“ネット屋がやる○○事業”と“○○屋がやるネット事業”の違い

山口周氏(以下、山口):じゃあ川邊さん。(ヤフーがスタートしてから)20数年経って、新しいテクノロジー、あるいは先ほどのZOZOの話でもあったように、この先のフェーズの業界のことをどうご覧になられているのか。

川邊健太郎氏(以下、川邊):IT業界と言うとちょっと広すぎるので、ネット業界、あるいはデジタルのネット業界と捉えて、僕は話します。

2つあって、最後はそれは1つになるということだと思います。何かというと、例えばフィンテックをみなさん頭に思い浮かべていただこうと思います。“ネット屋がやる金融事業”と、“金融屋がやるネット事業”は、似て非なるものなんですね。

もともとは“金融屋”しかなかったんです。インターネットが現れてから、“ネット屋がやる金融事業”が出てきました。少なくとも証券とかに関しては、ものすごく大きくなりました。

今は金融屋がやるネット事業と、ネット屋がやる金融事業が伯仲している感じなんだと思います。僕はネット業界にいるから、バイアスがかかった意見だという前提で聞いてもらえればと思います。全業界が“ほにゃらら屋がやるネット事業”というのが出てくることになります。

今までネット産業がネットをやっていただけなんですけど、全業界がネット対応とかネットを取り込んで何かするということをやり始めています。なので、みなさんの道は2つ。“ネット屋がやるほにゃらら事業”を起業、あるいはその会社に入って何かするか、“ほにゃらら屋”に入るか。

そのほにゃらら屋がネット屋に勝つためには、ここで経営者が気合いを入れて「ネット屋に変わっちゃおう」と決断して、そういう人材をどんどん取り入れる。あるいはデジタルかアナログかという判断がきた時には、デジタルを取ろう。今の利益か未来の利益かと判断を迫られた場合は、一旦しゃがんででも未来の利益を取ろう。

こうやって決断できる経営者がいれば、既存の会社もネット屋に変われると思っています。

守安功氏(以下、守安):これはすごく重要だと思います。“ネット屋がやるほにゃらら”と“ほにゃらら屋がやるネット”、何が違うかですね。

同じように聞こえるかもしれないですけど、まず価値観が違うんですよね。われわれもいろいろ苦労してますけど、川邊さんとは考え方、思考法自体がまったく違いますよ。ほにゃらら屋のみなさんと話すと、同じ言語でしゃべれないことがあるんです。そこはかなり違いますね。

川邊:違います。しかもそれがなんなのかを説明するのは難しいですよね。だけど、この業界において自分でサービスを作ったり、作るまでではなくても、それを作っている人たちの中心にいる人とちゃんと交流することによって、ネット屋の感覚がわかってきます。この“ネット屋の感覚”が、ますます重要になってくる。

インターネット企業がうまくいく理由は、課題に対して“ピュア”に本質を突いているから

舛田淳氏(以下、舛田):私もネット屋なのでバイアスがかかった話として聞いていただきたいですし、ご不満に思う方もいらっしゃるかもしれません。けど、ネット屋の方がより本質的だと思うんです。

川邊:摩擦がない。

舛田:そうです。逆に言えば、ほにゃらら屋のみなさんがいろんなことを背負いすぎている。何かを考えるときに背負いすぎてるので、ネット屋のほうが短絡的というのか、未来に賭けてるというのか、だいたい2択にしちゃいます。やるかやらないかぐらいな。やるのであれば、他のことは全部落としてでも関係がない。なんなら今までのプロセスも関係がない。

川邊:伝えるのがすごく難しいですね、Uberがわかりやすい。“レンタカー屋がやるUber事業”と、“UberがやるUber事業”だと、全然違うと思うんですよね。たぶん、レンタカー屋がやろうとすると、全国網をどう作るかという視点から考えてないといけない。「車ってさ」みたいなところから入っちゃうんですけど、聞いたところによると、Uberは世界中の車の稼働率しか見てなかったんです。

世界中の車の稼働率というのは、3割なんですよね。7割が動いてないんですよ。「この稼働率はもったいないじゃん」「これをネットの力で合理化すれば、とんでもない社会的な合理性が生まれるじゃん」という、この本質だけでUberはやろうとした。

舛田:課題に対してピュアかもしれないですね。

川邊:無邪気というかね。摩擦がとにかく少ないので、ズバッと本質でやろうとする。そこに引っかかる摩擦は、変えるべきだと思っているということ。

守安:ほにゃらら屋が中途半端にネットをやろうとしても、うまくいかない。ネット屋とほにゃらら屋ががっつり組んで事業をやるというのも、1つの解になりうる。ネットから見た場合も、既存のアセットというのはやっぱり有効に見えることもあるんですね。

どんな事業をやるかにもよりますけど、ほにゃらら屋さんが持ってるアセットというのがどれだけ大きいのかで、それが覆せそうなところはネット屋だけで入っていくこともあれば、組んでやることもある。

川邊:まったくおっしゃる通りです。そうやってたぶん、任天堂を口説かれたんだろうなと、ちょっと今推察しました。

(会場笑)

だからメガバンクというのは凄まじいので、本当はメガバンクがネット屋になっちゃうのが1番すごいことなんだと思っています。そうだとわれわれほぼ太刀打ちできなくなっちゃう。

守安:できないですね。

この20数年を見ても、アクセル全開にできる会社が勝ってきた

山口:ただ、過去の歴史を見ると、たいていの既存事業のがんばりが大きな問題になっちゃうんです。例えば日本で検索エンジンサービスを最初に始めた会社って、ヤフーじゃなくてNTTなんですね。NTTさんが始めて、評価はなかなか微妙なところがありました。結果的には、検索エンジンの世界でのプレゼンスは発揮できなかった。

eコマースにしても、本屋さんとかいろんな流通が手を出したは手を出したんですけども、やりすぎると犠牲を払うということで、どうしてもなかなかアクセルは踏めない。結局はこちら側(ネット屋)でアクセル全開にしている人と戦えば、これは敵わないですよね。

ですから、リアルとネットが融合する、あるいは「ほにゃらら屋がネット業を始める」となった時の、政治的な難しさやガバナンスの難しさって、おそらくこの中にいる人たちで感じたことがある方もいらっしゃると思います。

ピュアに勤しんでアクセルを全開にできるところと、いろんなしがらみの調整をやりながら微妙にアクセルコントロールしてるところだと、論理的に当たり前な結論で、大概のケースは(ほにゃらら屋が)勝てない。それは外から僕が見ていても、過去20年ぐらいの歴史が証明しているかなという気がしますね。

じゃあ、次の質問に行きたいと思います。モノづくり、サービスプロダクトということだと思います。「経営者としてのモノづくりの考え方」についておうかがいしたいです。じゃあ今度はファーストバッターで、舛田さんからいきましょうか。

舛田:私は経営者でもあるんですけど、いまだにサービスを作ったり、事業を作ったりします。これもさっき話してたことと繋がるんです。本質的かどうか、ある種ピュアかどうか、よく自分にも問いかけるんですよね。

例えば、いろんなものを合理的に積んでいって、いろんなリサーチをしたり、いろんなフィジビリティとかをするんです。ただそれをやりすぎると、いろんなものを積みすぎてる時があるんですね。いろんなサンクコストみたいなことを気にするとか、それこそネットサービスも長くやってると、ネットサービス内でのカニバリみたいなものがあるんです。

モノづくりの羅針盤になるのは「ユーザーニーズ」

舛田:「今できてる企画自体は、ある種合理的です」となった時に、1回疑ってみます。本当にこれがピュアに、課題なりニーズに対して叶えられているかどうか。自分の中でもチームの中でも行ったり来たりさせます。「無邪気に言うと、これってどうなんだっけ?」「極論するとこれどうなんだっけ?」みたいな。私の中でのマジックワードを使って、それを検証します。

山口:マジックワーク?

舛田:マジックワードですね。「極論すると」とか「無邪気に言うと」みたいなことを敢えて言うんです。それこそ、さっき企業の考え方みたいな話がありましたが、LINEグループはユーザーニーズがほぼすべてなんですね。商業的であるとか、テクノロジードリブンであるよりは、「ユーザーニーズにそれが適うかどうかだけを考えてモノを作りましょう」というもので、実はいくつかの反省に立ってます。

一時期は、みんな大好き、私も大好きなGoogle。すべてに対して“Googleライク”であろうとしていたんですよね。モノの作り方とか、「エンジニアがいて、そこからプロダクトアウトで出てくるのがいいな」と思っていた時代もあったんです。その時に、うちのCWO(Chief WOW Officer)の慎(ジュンホ)が取締役にいて、彼は「いや違うよ」と。「実はこれ、ユーザーニーズだ」と言われたんですね。

実は私、前職がバイドゥ(百度)という中国の検索サービスの会社なんです。バイドゥの創業者のロビン・リーも同じことを言ってます。テクノロジードリブンである必要はない。ビジネスドリブン、レベニュードリブンである必要もない。「すべてはユーザーニーズが羅針盤なんだ」と。

2人ともパートナーですし、尊敬する人たちとして、かなり厳格にそのルールを持っていたので、私としても同じことをコアに持って大事にしています。

山口:今、ピュアにというのが、非常に言葉として抽象度が高いです。僕の理解度だと、「ピュアに判断する」という時に、テクノロジーがすごいとか、金がめっちゃ儲かりそうとか、いろいろなノイズが入ってきて濁る。本当に純粋に顧客、つまり世の中の人たちのなんらかの課題解決になっているかどうかに対して、純粋に向き合えてるかどうかという意味でのピュア?

舛田:そうですね。あとは触った時に、「おっ、すごっ」とユーザーが体験として驚いてくれるかとか、いいと思ってくれるかとか。そういうのを大事にしようと思っています。

作ったモノでニーズの手応えを持てるかどうか

山口:なるほど。ありがとうございます。じゃあ次、守安さん。思いはありますか?

守安:モノづくり。事業の作り方全般だと思うんですけども、まずゼロイチとかインキュベーションのフェーズと、そのあとのグロースのフェーズで、やっぱり考えはだいぶ違うというか、変えるんだと思っています。ゼロイチとかインキュベーションのフェーズは、とにかく少数精鋭でモノを作る。

ユーザーさんに出してみて、反応がどうかというところまで見たい。本当にいいモノができているんですかというところまでは、あまりチームをデカくしないで、少人数かつ熱狂したチームでどういいモノを作れるんですか、と。

これが本当に受け入れられてグロースするとなったら、マーケティングだったり、営業だったり、分析だったり、いろんなファンクションを投入して総力戦でガーッと伸ばしていくことになります。そのあたりのゼロイチのところで、舛田さんがおっしゃったユーザーニーズが、作ったモノで「これはいけるな」という手応えをちゃんと持てるかどうかというのは非常に重要だな、と。

山口:なるほど。これは個人的な興味があって、おうかがいします。舛田さんがおっしゃられた、ユーザーニーズとかユーザーの課題解決というところと、一方でゲームって必ずしも課題解決じゃないわけじゃないですか。しかもスマートフォンになると、プログラムにコードを書くのとか、ものすごく手数がかかるようになって、インベストメントもデカくなります、と。

課題解決だと、比較的意思決定ってわかりやすいと思うんですよ。「これ」という課題が確実にあるよね、自分も共感できるよ、と。一方でゲームに勝つ感動とかおもしろさって、人それぞれみたいなところがあります。そして投資の額はデカくなってきてるとなると、インキュベーションの段階でのインベストメントの判断を、合理的にやるのって難しいんじゃないかと思うんです。

守安:そう。課題というか、「本当におもしろいんですか」ということと「ターゲット層にどこまで刺さるのか」、そして「ターゲットのユーザー数が多そうか」を掛け算で見ないといけないんです。少なくとも、われわれがちゃんと「これがおもしろいと思ってもらえるだろう」というユーザーさんに対して、その人たちに触ってもらったり見てもらったりして、その反応がどうなのかをすごく重視しています。

山口:なるほどですね。

“意志力”と“思い入れ”がないと意思決定を行うのは難しい

舛田:ゲームに関して言うと少し違います。私はゲームも担当してまして、『ディズニーツムツム』とかも担当していたんですが、カジュアルゲームとコアなゲームって、これもまた全然考え方が違ったなーと。さっきの守安さんのスモールチームというのはまさにゲームにも当てはまって。ゲームとか、とくに合議制でやるものじゃないんですよね。

みんながとりあえずプレーしてみて、ある種ピュアじゃない感覚も含めて入っている状態で評価すると、まあ失敗するんですよね。ここはどちらかと言うと、プロデューサーとかクリエイターの意志。意志力みたいなものは、当然いろんなある種のサイエンスはやるとして、最終的にはアートというか、意志の話なんじゃないかなと思うんです。

山口:なるほどですね。セガサミーの里見(治)さんとこの間話をした時に、彼は「『取締役会でこれはいけるよね』と全会一致でゴーが出たゲームは、わりと2塁打ぐらいにはなるんだけど、場外ホームランになったことはない。場外ホームランになったゲームは何本かあって、『すげーいい』と言ってる人と、『こんなモノ絶対売れねー』と言う人に、めちゃくちゃ意見が割れた。そこ(を判断すること)は社長の仕事なんですよね」と(笑)。

舛田:ちなみに、世界でもトップクラスのユーザー数を持っていて、売り上げもある『ディズニーツムツム』は、実は担当レベルではリジェクトされてるんです。

山口:なるほど。難しい。

舛田:それを私は無理やり拾い上げようとして、「やろう、やろう、出すんだ」とやった背景があるんです。これって、私がそこに思い入れがなければリジェクトされてるんですよね。

モノづくりには、既成概念を持っていないほうがうまくいくフェーズもある

守安:われわれもこれまで、内製で一番ヒットした『怪盗ロワイヤル』という10年前のゲームがあります。

山口:ありましたね。

守安:あれは、ゲームをやったことも作ったこともない社員が作ったんです。

山口:なるほど。

守安:まあ今のフェーズは違いますけどね。そういうパラダイムが変わる時というのは、既成概念がないような人が入ってきてもうまくいく。逆に言うと、その時に「ゲームはこうあるべし」という既成概念を持っている人が入ったら、たぶんあのゲームは作れなかったですね。フェーズによってどういう人が活躍するかは、だいぶ変わってくるんです。

山口:なるほど。

川邊:ちなみにその2つのゲームは、はじめから大ヒット作になりましたか? それともじわじわ?

守安:『怪盗ロワイヤル』は、はじめからです。

舛田:『ツムツム』もはじめからです。出した瞬間からワーッとです。

山口:経営戦略の世界では、「勝ちパターンの再生産にハマりすぎると経営がヤバくなる」と言われていて。勝ちパターンから外れた守破離の破とか離とかをやってみて、大概はうまくいかなかったりする。そこで失敗が学習になったり、あるいは、ふだん手を出さないボールに手を出したら場外ホームランになった、みたいなところでやっていったりするのも経営の仕事ということになるんでしょうか。

守安:ある種の通用するパターンというのが、普遍的なものと環境に依存している。環境が変わったら通用しなくなるんです。

山口:なるほど。

守安:そのあたりを見極めないと難しい。

最終的な真善美の判断は、経営者自身がしたほうがいい

山口:川邊さん、プロダクトやサービス開発というところでのご自分のポリシーとか、ここから先の展望みたいなものにご意見があればお願いします。

川邊:経営者としてのモノづくりの考え方を、経営者としてのほうに力点を置いて話すならば、一番上流が「人に任せる」と「自分で作る」の2つに分かれると思うんですね。

「人に任せる」で言うと、トラックレコードが重要かと思います。任せる人は、どれだけの大ヒットを飛ばしたことがある人なのか。ヤフーで言うと、1,000万ユーザー以上になるようなサービスを作ったことがあるのか、と。あるといっても、本当にゼロからのフェーズからやったのか、数百万くらいになったサービスをうまくグロースさせた人なのか。

それらをよく見た上で、今回出す新サービスに当てはまる人なのか、と。いずれにせよ、トラックレコードをよく把握して任せるというのが「人に任せる」ですね。

「自分で作る」のは、基本的には自分で作っているか、そのサービスを使っているか、その背景にあるサービスの考え方や理念が本質的で正しいか、など。それらの要素になってきますね。

自分で作っているかどうかというのは、理想は自分自身がエンジニアであることです。作れちゃうということは、一番(プロダクトやサービスのことを)わかってる。僕は、自分で作ることはしないで、作っている人と一緒になって考えることを今までやってきました。それでも、本当に作っている人と一緒になってやってくれば、そういう感覚がつきます。

あと、とにかく使っているかどうかです。PayPayなんかは、経営者みんなで使ってます。そのフィードバックを作っている人たちに言って、作る。

山口:自分自身がユーザーになるということですね。

川邊:そうそう。それで、最後の「サービスが本質的か、正しいか」というのは、さっき舛田さんが話されたようなネット屋的考えの中で、「リアルではできないような、本質的なものすごいパラダイムの転換みたいなことを起こせるのかどうか」みたいなところ。

正しいかどうかというのは、山口さんのテーマになりますけども、美意識みたいなものです。真善美ですよね。それが真(まこと)なのか善いことなのか、美しいのかと。

もう1回戻ってきて、真善美の判断は経営者がしたほうがいいことが多いです。現場で、「こうやってやったらこんなに儲かっちゃうんですよ」とか「こうやってやったらユーザーがこんなに増えちゃうんですよ」みたいなことに対して、「でもそれって真か」とか。

山口:まさに舛田さんが言う、ピュアかどうか。

川邊:そうです。善いのか、とか。

山口:濁りがない。

川邊:「美しいのか?」と問うてあげられる人が経営者にいたほうがいいですよね。モノづくりで言うとそんな感じですね。