波乱万丈の仕事と人間関係の悩み
司会者:じゃあ、鈴木さんも40代以降の話を少し聞かせていただけますか?
鈴木芳雄氏(以下、鈴木):最後のほうがギザギザになっているのは、そんなに毎日毎日アップダウンしてるわけじゃないんだけど。
サラリーマン、給与所得者じゃないっていうところで、プロジェクトごとに収入が入ったりするので、そこをグラフィックに表してみただけで、毎日毎日落ち込んだり上がったりしてるわけじゃないのね。だから、不安定とか波乱万丈みたいな感じで書いただけなんだけども。
あと、出版社の編集部で雑誌を作ってると、当然若い頃は「君はこの特集を8ページで作れ」「10ページで作れ」って、ページを与えられたら必ず作るし、作ったものは必ず世の中に出るというルールがあった。
でも、フリーになったりいろんな仕事をするようになって驚いたのは……驚くことでもないけど、「こういうプロジェクトがあるから、プレゼンしてください」「こういうことをやろうと思ってるので、お話を聞かせてください、一緒に考えてください」と言われることがあるんだけど、そう言われた仕事が必ずしも完成しないことがあるっていうのが、意外だった。
広告の仕事だと、「コンペで負けました」「結局、クライアントでちょっと予算が削られちゃったんで」ということがあるんだなっていうことを、今さらながら……あまりにも世間知らずですが、そういうこともあってのギザギザです。
40歳ぐらいで下がったのは、なんだっけ? 個人的な幸・不幸はあまり関係ないんだけど、ある会社の話で。その会社だと40歳ぐらいで編集長になるのは早いほうで、当時コンピューターとか、ネット関係の雑誌で、日本版の『WIRED』みたいな雑誌をやるというプロジェクトが社内で進んでいたんです。実際は編集長にはなれなかったんですけど、「いよいよ次は君が編集長だね」とか言われてて。
けどそれがポシャッて、その雑誌は成り立たなかった。そこでググッと下がったんです。人間関係で悩んだりみたいな、そういう頃だったかな。
人生と仕事は切り離せないからこそ、趣味も無駄にならない
鈴木:そして上に上がったのは、2回目なんだけど、またBRUTUS編集部というところに戻って、そこでさっき遠山さんが紹介してくれたみたいに、美術の仕事をやるようになった。それでちょっとイケイケな感じです。
その美術特集に関しては、編集長はいたんだけど、全部自分で企画を決めて、何を取材して、どういう企画で作って、どういう部数と、全部編集長みたいにできるようになったので、イケイケなんだよね。
雑誌ビジネスなのにお金をバンバン使ってるし、1年に10回くらいヨーロッパに出張に行ってるみたいな感じもあって。
世界中のいろんなアーティストとも知り合った。僕もそこまで英語ができるわけじゃないけれども、一流のアーティストとか、有名美術館のキュレーターの人たちとかのネットワークも個人的にできたりして、「あっ、これが仕事か」みたいなものを掴んだのが40代だったという感じなんですよ。
別にまとめに入るわけじゃないけど、20代の頃には、さっき言ったみたいに、思ったよりダメだなと思ったけど、その頃に趣味としていた美術が無駄にならず、ここでちゃんと仕事になったなと思って。
トムさんも言ったけど、自分の人生と仕事は切り離せないって、まさにそうだなと思っています。その頃、好きでやってたことが、ここで形になってるなと。
司会者:3人とも共通して、結局、今が一番楽しい。
鈴木:みんな、でもそう。
司会者:それはそれで、すごく素敵なことだなって思います。だから僕も含めて、すごく憧れますし、いいなって思いますよね。
そうなれるかどうかは別として、大人になっていく人に向けて、ぜひ今、こういうことをやっておいたらいいとか、あるいは、こういうことをがんばってねということを一言いただけますか。
今が一番楽しいのは、自分が選択したことができているから
遠山正道氏(以下、遠山):たぶん、今が一番いいと思えているのは、自分で選択した状態。だから今が一番楽しいって思えているということだと思うんです。むしろ、そうなるには小さいほうがやりやすいんですよ。そっちのほうが、自分が際立ってくるので。
今のうちから、何か小さなことでもいいから自分の発意で動いてみる。私の例で言うと、さっきの「電子メールのある1日」を思いついて、動いてみる。
私の言葉で言うと、「頼まれてもいない仕事」みたいなことを、自分のゼミの中でも、クラブ活動の中でも、家庭の親子関係の中でも試してみて、自分の意思で動くという喜びみたいなことを、今のうちから掴んでおくといいんじゃないかなという気がします。
司会者:ありがとうございます。では、トムさん。
トム・ヴィンセント氏(以下、トム):今、一番楽しいということは、遠山さんの言うとおり、自分が選択していることをやってるから。それが20代でできたかというと、そんなことはないです。
僕の中ではいろいろあったから、ここまで来れて、今は楽しいっていう部分が絶対ある。楽しいというのは、これからも楽しいと思ってるから、今が楽しいんですよ。まだまだ始まったばかりという気持ちがあるんですね。
実際に計算してみると、すごい長生きをしない限り、人生の大半は終わってしまってる。だけど、考えてみると、自分のお父さんの影響がけっこう大きいです。
一番最初に話したように、昔はテレビ会社に勤めてたんだけど、田舎に引っ越して、そこから通ってたんですよ。うちの親父が勤めていた会社は、ロンドンの地元局で、テレ東みたいな会社ですね。50歳くらいで部長レベルだったんだけど、いきなり会社が潰れちゃったんですよ、放送免許がなくなっちゃって。50歳でクビになって、仕事がなくなっちゃったの。
僕はそれを今でも覚えてます。あれは僕がちょうど大人になりかけてる時期だったんだけど、親父はバリバリのテレビマンだったのに、急に農家になったんですよ。
遠山さんも家に来たことがあるけど、羊農家。もうおじいちゃんなので、今は規模が小さいんだけど、昔はもっと大きくて。50歳から羊農家になったんです。
遠山:すごいんですよ、羊がまた(笑)。
会社の話ではなく、自分のことを語れるのが幸せ
トム:そうなんです。親父はテレビを20代から……本当に、テレビが始まった頃、インディペンデントテレビではなくて、コマーシャルが入ってる民放のテレビができる頃からやってるから、本当にテレビと一緒に育っていた。その中で、ずっとサラリーマンだったんですね、うちの親父は。
ニュース番組の技術部長をやっていたんだけど、ニュースは生放送だから、若い頃にスタジオへ一緒に行くと、18時の1時間ニュース番組を生放送でやってる時なんかは、緊張感が半端ではなくて。
制作側がみんな静かに、録音したり、カメラを回したりしてるじゃないですか。毎晩、平日の18時から1時間。そして、19時にコマーシャルが入る時、みんなが拍手する。毎日、これだけの緊張感があった。そんな仕事をやってた親父が、いきなり農家になるんです。
最初はすごく悩んでる親父を見ました。僕は大人になって家から離れながら親父を見てたんだけど、当時はテレビの仕事をずっとやってきてたから不健康ですごく太ってたんだよね。けどそんな親父が急に痩せてきて、笑顔が多くなってきたの。牛と、羊と、鶏に囲まれて。
遠山さんの言う、小さいというか、自分で全部できる仕事……つまり農家は、母と一緒に2人でできるからいいんですよ。自分の飼っている鶏が産んだ卵を、地元の小さなよろず屋に売って、「今日、10パック売れたんだよ」とニコニコしている。10パックだよ。それをお金に換算すると、もうわずかしかないし、そのお金では生活できるわけないんだけど、親父はすごく嬉しそうだった。
これを見てきたから、だいたいみなさんぐらいの歳で「50歳からでもおもしろいことができるな」とわかっていたので、それはけっこう大きいと思うんですね。
遠山:トムさんの実家にお邪魔した時に、お母さんがね、われわれが来てどんなにうれしいかっていうことを話してくださって、自分の生活のことを一生懸命話してくれる。ひとしきり話した後に、私に「次はあなたの話を聞かせておくれ」って言われたわけですよ。
それで、私はこんなことやってるからいろいろ話せる。お父さんが昔のテレビマンだった話なんかは1ミリもなくて、ボランティアや羊の話をすごく楽しそうに話している。その時にね、なんか泣ける感じがあったんですよ。
俺が感じたのが、「あなたの話を聞かせておくれ」って言われた時に、自分の話ができるっていう幸せ。三菱商事の時だったら、会社の話をしてたと思うんです。三菱商事の説明をしちゃってたと思う。そうじゃなくて、今の自分がやってることとか、自分の興味みたいなことをスッと話せるのが幸せって言うんだろうなという感じがしたんです。
トム:楽しかったね。
鈴木:いつ頃に行ったんですか?
トム:3〜4年前ぐらいですかね。遠山さん、泣きましたね。うちの実家のダイニングで。
司会者:すばらしい時間だったんですね。ありがとうございます。では、鈴木さんも最後に一言お願いします。
無駄なことは何もないからこそ、腐らず何かをしたほうがいい
鈴木:もう言っちゃったけど……おじさんたちはみんな言うのかもしれないけど、無駄なことって何もないんですよ。今、がむしゃらに「あっ、これだな」って思ってやるのもいいし、「何をやったらいいかわからない」という、さっきのトムさんの話じゃないけど、そういうこともあって。でも、やってることで無駄なことはないから、何かをやるといいと思うよ。