仕事と人格を切り離す
田島麻衣子氏(以下、田島):これは私自身にとっても課題なのですが、最後は「自分と仕事を切り離す余裕を持つ」ということを少し頭の中に入れておくだけで、助けになる部分というのがあるのではないかと思います。
私も仕事となると真面目に真剣に取り組もうと思ってしまうのですが、思えば思うほど、仕事と自分が一体化されてしまって、仕事で何か問題が起こったときに、自分も批判されているのではないかと思ってしまうことなどありませんか? 私も良く思い当たります。こうしたことはなくす余裕を持ったほうがいいよということを先輩に言われたことがあります。
この「仕事と人格を切り離す」ということ。これはどういうことなのでしょう。難しいと思ってしまいませんか? 私は2つの場面ですごく認識したことがあります。
1つは、私が新人時代にラオスという場所で働いていたときに、1人の先輩とものすごい議論になりました。私も若いですから、彼女とずっと議論をしていて、1日中会議室にいて、だんだん日が暮れて、みんなヘトヘトになってしまいました。
私はもう「疲れたなぁ」と思って、休憩して戻ってきたときに、暗い廊下で彼女がこんなふうに微笑んだのですね。私と議論を喧々諤々1日中やっていた先輩が、こんな顔で微笑んだときに、ゾクッとしました。「わー、すごい。負けた」と思ったんです。これはすごいなと。
彼女は、仕事ではものすごく厳しいのですが、あれだけ私と議論した後にこうした笑顔で微笑んでくれたということが、やっぱり忘れられません。このときに彼女の頭にあったことは、仕事とその人とは違うということなのだと思います。
こうして一度やられてしまったからには私もやり返したいので、いつかは自分が同じ立場で、仕事でものすごくぶつかったことがあるときでも、その相手に対してこんな顔で微笑めたらいいなと思っています。そう、仕事と人格を切り離すということ。
イタリア人上司がジムでやっていたこと
もう1つ、最初の例で伝えた、日本人は言われたことを真面目に取り込みすぎると言ったイタリア人の先輩の話です。彼はものすごく走っていました。事務所の地下にジムがありまして、私もよく行っていたのですが、そこで毎回毎回、彼を見るんです。
1回、彼がものすごく仕事で爆発したことがありました。イタリア人は日本人のように黙ってしまうことはなくて、感情的になるとワーッと言い返すのですね。隣の部屋で誰かがワーワーワーワー言っているなと。私は「何が起こっているのだろう?」と思って振り返ると、彼が怒りが爆発して、まるで湯気が立っているかのような状態で、ジムのほうに降りていく後ろ姿を目撃しました。そして何をやっていたかというと、そこで黙々と走っていたんです。
後から私も行ったのですが「やあ」と言ってくれることもなく、ただ念仏を唱えるように彼はガッガッガッガッと走ることを延々と続けていました。そこで、もしかすると彼は自分の仕事と人格を切り離そうとしていたのかもしれない、と思ったんです。
ですから、心のあり方として心が強くなるように、体も鍛えておく。心と体というのは、きっとどこかでつながっているのではないかと思います。世界で働く力をつける考え方の2番目、仕事と人格を切り離すというところですね。
違いは違いとして受け入れる
3番目です。「違いは違いとして受け入れる」というところです。昔、私は公立の小学校に通っていました。小学校というと、みなさんランドセルを背負って行きますね。私たちが子どもの頃、ランドセルと言ったら男の子は必ず黒、女の子は必ず赤ではありませんでしたか? 私も、もちろん何の疑問もなく赤を持っていたのですが、そこにベージュのランドセルを持ってきている女の子が1人いました。その目立つこと目立つこと。みんな全員下校するときに、1人だけベージュが見えるんです。
彼女は注目の的で、男子生徒のやっかみに遭っていました。それを見ていた私は、「私も違う色のランドセルを背負おう」とは思いませんでした。そのときに思ったことは、みんなと違う行動や服装をすると、余計な不利益を被ってしまうのではないかということ。そういった考えをずっと持って育ったのですが、海外に出てから、それが実は間違いだということに気がつきました。
海外に出ると、あまりの違いの多さに驚きます。背の高さが違うというのはもちろんそうですが、肌の色が違う、目の色が違う、などもありますね。あと、休む曜日も違います。土日は日本だと休みですが、他の国では金曜土曜が休みになりますし、また春夏秋冬がなかったり、それがひっくり返ったりですとか。さらに痩せてる方がいいのか太っている方がいいのかという価値観も、まったく変わってくるのです。そして言葉のアクセントも違う。
それを毎日毎日、繰り返し接して生きているうちに、違いを探してこれを埋めようとするのは無理だと思ったのです。それよりも、みなさんが本当に感じている、「きれいだな」「おいしいな」「うれしいな」というところでもし理解し合えたら、そちらのほうがよっぽど重要なのではないかと思ったんですね。
今、私はアフリカで生活をしていますが、同じように思っています。まったく外見が違うけれども、もっと抽象的な部分で、自分が信じているものを相手がもし信じることができたら、もうそれでいいのだと思うようになったのです。
英語のアクセントも個性や違いの1つ
みなさん英語にとてもご興味があると思うのですが、英語を通じて考えてみると、アクセントが気になりませんか? たとえば、私の今の事務所の先輩がとても素敵な方なのですが、彼女はヨーロッパ出身で、ポルトガル語を話す、フランス語を話す、英語を話す、イタリア語を話す。まぁよく話すんです。
彼女の英語には、母語の影響を受けたアクセントがありますが、彼女がそれに対して恥ずかしいなと思っているそぶりは、一切ありません。むしろ、それを笑って「あっ、そうなの? わからなかったら私のところに来なさいよ」と言えてしまう強さを持っています。彼女を見ているうちに、発音が他の人と違うということは、決して恥ずかしいことではないのだ、と思うようになりました。その人の知性と外国語のアクセントは別のものなのだ、と。
ですから、違いは違いとして受け入れる。あまり抵抗しない。もう、そうなのだと思って受け入れるということは、世界で環境に左右されずに働いていく中で、重要な要素の1つではないかと思っています。
オンとオフを切り替える
4番目です。どんな考え方が役に立つのでしょう。はい、「オンとオフの切り替え上手」と出てきましたね。
(画面を指しながら)これはオフィスの写真と、こちらは休暇の写真です。みなさん、休暇はどうやって取っていますか? 私が日本で働いていたときは、かなり周りに気を使いながら取っていました。「どうしようかなぁ、上司になんて言われるかなぁ」「本当に言っていいのかな、ダメって言われちゃったらどうしよう」などと思いながら申請していたんです。
当時は、やはり休暇を取れる時期も限られていましたし、他の人の迷惑にならないようにと、かなり気を使ったのですが、世界で働く人たちを見ていますと、これが上手です。これに関して、とても驚いたことがあります。カイロに初めて仕事で着任したときに、「先輩の方と面会があるよ」と言われて緊張していたのですが、その先輩はなかなか来ないのです、時間になっても。
来ない、来ない、来ないと思って、時計を見ながら「どうしようかなぁ」と思っていたのですが、彼がバタバタバタっとドアを開けて入ってきて、ガーンと座るのですね。「いやぁ、君がマイコね。ようこそ! あのね、今日は休暇後の初日でね、パソコンのパスワードを忘れちゃってさ」などと、そこから始まるのですね。
私はそこで度肝を抜かれたのですよね。「えーっ、この人はこういうふうに休暇を取ってるんだ。忘れちゃうんだ、パソコンのパスワード……」。
(会場笑)
すごいですよね。もちろんメールはスマホでひんぱんにチェックしていると思いますが、パソコンは開かない。彼はものすごくできた人で、仕事もよくできて、あらゆるところに飛んで行って、私たちのオペレーションをリードしている人です。逆に言うと、それだけの負荷のかかる仕事というのは、ちゃんと休暇を取らないと続けていけないのだとも思いました。
ですから、ぜひ世界で働く人になる力として、オンとオフの切り替えを上手になろうよと、私自身も本当に努力しています。でも、なかなかうまくいきません、根が日本人なので。オンとオフのメリハリをつける。自分自身にも言い聞かせている4つ目の考え方です。