ピカソに影響を与えたミューズたち
カリン・ユエン氏:カリンです。みなさん。Little Art Talksです。この1ヶ月の間中、美術史におけるいくつかの偉大なラブストーリーをシェアしています。甘くそして情熱的なラブストーリーと、そのドラマと交際関係ですが、しかしながら、アーティストとは、伴侶とは、そして共働者とは何か、ときに考えさせてくれます。そして、彼らが制作したアートはどのようなものは、伴侶によってどのような影響を受けたのでしょう?
もし興味深く思えるのなら、どうかこの動画を視聴し続けてください。もちろんチャンネル登録をお忘れなく。今までフリーダ・カーロとディエゴ・リベラの2人のアーティストのカップルと、マリーナ・アブラモビッチとウーライの共働についてお話ししました。しかしながら、芸術において良く見られる非常に知られた関係性というのは、芸術家とミューズです。今日はミューズについてお話しましょう。
私たちがミューズについて話すとき、パブロ・ピカソほど美しい女性を着想源とした人はいません。彼はかつてこう言いました。「愛は、人生における偉大な安息である」。そして彼はその安息を実際に得ていたのです。しばしば、同時に複数の安息を得て、それを大変新鮮なものとして好んでいました。これは悪い冗談です。ごめんなさい。
パブロ・ピカソは、ほとんどご紹介するまでもありません。スペインの画家であり、彫刻家であり、版画家であり、陶芸家であり、20世紀における最も偉大な、最も影響力のある芸術家とみなされています。
彼は若い頃天才だと思われていて、変化し続ける作風と、キュビズムの共同創始者としての革新で知られています。彼の女性の絵画によって知られていますが、それらの多くは、今まで売買されたもののうちでも、最も高値がついているものです。
今日の動画は、ピカソのミューズについてです。これらの女性はどのような人であったのか、そしてどのようにピカソの芸術にインスピレーションを与えたのか。
人生の中で彼は二度結婚して、3人の女性の間に4人の子供を得ました。しかしながら、彼は多くの女性との交友関係を持ちました。
それらの多くはそれほど幸福な終焉を迎えなかったことをお知らせしてきます。全ての女性をシェアするつもりはありません。それはばかげていますから、6つあるいは、7つの物語についてシェアしてみましょう。それでも片手で数え切れません。ピカソの作品の中で不朽のものとなった、7つのこれらの女性たちの物語をシェアします。
13歳で父を超え、芸術家へ
ピカソはかなり若い時代から、素描への技術への興味関心を示しました。芸術家であり美術学校で教鞭をとっていた自分の父から教えを受けました。若いピカソは、過去の巨匠作品の模写や石膏像や生きたモデルのデッサンという、伝統的でアカデミックな教育を受けました。
13歳のとき、父は自分の息子が自分自身の能力を超えたことを知り、美術アカデミーの先の履修課程に受け入れられるようにしました。
ピカソは、1890年に芸術の中心地パリを旅して近代的な作品に触れました。そして、実践として象徴主義的な作風を取り入れました。パリにおける若い時代は極貧に陥り、小さな部屋に友人たちと一緒に住み、暖を取るためにその作品を燃やしさえしました。
「青の時代」と呼ばれる時期(1901~1904年)には、その名前から想起されるように、青や青緑の色彩が支配的なのが特徴です。主題にはやつれた母子や売春婦や乞食も含まれます。盲目はこの時代の共通したテーマでした。
次の「ばら色の時代」は、ピンクやオレンジの色調でより明るい様式になり、主題は曲芸団の曲芸師や道化に焦点を当てたものになりました。この時代はボヘミアンな芸術家でもあり、後のモデルであり、恋人となったフェルナンド・オリヴィエとの暖かな関係性に影響を受けました。彼女は「ばら色の時代」と呼ばれる時期の多くの絵画に現れます。
ピカソは、アメリカのアートコレクター、レオとゲルトルート・スタインのお気に入りとして、1905年に芸術家として成功し始めます。ゲルトルート・スタインは主なパトロンとなり、彼女のパリの住居の非公式なサロンに作品は展示されました。そこで、アンリ・マティスなどの多くの芸術家や他のコレクターに出会いました。そして、彼はアートギャラリーの展示にも参加します。
ピカソのいくつかの初期のキュビズムの作品は、ピカソの「アフリカ彫刻の時代」(1907~1909)と呼ばれ、≪女性の頭部≫のようにオリヴィエの影響を受けました。後に彼の有名な≪アヴィニョンの娘たち≫に、その人物像のひとつが挿入されています。
いくつかの名誉と財産を手にした後も、困難な時期を思い出させるからという理由で、ピカソはオリヴィエへの興味を失います。もちろん彼は別の恋愛関係にあったのです。彼は、エヴァ・グールと言う名前で知られるマルセル・アンベールと関係を持ち始めます。最終的にオリヴィエ とピカソは1912年に分かれ、エヴァは家に入り込んできます。
彼らの関係性の20年後に、オリヴィエは、『ピカソとその友人たち』という、彼と一緒に過ごした時期の回想録を記します。その中で、何年かの人間的な苦悩の時期においても、彼女は不可欠な存在であり、実際的にその時期を一緒に過ごしたとことを書きました。
彼女は彼の仲間であり続け、そして恋人であり、家庭を構え、友人を楽しませ、そして夜遅く仕事をするときは彼のプライバシーを守りました。
しかしながら、彼女はまた創造的な才能のある人との生活の困難さを明らかにし、彼の陰鬱な性格と嫉妬深さは、ときには彼女への暴力に変わりました。