偶像崇拝と芸術

カリン・ユエン氏:こんにちは。みなさん、カリンです。Little Art Talks へようこそ。2010年に「みんなでムハンマドを描く日」にまつわる大きな論争が起こったのを覚えているでしょうか?

これは、アメリカのアニメ番組の『サウスパーク(注:トレイ・パーカーとマット・ストーン原作の過激なパロディで知られるアニメ漫画)』が、イスラム教の中心人物であるムハンマドを描写したことに端を発しています。

原作者は殺害予告を受け、テレビ番組の配給社であるコメディ・セントラルはこのエピソードを自主検閲しました。これを受けて、モリー・ノリス(注:アメリカの漫画家)はポスター型の漫画を描き、この出来事を風刺し、検閲に抗議する意思を示しました。

そのなかには、ムハンマドと似ていると自ら主張するさまざまな擬人化された物体がありました。その上には、2010年の5月20日は最初に「みんなでムハンマドを描く日」について考えようと書かれています。そしてこれは爆発的に拡散しました。

しかしながら、なにが正しく間違っているかをお話するよりも、その代わりに、どうしてこれがこのような大ごとになったのか、このアニメやムハンマドのドローイングで人々はどうしてこのように怒ったのか、ということをお話したく思います。

もちろん、私は信心深い人たちが、神聖な預言者をジョークのネタにするのに反対するということは理解できます。

それよりも、イスラム教には、アニコニズム(偶像反対主義)の伝統があるという事実があります。これは何を意味するのでしょうか? お話しましょう。

アニコニズムは生きている静物や宗教上の人物を描写したり、イコンを使用することに対して反対的な立場をとることをいいます。

これは自然物あるいは超自然物世界の物質的な表現が欠如していることを指します。このなかには神や神性、聖人などの登場人物あるいは、生き物たち、存在しているすべてのものなど、さまざまな例があります。

これは、とりわけユダヤ教やイスラム教徒、東方キリスト教の美術的な伝統に関連しています。この忌避は、偶像崇拝を避ける試みから来るものです。偶像崇拝は、偶像を礼拝すること、あるいは神の表象としての物理的な物体、つまり偶像を信奉することを指します。

では、偶像とは具体になにかといいますと、時代と宗教によって多様なかたちをとります。しかしながら、単純に言ってしまえば、それは神という概念や、聖人の人格性、生き物たちをいかなる物体に描写してはならないし、できないのです。

最初の禁令の表明は、「私の前にいかなる他の神も存在してはならない。自分自身の像だけでなく、天上にあるものであれ、地上にあるものであれ、水中にあるものであれ、地中にあるものであれ、何者の似姿を刻み込んではならないし、それを崇拝しそれに仕えてはならない」というものでした。

ユダヤ教では、ヤハウェをいかなる人間の姿や具体的な形態として描写することは完全に禁止されていました。とりわけ、巨大で自立している宗教彫刻は忌避されましたが、本の挿絵のような本当に小さい二次元イメージは許容可能でした。

イスラム文化では、コーランは明らかに人間像の描写を禁止していませんでしたが、偶像崇拝を非難しました。仏教では、最初の1世紀まで仏陀はシンボルでしか表現されませんでした。東ローマ帝国では、イコノクラスム(偶像破壊運動)論争の間(725~843年)、宗教像やイコン画像の使用は禁止されました。

アニコニズム、偶像反対主義の結果は、作られた芸術の否定、あるいはその社会で人々が制作する芸術を否定することになりました。しかしながら、それだけでなく、非具象的な芸術の興味深い発展を導いたのです。例えば、イスラム美術では、イスラムの幾何学的文様やカリグラフィー、かろうじて木の葉として表象されるアラベスク模様の豊かな伝統があります。

もちろん、イコノクラスムによって物理的に破壊されることにより、偶像反対主義が促進されることもあります。東ローマ帝国のイコノクラスム論争では、禁令は広範囲のにわたる像の破壊をもたらしただけでなく、像を崇拝する信者たちの迫害も行われました。

これは次の動画で詳しくお話しします。この動画を楽しんでいただき何かしら新たなものを学べることを願っています。