いま人間は“非常に謙虚”になっている

神保謙氏(以下、神保):次にご紹介させていただきますのは、武蔵野大学客員教授で元外務大臣、そして環境大臣をお務めになられた、川口順子さんです。川口さんはビジネスの世界と、そして政治の世界のご両面でご活躍されて、グローバルな感染症対策でもさまざまなお仕事をされてきたということだと思います。川口さんから見てこのコロナ、グローバルパンデミックの問題、どのように捉えてらっしゃるか。まずはお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

川口順子氏(以下、川口):ありがとうございます、川口順子です。よろしくお願いをいたします。3番目ともなるとだいたい、申し上げる新しいことがなくなってしまっておりまして(笑)。国際政治でも今、神保先生がおっしゃられたとおりということだと思います。

今回、人間という目で見ますと、先ほど安宅(和人)さんの図で、質量って人間9パーセントというのがございましたけれども。その9パーセントの人間が、ごく最近まで「世の中は人間がコントロールできる」と、ほとんどの人が思っていた。でもそれが、そうじゃなかった。人間の制御できない外部の力があるんだということを、一人ひとりが認識をして、非常に謙虚になったというのが今の状況じゃないかなと思います。

同時にもう1つ認識したことが、世界というのはつながっている。孤立はできない、ということだと思うんです。当たり前のことなんですけれども、それをやっぱり今、本当に心の奥深くで理解をし、感じているというのが今の状況だろうと。

国際政治面で今、神保先生がおっしゃいましたように、いろいろな対立が……とくにアメリカと中国の間ではあった。今度のコロナというのは、それを加速したということだと私も思っております。

ただ、じゃあ世の中は今後どうなっていくのか、ということなんですけれども。世の中はアメリカと中国の2国でできているわけではない。国際社会には日本もありますしEUもありますし、それから多くの途上国も存在をしているわけで。米中がコントロールできるということでもありませんし、ましてや中国が今までのアメリカのように、スーパーナンバーワンとして世界をコントロールできるわけでもない。

国際社会が抱える2つの問題点

川口:それからさらにもう1つ。誰が考えてもここまで、先ほど神保先生が総括なさった戦後75年の発展の中で、経済的な自由化・国際協調というのが非常に進んできていて。相互依存関係が日本とほかの国の間でも、米中の間でも非常にあるわけでして。これを無視して、対立だけで進んでいくことはできないだろう。この2つの要素が、私は非常に大きい要素だと思います。

実は今、感染症も含めて国際教育が本当に必要なときに、人間が「地球はつながっているんだ」ということを認識しているときに、国際社会がそのように動いていないというのは非常に残念なことなんですけれども。

将来的には2つ問題があって、米中は多くの国の間のトップ2であることには違いないと思いますけれども、枠組みとしてはほかの国も入れたマルチのシステム、マルチの意思決定ができるような国際社会をつくっていかなければいけない。それが今、どのような方向でそれをつくることができるかという、見通しがなかなか難しいことが1つの大きな問題で。

もう1つの大きな問題は、マスで見れば途上国と呼ばれている新興国も含めて、インド、中国、ロシア、その他、そういった国々の力が大きくなっていくことは間違いがないわけですけれども。per capita、1人当たりの所得で見るとまだまだそういった国は、これから20年ぐらい経ったとしても、2050年に至ったとしても、まだまだ今のG7に満たない国がほとんど。

そういう状況で、先ほどの人間の安全保障の話にも波及しますけれども、そういった世界にある貧困とか難民の問題とか、さまざまなSDGsに出てくるような問題を、いったい誰が解決していくのか。技術的にも、あるいは意欲としても、それを引っ張り出せるか。ちょっと悲観的になりますけども、その2つが将来の大きな問題だと私は思っていて、この2つは実は密接に関係しているということだろうと思います。

神保:川口さん、ありがとうございました。ぜひ次のラウンドでも戦後の歴史を振り返りながら、課題がどう変化してきたのかということも、引き続き伺っていきたいと思います。

コロナが核廃絶に与えた影響

神保:最初のラウンドの最後の紹介となりますけれども、湯崎英彦広島県知事でございます。湯崎知事、日々この感染症対策、広島県の医療体制の問題に取り組まれておられると思いますし、つい先日は記念式典が行われて、湯崎知事もいろいろなかたちでご発言を広められてきたと思いますけれども。

今年はやはり特別な背景で、75年という節目の年にもかかわらず、多くの人々が広島に訪れてその場を共有することができないという事態にもなってしまいました。湯崎さんにとりまして、このコロナの問題と広島県が直面している課題、そして世界の核廃絶や不拡散といった問題に与えている影響を、今どのように捉えていらっしゃいますでしょうか。

湯崎英彦氏(以下、湯崎):ありがとうございます。まずパネリストのみなさま、神保先生を含めて、本当にお忙しいところご参加ありがとうございます。私と関わってしまったばかりに、この3連休の貴重な時間をこうやっていただいてしまいまして(笑)。大変申し訳なく思っております。

それで、このコロナが与える影響なんですけども。核廃絶という観点から言うと、直接的に言うと本当にいろんなことがあって、NPTは延期になりますし、それこそ式典もこういうかたちになってしまって。我々は広島も長崎も、この機会に非常に大きなメッセージ、強いメッセージを出していこうと準備もしてきていたんですけれども、それがかなり限定的になってしまったというようなこともありますし。

今の国際協調の問題というのが、そもそもあったポピュリズムだとかいうようなところから、本来は協力しなければいけないコロナの問題において、非常に国際的な分断を生んでいるような状況。これがおそらく安全保障の機能にも影響していくだろうというような、現実に米中の関係ではそうなりつつあるわけですけれども。そういった直接的な影響が、多々あると思います。

他方で、もうちょっと長い目で見たときに、コロナの意味。パンデミックというのがこれまで人類史上、数多く起きてさまざまな影響を与えてきたということはあるわけですが。私は今回のコロナというのは、今、我々が進んでいる人類社会、この方向をこのまま続けていく上で何をするべきかというのを、一旦止まって考えるというかですね。本当に必要なものを考える機会をつくっているんじゃないかな、とも感じるんですね。

そもそもで言えば、人類の発展の歴史というか、経済的にも技術的にもそうなんですけれども。ある意味で言うと、共同脳をどんどん大きくしていって、それが大きくなれば大きくなるほど発展の速度が加速していく、ということだったんだと思うんですね。

とくにこの戦後75年というのは、その共同脳の拡大のスピード、あるいは経済的な拡大のスピード。これが例えば飛行機であるとか、あるいはとくに最近だとインターネットを含めて、非常に密に共有されるようになり。グローバル化も、従来はグローバル化って欧米と中国とかっていうような話だったのが、今やアフリカから中南米から東南アジアから、すべてが参入する。それだけ共同脳が大きくなって、発展のスピードが速くなっている。そういう戦後の歴史だったんじゃないかと思うんですが。

それがどんどん進んでいったときに、やっぱりこのコロナがある。この問題にどういう対処していくかというときに、これまでそういう大きな流れの中で我々は、とくに第一次世界大戦前後ぐらいから、ネーションステートというのを作って、そこで問題に対応してきて。それのぶつかり合いがそれこそ第一次世界大戦だったり、第二次世界大戦だったと思うんですね。

で、今もまだネーションステートの時代なんですけども、ただ本当の意味でこれだけグローバル化していくと、ネーションステートの役割というのがこのままでいいのか、ということですよね。グローバル化が進んでいくと、従来は国と国がいろいろ議論していろんな枠組みをつくってきたんですけども、実際に人間の活動が自由で、国とか関係なく海外の人とつながるし、ビジネスも行うし。

そういう意味ではどんどん国という単位から、個人とか事業者という単位に小さく還元をされていて。で、それが主体となって活動していくという社会が、どんどん進んできてたわけですけれども。そこにネーションステートというのが、十分に対応できてないんじゃないかと。

人類が“歩み続けるため”に必要なことは?

湯崎:そこでこのコロナの問題が起きて、このまま我々がグローバル化を進めるというようなこと、あるいは共同脳をどんどん大きくしていく、これを進める上でどんなことが必要なのかというのを考えさせるような。そういうことになってるんじゃないかと思うんですね。

人類の歴史からいうと、この流れが私は止まるとは思わないんですよ。100年、200年経って振り返ったときに「あそこで人類の進化・進歩が止まりましたね」っていうことは、ホモサピエンスの7万年というのか、あるいはもっと長い歴史というのかわかりませんけども、その中でずっと進んできたことなので。それが止まるとは思えないんですね。

ということはやはり、我々がここで、我々の世代なりあるいは次の世代で、停滞ではなくさらに歩み続けるということをするために、なにが本当に必要なのか。小林(喜光)さんのお話(同日に行われた基調講演)の中で、ネーションステートとグローバライゼーションとデモクラシーっていう、3つの緊張関係というお話をされてましたけども。

やっぱりネーションステートというのは本来、国民、つまりデモクラシー、国民があってステートがあるんですけど。それが過去70年とか、あるいはそのちょっと前。75年とかちょっと前ぐらいは、それがやや逆転していてですね。「御国のためにあなたは何ができるんですか」というようなプレゼンテーションがけっこう強かったんですけど。

それがもう1回、国民のため、人のために、個人のために、あるいは一企業・事業者のために、国が何ができるんですかと。それは、このグローバル化されたコンテクストの中で「何ができるんですか」。もっと幸せになって発展するためにですね。

そういう関係で、もともとやっぱり我々はデモクラシーなんですから、国民がネーションステート、国をもっとコントロールしていくことが必要で。それが今また改めて認識をされてるんじゃないかな、とも思いますし。その国民が、つまり個人がコントロールしている国が協力をして、どうグローバルレベルでの人間の幸せだとか、企業活動だとかを保証したり後押ししたりすることができるのか。

ある意味で言うと、新しいシステムをつくっていかなきゃいけない。そういうようなきっかけになっているんじゃないかな、と感じています。

神保:湯崎知事、ありがとうございました。4人のお話を冒頭に伺って、いろいろ感じていることがあるんですけれども。安宅さんの最初の発言の中で、人類史というのは常に感染症との闘いの歴史でもあって、Withコロナということを前提に社会を組み替えていくという話があったというのは、その通りだと思うんですけれども。

同時に人類の歴史って、環境を制御してきた歴史ではないかとも思うんですよね。環境要因というものが、人類史の中でやはり常に脅威にさらされてきたものを、どういう制御しながら近代化を図っていくのかということがあって。それがやっぱり今日、その前提でいいのかということを考え直さなきゃいけない時期である。

と同時に、湯崎知事の話を伺うと、国家もまた国境を下げてグローバルしていこうとしてきた、長い歴史の中にあったんじゃないかと思ったんですけれども。川口さんのお話を伺っても、これだけ世界に、人類史の中でも珍しく共有した課題を共有しているにも関わらず、国際協調がなかなか生まれず、再び国家の枠組みの中に戻っていくような動きさえ起きていくと。

これはなぜなんだろうかということも含めて、今日の「歴史的な立ち位置をどう評価するのか」というのは、じっくり考えなきゃいけないテーマかなと思いました。

この75年間で、平和の概念はどう変化した?

神保:で、2つ目の話題にこの流れで移っていきたいんですけれども。若干、時間が押し気味になっているんですけれども、事務局から議論してほしいと言われたテーマはとてつもなく壮大なテーマです(笑)。

この75年を振り返って、ということで。まず最初に、湯崎知事に引き続きお伺いしたいと思うんですけれども。75年の平和という概念が、どういうふうに変化したのか。広島は世界史においてもやっぱり重要な意味を持っていて、そして数年前はオバマ大統領も広島に訪問して、そして人類史的な意味でこの広島を位置付けていくことが大事なんだという、強いメッセージを発せられたと思います。

ただし広島がこれまで世界に発してきたメッセージとか、核兵器とか核軍縮が現在の世界の安全保障の中でどういう位置づけをすべきかというのは、やはり時代の変遷というのがあるんだと思いまして。湯崎知事から見て戦後75年の平和と、そしてこの広島が発してくるメッセージが、どういうふうに変化してきたと考えられるのか。そのあたり、いかがでございましょうか。

湯崎:やはり先ほどの話と関わってくるんですけれども。核兵器というのはそもそも、やはり国と国との安全保障。このためにできたものですね。例えば原水爆に反対する動きの中で、原水禁とか原水協とか「いやソ連のはいいんだ」「いやいや……」とかいう議論になったりしたのも、そういう国家と国家の対立の中での核兵器というものがあった。その議論がずっと続いてきたわけだと思うんですね。

もちろん今も、そういう枠組みの中にあるわけですけれども。しかしながら今回のパンデミックでもそうですし、環境問題、温暖化の問題でもそうなんですけども、実はやはり個々人の問題であると。個々人に還元される問題であるということが非常に強く、いろんなグローバルな課題がそういうものであるということに、認識が変わっていっているんじゃないかなと思います。

で、核兵器についても今、TPNWですね。核兵器禁止条約。これのベースになっているのは、やはり核兵器の人道的問題ということでありまして。これはすなわち、国家の問題ではなくて個々人の問題であると、この問題を捉え直しているわけですね。

そういう流れがあって、まさに核兵器もグローバル・ウォーミングとかと同じで、核兵器が使われたら国家の消滅の前に、やはり人間が大きく影響を受けるわけですね。これは単に爆発があった箇所、直接的な放射能を浴びるとかいうところを越えて、核の冬だとか、あるいはそれを契機とする飢饉であるとかですね。そういったことを通じて、本当に人間の生命に、あるいは人間の生存に影響を及ぼしていく。

国家の前に人の生存。直接受ける人はもちろんそうなんですけど、それ以外の人も含めて脅威を与えているという。そういうことだと思います。

で、そういう捉えられ方がやっぱり変化をしてきていて、そこでまたこのパンデミックもあってですね。先ほども申し上げたようなこういった問題も含めて、どう解決を図っていくのかというのが、単に国家対国家の利害の問題として処理していくような今のシステムでは、処理しきれなくなっているんじゃないかと。

これは経済もそうだと思うんですね。経済の問題も、今や本当にどこでも経済活動しちゃうわけで。単に国境を前提として国家と国家の間でどういうふうに問題を解決していくのかというのでは、解決しないようなことになっているという。そういう文脈の中で、新しいシステムを考えていかなきゃいけない状況になっているんじゃないかなと。

神保:湯崎知事、ありがとうございます。

人間の安全保障にある、2つの流れ

神保:続いて川口さんにぜひ、お話を伺っていきたいと思うんですけれども。川口さんも外務大臣時代に、人間の安全保障という概念を大変大事にされてこられて。そして世界の紛争の現場や、平和構築の現場でもいろいろお仕事をされてきたと思っております。

で、川口さんから見てこの戦後を振り返ってですね、人間の安全保障という概念が重要になってきたという背景とか。あるいはこの会議全体では、経済人の役割ということが大きなテーマになってるんですけれども、平和と経済、ビジネス界とか経済の役わりといった観点について、お考えになっていることがあればぜひ、お伺いしたいと思います。いかがでございましょうか。

川口:ありがとうございます。幅の広い問題なんですけれども、私は先ほど湯崎知事のおっしゃったネーションステートの時代からずっと、今までの歴史の流れの上では、平和あるいはその対極にある紛争というのは、国家によって与えられるもの、あるいは国家によって維持されるものであったと。

それが違ってきた。極端な言い方をしますと、国家が相対化されてきている。平和構築において国家が相対化されてきつつある、というのが今に至る流れなんだろうと。それはなぜかというと、これも人間の安全保障が関係してくるんですけれども、冷戦が終わって国家のタガがゆるんで、地域紛争とか国内での紛争、そういうことが非常に出てきて。その結果として国内的な難民とかいろいろ出てきて、問題があり貧困があり、それから地球環境にも問題が大きくなって。

そういうことに対して、じゃあ誰が対応するのか。ここで出てきたのが、私は人間の安全保障であると思うんですけれども。人間の安全保障、実は2つの流れがあって。日本ではどっちかといえば能力増強的な、貧困とか飢餓からの自由という意味で「欠乏」をメインに焦点を当てているわけですけども。で、日本の外交の大きな柱になっているわけですけれども。

逆にカナダは、人間の安全保障の枠内で「恐怖」からの自由。例えばユーゴで行われたような大量虐殺、ルワンダでもそうですけれども。そういうことに対して座視していていいかということで、人道的な介入という一連の流れが出てきている。

日本は憲法の制約がありますから能力増強といいますか、欠乏からの自由という観点のところから人間の安全保障に入っていったということで。90年代の終わりぐらい、小渕(恵三)さんのころから非常に大事な外交の柱で。日本の外交を何で特徴づけるかというと、そういう面であったというのは必然であったと。

格好つけて言えば、日本の憲法の前文でそういう平和的な生存権みたいなものが書いてあるとか。そういうふうに格好はつけられますけども。日本としては、そういうことを外交の柱として選んできたということだと思うんですが。

人間の安全保障が要求しているのも、さっき平和構築の中において国家の相対化だと言いましたけれども、まさにその国家を補完するもの。国家を相対化するものであると思うんですね。そういう意味で担い手というのは、国だけ、あるいは軍隊だけではなくて、企業もそうですしNGOもそうですし、普通の市民もそうですし。そういう人たちが、人間の安全保障に対応するために出てきたということなんじゃないかなと思って。

この流れは、私はこれからずっと強い流れになっていくと。とくに地方自治体も同じく、これから大きな役割を果たすことになると私は思います。国家が財政的に非常に難しくなっていく、このコロナの件でもそうなりますから、そのあとじゃあどうするのかということで「みんなが担わなければいけない」というのが公の秩序。「公」というのは国だけがやるものではない、ということが考え方として広まってきていると私は思っています。

そういう意味でさっき湯崎知事のおっしゃったこと、実は私は反対のことを考えていて。今こそ「我々は何ができるか」ということが問われる時代であると思います。

神保:ありがとうございます。私も川口大臣が外務大臣だったころのことを思い出すと、ちょうど国連のPKOをめぐる議論が変化してきて。単なる平和維持で、軍が入っていって兵力を引き離すといった機能だけではダメだと。もしそのPKOがいなくなったら、再び紛争が始まってしまうようなことがたくさんあったので。

ちょうどブラヒミ・レポートなんていうのが出たころですけれども。平和維持と平和構築というのはやはり、手と手を取り合って進めていかなければいけないと。なぜかというと、平和構築というまさに制度作りをしたり、民間企業が入ったり、発展の基礎を作ったりする作業こそが、平和維持という任務を終わらせるんだという。こういう概念をつくって、裾野の長い平和の概念をつくっていこうということが、世界の議論になった時期だと思います。

川口さんがおっしゃるとおり、そこで平和構築を担うのは単に軍の人たちという意味ではなくて。実は個々の人々が平和に関わっていくということが大変重要になったというのが、2000年以降の大きな流れだったのではないかと、私自身も考えているところでございます。