20代はみんな未熟者だった

司会者:このあとご紹介しますが、今日ご登壇される方を「知ってます」という人は、どのぐらいいるのかな? あんまりいないですかね。Soup Stock Tokyoさんを利用していますか?

(会場挙手)

ああ、少しだけですね。みんなにとっては、もしかしたら今の段階では身近じゃないかもしれませんが、それぞれ思うところがあって今日来てくれていると思います。今日は僕にとっても先輩、大人の方々に「20代はどうだったのか」って話と、ぜんぜん押し付ける気はないですけど、提案としてみんなに向けて「こんなことやってみたらどうですか?」みたいなことをお話しいただこうと思っています。

約2時間ぐらいのイベントですが、楽しんでいってもらえればと思っております。ということで始めていきたいと思います。お三方、ご登場いただけますでしょうか。よろしくお願いします。みなさん、ぜひ拍手でお迎えしてください。

(会場拍手)

お好きなところに。じゃあ、すみません、ここから僕も座ってお話しさせていただきたいと思います。

MY FUTURE CAMPUSと業務外業務、「29歳までの道しるべ特別イベント」です。副題が「みんな、当然20代なんて未熟者だった!!」で、もうある意味答えみたいなものを書いちゃってるんですけど、20代はどうだったかという話を、今日はこのお三方と一緒にさせていただければと思います。

さっそく進めていきたいと思うのですが、最初に今日お話しいただきます方に、それぞれ軽く自己紹介をしていただけたらなと思っております。まず最初に遠山さん、お願いします。

社長業のほかに、自分に何ができるかを探しに行く

遠山正道氏(以下、遠山):遠山です。こんばんは。さっきたぶん手を挙げていただきましたけど、Soup StockTokyoって行ったことないかな。わからないかな。東京を中心に全国に70店舗ぐらいあります。1、2年生の学生さんにはちょっと高いかもしれないですね。

「Soup Stock Tokyo」というスープのチェーンや「giraffe」というネクタイのブランド、あと「100本のスプーン」というファミレス、最近だと「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り」という海苔弁のお店を銀座や東京駅でやっています。

ざっくり言うと、慶應大学を出て、三菱商事に就職して……こういうのはあとでいいのか。

司会者:いえ、お願いします。

遠山:三菱商事に就職して、起業してスマイルズという会社を作って今に至る、というような者でございます。そして「業務外業務」というなんかちょっと不思議なこともしているんだけれども、今回は業務外業務で申し込んでくれたんですよね。

司会者:そうですね。はい。

遠山:私自身がいろんな業務を外に売っているんですよ。例えば「1日社員やりますよ」とか、昔、手品よくやっていたので「手品やりに行きますよ」とか、そういうのです。その中の1個に講演があって、マイナビさんが講演を申し込んでくださった。そして、今日これが実現しています。

なんでこういうことをやっているかというと、私も年齢でいうと56歳で、もうみなさんのお父さんよりも上ぐらいだと思います。普通、60歳で定年になって人生の後半戦が始まっていくとき、サラリーマンって、サラリーマンが終わってから「あれ、ここから自分ってなにができるんだっけ?」って愕然とすることが巷にあるんですね。

だから、そこで愕然としないように、なにかビジネスをやっている社会人のうちから「自分ができることってなにかな?」っていうことの試し打ちをやっておこうと。

要するに、いまどきの言葉でいうと「働き方の多様性」っていうんでしょうか。グラデーションのある働き方を会社も試してみようということで、この業務外業務というのを作ってやっています。

司会者:ありがとうございます。トムさんがここで関わっていらっしゃるんですよね。

遠山:そうですね。

司会者:トムさんのご紹介は後ほど改めて……。では鈴木さん、自己紹介お願いします。

日本の若者文化にアートを持ち込んだ名物副編集長

鈴木芳雄氏(以下、鈴木):あれ、業務外業務って複業とはどう違うんですか?

遠山:まぁ同じようなものですね。だけど、複業はなんか、もうちょっと「ちゃんと働く」じゃないですか。これは、こういう講演だけとかそういう個別プロジェクトです。

鈴木:そういうことなんですね。では私の自己紹介から。どうも、鈴木といいます。

僕は、ずっと出版社に勤めてて、雑誌の編集をやってきました。雑誌だけです。書籍を仕事としてやったことはないんだけれども、雑誌の編集をやってきて、途中でいろいろと幅が広がるというか、フリーランスでやるという選択肢ができたので、その出版社は退職して、今に至ります。

出版社というのは銀座にあるマガジンハウスというところです。もしみなさんたち知ってるとしたら、『anan』や『POPEYE』『クロワッサン』『Hanako』などの、若い人、といってもあなたたちよりは若くないかもしれないけど、若い人向け中心のライフスタイル、難しいことじゃなくておしゃれやファッション、インテリア、食などの情報を提供するような。

長々とくどく説明してるのは、最近の人はそんなに雑誌を読まないかなと思っているからです。その中で『BRUTUS』って雑誌がありまして、当初の位置づけはどっちかというと「男性誌・30歳以上」みたいな感じだったのかもしれませんが、その後わりと女性の読者も多くなりました。

そこで主に、社員スタッフとしていろんな仕事をやっていて、美術の仕事が多く、多く自分で企画して作ったりしていました。今はフリーランスになって、主にいろんな美術の編集や、美術に関する記事を書く仕事をしています。

遠山:ご自分だと言いづらいと思うんですけど、「『BRUTUS』のフクヘン(副編)」といって、芳雄さんすごく有名で。『BRUTUS』にアートを持ち込んだ、要するに日本の若者のカルチャーにアートを持ち込んだ第一人者です。

鈴木:ちょっと褒めすぎですけど、まぁまぁ、簡単に雑に言えばという感じですね。このあともまた詳しくいろいろ話をするんですか?

司会者:そうですね。(話を)してまいりましょう。

司会者:じゃあ、続いてトムさんお願いします。

日本のいいもの・おもしろいものを届ける、クリエイティブディレクター

トム・ヴィンセント氏(以下、トム):はい、みなさんはじめまして。トムです。 この写真は僕が24、25歳なので、みなさんよりちょっと上ぐらいの頃の当時のイギリスの定期券。今でいうPASMOみたいなもので、手作りなんですよね。

当時はブースで写真を撮って、おじさんがそれを紙に貼ってくれました。これはプラスチック。赤いのはそのホルダーなんだけど、中はおじさんの手作りです。僕の名前はたぶんペンで書いて、雨で濡れてしまったあとにおじさんがプラスチックを貼ったんですよね。そういうものです。

僕はイギリスに生まれて、20歳ぐらいかな、イギリスが嫌になっちゃって、アメリカへ行きました。アメリカへ行って「おもしろいな」と思っていたら、気がついたら日本にいたという、よくわからないような流れで今に至る感じ。まだ日本にいて、帰る予定はございません。

仕事は僕、肩書きとしてはクリエイティブディレクターと言ってるけど、最近はビール会社を作ったりしてます。

鈴木:スライドの右上の写真だよね。

トム:そうですね。僕は関西に住んでいて、ビール会社作って、おかげさまで新聞にいっぱい取り上げていただいたんだけど、毎回「トムさんの肩書きなんですか?」って。「クリエイティブディレクター」と言っても新聞には書いてくれないんですよ。

この間、NHKさんが来てくれていて、コメントだけ僕が言ったのがテレビに出ることになっていて、電話かかってきて「今夜のニュースでテレビ出るので、肩書きを確認したいんですけど」「クリエイティブディレクターです」「あの、おじいさん、おばあさんでもわかりやすいのないですか?」「えっ、クリエイティブディレクターですけど。これ日本語でどうやって言えばいいんだろうなぁ」って電話でしゃべってたら、「トムさんの実際の仕事はなんですか?」って。

それもぜんぜん説明できなくて、18時からの、滋賀の「おうみ発630」という地元のニュース番組に「トム・ヴィンセント(51歳)・日本文化を発信する英国人男性」って出ていて。

(会場笑)

鈴木:職業じゃないじゃん(笑)。

トム:最近ちょっとこれ気に入っていて。しかも、僕が出てるんですよ。僕、よく見るともう白髪だし、禿げてる。髭があって、どうみても男だと思うんですよ。なのに、なぜ「英国人男性」って(笑)。

(会場笑)

という、クリエイティブディレクターです。

30億円のメディア露出を作った「アースマラソン」の名付け親

鈴木:それよりも「トムさんなんでそんなに日本語うまいのか?」ってことをみんな思っていると思います。

トム:いや、わからないんですよ。もう長くいるだけで気がついたらしゃべるようになって。僕は2年間くらい関西に住んでいるから、すぐにうつっちゃうんですよ。向こうにいるとものすごい地元の言葉が出てきてしまって。今日は気をつけています。

その前は、愛知県三河の近くの豊田市ってところに住んでいました。三河と岐阜の間の、おじいちゃんおばあちゃんしかいない場所に住んでいて、「ほだら」とかばっかり言ってて「暑かったなぁ」というような三河の言葉がうつっていて。最近は関西弁になってるけど、今は気をつけて、外人日本語でしゃべろうとしています。

僕は自分の仕事を説明するのがすごい下手なんだけど、仕事がいろいろあって、昨日これ作りました。古い仕事いっぱい引っ張ってきて、ちょっと懐かしいなって。たぶん真ん中のほうに間寛平さんがいると思うんですけど。

みなさんは知らないかな、世界1周走ったという何年も前の企画。あっ、知ってます? ありがとうございます。これは日テレの土屋プロデューサーという『電波少年』を作った方の企画で、「世界1周寛平さん走りたいと言ってるけど、ネーミングどうしましょうか?」と声をかけていただいて。この「アースマラソン」というネームは、実は私がつけたものです。

それで、しばらく日本側のチームの海外広報担当だったんですけど、お金がまったくなくて、ほとんどボランティアに近かったんです。電通・日テレと、もうとんでもない大手から私月5万円ぐらいのギャラをもらっていました。あとで言われたんだけれども、これ30億円ぐらい分のメディア露出を僕が作ったらしいんです。だから「ちょっとちょうだいよ」と思いましたね。

(会場笑)

アリゾナ州の誰も聞いたことないような地元テレビと地元新聞に直接電話して、「日本人が世界1周走っていて、あなたの町に明日の2時に行きます」。地元のスポーツクラブにも電話して、「みんな一緒に寛平さんと走りましょう」という企画を誰にも、土屋さんにも相談せずに勝手にやったんですよ。

気がつくと、この小さな田舎町に地元の陸上系のジョン・カーとかアスリートの素人の人たちがわけわからない日本人と一緒に走っていて。地元の新聞が「これはおもしろい」と写真撮って、2,000人しか読んでいない小さい新聞にたくさんたくさん載っていって。というようなことをやっていましたね。

ふだんほかにもいろいろやっています。ものすごい僕しゃべるんですよ。

司会者:そうなんですよ(笑)。あの、もう少し先進めてもいいですか?

トム:ああ。ストップと言って(笑)。もうわからなくなっちゃうんですね。

司会者:わかりました(笑)。