なぜ0.02%の壁を突破できたのか

平野敬氏(以下、平野):最高裁でなぜ勝てたのかという勝因分析について。私自身まだ整理しきれていないところがありますが、刑事弁護の神様の1人とされる弘中先生が言うには、「無罪判決を取るためには3つの条件がある」。事件の筋が良いこと、弁護人がやるべきことをきちんとやること、裁判官がまともであること。この3つが揃わないと無罪を取るのは不可能と言ってもいいそうです。

これに沿って整理すると、まず事件の筋はとても良かった。クライアントであるモロさんとのやり取りもスムーズで、モロさんは私を信頼して全面的に任せてくれました。

弁護人がやるべきことをきちんとやれたのかについては、自己評価ですが、捜査の初期段階から高木先生やその他のエンジニアの方々にコインハイブについて意見を求め、プログラムのソースコードを解析し、検察官や裁判官よりも圧倒的にコインハイブを理解した上で、こういうものなんだという当てはめを行えた。それは、やるべきことをきちんとやれたということかと思います。

最後に、裁判官がまともであること。本件を扱った最高裁の第1小法廷は、弁護士の間では「魔の第1小法廷」と言われています。なぜなら、どれだけがんばって上告を申し立てたとしても、上告棄却に追い込まれてしまうことが多いからです。最高裁に3つある小法廷の中で最も保守的だと言われているところなんです。

ただ、運が良かったのは、この第1小法廷のトップを務める山口厚裁判官は、コインハイブの根拠罰条である不正指令電磁的記録に関する罪について、いくつも著作があり、また立法過程においても深く関わってきた刑法学者だということです。

想像でしかありませんが、山口裁判官には「自分が法律を作ったからには自分が解釈を示して、その適用について責任を負わなければならない」という考えがあって、本件についてきちんと弁論を開いてくれたのかなと思います。運良く3つの条件を揃え、0.02%の壁を突破できました。

コインハイブ事件は不正指令電磁的記録に関する刑事事件の流れを変えた

最後に、全体の所感です。

私は「Fate/Grand Order」(FGO)というソシャゲをやっていて、FGOの中に、ローマ帝国の剣闘士奴隷・スパルタクスというキャラクターがいます。

ローマは領土を拡大していく上で、どんどん他国に戦争をふっかけます。相手の兵士を捕虜として自分の国に連れて帰ってきて、剣闘士として決闘させるのが庶民の娯楽だったそうです。

スパルタクスはその剣闘士のことです。紀元前73年に、剣闘士奴隷スパルタクスが脱走して反乱軍を組織しました。鎮圧のために差し向けられたローマ軍を次々と破って、南イタリアを中心にかなりの勢力範囲を確保しました。紀元前71世紀にクラッススによって敗れて死んでしまうのですが、これはローマにとって大変な衝撃だったようです。

最終的にスパルタクスは敗れましたが、スパルタクスの戦いによって戦後のローマは大きく変化しました。まず、奴隷をあまりにもきつく扱うと反乱を起こされてしまうから、家族を持つことを認めようじゃないか。さらに財産を蓄えて小作農に転換する道を開いてやろうじゃないか。当初の奴隷は物扱いだったので殺してもせいぜい器物損壊でしたが、奴隷を殺したら法的に殺人に問えるようにしようじゃないかと、どんどんリベラルになりました。

ローマでは、当時親が子どもを脅かす言葉が「スパルタクスが来るぞ」で、言うことを聞かない子には「いい子にしてないとスパルタクスが来ますよ」と言っていたそうです。

何が言いたいかと言うと、本件におけるモロさんは、まさにこのスパルタクスだったんだろうと。違う点があるとすれば、スパルタクスは負けましたが、モロさんは勝ちました。

21世紀に入ってITエンジニアが刑事事件に関わることが増えてきました。2003年にはWinny事件、2010年には岡崎市立図書館事件、いわゆるLibrahack事件が起きました。2017年にはWizard Bible事件、2018年には本件コインハイブ事件、2019年にアラートループ事件がありました。(スライドを指して)これらをざっと整理するとこのようになります。

2003年のWinny事件と2010年のLibrahack事件は偽計業務妨害と著作権法違反のほう助です。対して17年、18年、19年の3つはいずれも不正指令電磁的記録です。ここに切れ目があるのだろうと思います。

2011年に、日本はサイバー犯罪条約を批准しました。それまでの事件を第1波と位置づけるのであれば、2011年以降は第2波と位置づけられると考えています。第2波のIT取り締まりにおいて強力な武器となったのが、まさにこの不正指令電磁的記録に関する罪だったわけです。

不正指令電磁的に関する罪は、捜査機関から見れば非常に使い勝手のいい犯罪です。まず、被害者なくして取り調べができます。不正指令電磁的記録に関する罪は大きく分けて「作成」「供用」「保管」がありますが、保管罪については被害者がいなくても検挙できるので、実際に使った形跡がなくても持っていただけで「お前ウイルスを持っていただろう」と犯罪に問えるわけです。

さらに法定刑には罰金刑があるため、略式起訴で処理できます。略式で処理できるということは、正式裁判でいちいち争わなくてもいい。検挙されたほうも正式裁判で争うのはとても手間がかかるし、名前も出てしまう、顔も出てしまうかもしれない。それらのリスクを考えれば、同意する人が大半でしょう。手っ取り早く犯罪件数を稼ぐためには、これ以上ない犯罪類型なわけです。

捜査も容易です。今回のコインハイブ事件でも、警察は当初Twitterを見張っていました。Twitterでコインハイブを使っていそうな人を見つけて、そのソースコードを見たら確かに使っていた。サーバー会社に問い合わせたら、モロさんの名前と住所が出てきたから捜査した。それだけなんです。捜査が非常に容易です。

最後に、弁護人も裁判官もこうした事件をよくわかっていないので、仮に公判になっても略式裁判を拒否されて、正式裁判を請求されたとしても弁護人も裁判官も強くは争いません。「これはどうなんだ」と突っつかないので、容易に有罪が取れます。そのため、これは別件捜査や濫用の恐れが非常に高い犯罪類型でした。

しかし、モロさんが現れて最高裁まで戦い抜いた結果、無罪になってしまいました。そうなると捜査機関の中でも本当にこれは不正指令電磁的記録なのか、よく検討した上で捜査に着手しなければ危ないという意識が間違いなく芽生えたはずです。万が一どこかに穴があって、反意図性や不正性が怪しいのではないかという疑念が生じれば「モロさんが来るぞ!」という状態になってしまったわけです。

壇先生と本件の位置づけについて話していますが、Winny事件の壇先生のところにも、コインハイブで有名になってしまった私のところにも、この事件以降、不正指令電磁的記録に関する刑事事件の相談はほとんど来ていません。つまり実務上、不正指令電磁的記録に関する罪は現在ほとんど適用されていない、条文として死んだ状態にあります。これはすべてモロさんの戦いによるものと言えると思います。

2019年に横浜地裁で無罪を取ったあと、ハッカー協会の講演を行いました。私はその終わりに、2つの文章を引用しました。憲法12条です。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。モロさんはまさにこの義務を果たしたと思います。自分の不断の努力によって自分の自由を勝ち取ったわけですから。

もう1つはカントの言葉ですが、「みずから虫けらになる者は、あとで踏みつけられても文句は言えない」。厳しい言葉だと思います。でも、モロさんは自分は虫けらではない、きちんと魂のある人間なんだ。物扱いされる奴隷ではなく、ローマに反逆できるスパルタクスだと示しました。これは自由というものの在り方を世に示した大きな出来事だと思います。

質疑応答

私の講演は以上です。質疑などがあればうかがいます。

記者A:今回のポイントとして、反意図性と不正性の判断が示されたのが大きいということですが、相変わらず不正性は不明確で、現在も判例を積み上げていかなければ線引きはできないのでしょうか。そうだとしたら、それについて考えを聞かせてください。

平野:まず、前進したという点は確認しておきたいと思います。物理的かつ客観的な基準に基づいて不正を判断していく。具体的にコンピューターにどんな損害があったのかを考えていかなければならないという基準が示されたのは大きいです。

しかし一方で、どういう損害なら不正と言えるのかという点は、残念ながら示されていません。経済的損害はどのくらいなのか、情報処理に与える影響はどのくらいなのかといった点が、まだまだ判断基準として甘いのはご指摘のとおりです。

今後、判例が積み重なって、こうした点がようやく明らかになると思います。ただ、そこに至るまでに今回と同じような裁判を無数に繰り返すのか。それも迂遠な話なので、警察、検察、さらにIT技術者の団体などが中心になって本件の取りまとめを行う。

例えば、「このようなものは不正指令電磁的記録の疑いがあるのでやめましょう」という、ガイドラインを取りまとめる方向に発展してもいいのではないかと考えています。

記者B:朝日新聞のワタナベです。2つお尋ねします。1つは、取り締まりをする側、検察等だと思いますが、司令塔がどこでどんなことを理想としてこの事件を取り締まろうとしていたのか。警察がサイバー警察局を作る動きもある中で、国家の意思はどこにあったのかよくわからないと思っているので、それをどう感じられたのか。

もう1つは、モロさんは戦えたと思いますが、このような容疑というか罪で戦わずに応じざるを得なかった人はかなりたくさんいたと認識されていますか。

平野:まず1つ目の質問です。私は警察や検察の内情を知らないので、あくまで想像ですが、2018年から2019年くらいにかけて、東京オリンピックが強く意識されていました。東京オリンピックを安全に開催するために、サイバー犯罪の取り締まりを中心にやりましょうというアジェンダがよく出ていました。その目標として警察は「サイバー犯罪を何件挙げました」ということを目標にしていたんだろうと思います。

コインハイブを取り締まることによってどんな国家を実現したかったのかというグランドデザインは、私は「なかったのではないか」と考えます。つまり、「東京オリンピックを安全に実現するためにサイバー犯罪を取り締まった結果、このくらいの不正指令電磁的記録を出すことができました」という目標達成のための課題設定と、数字達成の捜査のために使われたのではないかと考えています。

2つ目の戦えずに無念の涙を飲んだ人がいることは確かです。現に、先ほどのWizard Bible事件やアラートループ事件でも、捜査を受けたが結果として不起訴になった、あるいは略式で罰金を受け入れた、名誉回復は果たせなかったという人がいます。

また、コインハイブ事件でも本件無罪判決が出たあと、私のところに問い合わせが何件か来ています。「数年前にコインハイブで略式判決を呑んでしまったが、今無罪判決が出たことでどうにかならないのか」という問い合わせもありました。今から取れる手段は非常に限られているので、「残念ながら難しいです」と答えざるを得ませんが、この点においても、警察を主導とした名誉回復の手段が取られるべきではないかと考えています。

記者C:日経新聞のナミキです。少し抽象的な質問で申し訳ありません。今回と同じような事件が起きないようにするためには、警察や検察、裁判所は何をするべきだと思いますか。例えば日本ハッカー協会が弁護士の斡旋を支援したり、講演でおっしゃった法律の枠組みを慎重に議論したりすることも解決策の1つになると思います。

もう1つ、検察の最高裁の弁論を見ると、今回のような事件が起きてしまった原因に、情報科学の知識の欠落が大きく寄与していると思います。今後も警察官や検察官になるためにそのような専門的な知識を求めない点を考えると、同じような事件が起きてしまうのではないでしょうか。

さらに、扱う議論に求められる知識がどんどん高度化している面もあります。それらの観点から、警察や検察、裁判所はこのような事件を起こさないために、何をすべきだと考えますか。

平野:一番大きい点に、人材交流が挙げられると思います。以前、インターネット上にブログ記事が上がっていました。警察がITエンジニアを募集していたので入ってみたが、交番勤務からスタートした。普通の警察官と同じように、まず交番で道案内や落とし物の対応などをさせられた。それが嫌になって辞めてしまったという内容です。

残念ながら、警察や検察のキャリアシステムは非常に硬直しています。柔軟に業界からどんどん人材を取り入れる風潮はほとんどありません。この壁を突き破って、IT業界やその他の業界から人材とともに他の業界の常識や知識を取り入れて、自分自身が変わる姿勢を見せることが何よりも重要ではないかと思います。

記者D:弁護士ドットコムのデグチです。先ほど名誉回復の話がありましたが、確定した判決に法令違反があった場合、検事総長は最高裁に対して非常上告を行えると思いますが、コインハイブ事件ですでに罰金を払ってしまった方に対して、これが行われる可能性はあるのでしょうか。

平野:ないとは言えませんが、今のところ検察が積極的にそういった動きを見せているとは聞いていませんし、これまでの検察の対応を見ても可能性が高いとは言えないのではないかと思います。

司会者:質疑応答は以上です。

平野:ありがとうございました。