謝罪メールで心がけたい「自分の心の書き起こし」

--なるほど、ありがとうございます。ここから少し具体的な話で、すごく難しいシチュエーションが「交渉」とか「お断り」だと思うんです。「これをお願いします」はまだマシかもわからないんですけど「それ、ちょっとできないんですよ」という時。

例えば対面の1対1だったら「あの件なんですけど、難しいんですよ」って、すごく申し訳なさそうな顔をするといったことがあると思うんですけど、やはりオンラインでのテキストではそれがなかなか通じない。

阿部広太郎氏(以下、阿部):そうですよね。

--そういう時、コツとかってあったりするんですか?

阿部:それでいうと、今おっしゃってくださったみたいに、人の言葉というものは顔にも言葉があるし、体にも言葉がある。視覚に入る表情はメッセージだし、体が緊張して震えるということもメッセージとして伝わる。申し訳なさそうにしている表情や仕草も「申し訳ないです」という言葉以上に、それが伝わったりする。でも、オンラインだとそれを表現することができないですよね。

我々って「1つのメール文章に『申し訳ありません』『ごめんなさい』という言葉を、たくさん書かないようにしましょう」みたいなレクチャーを受けてきたような気がするんですよね。「メールの書き方」みたいなところで「あまり同じことを何度も書くな」みたいな。

でも、自分が本当に申し訳ないと思っているのであれば「本当に本当に(申し訳ございません)」と2回重ねたり、「申し訳ありません」と一度書いて、数行下にももう一度書いたり。自分が直接相手に話しているかのようにメールを書くことによって「本当に申し訳なく思っているんだな」ということが、伝わりやすくなるんじゃないかなと思います。

もし会ってお話しした内容を、仮にログミーさんみたいに書き起こしてみたら、「申し訳ありませんでした」ってけっこうな回数言っているはずなんですよね。でもそれがメールの場合だと、数行とかに収まってしまう。それが本当に思っていることだったら「自分の心を書き起こす」ということは、すごく大事なのかなとは思いますね。

配慮しつつも遠慮せず、何度も伝える「ありがとう」

--なるほど。「ごめんなさい」もそうなんですけど、私は「ありがとうございます」の使い方も本当に難しいなと思っていて。というのも、感謝を表す唯一無二の日本語が「ありがとうございます」だと思うんです。

おっしゃっていただいたとおり、メールとかチャットで何回も何回も「ありがとうございます!」と書くのって、ちょっと幼稚な文章なんじゃないか? という気持ちがあって。だから私は「100点満点の気持ちで『ありがとうございます』」と思っているのに、文章にしてしまうと「ありがとう」って一回しか使えない。

たった一回だけ、文章の決め手となるポイントで「誠にありがとうございます」って使っても、それが「40点くらいの『ありがとうございます』」に減点されてしまう気がして。私のこの「心からの『ありがとう!』」が相手に本当に伝わっているんだろうか……? と思って、勝手に自分で落ち込むみたいなことがあったりするんです。

阿部:その話を聞いて思い出したのが、『ワンピース』を描かれている尾田栄一郎さんのエピソードで。『ワンピース』という漫画では、キャラクターたちに対して「感謝の気持ちはストレートに“照れなく”伝えるべきだ」という、尾田さんなりの考えがあるそうなんです。

「感謝の言葉は『サンキュー』とかじゃなくて、ちゃんと『ありがとう』という言葉で伝えるようにしている」と、コミックスで尾田さんが書いていたと、Twitterで話題になっていたんです。

「感謝」も「謝罪」もそこに対する照れとか恥ずかしさは取っ払って。「申し訳ない」と思うんだったら、申し訳なさは、時に連呼してもいいし。「ありがとう」というもの「書きすぎることが幼稚だ」と思ってしまうとか「ちょっとダサいのかな」と思ってしまうことなんてことはなくて、書きたいだけ書いていいんじゃないかなと。

「ありがとう」の連呼も“さじ加減”がありますけれども。僕は「遠慮せずに、配慮する」というのを、いつも大事にしているんですけど、配慮しつつも遠慮せずに「ありがとう」の気持ちがあるんだったら、何回書いてもいいんじゃないかなと思っていますね。

--さきほど私は「『ありがとうございます』って何回も書くことによって、幼稚に見えてしまうんじゃないか?」みたいにお話したんですけど、それって結局は「自分が格好付けているだけなんじゃないか?」と思って。私は別に格好付けたいんじゃなくて、相手に「ありがとう」という感謝を伝えたいんだから、それを素直に節度を守って伝えることが大事だと。

阿部:そうですね。特定のキーワードがたくさんリフレインされるヒット曲みたいでいいと思うんですに。「ありがとう」と言いたい気持ちが“サビ”なのであれば、繰り返してもいいんじゃないかなと思いますね。

--なるほど(笑)。確かに、それが一番伝えたい気持ちであれば。

阿部:“照れなく”伝えていいと思いますね。

心は筋肉じゃないから“手当て”をしてあげなくちゃいけない

--ありがとうございます。ここまでは「自分が発信する時に、どのような言葉を使っていけばいいか」という話だったんですけれども。ここからは逆に、相手からのメッセージでも傷つくこともけっこうあって。

自分が直接チャットで受けたメッセージで、ドーンと来る時もあれば、例えばSNSで誰かへのリプライを目にしてしまって「え、そんなこと言う?」とショックを受けるみたいなこともあると思うんです。

自分が直接受け取った場合とそれを目撃してしまった場合に、どんな心持ちになればいいのか。要は「言われてしまった」「目にしてしまった」という事実は存在しているで、自分の中の気持ちでどうにかするしかないなと思っていて。それっていったいどうしたらいいのかな、というのがすごく気になっているんです。

阿部:本当にありますよね。SNSで見ちゃうこととかね。

--そうなんですよ。

阿部:交通事故のように、そういう情報にぶち当たってしまうことってあると思うんです。で、その話をする前提として「心は筋肉じゃない」という話をするといいかなと思っていて。

筋肉って、腕立て伏せをしたり懸垂したりして、筋疲労を起こす・筋繊維を破壊して、栄養を摂ることによって「超回復」が起こるじゃないですか。でも心は、傷つけてしまった時の超回復が自然発生的には起こらないと思うんですよね。

心を自分で傷つけてしまったり、誰かに傷つけられてしまった時に、それは自然に回復はしない。自分の心が傷ついた時には、ちゃんとバンドエイドを貼ってあげなくちゃいけない。それは湿布でもなんでもいいんですけど、要は“手当て”をしてあげなくちゃいけなくて。それがまさに受け止め方であり、僕にとっては「解釈」なんじゃないかなと思っているんです。

「ありえない言葉」は、流しそうめんみたいにスルーしていい

阿部:例えば取引先とか上司といった「目上の方からの言葉」とかって、仕事上ではその人が言っていることを大切にしなくちゃいけない。でも受け止めすぎると、まさに重いバーベルを上げられなくなって、ジムでうめき声を上げるみたいな状態になってくるじゃないですか。だからトレーナーさんを呼ばないといけない。

やはり傷つくことは日々起こると思うんですけど「しんどいっす」「厳しいです」ということを、まずは誰かにちゃんと言うことが、けっこう大事かなと思っていて。そういうふうに「いっぱいいっぱいになっちゃってます」とか「しんどいです」「ありえないです」と、言ってきた本人に言えなかったら周りにSOSを出すであったり。傷ついてしまった時に、相手にちゃんとアピールするのが、まず大事で。

「これは無理だな。こんな重いバーベル持っちゃったな」という時は、持ちあげない。自分がそういうことを言われてしまったら回避する・受け流すことは、かなり大事だなと思っていて。そう、「流しそうめん」のイメージです。

--流しそうめん!

阿部:流しそうめんみたいに、そうめんが流れてきた時に、それを食べるかどうか? って自分のお腹と相談すると思うんですよね。

--そうですね。

阿部:「これ、ありえないな」と思ったら、スルーしちゃっていいと思うんですよ。ありえないことだったりとか、「ひどいな」と思うことが来たら、目の前にそうめんが流れてきてもお腹いっぱいだったら食べないのと同じで、スルーして流しちゃえばいいですよね。

流して、あまりそっちのほうを気にしない。「とてもありえないことを言っている人がいるな」ということを流して流して、それを「自分に対して言ってきているこの状況ってありえない」っていうSOSを上流に発信していく。相談できる人だったりとか、しかるべきところに相談するということが大事なのかなと思います。

--なるほど。まず、(ひどい発言・チャットが)自分に向けられているものであってもスルーして。でも耐えられないことはあるから、誰か周りの人に「こんなひどい“流しそうめん”が流れてきたんだ」と。

阿部:一人で抱えずに。

--「自分はそれをスルーしたんだ」という話をする。

阿部:ヘルプというかたちを「これはありえないよね」というふうに共有することですよね。

住環境と同じように、SNS環境も整えていかないといけない

阿部:あと、(自分に向けられたコメントでなくても)SNSで突然目に入ってきてしまうことは絶対あると思うので。それに関しては、現実的な話でいうとミュートするとか。

ブロックまでいかなくてもミュート機能がありますから、そういうキーワードをミュートしたりとか、その人をミュートしたりとか。嫌なものをわざわざ見に行かなくていいとは思うので、自分が一度「ちょっと変だな、嫌だな」と思ったらミュートする。目に入らないような工夫をする。住環境を整えていくように、SNS環境を整えていかないといけない。

みなさん、自分の家だったら、ちゃんと「ここに観葉植物を置こう」とか「今は暑いから冷房を付けよう」「寒いから暖房を付けよう」とかする思うんですけど、それと同じように、SNSの環境も手入れしてあげたほうがいいと思ってて。手入れするためには、機能を自分なりに活かしていくのが必要だと思いますね。

--なるほど、確かにそうですね。家だったらちゃんと整えるのに、SNSはあまり整えていない。

阿部:本当に嫌なこととかは、わざわざ自分から見に行かなくていいんですよね。

ただ、人間は臭いものをわざわざ嗅いでしまう習性とかあるじゃないですか。脱いだあとの靴下とか。

--はい(笑)。

阿部:わざわざ臭いものを、気になって嗅いでしまうというのはあるんだけど、SNSだとそれに顔をうずめてしまう、そういう“ドM”みたいな。

--(笑)。

阿部:SNSにおけるドMは避けよう、と。そこに陥ってしまうことがあったとしても、「そんなに自分を痛めつけなくていいよ」と思うし。

人間は自分自身にパワハラしちゃうことがある

阿部:これも僕、解釈の話をずっといろんな人と話している時に、「自分自身にパワハラしちゃうことがある」という話が出て。

自分という存在に対して、パワーハラスメントしてしまう。自分のことを痛めつけてしまう。例えば親友が、SNSで見たくもないものを見て傷ついてしまっていたら「そんなの、見なきゃいいじゃん」とか「見るの止めようよ。ミュートしようよ」って言うと思うんですよ。

--はい。

阿部:でも自分はそこにどっぷりハマってしまうことって、あると思うんですよね。だから自分をパワハラしない。自分に優しくするというのは大事ですね。

--なるほど。おっしゃるとおりですね。誰か友だちがやっていたら「それ、見ないほうがいいよ」って。

阿部:言いますよね。

--言います。でも自分が見ないことを徹底できるか? といったらけっこう難しくて。おっしゃるとおり、なんかパワハラを自分にしがちだなというか、痛いものほど見に行ってしまう。

阿部:おそらくそれは自分が「個室にいる」と思っているから。個室にいて、(ネットの世界で)何が起ころうが、現実的になにか起こるものじゃないんだという安心とか、そこに対する「大丈夫だろう」という「目の前のパソコンやスマホからは、自分は攻撃されないんだ」という“ぬかり”みたいなものがあるんですよね。

--うーん!

阿部:だから「見に行っても大丈夫」「検索しても、エゴサーチして自分のことを悪く言っているのを見ても大丈夫」と思う。でも心はやはり、確実にジャブを食らって、アッパーカットを食らっているわけですよね。それは、止めよう。声を上げようと。

--そうですよね。あまり現実味がないからこそ「打撃を受けてもそんなにダメージはないんじゃないか。こんなものくらい見ても大丈夫だろう」と思って見て。でも確実にダメージは溜まっていっている。

阿部:ダメージは蓄積されているし、見えないものだからこそ、自分の心を蝕んでいってしまう。さっきの「悪意の培養」って、無意識に自分の中で増やしていってしまったりするから、けっこう(心を)蝕んでいってしまうと思うので、それは避けようよと思いますね。

--そうですね。「見ない」。

阿部:「見ない」。

--「見ないことが大事」。

阿部:見ないための環境だったり整える。手段を取るということですね。

「同意を得たい」という欲求は止められない

--すごく大事ですね。本当にありがとうございます。私もやはり、そういうものを見てしまいがちなんです。あれって何なんでしょう? 「自分が正しい」ということを証明したいから、反対意見をわざわざ見に行っているのかもなと、たまに思ったりするんですよね。

阿部:インターネットが「つながれる手段」としてここまで世界中に広まったのって、(人間には)「誰かとつながりたい」という欲求があると思うんです。

やはりYahoo!さんやYouTubeのコメント欄だったり、SNSのリプライ欄を見てしまうのは、「自分と同じ思いを持っている人がいるんじゃないか?」とか、誰かの意見が気になって「同意を得たい」という欲求が、人は誰しもあると思ってて。

それを見に行ってしまう自分って、止められないと思うんですよ。それはすごくあるから、まずはそういう自分を自覚することがとても大事だと思うんですよね。

--「そういう状態にあって、だからこそ自分は見に行っているんだ」と自覚すべし、と。なるほど。そういえば私も、そんな気持ちでいろんなコメントやリプ欄を見に行っているなと、自分に照らし合わせて今あらためて思いました。ありがとうございます。

「傷つくこと」には、ポジティブな側面もある

--では、最後のテーマです。今の時代、ZoomやSlackのチャットやビデオ通話が当たり前になりましたが、より未来。それは100年後とかじゃなくて、例えば5年後、10年後ぐらいの近い未来ってどんなかたちのコミュニケーションが主流になっていくのか? もしくは阿部さんが「こんなコミュニケーションになったらいいな」思われている展望について、ご意見うかがえればなと思います。

阿部:そうですね。これはもうどちらかというと、願いや祈りを込めて、未来の在り方、コミュニケーションの在り方の話をできたらなと思います。僕、今日の最初にお話しした「お前はもっと人を傷つけたほうがいい」と言われたというエピソードが、未だに心に残っているんですよね。

その時に、自分なりにだんだんそれを咀嚼して、解釈できるようになっていって。心の繊細な人とか、心の機微を捉えることができる人というのは……例えば昔の人が、彫刻刀で掘っていって版画を作ったように、すごく細かなところを表現できる人は、すごく細い刀で掘っていたと思うんですよね。

それと同じで、心が繊細な人とか機微を捉えられる人は、いろんな出来事を自分でキャッチできる人だと思うんです。いろんな情報だったり、誰かが何かを言っているかもしれないということとか。

考えすぎてしまう、ネガティブなことを考えてしまうというのは、細かなことも自分の心に刻める人だと思うんですよ。そういう繊細さを持っている人、そういう感度を持っている人だと僕は思っていて。

それで「傷つくこと」には、ポジティブな側面もあると僕は思っていて、自分の心をよく「ひだ」という言ったりして、心の「ひだ」が増えていくみたいな言われ方もしますけど。そういう一つひとつの傷が、自分自身という存在を浮き彫りにしていってくれるな、とも思っていて。

他者と交わること。他者と交流すること。他者と会話することによって、自分が浮き彫りになっていくということは、これは普遍的なものとして未来も変わらないと思うんですよね。それを忘れずにいたいとも思うし。

未来というものは、これからますます他者と直接会わなくてもやりとりができたりとか、集合しなくても人と人とがコミュニケーションを取れるかたちに、どんどん発展していくと思うんですよね。

仮想空間みたいなところで、自分がまるで相手に会っているかのようなかたちで、会話できたりとか。そういうふうになっていく未来は、必ず訪れるだろうと。

「手書きの気持ち」でメッセージを送れる世の中であってほしい

阿部:僕の中の祈りや願いということでいうと、僕は手紙を書くのがけっこう好きで。手書きで「相手のことを想ってメッセージを書く」という、その時間がとても大事だなと思っていて。そういう手書きの気持ちというものが、これから先の未来にも受け継がれていくといいなと。手紙を書くような気持ちで相手と接する。

相手とコミュニケーションを取るって、もちろん実際に便箋を買ってきて、手紙をしたためるみたいなことも大事ですし。そうでなくてもメールだったり、メッセンジャーをする時にも、ちゃんと宛名の「『to』の人のこと」をありありとイメージをしながら、手書きの気持ちで相手の人にメッセージを送れるような、そういう世の中であってほしいなという。

どれだけツールが発展しようとも、どれだけ手段がたくさん生まれようとしても、手書きの気持ちというものが人の中に増えていったりとか、根付いていくといいなということは思っていますね。

--「あなたのために」ということですよね。

阿部:そうですね。宛名があるものが強いなと思っていて、「私はあなたに」。僕はずっと「I LOVE YOU」という英語をどういうふうに訳すかというのを……。

--(阿部氏の著書を指して)こちらの本ですね。

阿部:そうですね。『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』で、「I LOVE YOU」を今のあなたは何と訳しますか? というのをテーマにしているんですけど。「私とあなた」という関係性は、どれだけ未来になって技術が発展しようとも変わらないと思うんですね。

「私」の「I」と、「あなた」の「YOU」という、その間にあるものが豊かになってほしいと思うし、そこのやり取りには「ポジティブで親和性のある傷」というものが増えていくといいなと思うので、(大切なのは)宛名。

「to~」という「あなた向けて」という部分も忘れちゃいけないし、これからも僕はそれを大事だ伝えていきたいなと思いますね。

--なるほど。『それ、勝手な決めつけかもよ? だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』でも「相手の名前を呼ぶことがすごく大事なんだ」と書いてらっしゃいましたもんね。

阿部:そうですね。相手の名前。例えば「今日もお話しをさせてもらった○○さん」というふうに、名前を呼びかける。Aさん、Bさん、Cさんに何か言う時に、その人の名前を先に言うと、すごく自分の中でもコントロールが効くというか。「○○さん」と自分が言うと、キャッチボールでいうところの相手の胸元にボールを投げるんだぞという意識、その胸元が見えるような気持ちになるんですよね。

--なるほど。

阿部:僕がけっこう意識しているのは、SNSでもメールでも、対面のコミュニケーションでも、その人の名前をさり気なく呼ぶということ。それは「あなたに向けて言っているんですよ」ということもそうだし、例えばWebの会議で「(会話の)ボールが宙に浮いちゃうような瞬間」ってあると思います。

--あります、あります。

阿部:「確かにあなた向けて言っているんです」ということを、ちゃんと言うようにする。『それ、勝手な決めつけかもよ? だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』でも書いたんですけど、ものすごく「あなたに向けて名前を呼ぶ」というのは大事だと思いますね。

--なるほど。ありがとうございます。 

阿部:ありがとうございます。

「自分を守ることを忘れないでおく」

--では、そろそろお時間が迫ってまいりましたので、最後にご参加いただいたみなさまへ、阿部さんからメッセージをいただければと思っております。

阿部:はい。ありがとうございます。本当に今回の「傷つかず/傷つけない」というテーマが、ものすごく絶妙だなと思っていて。

本当に大切なテーマだなと思うんです。それはなにかというと、SNSがあることによって、オンライン(でのコミュニケーションが主流)になったことによって交流が増えて、図らずも幸運なつながりができたり、人と出会えたりする。

一方で、やはり「ああ、なんか嫌なの見ちゃったな」とか「ああ、この言葉は嫌だな」「本当はぜんぜん違うのに、変なこと言われちゃったな」とか、そういう思いを抱く人が確実に増えているように思うんですね。実際、僕もそうです。

だから、その時に自分を守る盾のようなものは絶対に必要だなと思っていて、それは「受け取り方」だと思うんですよね。それは「解釈の仕方」だと言ってもいい。「受け取りすぎなくていい」というか、「影響を受けすぎなくていい」というか、「振り回されすぎなくていい」というか。

オンラインのコミュニケーションって、思っている以上に心に響いてしまう部分があるから、そのことをまず自覚しておきつつ、自分の心がどう振れているのか・震えているのか? というものを見つめてあげる・耳を澄ませてあげることが、自分を守ることにつながるなと思っています。

「傷ついたな」とか「嫌だな」と思うことがあった時に、見過ぎない。僕が今日話してきたことは「自分を守ることを忘れないでおく」ということです。その気持ちを持っていることで、傷は傷でも“幸せな傷”というような、ずっと思い出になるような幸せな傷というものが増えていくのかな、と僕は思うので。

最後、もし何か本当に「どういうこと?」と思ったら、会いに行ったりとか電話したほうがいいという、シンプルな話ですね(笑)。

--なるほど(笑)。

阿部:それが一番かもしれないですね。「おかしいでしょ!」と思ったら、電話してみたり会いに行って聞くのが一番かもしれないです。オンラインがすべてではない。もちろんいろんな(感染)対策をして会うとか、そういう時間を持ちましょうと思います。

--では、ご参加いただいたみなさん、そして阿部さん。本日はどうもありがとうございました。

阿部:ありがとうございました。