デビュー当時の原点に戻り「江南スタイル」が生まれた

PSY氏:ここ10年で私は5枚のアルバムを出しています。2011年に6枚目のアルバムを出しました。10年経ちましたが、私は韓国で皆が夢中になる存在ではありませんでした。ですが、コンサートは定評のある1人でした。どう言ったら良いのか、ロビン・ウィリアムスのような、と言えば良いのでしょうか。

(会場笑)

私のコンサートは韓国で最も大きい規模を誇っているもののひとつですが、ワン・ダイレクションなどのようにキャーキャー騒がれるようなものではありません。

(会場笑)

去年、私は思ったのです。6枚目のアルバムは、原点に戻ろう、と。デビュー当時の私のスタイルは、面白おかしい曲と振り付けとダンスが売りでした。人を笑わせられるからです。そんなふうに思ったのは、世界中が経済危機に喘いでいて、韓国も例外ではなく、とてもひどい状態の中、12年目のアーティストとしてすべきことは、私の音楽やダンス、ミュージックビデオで人々を明るくすることだと思ったからです。

そう言うわけで、私は曲作りを始めたのです。出来うる限り、バカになろうと。

(会場笑)

そして、ひらめいたのが、「江南スタイル」です。6枚目のアルバムのシングルでした。私が「江南スタイル」をひらめいた時のことをお話しましょう。

皆さんは「騎乗ダンス」と呼ばれるダンスを目にしたでしょうが、私は12年もの間、これは6枚目のシングルですから、つまり、今までに5パターン以上のダンスを考えてきました。韓国で、ですがね。韓国では良く知られているんですよ。新しいダンスを考えるのはプレッシャーとの戦いです。私と私の振り付け師は「騎乗ダンス」を考えるのに30夜以上費やしました。

(会場笑)

おかしな話しかもしれませんが、私たちはとっても真剣だったのですよ。

30夜の間、出来る限りのことは何でもしました。馬だけでなく、大げさに言うと、全ての創造物を試したのです。

(会場笑)

馬、猿、カンガルー、蛇、落ちる葉っぱ、太陽に月、すべてです。カンガルーは結構いい感じでした。ぴょんぴょんと…まあ、でも、ちょっと激しすぎるので次に進みましたが。そうこうしてたどり着いたのが馬です。

ジャスティン・ビーバーのマネージャーと契約

2000年の6月15日に歌とビデオを出し、YouTubeにアップロードしました。韓国のユーザー向けに。韓国人にもYouTubeを使う人は居るので、その人達に向けて。アップロードしてから10、15日経ったころ、ロビン・ウィリアムスが自分のページに私のビデオを載せていて、何を言っていたか覚えていませんが、「疲れた時はこれを見ると良いよ」のようなことを言っていたのです。

そういう感じのことが繰り返し起こって、世界中の沢山のポップスターやセレブが私のビデオについてTwitterでツイートしだしたのです。沢山のフォロワーを持つ人達が、です。そしたら、フォロワー達はビデオを見て、この男が何者かと話始めたのです。

私の会社の人から聞いた話ですが、7月20日だったか、それくらい、騒ぎが起き始めて10日くらい後、会社の人間が何事かが起こっていると言い始めたのです。YouTubeのコメントが韓国語以外でされている、と。韓国語以外ってどういうことだ、と。

英語のコメントもある。でも、韓国人も英語を使いますので、韓国系アメリカ人も沢山居るわけですから、しかし、私がコメント欄を覗いてみると、6、7言語、中には全然読めない言語もありました。フランス語、南アメリカ語、沢山の言語で書かれたコメントが載っていたのです。アジアの言語、韓国語、中国語、日本語は私の国籍について言い合いをしていたので分かりましたけどね。

(会場笑)

その頃、私が言ったのは「なんだこれは」でしたが。

(会場笑)

何が起こっているんだ? どうなっているんだ?ってね。そうこうしている間に、人は私について調べ始めました。CNN、BBCなどがね。私はひたすらわけが分かりませんでした。

そんな折、一本の電話を受けたのです。幸運なことに、私は大学時代をアメリカで過ごしていましたから、ちょっと英語が喋れました。誰かが電話で、私に「PSYか?」と言って来たのです。

再現するとこんな感じです。「そうですが、あなたは?」と私が言うと、彼は言いました。「ジャスティン・ビーバーのマネージャーのスクーター・ブラウンだけど」と。間違い電話だな、と私は思いました。番号を間違えたのだと。

(会場笑)

それか、悪質ないたずら電話だと。本当ですよ。どうしてジャスティン・ビーバーのマネージャーが電話して来るのか皆目検討がつかなかったのですから。彼はジャスティン・ビーバーのマネージャーで、一緒に仕事がしたいなんて言って来たのですから。

最初、私はこう言いました。「ジャスティン・ビーバーのマネージャーさんよう、俺はただのビーバーちゃんだぜ」と。

(会場笑)

「何を言っているんだ」と彼は言いました。それが私たちの最初の会話でした。証拠を見せろ、と私は言いました。ジャスティン・ビーバーのマネージャーだと言うなら、その証明してみせろと。すると彼はメールでジャスティン・ビーバーと一緒に写っている写真を送ってきたのです。その証拠を見て、まず最初にしたことは謝りの電話を入れることでした。

(会場笑)

韓国人としてのスタイルを守ると決めた

彼はロスに招待してくれたのでロスに飛びました。飛行機で韓国からロス迄は10時間かかるのですが、その間、私は沢山のことを考えました。とても沢山のことを。何でここに居るのだろう、何で飛んでいるのだろう、何でジャスティン・ビーバーのマネージャーは電話して来たのだろう? 何故私は彼らの所へ向かっているのだろう? これからどうしたら良いのだろう? 13、4年前失敗した作曲家がどうすればいいのだろう、と。

そんなことを考えている内に、挑戦出来る事が沢山あるんじゃないかと思い始めたのです。西洋の音楽市場で、アジア人として挑戦出来ることがあるんじゃないか、と。それまで、沢山のアジア人アーティストが西洋の音楽市場に挑んで来ました。しかし、どんなに簡単そうに見えていても、アジア人が西洋の音楽市場で名を残すことは容易ではありませんでした。

そこで考えました。どうして皆楽しませられなかったのだろう、と。もしかしたら、西洋の音楽市場に挑戦する人達が、西洋人かのように振る舞っているからじゃないか、と。私たちは西洋出身者ではありません。東洋出身者です。私は韓国の出です。

そうだ、アメリカ人でもイギリス人でもないのだから、自分を偽らずにあろう。韓国人でいくんだ、と、その時決めたのです。私は歌詞の言葉も変えませんでした。もし歌詞が英語なら、皆さんも歌の意味は理解出来るでしょう。でも、それじゃおもしろくありません。もうすでに沢山の素敵な人達が英語で歌を出しているのですから。しかも、私よりもずっと英語も上手ですしね。

私が韓国語を使えば、皆さんに歌詞の意味はわからなくても、私は絶好調の歌を聴かせられます。だって、私は韓国人ですから。韓国語の上手さにかけては西洋一ですからね。なので、表と出るか裏と出るかはわからないけど、歌詞はこのままでいこう、と。ジャスティン・ビーバーのマネージャーに会ったら、韓国語の歌詞でいくことを伝えることに決めたのです。

飛行機が着いてからジャスティン・ビーバーのマネージャーに会って、「韓国語の歌詞は変えない、それで良かったら契約の話を進めよう」と、自分の気持ちを伝えました。すると彼は、「そっちのほうが良いと思っていたところだ」と言ったのです。

そんなわけで私たちは契約を結び、世界中に「江南スタイル」が韓国語で出されたのです。私が韓国という国を愛しているという理由からではありません。出来る事をしたかったからです。私が得意な事をしたかったのです。

私は英語が得意ではありません。今、韓国語を話していいと言われれば、あなた達が泣くほど笑わせる事もできるでしょう。

(会場笑)

たった50秒でです。約束できますとも。今はできかねます。私はちょっと厳粛に見えないですか? 英語で話しているからですよ。どういうわけか、英語を話しているときは厳粛になってしまうのです。

「江南スタイル」がUKオフィシャルチャートで1位に

契約をしてから、沢山のことをしました。アメリカの沢山のスタッフとね。テレビに出たりとか。いろいろ。ところで、オフィシャルチャートってありますよね? あれ? オフィシャルチャートって知らない?

会場:UKオフィシャルチャート?

ああ、UKオフィシャルチャートか。UKオフィシャルチャートね、知っていますか?

(会場笑)

UKオフィシャルチャートとオフィシャルチャートじゃ全然違いますね。1ヶ月前だと思うのですが、「江南スタイル」がUKオフィシャルチャートで1位になりました。韓国語で、です。ビルボードでも2位になりましたが、UKオフィシャルチャートでの1位です。CM曲の本場、UKチャートでの1位、です。アジア人で、韓国人で、母国語で、です。

この曲を披露する時、聞いてくれている人たちを見ていると、とても嬉しくなりますが、同時に申し訳なくも思うのです。楽しんでもらっているのを見るのは嬉しいのですが、歌詞の意味を知らないのだろうなと思うと申し訳なく思うのです。

(会場笑)

でも、素敵な事じゃないですか? パフォーマンスを楽しんでくれる人は、歌詞を知る必要が無いのです。その時思ったのです。それぞれ、自分で考えた歌詞があるんじゃないか、と。それぞれの、セクシーレディのね。

契約から2、3ヶ月が過ぎ、今、オックスフォードに居ます。この2週間、韓国からオーストラリア、アメリカ、カナダ、フランス、を巡ってきました。そして、今、ここに居ます。私はヘビースモーカーなので、ずっと飛行機で禁煙するのはまるで拷問です。

(会場笑)

有名になったので、レストランなんかでも喫煙出来ないのですから。10時間、15時間、また10時間と飛行機で移動するのは正に拷問です。飛行機で行ったり来たり、行ったり来たり。正直、今日が何日なのかも分かりません。

でも、ここに居て、オックスフォードユニオンで話をしていて、そして皆さんが私の話を聞いてくれています。言わせて下さい。すっげえことが起こっている! そうでしょう?