町長自らの報酬カットが住民にあたえた影響

豊田庄吾氏(以下、豊田):そういう、「変わっていかなきゃいけない」と覚悟を決めた人間が、身をもって示したということが少しずつ広まって。例えば住民も、このままだとバス会社も厳しいという中で、バス代を逆に上げろという。

青野慶久氏(以下、青野):ああ、財政厳しいから。

豊田:バス会社に補助しなくていいから、バス代上げろと。

青野:もっと払ってやると。

豊田:払ってやる、僕らも一緒にやると。役場が管理してる芝生とか、いろんな施設のメンテナンスも自分らがやると。役場はいい、みんなでやろうという感じで、覚悟や危機感が広まっていったというところですね。

青野:町長さんが自分の給与をカットするというのは、あまり聞いたことがない話ですけど、その覚悟感が伝播していって、それが土壌になったと。

豊田:はい。

アーティストからIT企業まで、25年をかけた違和感のない変化

青野:すごいですね。ちょっと神山町についてお伺いしたいんですけど、25年……相当長い期間だと思いますし、先ほど言っていたその人形を返すプロジェクトと、今の神山のITのクリエイティブなブランドと、ずいぶん距離があるんですけれども、これはどういうふうに変わっていかれたんですか?

大南信也氏(以下、大南):僕らも最初から過疎の町を救ってやろうとか、そういう気持ちは全くなくて。せっかく生を受けて、神山という場所で生きていっとるわけですよね。

だから、「もうちょっとおもしろい町、わくわくするような町をつくったほうがいいよね」というような仲間が集まって、そこでこう変化を起こしていくわけですよね。最初は単純にイベント型でやるんだけれども、少しするうちに、「もうちょっとアーティストを神山に呼んでみようよ」と。

青野:アーティストを?

大南:そうです。それも外国人のアーティストも含めた人たちを呼び込もうよと。もともと国際交流からスタートしとるんで、そのあたりのハードルが低いわけですよね。それで、まず呼んできておったら、今度は2、3年すると、この招待した日本人のアーティストが神山に住み始めたの。

青野:外国人の方が!?

大南:その場合は、日本人です。今度は2008年ぐらいになると、ワーク・イン・レジデンスというプログラムで、地域に雇用がない、仕事がないのであれば、仕事を持った人に移住してきてもらおうという1つの仕組みをつくって、クリエイターや起業家を集めとったわけですよ。

そうすると今度、移住者だけでなくて、2010年からはITベンチャー企業や映像・デザインの会社が、神山にサテライトオフィスを置き始めたわけですよ。結果、今まで神山になかった新しい人の流れとか固まりが生まれたわけですよね。そうすることによって、今度は何が起こったかというたら、これがサービス産業を起こし始めます。

青野:サービス産業ですか。

大南:そうです。ビストロがうまくいったり、ピザ屋さんがうまくいくみたいな回り方をし始めて、じゃあサービス産業で使われるもの何かというとったら、農産物が使われるわけですよね。だから、それが今ちょっと農業に(広がっていった)。

青野:農業まで!

大南:影響を少しずつ与え始めとんですよね。だからけっこう、長い間かかっとるけども少しずつ変化してきとるんで、移住者の数も少しずつ増えてきとるわけですよ。

これが急激に増えたら、この変化に住民の人がついていけんと思うんですよ。ところが、ゆっくりなじみながら、習慣化しながら増えてきとるというところで、わりとこう違和感なしに、この変化をみんなが受けとめてくれてるという状況やと思うんです。

青野:一歩一歩、地に足をついた。

大南:そうですよね、はい。

「ヒトノミクス」が地方を救う

青野:すごいですね。その人形を返すところから、芸術家の方がいらっしゃって、今度クリエイターがだんだん集まり出してきて、今度はIT企業が来て、今度は人が来たんで野菜をつくらなきゃと。

大南:まあ、そういうことです。

青野:これは、大南さんは予測されていたんですか?

大南:いや、全く予測してないです(笑)。

青野:へえー! じゃあこれは、一歩一歩踏みしめていく中で(広がっていったと)。

大南:はい。神山の場合は、僕らがガツガツと動いて変化を起こしていったんやなしに、この変化の場を、地域住民としてつくっとるわけですよね。それで、そこに入ってくるプレーヤーたちが変化を起こしていっとるのが、神山の変化ということやと思います。

青野:なるほど。大南さんがすごい好きなのは、「ヒトノミクス」というのがね。

大南:ああ、「ヒトノミクス」ね(笑)。

青野:人がつくるんですよと。なるほどなと。地方創生も、やっぱり地理的なものとか業界とかも考えるんですけど、結局は人がつくるんですよという。すばらしいですね。

産業ではなく、教育で地方創生する必要性

青野:海士町にもお伺いしたいんですけれども、教育に目をつけられたじゃないですか。普通、地方創生というとすぐ産業に目がいきがちなんですけど、教育というところにフォーカスされたという、これはどういう意図があってそうされたんでしょうか?

豊田:すごくシンプルで、やっぱり地域の未来の担い手を育成するという話なんですよね。会社も一緒で、社長が退任されたとき、やっぱり後継者がいないとだめだし、その会社の未来を担っていく人材を育成しないといけないのと同じように、地域の未来を担う人材をどう育成するかということを考えたときに……確かに、その産業をつくっていくということが大事で、これは欠かせないことだと思うんです。

ただ、その産業を起こせる人間を地域総がかりで育成していくということをしないと、教育すればするほど子供の学力が上がって、有名な大学へ行って、有名な企業へ入って、お金をいっぱい儲けて帰ってこなくなる、教育をすればするほど地方は廃れていくみたいなジレンマがあったと思うんです。

そうじゃなくて、その地域の将来の担い手を育成するような教育をやりながら、かつ産業もしっかり基盤を整えながら、一緒にやっていかないといけない中で、海士町はどちらかというと産業を先にやり出していたので、まず次は教育だということで、やり出していると。

青野:なるほど。やっぱり人だと。人の育成なくして、地域創生なしと。

豊田:はい。

青野:すごいですね。今、高校をオープンにして、全国から留学生が来ているわけですけれども、外から受け入れると、軋轢も出てくると思いますし、それこそちょっと素行の悪い子が来たりすることもあるんじゃないかと思うんですけれども、そのあたりの問題点はいかがですか?

豊田:それはまあ、なかなか言いづらい部分も(笑)。

青野:そうですか(笑)。

豊田:今は2クラスに増えて、40人と40人の80人定員に対して、外の子が来過ぎちゃうと島の学校、地域の学校じゃなくなってしまうので、(外から来る子が)全体の3割以内の学校をつくって。実際に80人に対して3割、24人の枠に対して全国からかなり希望者が来ているので。

一応考え方としては、外から多様性とか刺激を持ち込んで、島の子供に活力を与えると。そういう場をつくっていくという仕立てでやっているので、比較的もともとの島の方の包容力とも相まって、外から来た子は地域の人にも受け入れてもらえたり、どんどん地域に出ていったりもしています。

青野:そうですか。なかなか多様性のある生徒を教えるのは大変だと思うんですけれども。

豊田:一度はコンフリクトが起きて、それを乗り越えたときに、多様性がチームの成果にプラスに働くという、そのコツみたいなものを体感的にみんな学んでいく。

青野:ああ、みんなで学んでいくんですね。

1つのアクションが、世界を変えることもある

青野:最後に、ここにいらっしゃる方によろしければメッセージをいただけませんか? たぶん、東京にいらっしゃる方が多いと思いますので。

大南:(話を)先ほどの青い目の人形に変えるんですけれども、神山に送られてきた人形は、人形と同じ名前のアリス・ジョンソンさんという人が1972年に送ってくれたということが、送り主探しをしてわかったわけです。

でも、このアリスさん自身は、自分が送った人形が日本のどこに着くかというのはわかってなかったわけですよね。神山とそのピッツバーグの距離は1万2,000キロ離れておるわけですね。その人形が結果的に神山に届いて、1つのきっかけとなって、町の様子ががらっと変わってきよるということですね。

アリスさんはどこに人形が着いたかわからんけども、そこで起こした1つのアクションによって、世界の全く違う場所で変化が起こるということが起こり得るんだということですね。

ということは、たぶんみなさん方も日々いろんなことに挑戦してやられておるけれども、「これはやっても仕方がないんだ、あんまり役に立たんだろう」と思いよるようなことが、ふとしたことがきっかけに、世界に変化を起こすことがあるということですね。

非常に力づけられるというか、そういうようなところやと思うんです。夢がありますよね。だからやっぱり、今やること、いいと思うことを続けることやと思います。

「志を果たしに、いつの日にか帰らん」

青野:ありがとうございます。豊田さんは。

豊田:2つあるんですけど、1つは、やっぱり覚悟って自分を同化することで生まれるものだと思うので、会社でしたりいろいろな活動をやられる中で、ぜひご自身がどうなのか、ご自身でどう考えてどう動くのかっていう、自分事化するということを持っていただきたいというのが1個と。

もう1つは、ちょっと違う話なんですけど、ふるさとに対して、ぜひ何かしら関わってほしいなというのは思います。『ふるさと』という歌がありますけど、あの歌の3番に「志を果たして、いつの日にか帰らん」と。

江戸でみなさんのように仕事されて、やっぱり余生を暮らすのはふるさとだみたいな、そういう考え方、ふるさと観というのがあったと思うんですけど、これからのふるさと観って、僕らよく替え歌で、「志を果たしに、いつの日にか帰らん」という。「て」じゃなくて「に」だと。

もし、ご自身のふるさとに対して、自分はふるさとに育ててもらったという気持ちがあるのであれば、東京で働きながら、ふるさとに対してできる恩返しとか関わり方というのがあると思うので、ぜひそちらのほうも空いた時間でやれることをやっていただきたいなと思います。

青野:大南さん、豊田さん、本日はお越しいただいて、どうもありがとうございました。引き続き地方創生、期待しております。ありがとうございました。

(会場拍手)

制作協力:VoXT