2024.11.29
“マニュアル作成が進まない問題”をAIで解決 管理者の負担も軽減できる、先進AIツール活用法
モアハウス大学 卒業スピーチ 2019 ロバート・F・スミス氏(全1記事)
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司会者:それではここで今朝の卒業式の講演者である、正式なモアハウスのメンバー、ロバート・F・スミス氏をお呼びいたしましょう。
(会場拍手)
ロバート・F・スミス氏:2019年の卒業生のみなさま。みなさまは本当に美しいですよ。まず初めに、トーマス教育運営委員会会長、教職員のみなさま、モアハウス卒業生のみなさま、素晴らしいアンジェラ・バセットさん、突出した教員のエドモンド・ゴードンさん、ご両親のみなさま、祖父母のみなさま、伯母さんに伯父さん、兄弟たちに姉妹たち、ご家族のみなさま、ご友人がた、そして何より私のクラスメイトたち、おめでとうございます。
(会場拍手)
大学を卒業するということは、人生において、感心に値する、素晴らしい達成のうちの一つです。しかし多くのご両親も成功してこられたでしょうし、ここに来られるまでにみなさん一人ひとりも努力してこられたでしょうし、ここに来るまでにみなさんも多くの助けを受けて来られたことでしょう。
私たちはみなコミュニティ・集落・チームの産物です。今日のこの瞬間にあなたが到達できるように協力してくれた方の多くは、ここに共に参加してくださっています。ですから何より、もう一度、今度は立って、後ろを向いて、私たちのコミュニティ、家族など、ここに来てあなたと一緒に祝ってくれている人たちみんなに感謝とお祝いを伝えましょう。
(会場拍手)
いいでしょう。着席してください。まだ始まったばかりで、これからスピーチが始まるんですから。
(会場笑)
これでストレッチができたでしょう。
みなさんの前にこのように立たせていただいていることは、私の人生の中で最も素晴らしい瞬間のうちの一つと言えます。この瞬間をみなさんと、また私の母、生涯における教育者、シルビア・スミス先生と共にできるのは光栄です。彼女は私の人生において最高の模範者で、今日もここに来てくれています。
(会場拍手)
今週は、私たちにとって特別な1週間となっています。今週、私たちは3つの卒業式をお祝いします。私の姪っ子は母校のコーネル大学を卒業します。私の娘は高校を卒業し、この秋にバーナード・カレッジに進学します。私の長女のゾーイは、NYUを優秀な成績で卒業します。
彼女は私の家族の中で、大学を卒業する5世代目で、優等生の称号を得ての卒業は4世代目となります。ですから、はじめに、モアハウスの運営委員会はこんなにタイミングよくしてくれたことに感謝したいと思います。おかげですべての卒業式に出席することができます。
モアハウスは卓越性を要求し、前進するよう刺激し、アフリカ系アメリカ人男性が発展するために創立されました。私はいつも、この学校の豊かな歴史に魅了されてきました。そして、この学校に明るい未来があると信じています。モアハウスの兄弟たち、私は久しぶりにここへ戻ってまいりました。私は、彼らが教育の力とそれに伴う責任の力を理解していることを尊敬しています。
教育委員会のウィリー・ウッズ会長と私は20年来の友人ですが、彼にはこんな素晴らしいクラスをまとめてくれたことと、若者たちが前進できるように素晴らしい運営組織と教員をまとめてくれたことに関して感謝したいと思います。人間として、そして国として共に歴史を分かつ中で、モアハウスキャンパスは特別な場所と言えます。
今朝、この卒業式に来るのにみなさんが通ったブラウン・ストリートは、知性と個性と決意にあふれた男たちにより作られました。彼らは、マーティン・ルーサー・キング先生の言われた「道徳的な世界の弧は正義に向かっている」という言葉の意味を理解していました。
彼は、弧が自発的に曲がるとは言いませんでした。それは、私たちが肩を並べて正義に向かって押すことにより曲がるのです。みなさんが今日手にする卒業資格は、アメリカが提供できる最高のエリート資格のうちの一つです。
しかし、私はみなさんがこの卒業証書をただ壁に掲げるだけのもの、また現在の達成を反映するだけのものとなって欲しくはありません。この卒業証書は一つの契約です。「社会契約」です。この契約により、あなたの才能、エネルギーを注ぎ、私やあなたの立つこの基盤を築いてくれた英雄たちに誉を帰するのです。
神様は、みなさんが複雑な世の中に羽ばたいていくことをご存知です。このモアハウスに在籍している数年間の出来事を考えてみてください。「Black lives matter(黒人の命の価値)」に関する運動が起こり、多くの人たちが長きに渡り無視されてきた重要な声を支持するのを目撃しました。「Me Too 運動」により、性の平等について、私たちがまだどれだけ行動を起こさねばならないかにスポットライトが当てられるのを見ました。
また、さまざまなグループによるヘイト教義が、反省の色もなく流されているのを見てきました。地球温暖化の影響が無視できないほど深刻になってきているのも見てきました。世界では、秘密、プライバシー、職場や生活の中での知能機械のあるべき位置などの新たな問題を抱えてきました。
政治システムが、神聖な境界線である事実とフィクション、正しいことと間違ったことの間で揺れ動いているのを目撃してきました。現在の私たちは、壊れやすい世界秩序の不確実な時代に生きているのです。不確実性に関して言えば、私たちのコミュニティでは新しい問題ではありません。
みなさんのうち多くの人がそうであるように、私の家族もアメリカ合衆国の8から9世代目です。我々は、この土地に血を注いできました。汗を注いできました。体を張ってこの国を守ってきました。身体的、文化的、そして知的な分野で、この国の構造に知力や才能を注いできました。それにも関わらず、私の家族の中で安定したアメリカ市民としての権利を持っているのは、私が初めての世代となります。
(会場拍手)
考えて見てください。ほとんどのアフリカ系アメリカ人は、1865年に初めて現代のアメリカの富をもたらすプラットホーム、つまり「土地」の恩恵に少しだけ預かることとなりました。「解放黒人局」が85万エーカーの土地を元奴隷の人たちに与えることになるはずが、その計画はキャンセルされてしまいました。
その代わりにできたフリードマンの貯蓄銀行は盗まれました。原則的に、その償いもされませんでした。私たちには、南部のホームステッド法にアクセスする方法もありませんでした。それによれば、アメリカの土地の10パーセントが手数料より安く与えられていたのです。
それは、1866年の公民憲法、そしてあのアメリカ合衆国憲法第14条を経て、1868年まで続きました。その時、私の家族は実際アメリカの市民としての生得権を与えられたのです。その後、アメリカ人は社会的セーフティネットを作りました。1935年にソーシャルセキュリティプログラムを作りました。
しかし、その恩恵にあずかれないグループがあったのです。それは2つのグループの人たち、家政婦と農夫でした。それにより、66パーセントのアフリカ系アメリカ人、そして80パーセントの南部のアフリカ系アメリカ人がその恩恵にあずかれなくなりました。
それから、1954年にブラウン対教育委員会裁判により保護を受けられる法律が可決されたため、私の家族は平等な教育を受ける権利を得ることができました。その後、アメリカ合衆国憲法第15条により、私の家族はついに投票する権利を得ることができました。
南部では、このような権利は1890年から控えられてきました。抑圧状態は1965年の投票憲法が成立するまで続きました。それから半世紀以上経った今日ですら、投票箱の中立を確実なものとすることが難しい状況が続いているのです。
これらすべての、ランドマークとなる我らの権利の拡張とそれに続く抑圧は、分離を引き起こす新たなポリシーの力へと続き、強制バス通学が採用され、それは私が1年生になるまで、私のホームタウンである、コロラド州デンバーでは続いていました。
私の家族はデンバーの北東部に住んでいました。その頃、デンバーは他のアメリカのほとんどの都市と同様、人種により、政治的にも地理的にも極端に分離していました。私の住んでいたコミュニティでは、私の隣人たちはほとんどの人が教育を受けていて、誇りを持った働き者のやる気のある人たちでした。
彼らは歯科医、教師、政治家、弁護士、鉄道従業員、請負業者、小企業のオーナーや薬剤師などでした。彼らはアフリカ系アメリカ人のコミュニティに奉仕することに集中していて、私の近所の子どもたちが安心して生活できる環境を提供してくれていました。
彼らは公民権運動の最前線に立っていました。ベトナム戦争に息子を犠牲として差し出し、キングの死、ケネディ二人の死などを嘆きました。そんなに自分たちを与えてきたにもかかわらず、アメリカン・ドリームを完全に叶えることができずにいたのです。それでも時代が流れれば変わることができると信じてきたのです。自分の時代には叶わなかったとしても、自分の子どもたちの時代には変わるであろうと考えていたのです。
私は近所でも少数の強制バス通学(差別撤廃のために無料でバスなどの通学手段を用意する取り組み)をして街を渡り、白人たちがほとんどを占める成績の良い学校のある、デンバーの南東にある学校まで通うグループの一人でした。私たちは毎朝13番のバスに乗せられました。私は生涯それを忘れることはないでしょう。
その後、私はカーソン小学校へ行くことになり、強制バス通学は私が5年生になるときには廃止されました。私が5年生になった時、激しい反対運動が起こり、そのおかげで強制バス通学は廃止されたのです。しかし、5年間続いた強制バス通学は私の人生を非常に大きく変えました。
カーソン小学校の先生たちは非常に素晴らしい方々でした。彼らは私を受け止め、物事を批判的に考えるよう挑戦し、私のポテンシャルを引き出し、前進できるようにしてくれたのです。すると私はまだ小さかったのにもかかわらず、白人の子どもも、黒人の子どもも、ユダヤ人の子どもも、たった一人のアジア人の子どもも、みんな同じであるということに気がついたのです。
私たちがすることをサポートしてくれたのは、学校だけではありませんでした。私が住んでいたコニュニティが私たちを受け入れ、サポートしてくれたのです。私の近所に住む子どもたちの両親のほとんどは共働きだったので、毎日放課後になると、たくさんの子どもたちが歩いてブラウンさんの家へ行きました。そして、両親が仕事から戻ってくるまでそこにいました。
ブラウンさんは素晴らしい方で、私たちを安全に守り、きちんと宿題をさせ、栄養価の高いお菓子を食べさせてくれ、責任感とは何かを教えてくれました。彼女の家には非常にたくさんのさまざまな年齢の子どもたちで溢れていたので、私はそこですぐに自分の模範となってくれる人を見つけることができました。
彼らは一生懸命に勉強し、自分自身を信じていました。ブラウンさんはちょうど、初の黒人の州の副知事と結婚していました。ですから、自分たちの可能性を身近に見ることができたのです。
驚くべきことに、あの時の13番バスに乗っていた子どもたちのうち、ほとんどがプロフェッショナルの職業につきました。私は、彼らのうちの多くの人と未だに連絡を取り合っていますが、彼らは今日我々のコミュニティの礎となってくれています。
彼らはいま、役職者、医師、弁護士、エンジニア、教師、プロフェッサー、コミュニティ組織者、ビジネスリーダーとして活躍しています。同じ労働者階級から、非常に優秀な黒人男性と黒人女性が輩出されたのです。私が住んだ拡張されたコミュニティを見ると、あの13番のバスに乗らなかった子どもたちの成功率は、ずっと低かったことがわかります。その関係性を避けて通ることはできません。
私の人生のすべてはあの数年間に起こったことで大きく変わりました。しかし、私に対して扉が開かれていた期間が短かったように、他の人たちの扉もすぐに閉ざされてしまったのです。それこそがアメリカにおける黒人の物語です。機会と成功という扉が開いたその一瞬に、それをつかむのです。我々はどの世代においても、抑圧、そして法制度、その法制度の虚弱化、そして、さらなる抑圧、さらなる反発に巻き込まれ、苦しんできたのです。
近年になっても、私たちはメジャーなバリアが壊されてきているのを目の当たりにしてきました。もし未だにこのような不公正が存在していることを認めないのであれば、結果として自分たちを苦しめることになるかもしれません。
住む場所により、教育が受けられるか否かが決まるようであってはならないのです。教科書がもらえるか否かが、学校により決まるようであってはならないのです。チャンスを手にできるか否かは、あなたの勇気と創造性における、あなたの知性の力にかかっているべきなのです。
(会場拍手)
そして、努力して期待を超えるような度胸に後押しされるべきなのです。私たちは、医療研究の分野において驚くような発見をしてきましたが、未だに人種格差で健康状態が決まってしまう状況にあります。
もしあなたがアフリカ系アメリカ人女性だとしたら、白人女性に比べて、41パーセント高い確率で死亡します。もしあなたがアフリカ系アメリカ人の男性で、前立腺がんにかかったとしたら、白人男性に比べて2.3倍の確率で死亡します。もしあなたがアフリカ系アメリカ人なら、白人と比べてずっと高い確率で警察に呼び止められ、違反切符を切られるでしょう。白人よりずっと高い確率で、暴力で脅されるでしょう。それが現実です。
あなたがたは、このような世界を受け継ぐのです。私がこのようなことを述べるのは、私が苦々しい気持ちを抱いているのでも、みなさんに苦々しい気持ちになってほしいからでもありません。私はみなさんに現状を改善してほしいと願っているのです。なぜなら、私が人生の中で学んだ最も素晴らしいことは、たとえ問題に直面しようとも、アメリカは本当に素晴らしい国であるということだからです。
私たちの世界は日々縮小しています。そして、みなさんはそれを自分のものにするために、さまざまな道具で備えられています。現在人類の歴史上初めて、成功するために、前提条件として富、資本、そして土地、自然財源や人々のオーナーシップが求められなくなりました。
今日、成功はその人の能力、アイデア、そして勇気にかかっているのです。知的資本は高められ、収益化され、世界中に瞬時に拡散されるようになりました。知的資本はビジネスにおける新たな通貨となりました。経済と能力で、1世代のうちに貧困から繁栄へと人々を動かすことが、これほどまでに可能になったことは今までありませんでした。
私の住むこの世界のテクノロジーは、21世紀の経済にまったく新しい進入路を形成しました。私たちは共に助け合い、アフリカ系アメリカ人コミュニティがこのテクノロジー技術を習得し、自動化された分野から益を得られるようにしていくのです。
コミュニティは保護されなければ成功は現実のものとはなりません。私たちのポテンシャルは、最も価値のある資産のうちにあり、人々はビジネスオーナーになることで力づけられ、それにより、私たちのコミュニティに経済的安定がもたらされるのです。
(会場拍手)
この瞬間は、あなたがたのものです。疑いと運命の間には行動があります。私たちのコミュニティとアメリカン・ドリームの間には、リーダーシップがあります。それは、あなたのリーダーシップ、あなたの運命なのです。だからと言って、不公正を無視していいというわけではありません。あなたの力を用いて秩序を制定するのです。
そして、あなたが人種差別問題に直面することがあれば、その時、マヤ・アンジェロの息子、ジョンソン氏の言葉を思い出してください。彼はこう言いました。「人種差別は重力のようなものだ。それに逆らって、押し続けていなければならない。それについて考えるのに多くの時間を費やしてはならない」。
では、そのようなアメリカン・ドリームをつかむことができるのでしょうか。具体的なことについて、そして生活の中で則していかなければならないいくつかのルールについてお話ししましょう。この式が終わってしまったら、もう多くのことを教えられる機会はそうそうないでしょうから。
(会場笑)
ルールその1。実際に仕事をすることに取って代わるものはありません。
(会場拍手)
若者が私に「起業家になりたい」という話をするとき、私はまず「なぜ」と尋ねます。多くの人は、起業家になればすぐに裕福になれると思っているのです。そのような人は、「アプリを作って、会社を立てて、25歳になるまでに何百ドルか稼ぐつもりです」などと言います。それが不可能であるとは言いませんが、はっきり言ってそのような事例は珍しいものです。
よくあるシナリオでは、成功した起業家は何時間、何日、何年もの数えきれない時間を懸命に働き、自由な時間もなく、少ない給料で惨めな状況に耐えます。正直にお話ししますと、そこに成功の喜びがあるのです。
プライベート・エクイティ・ファンドを始める前、私は化学エンジニアでした。起きているときは、いつも窓のない実験室に閉じこもって仕事をしていました。それで、その分野のエキスパートになることができました。この分野の専門知識と化学的プロセスの教育を得られて初めて、私は自分の知識を実験室の外でも用いることができるようになったのです。
偉大さは磨かれることから生まれるのですから、その研磨をありがたいと思ってください。思いやりのある意図的な研磨を受けるなら、自分のいる分野でエキスパートになれるよう助けられるでしょう。
それぞれのフィールドのトップにいる黒人の男性や女性に会うと、最高の仕事の出来栄えを見ることができます。その成功は、アクシデント的に生じたのではなく、ほとんどの場合、黒人のリーダーは、今日その場所に立つために非常に多くの努力をしてきたのです。
私の人生に刺激を与えてくれた、黒人の現CEO、そして元CEOがたちがいます。彼らに会うたび、私は本当に驚かされます。バーナード・タイソン、ケン・フレイジャー、ケン・シュナルト、ディック・カーソンス、アースラ・バーンズなどがそうです。
彼らは、モアハウス卒業生ではありませんが、モアハウス精神を持った人たちです。彼らは、ベストでいるためには毎日切磋琢磨しなければならないということを理解しています。たとえ自分の技術を習得するために、何万時間も必要になったとしてもそうするのです。
私たちの偉大なリーダーの一人、モハメド・アリがこう言いました。「私はトレーニングのすべが嫌いだった。しかし、いま苦しんで残りの人生をチャンピオンとして生きるのだと自分に言い聞かせてきた」。
ですから、切磋琢磨して、チャンピオンとして生きるのです。
(会場拍手)
私の次のルールは、よく考えられたリスクを負う、ということです。私の祖父は、私のキャリアに関して特に興味を持っていました。私がエンジニアとしてクラフト・ゼネラル・フーズの安定した職についたとき、非常に喜んでくれました。
なぜなら、彼にとっては、私のような若さで安定した職業につくというのは夢のような話だったからです。しかし、私が祖父に、退職して大学院に行こうと思って入ることを伝えると、彼は心配しました。
そのときそんなに心配したのですから、その後何年も経って私がゴールドマン・サックスを離れようと思うと話したとき、彼の心配する様子が容易に想像できるでしょう。私は言いました。「おじいちゃん、僕は自分の未公開株式会社を立ち上げて、エンタープライズ・ソフトウェアに特化するんだ」。それを聞いた祖父は、私が狂ったかと思いました。
(会場笑)
私は、祖父と彼の知識と思いやり、そして、私をも守ろうとする姿勢を尊重していました。しかし、私は自分で調査し、リスクを計算し、最も重要なこととして、アメリカン・ドリームを手に入れるための基本設計を立てました。それこそがビジネス・オーナーになることだったのです。
そこで、私は自信いっぱいに、自分が一番よく知っている資産、つまり自分自身にかけることにしたのです。リスク回避をする理由はいつもあります。みなさんがモアハウスを卒業することも、リスク回避となるでしょう。そうして、いつも保守的な道を選ぶと、きっと結果や決定はまずまずいいものとなるでしょう。
でも、キャリアの中でギャンブルをしろとか、キャリアをコロコロ変えたり仕事を変えたりするべきだと言っている訳ではありません。隣の芝はいつも青く見えるものです。私が言いたいのは、自分にあるオプションを評価するべきだということです。ビジネスやキャリアのリスクは負うべきです。よく分析し、一番重要なこととして、自分の直感を信じてください。自分自身に賭けることは、良い賭けだと言えるでしょう。
私の3つ目のルールは、自分の選ぶ言葉に注意を払う、ということです。いいですか。
(会場拍手)
モアハウスは、きっとみなさんに、あなた方の話す言葉は重要で、非常に大きな力があるということを教えてくれたことと思います。自分の話す言葉をよく考えるようにしてください。自分をどのように定義するか、互いをどのように呼び合うか、共に時間を共有する人々、あなたが作り出す愛、そのすべてに非常に大きな意味があるのです。それがあなたを定義づけることになるからです。
私の4つ目のルールは、私が一番気に入っていることです。それは、いつもあなたは十分だ、ということです。先ほどもお話ししましたが、ゴールドマン・サックスの投資銀行に入る前、私はクラフト・ゼネラル・フーズでエンジニアとして働いていました。ある日、私は自分の部署の何人かとミーティングをして、我々の分割戦略を見ながら会議室のテーブルに座って、最も重要な戦略的必須事項が何かを考えていました。
私は、そこにいる6人それぞれを見ました。私はそのうち5人を指導していました。でも、私はその部屋にいる人の年齢の半分くらいで、その人たちの3分の1ほどしか給料をもらっていませんでした。そこで、私は自分に「思いっきり正しいことか、間違っていることをやるぞ」と言いました。はっきり言ってそれは正しくもあり、間違ってもいることでした。
そして、このことは私が自分自身の価値について気がつく良いレッスンになりました。給料は大事ですが、自分の価値は給料で決まるものではありません。それは他の人と自分自身から、尊重されることを要求することです。自分が提供できるスキルや才能を認め、リスペクトすることです。
あなたが自分の価値に自信を持つなら、次に課題が出現するとき、手を挙げることができるでしょう。そうすることは大変で、毎晩、毎週末を犠牲にすることを意味するかもしれませんが、それにより自分のスキルを伸ばし、経験値を上げ、自分の技を熟練させることにもなるのです。
自分の体を使った仕事で尊敬を勝ち取るのです。あなたの生み出すもののクオリティが、あなたの可能性を示すようにするのです。あなたは、自分自身の信念の限界により縛られているだけなのです。みなさんはモアハウス卒業生なのです。頭を高く上げて入れない場所など、この地球上には存在しません。
私も経験しましたが、あなたに居場所がないように感じさせるような人に出会うこともあるでしょう。それでも、自分の仕事に自信を持っているなら、それで十分です。あの偉大なクインシー・ジョーンズとレイ・チャールズの言葉にこんなものがあります。「あなたが私を受け入れるか否かは、私の自尊心とまったく関係がない」。あなたは十分です。
(会場拍手)
最後の5番目のレッスンはこれです。私たちみんなに、「他の人たちを自由にし、その人がベストな自分になれるようにする責任がある」ということです。人権、芸術、ビジネス、生活の面でそうするべきです。
実際、次世代のアフリカ系アメリカ人のリーダーとして、みなさんは「バスに乗る」だけではいけません。そのバスを手に入れ、運転し、その道を進む道中で、できるだけ多くの人々を拾ってあげることが必要なのです。なぜならお金より、賞を受けるより、地位を受けるより、私たちはみんな、どれくらい自分の周りにいる人の成功に貢献できたかにより、計られるからです。
あなたの13番のバスには、いったい何人の人が乗り込むのでしょうか。我々は、あなたが選ばれたリーダーとなって立ち上がり、法律を正し、差別問題を解決し、世間の声を代表してくれることを必要としているのです。我々は、あなたに経営幹部となって、企業文化を改革し、持続可能なビジネスモデルを構築し、多様性と包括性のある、核となる揺れ動くことのない価値を作ってもらいたいのです。
我々は、あなたが、すべてを革新する起業家になってアメリカ人の収入を拡張し、コミュニティにおいて失業率を減らせるようにしてほしいのです。我々はあなたに、教育者となって基準を確立させ、財源にその基準を守るよう要求し、次の世代を励ましてほしいのです。そして、我々はあなたにコミュニティの不動産やビジネスに投資し、コミュニティにおいて私たちすべてに価値を作り出してもらう必要があるのです。
あなたが何の専門を選ぶにせよ、あなた方みんながコミュニティを築いていかなければならないのです。あなたがどれだけ遠くに行こうとも、あなたが来た場所を忘れることはできません。若い世代の人が自信を持って子どもを育てることのできる、強く安全な場所を築き上げる責任が、みなさんにはあるのです。積極的な役割モデルをよく見て学ぶのです。彼らもアメリカン・ドリームを叶える資格があるのです。
私はモアハウスのみなさんが、すでにこのようなことに着手されているのを私は知っています。あなた方の学生自治会が実際、恵まれていないコミュニティにバスを走らせ、若い黒人男女に力を与え、自分の物語をつかみ、力や発言権を持てるようにしているのです。
このようなリーダーシップこそが、私のお話ししているリーダーシップです。コミュニティを構築していくことは、常に大改革が必要というわけではありません。しかし、意図的でなければなりません。みなさんは、たまに役割モデルになるというわけにはいきません。私は公の場所にいるとき、自分の行動を周りの人が観察しているということを知っています。あなたも同じようになることでしょう。
島国根性のようなものを持っていては、コミュニティを構築することはできません。世界はかつてないほど縮小していますが、私たちはコミュニティが大きく物事を考えられるように助けなければなりません。
私は特に、インターンシッププログラムに投資しています。なぜなら、若い頭脳をさまざまな機会に触れさせることには、大きな力があることを見てきているからです。彼らの住む場所にとってはそれが有効です。すると、他の子どもたちも自分がどんな風になれるのかを見ることができるからです。
周りにいる人たちを助けましょう。広い世界の美しさを見ましょう。周りの人が、「自分も夢をつかむことができるのだ」と信じられるようにしてあげてください。そして、コミュニティはどこにでも存在するということを忘れないでください。
1960年代、1970年代、私の育った頃は、コミュニティは近所に数ブロックしかありませんでした。今は、世界中の人を集めてコミュニティを作ることができるのです。実際のコミュニティとデジタルコミュニティを合わせることは、あなた方がすることのできる一つの偉大なチャンスですし、これから前進するにあたり、そうなることでしょう。
そして最後に、コミュニティは、些細な行動から大きく動いていくということを忘れないでください。友人が新しい職についたなら、それを祝う一番乗りになってあげてください。彼らの新しい商品を買って、ソーシャルメディアに載せて、それがどんなに素晴らしいものか、みんなに発信するのです。
そして、彼らが逆境に直面したなら、最初に慰めてあげられる人になってください。人々を尊厳を持って扱ってください。たとえ彼らがどのようにあなたを助けてくれるかがわからなくても、そうするのです。そして、何より大切な点として、どれだけ都合が悪かったとしても、お母さんに電話をするのだけは忘れないでください。
(会場拍手)
私は「電話をしなさい」と言いました。ショートメールではダメですよ。母親といえば、話の終わりに、とても力強い、パーソナルなお話をさせていただきたいと思います。1963年、私がまだ生まれて9ヶ月だった頃、私の母は私と私の兄弟を連れて、デンバーから1700マイルも離れたワシントンDCへ行きました。モアハウスのスピーチを聞くためです。
私の母は、私たちが幼すぎてそのスピーチを覚えていることなどできないとはわかっていましたが、あの日、私たちが目撃した歴史は永遠に共鳴し続け、将来大人になる時私たちの一部になると信じていたのです。私の母は、いつもそうですが、その時も正しかったのです。私は未だに、自分の中にあの感覚を覚えています。このモアハウスで鳴り響くエコーを覚えています。
そのクロスカントリーの旅から何十年も経ってから、私の祖父を連れて、ナショナルモールの反対側へ行き、初のアフリカ系アメリカ人大統領の就任式のお祝いに参加する特権にあずかりました。
(会場拍手)
私たちはあの寒い朝、観客の中に座っていました。すると、祖父は国会議事堂のビル側の後ろにある窓を指差してこう言いました。「孫よ、私が10代の時、私はちょうどあの上院ラウンジのあの部屋で、コーヒーや紅茶を出したり、議員たちの帽子やコートを持つ仕事をしていたんだよ。フランクリン・ルーズベルトの就任式の間、あの窓から外を眺めていたときのことを思い出すよ」。
そして、こう言いました。「あの日、私は群衆の中に黒人の姿を見つけることはできなかった。そして今、お前と私はここにいて、この就任式を見ているんだよ。人々がチェンジしようという意思を持つなら、アメリカがいかに変われるかということがわかるだろう」。
(会場拍手)
あのように特別な状況は、我々の中に失われてしまったわけではありません。リンカーンが「ミスティック・コード・オブ・メモリー」と呼んだ、時間と魂の詩は、私たちの心の中で共鳴しています。
みなさんは、私のように歴史の証人になったり、モアハウスのホールを同じ仕方で歩んだりはできませんが、何世代にも渡り、少しずつ、突かれたり押されたりしながら「道徳的宇宙の弧」を正義に向かって少しづつ曲げてきた、影の英雄たちへの尊敬の念をなくしてはなりません。
これは歴史であり、あなた方が受け継ぐ遺産です。これは今、あなたの大きな肩に乗せられた責任です。本当の富は、人々の解放に貢献することにあります。私たちが出てきたコミュニティを解放するということは、やり抜く力と決意、そしてあなたの中にある偉大さにかかっているのです。自分のスキルと知識と本能を活かして仕え、自分だけにしかできないやり方で世界を変えるのです。
あなた自身の確信のリミットと創造力により、この素晴らしいモアハウスの人間が再び一丸となることができるのです。あなたには、偉大になる、あなた自身になる、静止不能になる、否定できなくなる力があるのです。「あなたにはできない」と人々が言うことを、できるようになる力があるのです。
私は、みなさんが「自分のバス」にたくさんの人を乗せ、旅を共にするようになると期待しています。ドクター・キングが亡くなる前に述べた、バプテスト教会で話された彼の有名な説教を忘れないようにしましょう。「私はあなたの右側にも左側にも、愛と公正と真実と決意を持って寄り添っていたい。そうすれば、この古い世界を新しくすることができるのだから」。
ですから、卒業生のみなさん、あなたの右側と左側をごらんください。ここでちょっと時間をとって立ち上がり、互いに抱擁しあってください。ちょっと私は待ちます。
(卒業生抱擁)
モアハウスのみなさん、あなた方は、今日この神聖な場所に、神聖な日にくるにあたり、あなたを助けてくれた人々のコミュニティに囲まれているのです。この国に暮らしてきた私の8代目の家族を代表して、あなたの「バス」に少々の燃料を入れさせていただこうと思います。ここに卒業生がいますが、あなたへの挑戦になるかもしれません。この2019年のクラスは私のクラスです。
(会場拍手)
私は、みなさんの学生ローンをすべて払うための助成金を出します。
(会場拍手)
私のクラスのみなさん、この親切を他の人にも示してください。そしてみなさん、ここにいる卒業生を見てください。この美しいモアハウスの兄弟たちを見てください。そして、すべてのクラスが同じ機会を持てるように、前へ進むようにするのです。
(会場拍手)
我々は、自分のコミュニティの世話をできる能力が十分にあるからです。
(会場拍手)
私たちは、すべてのアメリカン・ドリームをつかむ機会を持っています。そして、行動と言葉と行いを通して互いにそれを示し合うのです。ですから、2019年の卒業生のみなさまの上に太陽が輝き続けますように。追い風が吹き続けますように。神のご加護がありますように。
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