作り手側になると「第三の目」にはなれない
峯晴子氏(以下、峯):(毎日新聞校閲グループで書籍を出したことについて)平山さんは、いかがでしたでしょうか?
平山泉氏(以下、平山):私自身は新聞でコラムを書いたものが本になった経験はあるんですが、自分が関わって、というか本当はこの本には関わるはずではなかったんです。
そもそも最初に来た話が「校閲ガール」のドラマに乗っかって、そういう企画もあったので。先ほど、開演まで流していた動画も……説明していなかったですね。先ほど流していた動画は、今年4月まで1年半やっていた「毎日ことば90秒」という動画です。私はそれを担当していたんです。
それがドラマの時期と重なったころに、「リアル校閲ガール」ということで(若手校閲記者の)座談会を開いて動画にしたんですけれども。それが役に立つかもしれないということで、この話に混ざったんですね。私自身は書くということがそもそも苦手だし、嫌いだし、ということで校閲をやっているところがあるので「なんで?」と思いながらでした。
でも、そもそも本の構成を1章から2章、3章とどう企画を立てていくかまったく思いつかないところを、編集さんたちが考えてくださった。そのため、あとはなんとか私たちの言葉で伝えるところを頑張ったんですが、やはり作り手側になると第三者の目にはなれないので、校閲はちゃんとできない。
もちろん、ここの職場の第三者からの校閲は頼んだんですけれども、やっぱり間違いは出る。これはもう仕方ない……わけじゃないけど、そういうものであるということを、まさに自分のこととして身に刻むという意味でも、すごく意味のあることだったと思います。つらいですけど。ぜんぜんふだんと違う経験でした。
峯:そうですね。本の編集制作については、私の方が何年も専門的に携わっていますので、章立てをはじめ、どういう展開で原稿を作っていくかという部分については、私が率先して行いました。
校閲グループの方々が膨大にネット配信していたミスの事例、間違いの事例の中から、どういうネタをピックアップするかなど、業務多忙の校閲記者のみなさんにイチから作業をお願いするのは難しいと思いましたので、私のほうで下支えをさせていただきました。そのうえで、みなさんに「いかようにでも修正してください」とお伝えして、ご対応いただきました。
夜勤もあったり泊まりもあったりするような業務の中で、しっかりした素晴らしい、校閲記者ならではの味わいある文章に仕上がって戻ってきたのです。さすがに校閲の仕事に携わっていらっしゃる方はすごいな、と原稿をお戻しいただくたびに感じながら、私は進めておりました。
アナログ時代の校正にあった「ひっくり返り」
峯:また仕事に対する真摯さと申しましょうか。後半に加わっていただく若手校閲記者のみなさんにも存分にお話を伺いたいと思うんですけれども、とにかく真剣さが半端ないなということを感じました。仕事への取り組む姿勢、心構えは、先輩方から代々、教わってこられたのですか?
岩佐義樹氏(以下、岩佐):この登壇者の中で一番の古株なんですが、私が入った頃はまさしく誤字脱字だけじゃないと言われますが。誤字脱字だけじゃないというのは、さらに付け加えると「ひっくり返り」を見つけるというのが第一義的な仕事みたいな。「ひっくり返り」というと若い方はわからないと思いますが。
どんどん電子化はされてきたんですけれど、私の入ったころはまだ活版時代で一つひとつ活字を並べて組んだものを刷っていたんです。「ひっくり返り」というのは、例えば漢数字の「一」のひっくり返りを見つけるというのが得意な先輩がいて。漢字は筆記体のような形になると「ウロコ」といわれる部分がありますので、それですぐわかるんです。
田んぼの「田」という漢字のひっくり返りというのが、見分けづらくなるということはあると思うんですけれども、うちの先輩じゃないですけれどもある川柳に「校正の眼がさかさまの田をみつけ」(高橋散二)というのがありまして「あー、あの頃の田んぼの『田』のひっくり返りを見つけるというのも1つの特殊な技術だったのか」ということは、私の昔の思い出としてはあります。
とはいうものの、それは校閲の「校」の部分であって「閲」の部分が当時なかったのかというとそういうことはまったくなくて。やはり能力がある人になればなるほど「閲」の部分の事実関係の誤りなど、たちどころにこの固有名詞が間違っているものを目にしただけで飛び込んでくるというような先輩がいて、これはすごいなと思ったことはありますね。
今でも固有名詞の間違いというのが恐ろしいなと思うと同時に、先輩に及んでいないと思っております。
「原稿通り」から、中身まで踏み込んで調べるスタイルにシフト
平山:私が入ったのも十分古いですけれども、そのころだいぶ校正・校閲スタイルの転機となっていました。
いわゆる誤植は、本当の意味での誤植はなくなってきたところでした。そして、校閲はどうするか。それ以前は「原稿通り」にすることが第一義的だったので、ともすると原稿をふりかざして「ほら、原稿の通りだからいい、私たちの仕事はそれで終わり」みたいな風潮がないわけではなかったし、そういう人もいました。
それだけだとやはり信頼されなくて、私が入ったころからはワープロ原稿になって「原稿通りは当たり前」になった。
そうしたらやはり中身(内容)まで踏み込んでもちろん調べるし、「おかしいところははおかしい」が始まったころでした。私なんかも先輩に「ちゃんと問い合わせして、自分で足を運んで自分で説明しろ」「必ず資料を2つ以上つけろ」など、いろんなことを言われました。そういうことを積み重ねていくと、今はだいぶ仕事がしやすくなりまして信頼をしていただけるようになりました。
信頼というのは編集者だったり出稿元からです。原稿を書く側からですけど、当たり前ではあるんですが、やはり誰も「ここがおかしいんじゃないか」「間違ってる」と言われて気分がいい人はいないです。最初のころは冷たくあしらわれていたりしてたんです。
それが逆にここ最近は、そんなつもりないのに向こうから謝ってくる(笑)。「違うんです、ここを念のため確認してほしいだけなんです!」という時もあるくらいなんです。
すごくありがたいんですが、逆に「ちゃんとこっちは持っていかなければいけないな」「危ういな」ということを思うくらいなんです。私は昔、一面の下のコラム「余録」では大ベテランの記者が書いているのですが、その方と大喧嘩したこともあったんです。「最近うちの若手がまったくの間違いじゃないけど、どう言ったらいいかわからない変な表現、わかりにくい表現っていうのを問い合わせにいく」という時がありました。
とりあえずは文言を読みますね。「東アジアに呼び込む先行きの不透明は周辺のどの国も望んでいない」というとても難しい表現でした。
とりあえず「先行きの不透明は」は「不透明な先行き」にしておいた方がいいかなと思って、まずはそれをその面の担当者に……若手の女性だったんですけど伝えました。「そこはまず直すように言いながら『それでもよくわからないんですよね』というのを表情で伝えてみたら」って(笑)。その担当の彼女は「そうですね」と言って、実際に行って「困った顔してきました!」って。
そして「直りました! 」と、あっさり次のような「東アジアに呼び込む危険と不安は周辺のどの国も望んでいない」という、とてもシンプルな表現になって返ってきたというありがたい対応でした。それは世代間の違いを感じています。
うまくフォローしながら腹も立てさせないで直す技術
平山:最近困ったおじさんとかいる? やりとりとかで。
渡辺みなみ氏(以下、渡辺):あまりいないですよ。冷たくされることはあるんですけれども、「今忙しいからちょっとこないで」みたいな顔をされたりもありますけど。でも話を聞いてもらえないとか怒られるとかは、経験はないです。だいたい話は通じます。
平山:(彼女は)ふだんちゃんとやっているから、聞いておかないといけないと思ってもらえていると思います。
岩佐:もし本をお持ちの方は、短歌を載せたページを見てください。
うちの大阪の校閲記者(沢村斉美)が歌人、短歌を作る人でもあるんです。さっきの話を聞いてどうしても思い出すのは、216ページの真ん中にあるんですけど、「われはすなほに力を欲す誤りをつひに直さざりし記者を前に」というのがあって、けっこう苦労しているんじゃないかな、と思って激しく納得したんです。
まだ「誤りを認める」というのはなかなか難しいもので、それを「こちらでうまくフォローしながら腹も立てさせないで直す」という技術が必要なんですが、そういうことをやっているんです。以上です。
峯:漢字1つ、文字1つを直すのでも、ミスを見つける仕事の大変さや解決に至る経緯などは、なかなか私たちには伝わってこない部分です。どのようなチェックを経て、私たち読者の手元に新聞が届くのかということは、なかなか知りえない。
編集者としては、そういう臨場感ある仕事の舞台裏を、仕事の魅力や醍醐味を多くの人たちに伝えたいと考えました。そこで、赤字を入れたゲラの画像を見開きページで1個は入れようと決めて、とにかくたくさん入れました。
その際、間違い画像を入れるだけだと「間違い集」みたいになってしまい、「1回読んだらそれで終わりになるよね」「それは避けたいですね」ということは、制作の過程でかなり高木さんと議論させていただいたんです。
単に「間違い集」ということではなく、その間違いにまつわる悲喜こもごもやのエピソードだとか、それに関連して「どういったことに気を付けるといいよ」とか、校閲記者のノウハウを具体的にたくさん出していただいて、読み応えのあるものに仕上がりました。改めて、ありがとうございます。
フォローし合える連携やチームプレーがある
峯:先ほど岩佐さんのお話にもあったように、校閲記者の短歌を私も感情移入しながら読ませていただきました。
新聞では、楽しい話ばかりではなく訃報も報じられますよね。震災があってお亡くなりになった方がいるなど、原爆で被爆した方についてなど、かなり深刻なニュース報道がなされているものなのです。そういった胸が痛むような記事に、記者の方たちがどういう思いで対峙しているのかが短歌に綴られていて、私は非常に感銘を受けました。
この短歌を読んで、大ベテランの記者の方なのかなと思ったんですが、想像していたよりも若い記者さんだと知って、正直驚きました。ゲラ修正のやりとりしているときに、平山さんがその記者の方の入社年の赤字を入れてくださったんですよね。
平山:実は若くて、入社したのが2007年の秋でした。私がちょうど2年間大阪にいた時に大阪本社に校閲記者として入社してきて、大学院の途中で来たのでまだ十分に若いんですけども。その時には歌人ではあったんですけど。
私が東京に戻ることがわかっていたので、その記者と一緒にやれるのは半年しかないというところで、「教えられること全部教えたい!」という感じで、毎日毎日がーっと校閲の精神だとか教えられることを全部しゃべって、周りの人が彼女に「全部聞かなくていいよ」と心配して言ってくれたくらいだったんです。
まあ、素直に聞いてくれたので、歌人としてももちろんなんですけど、校閲者としても私の自慢の弟子です。実は若手なんです。
峯:報道記者の方は1人で動くことが多い中で、校閲記者の方たちは連携といいますか、チームプレーというか、先輩と後輩がお互いのミスをフォローし合っている。互いに補い合っているんですよね。ミスを出した時や落ち込んだりした時は、注意するべきところはして。
でも、注意した後には必ずフォローしているところもうかがえました。書籍の打ち合わせの時にも、そういう雰囲気があってすごく微笑ましかったです。厳しい職場の中にも温かさがある雰囲気の職場だなと思います。
ところで、高木さんはけっこういろんな部署を経験されていますよね。校閲記者だけではなく、出版局にもおられて、途中から校閲のグループに入られてどうでしたか?
高木健一郎氏(以下、高木):大変、答えにくいんですけれども(笑)。校閲ってすごく独特な雰囲気がありました。どう独特かというと……確かに支局も独特ですし、出版も独特ですし、どこも独特で(笑)。ただ校閲は執念深い人が多いですね。
(会場笑)
とことん調べてやるという、食らいついたらなかなか離さない(笑)。