今回のゲストは「雑草生態学」の専門家

倉貫義人氏(以下、倉貫):倉貫です。

仲山進也氏(以下、仲山):仲山です。

倉貫:『ザッソウラジオ』は、倉貫と「がくちょ」こと仲山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑談と相談の「ザッソウ」をしながら、ゆるくおしゃべりしていくPodcastです。今回のゲストは稲垣栄洋さんです。よろしくお願いします。

稲垣栄洋氏(以下、稲垣):よろしくお願いします。

倉貫:最初に稲垣さんを紹介してから始めたいなと思いますが、これは静岡大学の学術院ですか? 農学領域の教授をされていて、なんと専門が「雑草生態学」ということで、みちくさ研究家としても活動されています。がくちょ、今日は植物の雑草の話をする回ですか(笑)?

仲山:そうですね。ついにザッソウラジオに本物の雑草のゲストをお呼びできるという。

倉貫:専門家が来てしまったという。

仲山:楽しみですね。

倉貫:楽しみですね。今回の企画が立ち上がった最初のきっかけは、稲垣さんから僕に「『ザッソウ』という本を読みました」という感想のメールをいただいたんですよね。

たまに読者から感想をいただくので、「ありがとうございますね」と思って読んでいたら、僕が本の扉で引用で使わせてもらっている雑草の本を書かれた方だと、そこに書いてあって。「え? うそでしょ!?」と思ってすぐ返事をして(笑)、お話ししましょうとなったのが最初のきっかけでしたね。

異色の“ザッソウ対談”が実現するまでの経緯

仲山:稲垣さんは、倉貫さんの『ザッソウ』の本はどういう経緯で……?

稲垣:「ザッソウ」という言葉に惹かれて本を買って読みまして、「ホウレンソウからザッソウへ」という話が書いてあるんです。私はけっこう本をたくさん読むんですが、おもしろいなと思う本は実はあんまりないんですけど、倉貫さんの本はめっちゃおもしろくて。

仲山:あはは(笑)。

稲垣:すごくおもしろいなと思って、どんどん読んでしまって、扉のところに雑草のことが書いてあるんですが、最初は自分の本のことを引用しているって知らずに読んでいて。

仲山:知らなかったんですね(笑)。

稲垣:知らなくて。扉のところって、わりと斜め読みじゃないですか。

仲山:そうですね。

稲垣:「倉貫さんってけっこう雑草に詳しいよな」と思って2回目を読んで。よくよく読んで、「なんかよく見たような文章だな」と思って見たら、ぜんぜん気づかなかったんですけど、私の本の引用をしてもらっていて、すごくおもしろいなと思って。

ザッソウというと「雑な相談」とか、「雑」という言葉が僕も本当に大好きで。雑草の研究ををやっているのもあって、倉貫さんとちょっとお話ししたいなと思って、連絡を取らせてもらったのが最初です。

仲山:そうなんですね。

雑談・相談の「ザッソウ」と、植物の「雑草」がリンク

仲山:「扉」という話が出ましたが、聴いている方への前提の共有として、倉貫さんの『ザッソウ』という本は何章かありますけど、各章の全部の扉に、まさに稲垣さんの書かれた『雑草はなぜそこに生えているのか』という本の中から引用したフレーズが書いてあるんですよね。

倉貫:そうです。

稲垣:そうですね。

仲山:確かもともとは、僕と倉貫さんが天狼院書店さんというところで対談イベントをやった時に、倉貫さんが「今、『ザッソウ』がテーマの本を書いているところなんですよ」という話をしたんですね。

倉貫:そうです。

仲山:それで僕が「ザッソウといえば、最近読んだ本がおもしろくって」と言って、たまたま稲垣さんの『雑草はなぜそこに生えているのか』がおもしろかったという話をそのイベントでもして。

稲垣:ありがとうございます。

仲山:「じゃあ読んでみよう」と倉貫さんが言って、結果、扉に組み込まれるかたちに。

倉貫:そうなんですよ。読んでみたら、本当に草の雑草の話だったんですが、僕が書いている「雑談・相談」の「ザッソウ」の話とめちゃくちゃリンクするなと思って。これを、なんかうまいこと自分の本の中でリンクさせたいなと思いました。

わりと僕はいつも装丁とかにこだわりを持って作るんですけど、小説だと、章の頭に他の小説の頭を引用して入れていく、みたいなカッコいいスタイルがあるので、あんな感じで自分の本も章ごとに別の本からの引用をリンクして。

中の表現である雑談・相談に関するところと、稲垣さんの『雑草はなぜそこに生えているのか』の本の一部で、ここはかなりリンクするなというやつを選んで、差し込もうというのでやったわけですよね。

稲垣:なるほど。すごくカッコよく差し込んでいただいて、なんなら白抜きの文字とかだったじゃないですか(笑)。

倉貫:そうです。あそこはちょっとデザインにこだわってカッコ良くしたんですね。

稲垣:ぜんぜん私が書いた本とは(違って)すごくおしゃれな感じになっていたので、気づかなかったのも無理がないというか(笑)。

倉貫:いえいえ。

雑=なんでもアリ

稲垣:でも、すごくリンクするというのはおもしろいですよね。私も倉貫さんの本を読んでいて、これが本当に雑草の世界と同じで。たまたま言葉が雑な相談の「ザッソウ」と、いわゆる「雑草」と同じだったということなのかもしれないんですが、中身もすごく同じで本当にびっくりしたんです。

倉貫:いや、そうなんですよ。昨日もちょうどザッソウに関する企業向けの講演というかおしゃべり会があって、そこでしゃべってきて。

これはがくちょと話している時にいつも出る質問・相談ですが、「雑談になると、雑談が苦手な人はどうしますか?」「雑談ってプライベートのことをしゃべらなきゃいけないのでちょっと恥ずかしいんですけど」みたいな話があって。

「いやいや。『雑』という言葉は『何でもアリ』という意味なので、仕事の話でも会社のことでも話していいんですよ」「あ、そうなったら雑談ってしやすくなりますね」という話をしていたんです。

今、僕は「『雑』っていう言葉には何でも入るという意味なんです」と偉そうに言いましたけど、これは稲垣先生の本に書いてあったことなんですよね(笑)。

稲垣:そうですね。雑草と言うと、すごく悪い草という意味はもちろんあるんですけど、「雑」という文字だけで考えると、「雑誌」「雑学」「中国雑技団」とか。

倉貫:雑技団ね。

稲垣:決して別に悪い技じゃないですよね。たぶん雑草も、日本語の意味としては「すごく多種多様な」という意味で、やはり「雑」という部分は大事なのかなって思います。いろんな言葉があるけどね。

仲山:というところが、倉貫さんの本の1章の扉に引用されている内容ですものね。

倉貫:そうそう、本当にそうなんですよ。「これだ!」って思いましたよ(笑)。

(一同笑)

仲山:「雑」の師匠。

デジタルは「ゼロイチにならない部分」が抜け落ちる

稲垣:(雑とは)「その他大勢」みたいな感じなんですよね。例えば「イエス」か「ノー」かという時にも、実はイエスでもノーでもない「その他大勢」だったりとか。あと、「ここは大事だよな」という時に、今はそれ以外のものを削ぎ落としていってしまうんですけど、削ぎ落とされるところが実は「雑」だったりして。

私は雑草の立場でもないんですが(笑)、「雑」というのを大事にすると、またぜんぜん違った見え方がするのかなと思いますよね。倉貫さんの本にもそんなことが書かれていたので。

倉貫:僕はITの会社をやっているので、コンピュータを扱うんですよね。コンピュータの世界って、今は「DX」とか「デジタル」って言うじゃないですか。デジタルってどういう意味かというと、0か1かを表しているものを「デジタル」と言っているんですね。

コンピュータの世界は曖昧なことを許さないので、機械は0か1か。いろんなコンピュータも、分解するとゼロイチだけで全部表現できるということなんですが、デジタルにすると何が起きるのかというと、0と1の間が落ちちゃうんですね。

稲垣:なるほど。

倉貫:デジタルの反対は「アナログ」で、アナログは「古い」という意味じゃなくて、0.0035とか0.5217なんちゃらって、数字にできない途中の状態がある。つまり、数字にならないものを扱うのがアナログで、数字にできるものがデジタル。

僕らはコンピュータの会社なんだけど、そのグレーな部分というか、ゼロイチにならない部分をめちゃくちゃ大事にしている会社なんですね。でも、「雑」ってそこなんだよなと思っていて。

「雑」という言葉の許容範囲の広さ

倉貫:0か1かにしていろいろ削ぎ落としちゃうと、雑な部分が全部拾えなくなる。だから僕は、そこにシンパシーも感じているんだよなと思っていて。

今の世の中、デジタル化、デジタル化されていく中で、削ぎ落とされてしまうものを削ぎ落とさないための言葉って何なのかなといった時に、「雑」ってめちゃくちゃ許容量があるなというか(笑)。

稲垣:そうなんですよね。「その他すべて」みたいなところがありますね。

倉貫:そうそう。「その他すべて」という、めちゃくちゃ許容量がある言葉だなと思って。

仲山:それこそソニックガーデンは「全員リモートワークです」という働き方ですが、でもリアルで合宿をするのを大事にしているのが「雑」に当たりますよね。

倉貫:そうなんですよ。優柔不断なだけなんですが、あんましバッチリ決め切らないというか、決めすぎないでいてもよいという。

稲垣:すごいですね。とりあえず「雑」を捨てないで、「雑」というカテゴリーに置いておくのがいいということですよね。

仲山:アリですよね。

倉貫:そうですね。

海外と日本では異なる「雑草」の概念

稲垣:雑草って、アメリカや海外で言う「雑草」と日本語の「雑草」ってぜんぜん意味が違っていて。英語では「weed」と言って、これは完全に「悪い草」という意味で、向こうはやはり良いことと悪いことが完全に分かれるんです。

倉貫:なるほど。

稲垣:日本人の植物の分け方って、食べられるものは「菜っ葉」とか「菜」って全部言うとか、飲めるものは「お茶」「甘茶」とかもありますが、そういう感じで利用方法でカテゴリーをその昔は分けていて、それ以外のものは全部「雑草」みたいな。

だから日本語の「雑草」って、「その他たくさんの草」みたいな意味合いでできているんですよね。雑草なんだけど、例えばヨモギは草餅に使って利用してみたり、でも悪い草として抜いてみたり。なんでもアリみたいなところが、「雑草」という言葉のおもしろいところでもありますよね。

倉貫:分類し切れないものを「雑草」に入れちゃうんですよね。

稲垣:そうですね。

仲山:逆に、植物の中から食べられるものや飲めるものを分類して、残ったものという感じですよね。

稲垣:そうですね。「残ったもの」という。

仲山:最初が「雑」スタートですよね。

稲垣:そうですね(笑)。雑草もそういうところがありますね。

倉貫:おもしろいな。

「雑」という言葉が多様性を維持している

稲垣:英語だと、いい草・悪い草が先に決まっちゃうんですね。

稲垣:そうですね。どっちかのカテゴリーに分けるんですよね。

倉貫:そうすると、「もしかしたらこれは食べられたかも」みたいなやつが悪い草として最初にみなされたら、一生悪い草になってしまう感じがあるから、けっこう救いがない感じがあります。

稲垣:(笑)。そうですね。もうレッテルが貼られてしまいますからね。

倉貫:そうですよね。「雑」だと「まあまあ、いてみようか」「これ、もしかしたらいつか薬になるかもしれない」みたいな。

稲垣:そうなんですよ。だから、最近流行りの言葉で言えば「多様性」ですよね。「雑」という言葉によって、その中で多様性が維持されているんですよね。

倉貫:なるほど。欧米が10年ぐらい前から「ダイバーシティ」とずっと言い続けているけど、わりと日本の雑草の文化だと、「元から多様だな」みたいなところはけっこうあるのかもしれないですね。

稲垣:そうですよね。私は今こんな話をしていますけど、学問としてというか、科学として雑草を研究する時は、西洋と同じように「これは悪い草」というカテゴリーにして研究はされているんです。

日本で雑草が研究されるようになった明治時代ぐらいに、西洋からそういう考え方が入ってきたんですが、「害のある草だから『害草学』にしたほうがいいんじゃないか?」というような政府からの指導がけっこうあったらしいんです。

その時、研究者たちが「いや、これは雑草だから。害草ではない」って言い切ったらしいんですよね。だから雑草学って、学問としてはあまり科学的ではない言葉を使っているんです。

仲山:確かに。

稲垣:雑草学という「雑」は、過去の先輩たち、研究者たちが守ってきた言葉なんです。