2024.10.10
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平野敬氏(以下、平野):電羊法律事務所の弁護士の平野です。コインハイブ事件で一審から継続的に弁護人を務め、最高裁まで主任弁護人として担当しました。私は、自分の担当した事件について話すのがけっこう苦手です。全力でやり続けてはいますが、ところどころ失敗もあります。後悔もあります。「あの時ああしておけばよかった」という後悔の念に襲われることも多々あります。
振り返ると、「あの時にこうしておけばよかった」という羞恥の念が湧いてきて、うまく話すことができなくなってしまうんです。ただ、本件では多くの人に支えられてきました。歴史的にも、非常に重要な事件だと思っています。あくまで担当していた私の目線ではありますが、この事件について記憶している限りのことを話そうと思います。
自己紹介をします。町田市に電羊法律事務所という弁護士事務所を構え、主に著作権やインターネット、情報システム関係の法律事務を扱っています。この事件で名を馳せてしまったのか、刑事事件についてもよく問い合わせが来るようになりました。
コインハイブ事件では一審から担当しています。一審では私1人が弁護しましたが、高裁、最高裁と行くにつれてだんだん仲間が増えました。主任弁護人として最後まで戦いました。スライドにスクリーンショットが出ていますが、Twitterでもネタやジョークをつぶやいています。どちらかといえば、こちらで私を認識している方が多いかもしれません。
(スライドを指して)今回の構成です。まず、これまでの流れを振り返ります。そのあと最高裁判決について、判決までどんな出来事があったのか、また判決内でどのような内容が示されたのか話します。そして最後に、全体の所感としてこの戦いにはどんな意味があったのか、本件を歴史的にどう位置づけるのかという話をします。
まず振り返りから。もう4年前になるんですね。2018年3月29日、モロさんから「ウイルス罪についてご相談させてください」という電子メールが来たことが本件の始まりでした。その前日に、横浜簡易裁判所で略式処分を受けた。これをどう扱うべきか悩んでいるので相談したいという話でした。
正直、私はこの時点で「不正指令電磁的記録に関する罪」をろくに知らなかったので、相談メールが来てから慌てて六法全書を引きました。そんな罪があったのか、司法試験の勉強をしている時にはろくに出てこなかったなと思いつつ、刑法の本などを引いて、「なるほど、こういう罪なのか」と理解して、泥縄的に法律相談に臨んだわけです。
この時は「争うのかな?」と思いました。略式で10万円の罰金刑に処されたのであれば、弁護士をつけて争っても、それ以上いい結果など出ないのではないかと考えました。地裁の正式裁判で争うとなると、当然何度か出廷しなければならず、弁護士費用も相当かかります。もしかしたら、メディアに名前や顔が出てしまうかもしれない。それなら略式で10万円払って終わらせたほうがいいんじゃないかと。
モロさんにもその旨を伝えましたが、モロさんは「いや、自分には責任がある」という考えでした。モロさんはコインハイブを使ってしまったが、それ以上に自身が「コインハイブというソフトがあるよ」とブログ記事に書いてしまった。それを読んだ人が使っているかもしれない。そうなると、「自分だけではなく、ほかの人に対してもコインハイブについて責任がある」と。
「コインハイブが現行法上完全に真っ黒なのであれば、しょうがない。諦めて罪は罪として認めるが、もし争う余地があるのであれば、ほかの人のためにも戦いたい」という意向を聞いて、私も「なるほど、それなら正式裁判を争ってみるかな」と覚悟を決め、4月2日に正式裁判を請求しました。
(スライドを指して)これがモロさんが受けていた略式命令です。3月28日付けで横浜簡易裁判所から罰金10万円に処されていました。
それに対して、4月2日に横浜簡易裁判所に「正式裁判請求書」を提出しました。私はこの時点では、刑事事件をほとんどやったことがありませんでした。弁護士会の研修で、せいぜい国選弁護を何回かやったことがある程度でした。略式の判決に対する正式裁判請求の手続きも初めてで、恐る恐る横浜簡易裁判所まで直接持って行ったのを覚えています。
なぜ直接持って行ったかというと、もし訂正点があればその場で修正できるからです。郵送して、その後訂正が発生したら間に合わなくなってしまうのではないかと。今思えばそこまでビクビクする必要もなかったのですが、緊張感でいっぱいだったのを新鮮に思い出しています。
4月10日、横浜簡易裁判所から横浜地裁に移送されました。簡易裁判所で扱うには難しすぎるという判断です。2018年5月、横浜地裁が合議体で審議することを決定しました。
普通、地裁の刑事事件は裁判官1人だけで行うのが原則です。合議、つまり裁判長、右陪席、左陪席という3人体制で行うのは、基本的に重大事件に限られているわけですが、本件について合議で審議するという通知がありました。これは裁判所も本気でやるつもりなんだなと驚き、本腰を入れてやらねばとますます決意を固くしました。
2018年5月から2019年1月にかけて、公判前整理手続という期日が7回にわたって開かれました。実際に裁判を開く前に論点の整理を行ったりする場です。
私はこの時、裁判官や検察官に「JavaScriptとはこんなふうに動くもので、プログラムとはCPUをこんなふうに使うものです」という前提技術についてのプレゼンを行いました。本件の争点はどこにあるのか、コインハイブ自体が違法だとすれば、広告、いや、むしろJavaScript全体が違法なのではないかという話をインプットしました。
この時、私が高木先生に相談したり、ネットで発信したりしたことで、「これは争う余地があるのではないか」「ウイルスなのか合法技術なのか」という話題がメディアで広がっていきました。
(スライドを指して)これは2018年6月8日の読売新聞の記事です。単純にウイルス扱いして違法とみていいのか、これが違法であればほかの技術にも波及するのではないかという論調が、一部のメディアで主張されるようになりました。
また、これらメディアの報道を受けて、一般のエンジニアの間でも、「おかしいのではないか」という運動が繰り広げられるようになりました。スライドは2018年6月14日の『GIGAZINE』の記事です。
「コインハイブと同様に、アクセスしてきた人のCPUを勝手に使うJavaScript。ただ、これはCPUを勝手に使うけれど負荷をかけるだけで、仮想通貨の採掘はまったく行わない。そういったイタズラスクリプトを組んで抗議をする」と、ジョーク的なことを行う人たちも出てきました。
公判前整理手続が終わって、2019年1月から公判が開始されました。1月15日には高木先生に証人尋問をお願いし、17日はモロさん自身の被告人質問がありました。その結果を踏まえて2月18日に論告求刑があり、弁護人からの最終弁論を経て、3月27日に無罪判決が言い渡されました。
(スライドを指して)ちょっと思い出深い資料なので出しました。タクシーのレシートですが、1月15日と書いてあります。これは高木先生のタクシー代です。高木先生が証人尋問の当日に体調不良になってしまい、朝、私に電話がありました。「すみません、平野さん、今日出られない」と。
でも、私は高木先生の助力なくしては絶対に勝てない裁判だと思っていたので、「先生、体調が悪いところ申し訳ないけれど来てください。タクシー代は全部出すので、自宅から裁判所までタクシーを飛ばしてください」とお願いしました。その時の領収証がこれです。今となっては、なんとも懐かしい資料です。もちろん帰りのタクシー代も出しました。
横浜地裁で無罪という判決が出て、一部のテレビでも取り上げてもらいました。私事ですが、2019年3月30日に父が亡くなりました。これは亡くなる3日前の出来事です。私は父と、晩年あまり仲が良くありませんでした。
父は私を政治家にしたくてたまらなかったのです。しかし、私は政治家になるのは嫌だと言って弁護士になってしまったので、なかなか折り合いがつかなかった。でも、父が「息子の敬もこんなふうに成果を出してくれたんだ」と、病床からこれを見て喜んでくれたのを思い出します。
自信を持って臨んだ捜査に対して無罪判決が出てしまったので、検察官は当然ながら控訴してきました。6月27日、検察官の控訴趣意書が提出され、その後、1週間かけて控訴答弁書を作って提出しました。2019年10月から12月にかけて公判と打合せ期日が開かれ、2020年2月7日に残念ながら逆転有罪判決を食らってしまいました。
この間の思い出深い出来事に、東京高等検察庁の黒川健児問題があります。私は知りませんでしたが、東京高検は本件をかなり重く見ていたようで、黒川検事長の任期を延長させるのに必要な理由として、コインハイブ事件が使われてしまったわけです。
定年延長が必要な理由が何かと言えば、「複雑困難な事件10選」があるのだと。10個の複雑困難な事件があって、これらを解決するためには黒川検事長の力がなければならない。そして、コインハイブ事件が10個のうちの1つとして挙げられたわけです。私がこういう活動をしているせいで黒川さんの定年を延長せざるを得なかったのかと、当時すごくびっくりしたことを思い出します。でもその後、麻雀で辞めちゃったんですけどね。
(スライドを指して)有罪判決を受けた直後の私のツイートです。「私は執念深いんだ。WiMAX事件だって一審で負けて最高裁まで戦いぬいた。絶望なんてしてやらんぞ」と、2月7日にツイートしています。
舞台は上告審に移りました。2月18日に上告申立書の提出期限があり、5月13日に上告趣意書の提出期限がありました。もっとも、これはコロナの影響で6月15日まで延期されました。
期限は定まりましたが、私は高裁で有罪判決を受けたあとの1、2ヶ月、まるで使い物にならなくなってしまいました。やるべきことが思いつかない、思いついても実行に移せない状態が続きました。パソコンに向かってもぜんぜん手が動かないんです。
高裁で有罪判決を受けたあと、帰りの電車の中でドアをガンガン殴って手を怪我してしまったくらい怒っていたんですが、その怒りがうまく作業につながらなかったんです。何をやったらいいのかわからない。とにかく怒りはある、不満もある。この有罪判決をどうにかしなければならないという使命感はありましたが、それがさっぱり行動に結びつかない状況でした。
しかし、私も1人で戦っていたわけではなく、援軍が来てくれました。まずは壇先生です。Winny事件の弁護人として知られる、高名な技術系弁護士です。「上告審であれば意見書を集めなければいけない。俺が憲法や刑法の学者につないでやるから、意見書を集めろ」と言ってくれたのが壇先生です。壇先生の紹介もあって、いろいろな先生から意見書を集めることができました。
さらに、身内話になってしまいますが、電羊法律事務所の笠木弁護士。この人はこのコインハイブ事件をやりたくて大阪の事務所から移籍してきた奇特な弁護士なんですが、若いにもかかわらず非常に優秀で、ぜんぜん手が動かなくなってしまった私に代わり、上告指示書のドラフトをやってくれました。
それから、私と一緒に電羊法律事務所を立ち上げた高井弁護士です。コインハイブ事件の時系列の一部の期間に事務所の移転を行ったんですが、移転日の事務作業などをすべて彼が引き受けて私の負担を軽減してくれました。
そして、最後にハッカー協会です。リップサービスなどではなく、本当に恩義を感じています。カンパを募って資金供給をしてくれたり、一般の技術者から意見書を募ってくれたりしました。意見書を集めるという話をしましたが、先生方を動かすためにはお礼を用意しなければなりません。ハッカー協会からの資金援助がなければ、当然そのお礼はできなかったと思います。
これらさまざまな援軍のおかげで、2020年6月15日、無事に上告趣意書を提出できました。この時、意見書と上告趣意書と合わせると1通でダンボール1杯分くらいになったんです。それを3通持って行かなければならない。永田町にある最高裁まで大きなカバンを背負って、徒歩で提出に行ったのをよく覚えています。
(次回に続く)
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