちが夜中に外にいたら「どうしたの?」って声を掛けてあげることもできるかもしれない。見ていれば、それを誰かに伝えることもできる。それが防犯カメラじゃなくて、生身の人間の力なんだと思うですよね。それが日本も少し足りなくなってきちゃったのかな。なんか寂しいというふうに思えますよね。

宮川:見てるということもないし、見られてるという感覚もないしっていう。あまり簡単には言いたくないですけど、この人間関係の希薄さ、見守りが効かなくなってるっていうのは、皆さんの金銭的な余裕、時間的な余裕、いろいろな物がないんでしょうけれども。

子供の社会っていくつかあると思うんですが、地域と学校と、あとは家庭だと思うんですよね。この3つの社会の中で子供たちをどうやって見守っていくかっていうことを、我々は本当に真剣に考えないといけないし、189番ができたのはそういう子供たちを見つけて、一刻も早く解決するための第一歩だと思うんですよね。

ここに来るまでに、すごく時間はかかりましたけど、でもこれが第一歩だと思うんですよね。本当にここからだと思いますよね。

三原:そうですよね。子供の居場所っていう物もね、私は考えてあげたいなと思うんですね。

放課後を皆さんが見てくれる所も「夕方までなら大丈夫よ」っていうのもあるかもしれないけど「じゃあその後どうなの?」って言ったときに、本当にシングルマザーのお母さんが働きに行った後。「そのお子さんを見ている所に、居場所はあるんだろうか?」って思うと、結構一人ぼっちでいるお子さんは多いと思うんですね。

そういうことも考えていかなければいけない時代になったとも思いますし、その時その時に必要なものを常にアンテナを張って見ていかなきゃいけない。その第一歩が189だと思いますね。何でも相談できる人がいるっていうだけで……。

宮川:違うと思いますよね。

親とは別の大人として何をしてあげられるか

三原:通報をしたら助けてくれる人がいるっていうだけで、私はかなり大きな進歩だとは思うんですけども。これをどう使っていくかっていうのはもう皆さんに懸かっているし、私たちにも使い勝手がいいように、もっと良くしていくって事は大事です。まだまだやらなきゃいけないことがいっぱいありますね。

宮川:そうですね。私が児童施設にいて思ったことっていうのは、さっき申し上げたように、虐待の種類によって違うってのもあるんですけど。

やっぱりここには勝てないのかって思うのは、あるとき運動会があって、そこに身体的虐待をしていた親が見に来たんですよね。すっごい喜んで子供は駆けて行くんですよ。

殴られたお父さんにも抱きついて「お父さん、今日来てくれてありがとう!」って言ってものすごくうれしそうで。そこに来ると、お父さんお母さんは別に普通の人に見えるんです。

でも午後になると、やっぱりいる時間が長くなりますから、遊具の裏に行って子供を殴っちゃったんですよね。ここ(目)に青タンつくってきたんですよ。「誰にやられたの?」って言ったら、子供は絶対言わないです。お父さんにやられたって言わないんですよね。

そういうのを見たときに、子供にとっては虐待をしようが自分を傷つけようが、消えない傷をつけられようが、死に至らしめることをされようが、親は親なんだなと。

親が来て喜ばないって子はほとんどいないっていうのを見て、さっきの話のように虐待を受けた親を「顔も見たくない」って思うのは、たぶん中学生の後半から高校生くらいの話で。今、一番虐待を受けてる小学生なんかはむしろ施設にいるより、お父さんお母さんの所に帰りたいと思っていて。

三原:多いらしいですね、そういう子。

宮川:来ると、喜ぶんですよ。でも、必ずその日のうちにどこか虐待を受けて施設に戻ってくるんですよ。だからこの傷の上塗りとかっていうのも思うし、親に勝てる存在がいないんだったら、私たちは「親とは別の大人として何をしてあげられるのか?」っていうのを考えていかなければならないんだなというのを、すごく思います。

ですから、皆で気をつけてこの189番を本当にフル活用するってことからまずは始まるのかなと思いますね。

三原:あと、親になる前にちゃんと覚悟を持って親になってもらえるような親育ちって言うんですかね? そういったことも私たち女性局はしっかりと取り組んでいかなきゃいけないねっていう話をしております。

もう、本当に話が尽きないんでね。典ちゃんと話してると30分があっと言う間で過ぎてしまいましたけれども。番組は今日で終わりますけども、いつでも何でも女性局、Facebook等ありますので、ぜひいろんなご意見何でも結構です。お寄せいただきたいと思います。できる限り私たちがお答えをしていきたいなと思います。

女性局、これからも虐待をゼロにするためにいろんな政策を頑張っていきますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。本日は、宮川典子先生でした!

宮川:ありがとうございました。