広告のクリエイティブは答えのない仕事

中村:PARTYの中村と申します。よろしくお願いします。

:今回の IVS、いきなり一番最初からPARTYタイムという。すごい並びですけれど。

中村:そうです。ベンチャーじゃないんですけどいいのかしらと思いながら、とりあえず一番初めのこんな栄誉な場所に立たせてもらったので、何がしか面白いことを言えたらなと思っております。よろしくお願いします。

:よろしくお願いします。早速PARTYご存じない方もいらっしゃると思うので、そこらへんの紹介を含めて、中村さんからプレゼンテーションを始めていただければと思います。

中村:じゃちょっと早速だらだらと喋らせていただければなと思います。よかったらスライドをこっちにいただいてもよろしいでしょうか。

PARTYという会社を作りました。今、できて2年目の会社です。今日は「創造のプロセス」みたいな格好いいお題をいただいたので、それに資するかわからないですけど、「作り方を考える」というお題でちょっとお話を初めにできればなと思いました。

私たちはアイデアを考えて作る会社です。考えて、その後クリエイティブディレクション、ちゃんとアウトプットまで責任をもって作る会社です。しかし受注が多いです。主に広告のクリエイティブが多いです。広告のクリエイティブというのは、コピーライターとかプランナーとかアートディレクターとか、そのような人間がいるんですけど、一体どういうことなのか、というのをちょっとわかりやすいものがあるので、試してみたいなと思います。

これは、僕が前職、電通にいたときに大学生の夏期講習、インターンシップに向けて、「(広告づくりというのは)こういうことなんだよ」っていうのを作ったものです。

最初に(サイトに)入ると、いきなり「ちょっとコピー描いてよ」と無茶ぶりをされる。たとえば「自分のキャッチフレーズ」とか書いてあるんですが、せっかくIVSなので、仮にIVSの広告を作るんだとしたら「IVSの億万長者になろう」。こんなでどうだろうか?(検索欄に書き込む)

いきなり「世の中に出す」(という右の黒いボタンを押すと)……。

さっそく可決されます。

さっそく世の中に出る、テレビに出たりとか、

電車の中刷り広告になったりとか……。

(このサイトは広告が)世の中に出るっていうことを可視化しただけなんですけど。

「(自分の広告が世の中に出るのは)気持ちよかった?」「この仕事向いているかな?」

コンテンツを世の中に出すってどういうことかなあ、と思ったときに、クライアントがいるんです。企業さんの。で、その商品や言いたいことをうまく肩代わりして、表現を世の中に出すということですが、それは単純じゃなくて「コミュニケーションを考えること」だと思うんです。

たとえば、さっきのコピーどうだったかって思うと、多分ああいうふうに世の中に出てみると、なんかこう、高飛車だな、上から目線だな、みたいな感じがするような気もするんですよね。

なので、よく広告のコピーとかは、ラブコールとか、好きな人にどうやって告白するか、みたいな。ただ単純に一方的に言うだけじゃなくて、相手のことを考えてやれだとか、そういう文脈が必要みたいなことを考えさせられればと思って作ったものです。

これって答えがないんですよね。答えがないから、すごい毎日残業して夜通し考えてものを作らなければいけない。これってビジネスアイデアも同じことだなと思うんですね。逆に言うと、一方で売ることっていうのは、答えがある。商品があってそれをこれだけ売れっていうノルマをどんどん売っていくっていう、明確な答えがある。なので、答えがないほうの仕事をたくさん受注して、たくさんその場で合気道のように返していく仕事です。

CMとウェブ広告の違い

表現の種類をちょっとだけ分類してみると、たとえばCMはこういうことやれます。連呼でOK、面白くてもOK。どういうことか、たとえば、こんな(スコーンのCM動画/指導者がスコーンスコーンと連呼しながら、社交ダンスが繰り広げられている)。

これちょっと古いですけど、一番たくさん連呼しているので出しました。どうして古い例を出したかって言うと、これだけ連呼するのは禁じられているんですね。連呼禁止っていうのがあります。で、これでスコーンめちゃめちゃ売れます。スコーンスコーン言っていると。

一方で、こちら(TOYOTAクラウンCM)は全然違う、クラウン一瞬しか出てこないんですけど、これでもOKなんです。これでもクラウンの売上はすごい伸びているんですよね。面白いだけでもいいし、連呼でもOKだと、たくさん流すといい。やっぱり投下量に比して、必ず目に入る媒体っていうのは成果が付いてきやすいんですよね。これがたとえばCMとかバスの世界です。表現そのものが媒体であるということです。

一方で、ウェブとか携帯とかは違う。自分から取りにいったり、表現でいうとバナー広告っていう、媒体とその後に来るコンテンツっていうのは違うんですよね。表現と媒体が違うので、コンテンツそのものが面白いか面白くないかで圧倒的に差が出る世界なんです。その差も、右下にツイート数とかライク数みたいなものがありますけど、可視化されてしまう、結構厳しい世界かなあということを思っています。

広告はうざいものだからこそ、おもしろく作らなきゃいけない

もうひとつの話なんですけど、このグラフご存じでしょうか。

結構古いので、あと有名なので、ご存じの方多いのではないかと思うんですけど、ご存じの方……? おひとり聡明な方が手を挙げています。これは結構古いグラフなんですが、情報の量を数値化したんですね。黄色が選択可能情報量、赤が消費可能情報量ということになっています。選択可能情報量っていうのは、Webやモバイルが主な理由で私たちの身の回りに増えた情報の量です。これは10年間で530倍上がったと。

一方で、テクノロジーも進化したので、そのなかから自分たちが「あ、これ見たな」と認知できるものがちょっとだけ増えた。33倍に増えたんですけど、この差は明らかですよね。私たちが考えるのは、このグレーの部分に入ると見たことにならないんですよ。

グリーンの小さい部分に入らないと、入ったことにならない。グレーの部分に入ったものは何かというと、ゴミなんです。緑の部分で増えているものは何かというと、FacebookとかTwitterとかLINEとか面白いブログとか……。そういう、面白くてすぐ見に行きやすいものばかりが、こっちにきてしまう。なので、頑張ってこの緑のなかに入れていかなきゃならない。

一方でグレーの部分は何かというと、ほぼ広告なんですよね。うざいもの、なのである程度「見たことがない」とか「すごい」とか、面白いものを作んなきゃいけない仕組みにあると思っています。それを作んなきゃゴミになってしまうっていうことです。

そのなかで、僕は主にWebを中心にやっていたんですけど、こういう考え方を共に共有できる人間が本社にいる連中にはほとんどいなかった。出会えなかったんですね。で、どこにいたかって言うと、ライバル会社にいました。なので、一緒に仕事ができなかったんです。その人たちといつか一緒に仕事ができたらいいね、やろうっていって、いっせーのせで辞めて(会社を)つくった。結構迷いました。電通はやっぱり離職率がかなり低いし、優秀な人たちがたくさんいる場所です。一生いられる会社だと思います。僕は頑張って中途で入って、5年かけて社員になったんですけど、その後4年で辞めました。

バナー広告づくりから始まったデザイン人生

スタートはこの5人です。左から、電通の川村は海外のエージェンシーを渡り歩き、真ん中はワイド&ケネディという海外にあるでっかい会社、右側の禿げて太った人はイメージソースっていうウェブプロダクションで、僕は電通。それぞれネットの分野ベースなんだけど、違う手法をもって何がしか当てている5人でPARTYっていう会社を作りました。

PARTYっていう名前を考えたんですけど、「パーティしようぜ」ではなくて、もうひとつの「徒党を組む」っていう意味です。才能の違う人間たちがひとつの目標に向かって、ドラクエのパーティみたいなパーティを作っていこうやっていう意味で、そういう集団という意味で「PARTY」っていう名前にしました。PARTY開始前後の仕事のリールがあるので、よろしかったらすぐ終わりますのでご覧ください。

(紹介映像流れる)

改めましてちょっと振り返ってみますと、10年前は大学生でした。12年前か。フリーのウェブデザイナーを大学の頃に掛け持ちしていて、その頃にバイトみたいな形で、通算月水金で電通から声かかって仕事を始めました。当時は広告などという代物は右も左もわからなくて、一体何をすればいいのかわからなかった。取りあえず、あてがわれたものが、バナー広告でした。

これがはじめの仕事なんですが、YAHOO!のなかにHONDAさんがタイアップして毎月いろんな記事広告を作ろうという。いろんなものをやっていて、そのなかのバナーを作っていたんですね。この右側の僕がやっていたことは、普通のバナーをちょっとしたミニゲームができるバナーに変えました。これでいうとPK合戦みたいなものができるんですけど、とうしてこんなことやったかというと、やることがなかったんです。これ以外に。なので、ずっとプログラミングしていた。

自作バナーのクリック率が300倍に

で、当時で言うと、YAHOO!のレギュレーションで30キロバイトまでしか作れないんですよね。30キロバイトっていうのは、みなさん分かるかなと思いますが、iPhoneとかで普通にパシャって写真を撮ると2.2メガとかなので、100分の1とかくらいなので、絵はすごい簡素なものにしてプログラミングで構成するのが精一杯。

こういうことした結果、たまたま運よく当たって、クリック率が激増しました。だいたい0.1%ぐらいがバナー広告の、もちろん媒体によるんですけど、クリック率の一般的な平均だと言われています。1000人に1人しか押さない。看板(バナー)は。が、いきなり33%に上がりました。どうなったんだ中村君、みたいな。君、何をしたんだってことになって、それから毎月ずっとゲームを作ることになって、僕はずっと電通でミニゲームのちっちゃいバナーを作り続ける仕事になりました。

モノによって増減はしたんですが、(それまでは)10%を越えることがなかったんですね。この記事広告を見に来た人の中で、ゲームをやって、なおかつその後、認知して飛んだ(クリックした)っていう人の数が。で、楽しくなって。これやると褒められるからこれやろうということになって、バナーばっかりたくさん作ったんです。そしたら、また、そのバナーっていうのが性に合って、結構続けて評価をいただくことができました。

ちょっといくつかサンプルをお見せします。これは縦長のスカイスクレイパーのバナーなんですけど、マウスを乗っけると、マウスカーソルが手になります。で、押すと。ノックすると返してくる。こういう、くだらないものやら。

えーこれ。小便小僧なんですけど。

スライダーを動かすと……(おしっこが飛ぶ)。しょっぱなから下品ですみません。(スライダーを最後まで動かすと、小僧の口におしっこが入る)それで、水をリサイクルしよう、ふざけんなみたいな。ありがとうございます。公共広告機構って真面目な感じがするので、ちょっと真面目じゃないのをやりたかった。

(会場笑 拍手)

あとはこれ、グリップトゥードライブって書いてあって。動かすとウィーウィーなんて遊べる。遊んでいると、携帯(ガラケー)が鳴っている。(マウスを)右下(携帯が鳴っている部分)へずらすと……。

(画面がドンと割れる)。これは運転中によそ見すると死んじゃうよ、みたいなものや……。

(画面上部に)「カモン」とかって言っているピンクの矢印があって、近づいてみるとくっついて「彼女」と書いてある。すると、くっついてくる。元彼、元カノが、どんどん出てくる。

で、エイズ検査を受けようっていう。これはラブラブだと見えなくなる、視野狭窄になっちゃうので。どんなにラブラブでも過去がどうだかわかんないので、エイズ検査を受けに行こうよっていう。そういうはい、あれです。

(会場笑)

もう一個だけかな。後はまあ企業広告もあり、商品でいうと、HONDAさんのカーナビとかやっていました。カーナビって地図をズームイン・ズームアウトできるのがいいなあと思って、普通にサイトもできたらどうなんだろう?と思って付けてみたものです。ズームインして、(文字の下のアンダーラインを)よく見ると「ミクロもマクロも」というコピーがついている。

こうやって広域に引っ張ってみると、ミクロもマクロもみたいな、まあそんなこともやってみたりしました。

クリエイティブの前に立ちはだかったレギュレーションの壁

こういうのが、性に合った。たくさん賞みたいなものをいただきました。どうしてこればっかり作ったかというと、自分一人で作れるんですね。CMでいうと予算が3千万とか4千万とかあって、大きなチームを作ってその中でやんなきゃいけなかった。一方、駆け出しの私は、自分一人で考えて、他にデザイナーと2人ぐらいのチームでアイデアを考えて、自分でプログラミングして自分ひとりで作るっていうので、非常にアウトプットに近かったというのが、良かったんです。

このときの、方程式が全部一緒なんですね。はじめに驚きがあって、何がしか驚きを提起した後に、納得に陥ると。そうすると、何か知らないけど、人は「いいものを見た」と感じるっていう方程式があります。全部これにのっとっています。

なので、こういうことが楽しくなってバナーばっかり3年間ずーっと作っていたんですよ、私は。多分みなさんは全然若い、25とかぐらいの一番ノリのいいときに、こればっかりやっていたんですね。3年間ぐらいやっていて、作るうちに世の中の動く看板、うざいものだと思うんです、バナー広告っていつまでたっても。それがもっと面白いものになればいいなあと思っていた。

こういうので評価されてアワード取って、それがお手本になって、クライアントが「中村君、作ってくれないか」とか、他の人も「ああいう中村みたいなものつくってくれないか」とか。で、そういうのに対して、媒体さんがレギュレーション変えたりして、どんどん自由になって、もっとこういうものが面白くなっていけばいいんじゃないかなということを一回本気で考えて、いろいろヤフーさんと交渉したりしたんですけど、割と、砕け散ってやめました。一切やめました。

どうしてやめたかっていうと、レギュレーションに入らないものを、各媒体と個別交渉して作っていたんですね。クライアントから声を掛けてもらうことができたんですけど、たくさん。それに対して世の中を変えられるかというと、クリエイティブの力だけじゃ変わらなかったんですね。媒体も変わらなかったし、で、ヤフーさんどんどんレギュレーションよくなっています。ですが、やっぱり、どういうふうにしたら、そういうふうに世の中のクリエイティブ自体を変えることができるのだろうっていうのが分からなくて、逆にお前アワードを取りたいからバナーを作っているだけだろうと言われ出して、空しさが募って。もう1つやめるきっかけがあります。

スラムダンクの仕事で気づいたこと - 一瞬の勝負より、深いコミュニケーションを

これが、スラムダンクという日本の有名な、とある漫画の。単行本が1億冊売れたことを記念して、個人広告を作者の井上雄彦さんが出したいっていう仕事がありました。

新聞広告です。これは朝日新聞なんですが、右上に、「一番楽しんだのは僕かもしれない」って作者のコピーがちょろっと入って、15段といわれる新聞の一面ですね、一面というかページ全部を使った感謝広告を出しました。

これは、もしかしたら世代の人もいるんじゃないかと思いますが。最終回は海南大付属っていう最強の敵チームと戦って勝つんですけど、その時の試合が終わった後の恍惚の表情みたいなのを思い出してもらえればいいな、ということで描き下ろして。6社、朝日・読売・日経・産経……全国、あと東京新聞に同時に、朝刊を出しました。

僕は、当時Web以外何もできなかったんで、なんかやりたいです、ウェブ作らせてください、て言って、URLを最後に無理くり載っけてWebを作りました。これは、今残っていないんですが、ありがとうの感謝広告に対して何かしら思い出してくれた人が、コメントが書ける掲示板みたいなものですね。

自分が観客のひとりになって、最後の瞬間にさも居合わせたかのように、ちょっとコメントを「こっちこそありがとう」みたいなことを書いて選ぶと、後ろの観客席の中に座れると。左右にスクロールすると無限にいくようなインターフェイスを作りました。

やった結果、3日間だけしかそのサイトは開いてなかったんですけど、8万くらいコメント来て。作者の井上さんは、ひとりひとりのコメントにすごい感動してくれたんです。またその「ありがとう」に対して「こっちこそありがとう」みたいなのが来て、またその「ありがとう」に対して「いやいや、こっちがありがとうなんだよ」という「ありがとう」をまた言いたかったらしくて、もう1個なんかやらないかっていう話になりました。

やったことは、神奈川県の三崎市っていうすごいはずれの場所に廃校舎がありまして、そこを借りきって、特別に当時8年前に終わったスラムダンクの最終回の10日後っていう読みきり、描き下ろしを校舎の黒板に描きました。校舎の黒板を1ページとして、各教室を回って行ってストーリーを見る。

私は校舎のいろんなとこにプロジェクション仕掛けたりとか、体育館でバスケットボールがゴールに入ると「わーっ」と歓声が鳴るとか、そういうような装置つくったんですけど、びっくりしたのは、満員御礼でたくさん人がきたんですけど、初めの教室に来た瞬間、だいたい黒板1ページを見て、ほぼ全員泣くんですよ。全員泣いていて、それを見ていた井上さんも泣いていて、さらにそれでもらい泣きで全員スタッフも泣いて。なんだこれはみたいな、どっかの宗教団体みたいなことになったんですけど、すごくそれでタッチングな感じがしたんですよね。

で、仕事の仕方が変わったということなんです。バナーの一瞬だけの勝負で一個打つんじゃなくて、人との深いコミュニケーションをつくるコンテンツっていうのを、もっと作ったほうが楽しいんじゃないか、というふうに思い直したんです。