「子供のゲーム問題」に玉樹氏が挑む

司会:玉樹さん、これから出されるお題に対し、60分以内に解決策、または企画案を作ってください。次の8枚から、お題を1枚選んでください。

(8枚のカードが目の前のモニタに表示される。各カードには数字が振られていて、お題は隠されている)

玉樹真一郎氏(以下、玉樹):さて、どうしましょうか? 悩んでも仕方ないんですけどね。そういえば、私事なんですが最近やっと下の子が歩きを覚え始めたんです。今、9ヶ月でヨチヨチと。その娘が4月生まれなので……4番で。よいしょ! 怖いなあ、どんなことになるのかな?

おお、子供をもとに問題を選んだら……とりあえず問題文を読んでみましょうか。

問題文:「子供のゲーム問題」。DS、PSPなどのゲーム機のポータブル化によって、子供がゲームにばかり熱中して宿題や勉強をさせることが難しくなっています。「勉強した時間だけゲーム可能時間がチャージされ、ゲームできるようにすればもっと勉強してくれるのに」などと考えたことがある方も多いかもしれません。

玉樹:これ、けっこういいアイデアですね。

問題文:そんな案も参考にしながら、子供がゲームをしたい欲求を勉強する欲求に変換するようなうまい仕掛けを考えてください。

玉樹:これは、ある意味一番難しいテーマを引いてしまったかもしれませんね。私自身、ゲーム業界の出身で、任天堂という会社で勉強させていただいたんですが、あの会社はまさにこういう問題を一生懸命に考えていました。ということは、昔の僕は当然いつもこういうことを考えていたので。

「ゲームは子供の口封じである」論への怒り

それを今、改めて考えなさいと。困ったなあ。どうしようかなあ? 悩んでいてもしょうがないので、考え始めましょうか。「ゲーム機のポータブル化によって、子供がゲームにばかり熱中して、宿題や勉強をさせることが難しくなっています」とあります。

僕もどういうアイデアが出るかがわからないので、とりあえず思いつくことをボンボンとまとめて書いていきます。確かにポータブル化によって、いつでもどこでもゲームができるようになってしまいましたよね。そこで、んな話を聞いたことがあるんですね。「ゲーム機は子供の口封じ である」って主張です。

どういうことかと言うと、例えば、子供と一緒に新幹線で長距離移動する、なんて場面を考えてみてください。ゲームがない状況だと、子供は走り回ってしまったり、隣の席のお客さんをじーっと見て「どうなの?」とか話しかけてみたりして、周りに迷惑をかけてしまうかもしれない。そんな時に便利なのがゲームです、って話なんです。

ゲーム機を与えておくと、子供は黙っているわけです。従って、ゲーム機は子供の口封じとして便利である、というお話です。実は、これ僕が前の会社にいた頃に聞いて、腸煮えくり返った覚えがある話なんです。

ゲームを作っている人は往々にして、ゲームによって豊かな体験をしてほしいと思っているわけです。楽しい体験、泣けるような体験をしてほしいと思っている。それから、子供がゲームにばかり熱中しているということは、それって当然、親の無関心が引き起こしていることでもあるわけです。

お父さん、お母さん、家族みんなでゲームに接してもらえると、ゲームは人の人格をスポイルしてしまうようなものではなく、みんなで楽しく遊べるコミュニケーションツールとして活用できるはずだと思っていたので、こんなことを言う人は大っ嫌いだったんですね。腹が立ってしょうがない。ヤダなって感じがします。

思いついたことを書き出していくステップ

とは言っても、今こんなことを書いて、とうとうとしゃべっていますけれど、これが企画にどう繋がっていくかはまったくわかっておりません。でも、とりあえず、思いついたことをバンバンと書いていきたいと思います。

でも、これよいアイデアですよね。「勉強した時間だけ、ゲーム可能時間がチャージされればいいのに」。

親が子供に向かって「勉強しろ」って言いますよね。でも「勉強しろ」って言いますけど、そうやって言われた子供が「勉強したい。しなきゃなあ」って思いますか?

みなさん、親に「勉強しろ」って言われて「します!」って思ったこと、ないですよね? と、言うことは、裏を返すとこの言葉は意味がないんですよね。

「勉強しろ」って言葉は、言えば言うだけ子供にストレスをかけるし、実際に子供を勉強させることもできないという。なんとも非クリエイティブというか、創造性のない言葉なわけですね。

これをなんとかしたいですよね。その代わりになんて言えば子供は勉強するんだろう? 書いておきましょうかね。話しながら、僕の心に何がひっかかるのかということを自分に対してセンサーを立てているわけですね。でも、これは身につまされる問題ですね、将来。今は子供が小さいから言うことないんですけれど。「子供になんと言えば勉強するんだろう?」ってことは、1つの大きなテーマとしてあるのかなという気がします。

それに対して、「勉強した時間だけ、ゲーム可能時間がチャージされればいい」って。例えば、勉強のためのタブレット端末を配布している企業さんが何個かありますよね。パッと思いつくような大きな会社さんが、やればよいのにって思いますね。もしかすると、やってるのかな? 僕が存じ上げないだけかもしれません。

問題に抱く違和感を紐解いていく

そんな案も参考にしながら、「子供がゲームしたい欲求を勉強する欲求に変換する」。これ、問題文がちょこちょこ引っかかってくれるのが、すごく助かりますね。「子供がゲームをしたい欲求を勉強したい欲求に変換する」って、なにか違和感があるんだよな。

みなさん、「勉強したい」と思ったことあるんですか? 僕は、「勉強しなきゃ」と思ったことはあるんですけど、「勉強したい」と思ったことは……。歳をくってからならあるんですけど。

これ、ぜんぜん違う話ですよね? 勉強、「したい」と「しなきゃ」って、まったく別の話ですよね。こっちは欲求と表現されていますよね。一方、こっちは義務とか、責任とか。そういう感じですよね。

結果的にはどっちでも、勉強してくれればプラスにはなるんですけど。僕、大学で講義を持っていたりする関係上、教育ということについて考えなきゃいけない場面はあるんです。

当然、教育現場では、水戸黄門の印籠みたいな感じで「子供にこう思わせるために、どうしたらよいかを考えるのが教育だよね」って話を誰かがすると、全員が「そうだ、そうだ」となるわけですよ。教育現場でヘッドバンギングが起きるんですね。

なんですけど、僕がひねくれているだけなんですかね? 妙な違和感があるんです。「したい」って、思うかなあ? 思い出せないだけなのかもしれませんね。