地域とシェアリングの未来を議論

司会者:「地域とシェアリングエコノミーの今後の未来」について、トークセッションを行っていただこうと思います。今回のファシリテーションは、重松さんにお願いをしております。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

重松大輔氏(以下、重松):なんとかがんばりたいと思います。よろしくお願いいたします。

まず今日参加されている方の属性は、どういう方が多いのかというのを事前に確認しておきたいと思います。経営者の方、もしくは経営に近い人はどのくらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

ありがとうございます。それでは、起業したい方。

(会場挙手)

そこそこですかね。では、ビジネスとしてシェアリングエコノミーに興味があるから来られた方。

(会場挙手)

(そういう方が)多いんですね。そこにミートするような話をしたほうが良いですね。では、学生の方。

(会場挙手)

学生さんもそこそこいる。ありがとうございます。なので、シェアリングエコノミーについて、いろいろ話したほうが良さそうですね。

まず、みなさんにおうかがいしたいのは、シェアリングエコノミーでドメインを選んだ理由を教えていただければなと思います。山本さんから。

マッチングサービスの成功体験

山本大策氏(以下、山本):私はさきほども言ったんですけど、TimeTicketを作るきっかけになったのが「コーヒーミーティング」というお茶するマッチングのサービスでした。それまでも10年くらい、個人でいろいろサービスを作っていたんですけど、なにも丸っきりかすりもしなかったんですね。

ただ「コーヒーミーティング」をやったら少し広まったんですよ。この成功体験がやはり大きいです。人を会わせる場を作ることが、「自分には合っているのかな」と思いました。

これは後付けなんですけど、よくよく考えると高校や大学でも、そういうイベント企画をするのが好きだった。なので自分にはそれが合っていると思いました。

そういうコーヒーミーティングなどをやってきたんですけど、ストーリーとしてはその次にやるサービスも人と人が会うサービスをやった方がわかりやすいと思いました。

ただ次はしっかりお金払って、人と人が会う、というのをやる。「山本はそういうことをやる人間だ」と思ってもらいやすいかと思いました。ですので「そういうのがわかりやすいかな」という感じでドメインは選びましたね。なので、「シェアリングエコノミーだから」という感じではなくて、基本的には「人と人が会う」、その軸で自分は選びました。

重松:なるほど。ありがとうございます。和田さんはどうしてここをやろうと思ったんですか。

和田幸子氏(以下、和田):一番最初はやはり、「家事代行の価格が高いからみんな使えないんだ」というところから入っていますね。「どうやったら安くできるんだろう」ということを、ずーっと考えていたんですよ。

そんな中で、そもそも「家事代行業者がサービスを提供する」という、そのビジネスモデルがこの高い値付けにならざるを得ないんだ、と思いました。だから「もう値下げは限界だな」「これ以上考えてもしょうがないな」と思っていたのが、3~4年続いていたんです。

ある日、英語の先生に、「海外では個人と個人がこういうサービスの契約をするんだから、間に業者が入らないのでもっと安く使えるんだよ」と言われたんです。外国は移民が多いから人件費が安い、みたいな文脈でよく話されているんですけど、実はそうでもないです。

アメリカだって、やはりリビングコストがそこそこ高いので、そんなに安く働いてくれるわけじゃないんですよね。

安い労働力というよりは、個人で契約しているから実は安いという話を聞いて、「あっ、ビジネスモデルを個人契約に変えていけば安くなるんだ」というところからのシェアリングエコノミーでしたね。

個人と個人が契約するプラットフォームって、ありそうだけどなんだろう、と思って探したときに、当時Airbnbがちょうど日本に入って来ていたタイミングで。「あっ、これそのまんま使えるんじゃないかな」と思ったのが最初のきっかけですね。

重松:なるほど、なるほど。大知さんもお願いします。

「シェアオフィス」という観点から

大知昌幸氏(以下、大知):MJEの大知でございます。今日はお越しくださいまして、ありがとうございました。

僕は「シェアオフィス」という観点から今日、ここに座らせていただいているのですが、まずはそこに至った背景からお話させていただきます。僕は2006年の9月に1人で創業して、オフィスと店舗のソリューション事業を展開してきて、今年で13年目になります。

2016年の4月に「うちの会社、ちょうど10年目やぞ」と思ったときに、規模も200人くらいまでになってきて、「これからの10年、どうしていこう?」と真剣に考えるタイミングを迎えました。

これからの10年のことを考えていたときに、社会的なテーマに目を向けるようになってきました。そこで目についたのが、国税庁が発表していた「日本の起業の実態」でした。

日本では年間10万社くらい、新規で会社が設立されているらしい、という統計がある。「まぁまぁ多いな」という印象だったんですけど、あとで調べると欧米に比べたら、比率で言うと非常に低いらしいです。

もう1つ見た統計が、廃業率の数字だったんですね。設立して5年で、85パーセントが廃業するという統計があります。

重松:えー。

大知:いまだにそれが合っているのか、わからないんですけど、そういう数字を見ました。そのときも、多いか少ないかで言うと、僕からすると5年以内の廃業は「アカンやろ!」。

もちろん、無理な経営を行なっている会社が淘汰されていくのは当然のことだとは思うんですけれども、その潰れていく会社の中にはイノベーターのような、これから日本を救うイノベーションを起こしそうな人も、きっとたくさん含まれているんだろうと思ったんです。その人たちをなんとかしたいと思ったのが、まず僕の感情として芽生えました。

それとこれは、僕の起業のときの原体験なのですが、たまたま、僕は「シェアオフィス」出身なんですね。10社くらい集まったおしゃれなオフィスに、お金がなかったんで月2万円払って入らせていただきました。

アーリーステージで過ごしたそのときのことを思い出しました。どんな体験だったかというと、当時そのシェアオフィスでIT関係の仕事をしているのが僕だけだったので「ITとか情報通信系は全部大知くんに任せよう」みたいなことがあって、そこからの紹介で、売上が上がり非常に助かりました。

僕は、1人で入居していたんですが、10社の人たちと夜な夜な飲みに行って、喧々諤々、情報交換であったり、夢を語り合ったりしました。寂しくなかったのというのも大きかったですね。

もう1点が、おしゃれなオフィスを共有していたので、採用が効きました。そのときに採用したのが現在billageの事業部長を務めている社員なんですけれども。要するに、「オフィスがおしゃれだったから」という理由で採用ができた、ということですね。

(会場笑)

重松:大事なことですね(笑)。

大知:(笑)。

アメリカの前例を徹底研究

大知:僕、お金の借り方などが、全然わからなかったんですけど、シェアオフィスにいたボスみたいな人が、銀行のお偉い方に声をかけてくれた。「こいつ金いるから少し貸したってくれ」みたいなことを言ってくれたんです。それでお金を借りることができました。

そんなことを10年経った今、思い出します。こういう環境を作ることで、廃業することから助けてあげれたり、ヒト・モノ・カネ・情報の調達や機会創出につながっていくんじゃないかと。これが、シェアオフィスをやろうと思った理由です。

重松:なるほど。

大知:(ここからは)シェアリングエコノミーの話です。僕、シェアリングエコノミーはAirbnbやUberなどは知っていましたけれども、そこまで興味があるわけじゃなかった。「シェアオフィス、どんなんが良いんやろ」と調べつくしたら、WeWorkにたどり着いたんですね。

2016年の春先にはWeWorkの記事が日本語でまだ2~3つくらいしかなかった。僕はぜんぜん英語ができないので、一生懸命英語を誰かに和訳してもらったりしました。その記事がシェアリングエコノミーの文脈で語られていた。僕は、ただのレンタルオフィスのような部屋貸しなのに、シェアリングエコノミーの文脈で語られていることがまったく理解できなくて。

それで、「現地を見に行こう」と。シリコンバレーに僕はツテがあまりないので、L.A.まで行って、そこのシェアオフィス事情をいろいろ見て回ったんです。そうしたら、ことごとくシェアリングエコノミーの文脈で語られていて。それでもまだあまりよくわからなかったんですけど(笑)。

あとで気付いたのが、つながりであったりとか、ネットワーキングみたいな感じで、自分の強みとかリソースを助け合っている、活かしあっていることを目の当たりにしていたんだということ。「これが本質やな」と思いました。

なので、シェアリングエコノミーから入ったというよりは、「人が育つ」「機会創出」などを考えていった結果、WeWorkなどに出会い、最終的にシェアリングエコノミーにつながっていきました。少し長くなって、すいません。

重松:いえいえ、ありがとうございます。なるほど。

アメリカで学んだシェアリングの意味

重松:私はちょうど今起業して丸4年経って、5期目に突入します。サービスを開始してもうすぐ丸4年です。

なぜこのビジネスをやろうかと思ったか。起業しようと思ったのは、2013年くらいで、起業のネタを探していました。起業のネタの探し方は、いろいろあるんですね。「これをやりたい」「こういう思いを解決したい」。そこから始まる人。

(一方で)僕はわりと「オポチュニティがどこにあるのか」というところから入るタイプだったんですね。なおかつ、それで自分の得意が活かせるジャンルはないか、すごく思っていました。僕は、別にコードを書けるわけでもないし、エンジニアでもないし、前職はネット系の会社ではありましたけど、そのビジネスプロデューサーでした。その畑で、あとはPRがすごく得意でした。

PRでレバレッジがかけられて、営業で積み上げて、なにかプラットフォームビジネスが良いんじゃないかと思いました。最初は営業で集められるプラットフォーム。ある程度、ボリュームが出てきたら勝手にスケールしていくモデルが良いとは漠然と思っていました。

その中で私がやったのが、アメリカでY Combinatorや500 Startupsなど、いわゆる「アクセラレータ」と言われるスタートアップ企業の発掘をして、数人くらいのチームができて、もうビジネスのシーズ(種)しかない、「これから」という人を、3ヶ月カンヅメにして、最後にデモデーでプレゼンさせます。

その内容をまとめてあるメディアのようなものがありました。個人でまとめている人がいて、それを僕は丹念に見ていったんですね。そっちのほうがたぶん早いなと思った。

アメリカで成功しているものは日本に持ってきたら、なんとかなるんじゃないか、うまくいくだろうと思いました。そんな思いがあって、いろいろ見ていたところ、シェアリングエコノミー系のサービスは当時から多いです。

「Airbnbの○○版」のようなものがたくさんあったんですよ。会議室版とかイベントスペース版。Uberの○○版みたいな。

「あぁ、こういう方向に行くんだな」「世の中、C to Cで個人と個人がつながっていくんだな」と思いました。これはおもしろいと思った。僕の中で会議室やイベントスペースのマーケットプレイスのようなモデルが沸々と湧いてきました。腹落ちしたんですね。100個くらいアイディアを考えました。

これがやはりおもしろいんですけど、「これだけは、自分がやんなきゃいけないな」みたいな気になりました。

Airbnbを日本に持ってくるには旅館業法などのいろいろなハードルがあって持ってこれない。Uberも、白タクはダメですから。ここもハードルがある。というので、ハードルのないところはなにかあるのかな、と思ったら、会議室を貸すことやイベントスペースを貸すこと。普通にやっている話じゃないですか。

先駆者で『軒先.com』という、お店の空いているスペースじゃないですけど、軒先を貸し出すというサービスを立ち上げている方がいた。「これは法律的には問題ないんだ」というのを考えて、いろいろ裏取りしたんですけど、問題ないのもわかった。

正直「俺のほうがうまくいくな」と自信があって(笑)、いろいろな人と壁打ちをします。いろいろな経営者に僕は聞いたんですけど、「これ、お前絶対成功するわ」とみんな、口々に言ってくれたんですよ。

「これは絶対お前がやったほうがいい」ということを、いろいろな人が言ってくれて。「これはもうやるしかないな」と、このドメインにしました。

最初のサイクルをいかに回すか

重松:続きまして、一応お題にも触れていこう。「シェアリングエコノミーが発達すると、地域経済はどう変化・活性化していくと思うか」というところですね。日本では、やはり東京からですね。人口密集地帯から、シェアリングエコノミー系が始まる。

さきほど、みなさんの売上の成長曲線などをご覧いただいてわかったとおり、最初の立ち上げは非常に大変なんですよ。やはりネタ的に、まずその立ち上げの苦労を一応聞きましょうか。

大変なんですよ、本当に大変です。ただ、ぐるぐる(サイクルが)回ってくると、非常に伸びる。「ネットワーク効果が効いてくる」という、そんな特性があります。とはいえ、最初のぐるぐるを回すのが大変だというところで、山本さん、どうやって立ち上げてきたかを少しうかがってもいいですかね。

山本:まず作るときに考えたのは、C to Cのビジネスは売り手側と買い手側がいて、ここがけっこう難しいところです。ユーザーが2パターンいるんですよね。またその両方やる人もいるんで、正確に言うと3パターンいることになります。

でも基本的に、最初はやはり売り手側を集めるのが定石かなと思いますね。なので基本的には、売りたい人が集まるようなキャッチコピーで、売り手や商品をしっかり集める。モノがないとなかなかプラットフォームにならないですから。

そういう人たちがそこにしっかりリスティングしてくれて、しっかりそれが買われる。その体験までいかに短くさせるか。

購入体験を「楽しいな」と販売者の人が思ってくれたら、その人たちはやり始めるんで、次は購入者の人たちを広告を出して集める。そういうことが基本的なことだと思いますね。

あとは購入者の人にとっては何回もリピートして購入してもらわないといけないので。リピート購入がしたくなる仕掛け、クーポンやポイントなど、いろいろあるんですけど、そういうものを後々入れていく。

最終的にはいわゆるECみたいになってきますけどね。でも最初はやはり売り手から集める、というところがシェアリングエコノミーのポイントかなとは思います。

アーリーアダプターにはハマった

重松:すごくきれいに話しているんですけど(笑)、売り手を集めるところは最初大変じゃなかったですか?

山本:最初はけっこう、わりとそうです。でもうまくいったほうだと思っているんですよ。

重松:やはり、うまいとこですよね。

山本:最初の1週間で5,000人くらいにユーザー登録していただきました。

重松:へぇー。

山本:最初の1週間で1,000枚くらいチケットは出たんですよ。

重松:さすが。売れたんですか? マジっすか!?

山本:売れてないです。出品されたんです。

重松:なるほど、出品されたんですね。

山本:でもそのうち、100枚くらいは売れていってですね。

重松:えぇー、すごい立ち上がりですね。

山本:そうなんですよ。なので、そこはたぶんハマったんですね。ただ、ここもけっこう難しい話で(笑)。僕が「ハメるのがうまい」と言い方はアレなんですけど、意外とアーリーアダプターの方向けのメッセージは、わりとうまく伝わるんですよ。

そうなんですけど、その人たちはあまりいないので。そこから先に広げるためにはまた別のメッセージがいるところが、けっこう難しいとこですね。

アーリーアダプターの人は最初は食いついてくれるんですけど、すぐに飽きるみたいなところがあるので(笑)。そこばかり狙っててもダメだと思いました。でも最初にバズらせるためには、そういう人たちが出品しなきゃいけないのもあります。

重松:なるほど。

日本人に限定せず、働く意欲の高い外国人に目をつける

重松:(和田氏に)聞きたいことがたくさんあるんですけど、「タスカジ」の話を。

和田:苦労しますよね、苦労の連続なんですが。まず、働き手のタスカジさんですね。最初、集めるのに苦労しました。当時は家事代行は、それを仕事にできるということがメジャーではぜんぜんなかった。家政婦さんというと、「市原悦子さん? お金持ちの家をこっそり覗く?」みたいな(笑)。

(会場笑)

そんなイメージだったんですよね。普通にその辺の人が普通の家庭で働いている感じじゃないですよね。日本人の方で「そういう仕事をしたい」という人に、まずそもそも出会うことができない問題がありました。カルチャーの問題です。

有名な人材募集サイトがあるじゃないですか。そういうところで募集したら見つかるらしいと聞いたんですが、最低1ヶ月10万円や20万円するんです。「30万円くらい出せば2人くらい見つかりますかね」みたいな(笑)。人数はわからないんですけど、それくらい。お金がめちゃくちゃかかる感じだったんですね。

私は起業したときに、自己資金200万円で起業しています。そのうち100万円をシステム開発費で使って、50万円を利用規約を作るので使って、あと50万しか残ってなかったんですよ。30万円使っちゃったらこれもう終わりだな、と思ったので(笑)。人材募集サイトを使うこともできない。

どうしようかと思ったときに、フィリピンの方で永住権を持っている方が、家事代行の仕事を熱心に探しているという話をもともと知っていました。それは起業する前に「個人間契約でハウスキーパーさんを見つければいいじゃないか」と、アドバイスをくれた英語の先生から教えてもらっていました。

フィリピン出身の方は本国に仕送りするために、日本ですごくがんばって働いているということを知っていました。そういう方々と自分自身も家事代行の個人契約した経験があって、すごくパフォーマンスが高いことを知っていたんですね。

家事の仕事はそんなにたくさん会話しなくてもお願いできるので、片言の英語ができる依頼者の方であれば、十分依頼できるだろうと思いました。

大企業のビジネスパーソンをターゲットに

和田:しかも今、大企業の人たちは、グローバルマインドやグローバルリーダーシップなどを要求されて研修をたくさん受けている人たちで、片言の英語は喋れるし、外国人とうまくコミュニケーション取らないといけない意識も高く持っている人たちが、メインのターゲットと捉えれば、そことマッチングするとよいのではないかと思いました。

とくにそういう方々の中でもファミリー世帯は、子どもの教育もすごく熱心です。グローバル教育で、ディズニーの英会話セット100万円のようなものなどを買って熱心に教育投資をしているような人たちがいます。

そういう人たちがターゲットになるとすれば、フィリピンの方々の英語で話す家事代行サービスをみなさんがむしろ付加価値だと思って購入してくれると思ったんですね。フィリピンの方々を募集するために、教会の前でチラシを配ったり、外国人の方が出入りするようなスーパーに貼り紙を貼らせてもらいました。お金をかけないかたちで募集を始めました。

それであっという間に30~40人集まってサービスインすることができた。1つの難関をお金かけずにくぐり抜けた方法でした(笑)。

次に「サービスインしてみました」と告知すると、シーンとなったんですよね(笑)。誰も依頼してくれる人がいない。みんな、「使いたい!」と言うんですけども、実際はお金払ってまでなかなか使ってくれない、というのが現実的な厳しさでした。

さらに家事代行はそこに追加して、「家の中に他人を入れる」「家事を他人にお願いするなんて罪悪感がある」というハードルがあったので、余計に大変なサービスなんですね。「これは文化を作らないとみんな使い始めないな」ということに気がついたんです。

PRのためのメディア露出

和田:「どうやったら文化作れるの?」といろんな人にアドバイスを求めたら、「メディアを巻き込むのがいいよ」と言われたんです。メディアの巻き込み方がまずよくわからなかったので「どうすれば?」と聞いたら、「ブログを書いたらいい」「講演会で登壇していると、その様子や記事を見て、メディアのみなさんは取材に来てくれる」みたいな話を聞いたので、まずはブログを書こうと思いました。

ブログを書いていると「イベントに登壇してください」みたいなお話をたまにいただくようになって、少しずつ登壇し始めたんですね。ちなみに一番最初のイベントは、10人くらいの方がいるマーケティング勉強会のイベントで、お友達の方が講師に招いてくれて、無料で講演するみたいな内容でした。

そんなイベントだったんですけど、でもそういうところにも登壇したのは事実なので。「登壇しました!」ということで写真撮ってもらって(笑)。前でこんなふうに喋っているところを撮ってもらいました。

それもブログに出したりFacebookに流したりしながら、わらしべ長者じゃないですけども、少しずつ大きな講演会に招いていただけるようなかたちで。みなさんの前でいろいろな、「家事代行をどうして広めないといけないのか」みたいな文化づくりをしていきました。

ちなみにTimeTicketは、そのときにけっこう活用させていただきました。講演でどういうテーマが響くかがわからなかったので、TimeTicketで複数のテーマで出してみて、申し込んでいただいた方に話して、反応を見ながら講演テーマを練っていったり、そんなふうに活用していました。

そんな感じでやっていったら、徐々に新聞やTVなど大きめのメディアで取り上げていただくことが増えてきて、それでようやくユーザーさんが半年後くらいについてきた感じですね。

重松さんのおっしゃるとおりで、サービスイン直後は、1~2万円の売上の月日が数ヶ月続いて(笑)。本当にビジネスやっているのかどうか、よくわからないような状況だったんですけど。そんな感じで、だんだん知名度が上がり利用者も増えていきました。

ただ、シェアリングエコノミーをやってみて思ったのは、お客さんは、ニーズがあるサービスであれば結局いつかはついてくれるので。それまでどれだけ持続していかれるかがポイントです。

だから最初、あまりお金をたくさん使わずに、自分の手を動かして、コストをなるべく削減しながらバーンレートを抑えていく。長く長く生きながらえていくと、いつかは花開くかな、と感じました(笑)。

重松:ありがとうございます。深いですね。

直感や考え方を極力排除した理由

重松:大知さん、なにかありますか?

大知:あの、(billage OSAKAの)オープンが先週なんで(笑)。

(会場笑)

僕が一番苦労したのは、僕はいつも「やろう」と言ったら、もう「明日やろう!」みたいな性格なんですよ(笑)。もうやりたくてやりたくてしょうがない。

シェアオフィスをやると決めたのも、2016年の春から秋口にかけてで、もう「やる」と決めたら今すぐやりたい。結局そこから今1年半くらい経っているんですけど、「やる」と決めたらやりたくてしょうがない。それが一番苦労しましたね(笑)。

重松:(笑)。

大知:今まで当社では、Web系・メディア系、あるいは動画関連など様々な新規事業に取り組んでもみているのですが、思うように成果に結びつかないことも多くて、「社長の思い付きで」みたいに批判的な意見が聞こえることもありました。

今回ばっかりはスタートするのに、物件も借りて内装もして、しっかり計画的に、マーケティングをやってからやらないといけないので「なるほどな」と思いました。

ということでbillageは、僕の直感や考え方を極力排除した、マーケティングや統計などのデータに基づいて設計した空間になっているんですね。とにかく我慢をすることに苦労しました。

重松:(笑)。

大知:ここではとにかく、コミュニティやコミュニケーションやコラボレーション、人のつながりなど、「ネットワーキングを生み出す」ということを目的としていますし、それを売りにしたいと思ってずっと告知をしてきました。今のところ、半分くらいの問い合わせが「場所」に由来しています。場所と値段だけで問い合わせが入っている。

例えば、なんば駅が近くにあるんですけれども、そこにレンタルオフィスの最大手があるんですが、その比較検討としてbillageが見られることが、今僕らがアウトプットをしていくうえで苦労しているところですね。

ですから、billageの本当の価値を伝えていくことをこれからがんばっていきます。

重松:ありがとうございます。確かにそうですね。

知人からビジネスの輪を広げる

重松:私なんですけども、一番最初の苦労はそもそも物件をかき集めるところからでした。ニワトリが先か・卵が先かでいくと、やはり最初にまず物件ありきなんですね。物件をどう集めるかというところで、企画書何枚かでプレゼンして回っていったわけですけども、なかなかね……。「よくわからない」みたいな話がいろいろあったり。

そこはわりと前職からのつながりや私の知り合いとか、今までお世話になった方をぐるぐる回って、なんとか最初、100個くらい集めたんですね。スペースマーケットは、「いろいろなスペースが借りれる」というコンセプトを最初からブレさせたくなかった。スペースの利用の発想を変えたいのはすごくあった。

サイトを見て、いきなり会議室ばかりだと、たぶん「それは今までとなにが違うの?」という話になってしまうと思います。

なるべくいろいろなものを集めるために、古民家なども回りました。古民家も私の先輩でしたし、映画館もうちの奥さんの友達の旦那さん。お化け屋敷は、うちの弟が昔そこに住んでいました(笑)。そこのオーナーがお化け屋敷にしちゃった。そういうつながりでした。

結婚式場や野球場もそうです。野球場にいたっては、たまたまアメリカの球団で働いていた僕の友人がいて、日本の球場は大企業が持っているので、かなり時間がかかるというのはわかっていた。

普通のスタートアップが行って、まだサービスもないのに「載せてください!」とか言っても、たぶん載せてくれるわけない。実際に裏交渉はしていたんですけど、「1年かかるな」と思いました。

各種メディアで周知する日々

重松:どうしても野球場を載せたかったので、たまたまアメリカの球団で働いていた僕の友人が、球団社長を連れて日本に来るタイミングがありました。

そこで僕は相撲に連れていったんですね。酒を飲ませて、良い気分にさせて、「実はこんなことやるんだけどいい?」と言ったら「まぁいいんじゃないの?」「アメリカはふつうにこういうのあるから」。

「あぁそうですか」ということで、すごく良い写真があったのでそれをたくさん使わせてもらったら、それがメディアに非常に出まくったんです。「野球場も借りれるサービスだ!」みたいな。

わりと最初からメディアはうまくハマった。とにかくTVや新聞などのメディアに出まくったんですけど、みんなぜんぜん使ってくれないんですよ(笑)。

当時は本当に2人で始めていたので、当然使い勝手が悪いというのもあります。けっこう厳しかったんですが、とりあえずトラクションが少しずつ上がるまでは、ひたすら僕は物件をかき集めるのと、メディアに出て「こういう世界がくる!」と話していました。

利用事例なども、無理やり知り合いの会社に使ってもらっていました。「お寺でこんなことやっている」「古民家でGoogleがこんなオフサイトミーティングやっている」。そういうこともTVに取材させたりとかします。

最大限、「盛り上がっているぞ!」ということをひたすらやり続けました(笑)。

半年くらい経ったらハロウィンのシーズンが来たんですね。実はハロウィンで、一番最初に利用者が増えた。(業績が)ポコッと上がった。そのあとに忘年会シーズンが来て、もう1つポコッと上がった。

それでもまだ今のトラフィックから比べると、本当にかわいいものです。そこで「このビジネスは間違いないんだな」というところで、そこからですかね。

なのでやはり続けられることと、とにかく僕は吹きまくった。わりと早い段階で、もうハッタリだけでお金も集めた。今となっては、けっこう綱渡りなんですけども、良かったと思っています。