複業研究家・西村氏の20代の過ごし方

今村邦之氏(以下、今村):さっそく始めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。西村さん、こんばんは。今日は複業と20代のキャリアについて、ざっくばらんにお話ししていけたらと思います。まず最初に、手短に自己紹介をお願いします。

西村創一朗氏(以下、西村):みなさんこんばんは、株式会社HARESの西村創一朗と申します。複業研究家というかたちで、本業を持ちながら複業を持って働く人を応援する仕事をしておりまして、先月30歳になったばかりです。

アラサーからついにサーになり、30歳になってしまったのですが、20代の方のキャリアを応援したいという思いを持っています。特に20代だと、どうしても会社の本業をメインでやらなくてはいけなくて、やりたいことがなかなかできないときがあると思います。

そんなときに「やりたいことを会社の外で複業としてやる、という選択肢があるんだよ」と、いろんなところで発信しております。本日はよろしくお願いします。

今村:よろしくお願いします。僕はちょっと、ニート社長はおいておきます(笑)。株式会社UZUZの代表を務めております、今村と申します。よろしくお願いします。

大学を卒業して1社目を離職した後に、次の会社の経営が傾き、最終的に自分自身が嫌だった、「第二新卒だとなかなか就職できない」ことを解決する会社をやろうと思いました。

今、創業7期目なんですけれど、7年間ずっと第二新卒者、既卒者だけに特化した就職支援を行っております。よろしくお願いします。

西村:よろしくお願いします。

今村:今日は「20代の自分らしいキャリア」というお題で、お互い20代のときにどんなキャリア形成をしてきたかをお話します。複業の話もありましたが、西村さんのメディアなどを見ていると、基本的に西村さんが成功しているかのように出ていますよね。

ところが、記事の内容は失敗のことしか書かれていない印象があります。なので、それを踏まえて20代のときにどんなキャリア形成を意識して動いてきたかをお聞きできればと思います。

西村:ありがとうございます。僕が20代の10年間を過ごして30歳になった間で、どの部分にフォーカスするのがいいでしょうか? 新入社員の頃か、就活生の頃なのか、どこにフォーカスして話すのがいいですか?

今村:西村さんが1社目にリクルートに入社された、ということまでは知っているのですが、そのあとは、どちらかというとリクルートさんで得た知識・経験が大きいと思います。

そのあとも大きく変わるかなと思っているので、今日は大学生の頃の就活環境や、1社目に入社して最初の浅い時期の葛藤についてお話を聞きたいなと思います。

第一志望の会社を決めたきっかけ

西村:ありがとうございます。まずは学生時代の就職活動について。そもそも、なぜ新卒でリクルートエージェント(現在はリクルートキャリア)だったのか、その辺からお話ししますね。

(東日本大)震災が2011年の3月にあって、その翌月、2011年の4月1日に当時のリクルートエージェントに入社しました。震災翌月だったので、入社式にもかかわらずリクルートの本社の会議室の一角で、しめやかに営まれる入社式からキャリアがスタートしているんです。

そもそも入社式が会議室なんて、大手企業らしからぬことですよね。他の下の世代だと、いい感じの場所、もっと(人数が)多いところだと、武道館などで入社式をやっていますが、当時は自粛ムードがありました。

そんなかたちで社会人になっているのですが、リクルートエージェントはずっと第一志望で、本当に念願叶って内定をいただき、入社に至りました。そもそもなぜリクルートエージェントが第一志望だったかについて、きっかけと動機をそれぞれ分けてお話しします。

きっかけでいうと、大学で最初に入っていたサークルが、めっちゃ意識高いので笑われると思うんですけれど、キャリアデザインサークルの「klu:(クルー)」という……。

今村:確かにちょっと意識高いですね(笑)。

西村:そうなんです。やっていることは、ビズリーチさん(の企業理念)で言う「Work Hard,Play SUPER Hard(ワークハード、プレイスーパーハード)」みたいな感じです。

今村:ビズリーチさんで言う(笑)。

西村:キャリアデザインなので、社会人のOB、OG訪問をしたり、実際に営業したりもしているんですけれど、それは半分で、残りの半分はひたすら飲んで遊ぶというコンセプトのサークルでした。

ただ、僕が大学1年のときに子どもができて、学生結婚をしました。大学1年生の夏休みの最後の日に子どもがいることがわかって結婚しているので、そのサークルはすぐに辞めているわけです。

「ごめんなさい、子どもができてサークルどころではないので辞めます」という感じでした。そこからはひたすら週5、6日でバイトをするという学生生活を送っていたのですが、いざ就職活動を始めるとき、大学3年生の4月くらいから就職活動を意識し始めるわけですよね。

そういうときに、僕の入ったサークルの部署の局長で、お世話になった先輩がいるんですが、彼女に就職の相談をしました。そうしたら「だったらうちの人事紹介するよ」ということで、大学4年の4月あたりだったので内定をもらって、そこがリクルートエージェントだったんです。

それで当時、さらに1つ上の先輩で入社1年目だった、採用担当のオオイさんという方とスタバでお茶をするところから僕の就職活動は始まっています。就職活動で最初に会った採用担当がリクルートエージェントだった、というのがきっかけですね。

“日本の人事部”ことリクルートエージェントへ

西村:動機でいうと、就職活動をするときに、よく「軸」と言うじゃないですか。何を軸にしようかなと考えたときに、もともと生まれ育った環境が母子家庭で、かつ生活保護を受けていたんですね。

要するに親が稼いだお金ではなく、世間の大人の方々が稼いでくださったお金から出ている税金で生きてこられたわけです。なので、社会に出ようと決めたその日から、「社会に貢献できる仕事をしよう」とずっと思っていたんです。

それで高校生のときは、社会に貢献するイコール公務員だと思っていました。「国家公務員は国民全体の奉仕者である」と憲法に書いてあるわけです。なので、「なるほど。社会に貢献するには公務員なんだ」と思って法学部に入ったわけですが、いろいろ紆余曲折があって公務員になることはやめました。

ですが、仮に民間で仕事をするにしても、何か社会に恩返しができる仕事がしたいというのがベースとしてありました。「社会に恩返しをすると言ってもいろいろあるけど、なにがいいんだろう」と考えていましたね。

大学2年の2月くらいから、ファザーリング・ジャパンという、父親の子育てを応援するNPOにジョインしました。当時「イクメン」という言葉を広告代理店と一緒に作って広めたNPOです。

そこで、子育てを全力でやりながら一方で仕事も一切妥協しない大手総合商社の部長とか、子会社の社長とか、いわゆる監査法人でバリバリ働いていますとか、経営者ですとか。仕事もバリバリ、子育てもバリバリ(やっている)という方たちを見て、すごく素敵だなと思ったんです。

一方で、子育てしたいけれど会社が残業残業で忙しくてできない、というパパたちが悩んでいるのを見て、「日本の働き方を変えなくちゃだめだな」と思っていました。なので、僕は働き方を変えることによって日本を良くする仕事をして、社会に貢献したいと思ったんですね。そんなときに出会ったリクルートエージェントは、ある種すごく大げさな表現をすると、日本株式会社という“日本の人事部”だと思ったんです。

日本にはいろんな企業が約400万社あります。400万社すべてではないかもしれないけれど、主要な企業、上場しているような企業やベンチャー企業の中で、リクルートエージェントが取引していない会社はほぼないと思うんです。

そこ(企業)に血液(人材)を供給している心臓がリクルートエージェントだとするならば、ここでなにかビジネス経験を積めば、日本の働き方を変えるような仕事ができるんじゃないかという仮説を立てて、リクルートエージェントに行きたいとずっと思っていました。これが動機の部分です。

失意の面接の後に、妻と子どもと水族館

今村:なるほど。就活の頃にそこまで言えたら、それは内定出るわ、と思いますね。起承転結ができすぎていて、「おわー!」みたいな(笑)。

西村:当時はそこまで言語化できてないですよ(笑)。当時を振り返って「そうだったな」という後付けのものです。

今村:そうなんですね! びっくりしました。すごい方がいるんだなと思いました(笑)。

西村:いやいや(笑)。だから、最終面接は「落ちた」と思いましたよ。

今村:ファザーリング・ジャパンなども思うんですけれど、子どもができたあとは、子どもと一緒に過ごす時間と仕事のバランスを取るのが難しいですよね。そういったことは、そのステージにいるときに気が付きそうなものなので、大体30オーバーの人たちがその境地に立って「これ(仕事と育児の両立)が重要かも」と言うのはわかるんですけれど、(当時大学生の西村さんが気づいたのは)ものすごく早い年齢の段階ですよね。

西村:まあ、子どもがいましたからね。それこそ大学1年で結婚して、大学2年の19歳のときに今の長男が生まれているんですよ。それで、たまたま日経新聞でファザーリング・ジャパンを知って、すぐ連絡して飛び込んで、という経緯です。

今村:それを聞くと、たくさん悩んできた末に、世の中で人材系ではトップのリクルートにストンと入っているので、素晴らしいですよね。

西村:結果だけ見れば、です(笑)。その分、お見送りもされました。僕が最初に最終面接を受けたのは、大学3年の12月25日、クリスマスでした。マクロミルというインターネットリサーチの会社がすごく好きだったんです。

その会社のサマーインターンに参加して、2週間がっつりインターンさせていただいて、そのときのメンターとは、それこそ先週もランチしたりするくらい本当にお世話になっていて大好きだったんですが、社長に最終面接で落とされました。

今村:そうなんですね。

西村:失意に暮れながら……。でも、その日は休みだったので、面接会場の品川まで奥さんと子どもを連れていって、面接中は(二人には)カフェで過ごしてもらって、面接が終わった帰りに品川水族館に遊びに行きました(笑)。

今村:終わりがいいですね(笑)。

西村:就活生らしからぬことをしていました(笑)。面接終わりに水族館に行く就活生は、たぶん僕くらいだと思います(笑)。

今村:だいたい、「あー……」と言いながら帰る人がほとんどですよね(笑)。

西村:でも、あまりに手応えがない面接だったので、落ち込んで品川水族館のことはほとんど覚えていないんです(笑)。それで案の定、年明けの1月7日だったかな、あまりにも選考結果が来ないので、人事部長に「落ちたんですか?」と聞いたら「うん」と言われました(笑)。

転機は入社3年目に始めた“複業”

今村:なるほどね~。ちょっと(話が)飛んじゃうかもしれないですが、そのときから働き方に興味があったから、リクルートが終わって(独立して)からも、さっき自己紹介されていた複業のほうに行ったんですか?

西村:そうですね。

今村:働いて、サラリーマンをやって、独立して……というよりは、自分の中である程度変わらぬ方向性を持って、ずっと10年なり過ごしている感じでしょうか?

西村:これも結果論でしかないなと思っているのですが、僕は入社3年目に複業を始めました。ブログというかたちで複業を始め、たまたまいろんな人に見ていただけて、月間20万ビューのブログになったんです。

今村:20万ビュー! ものすごく見られていますね!

西村:それで今村さんとも出会って、お仕事をいただけるようになりました。

今村:そうか、確かに。

西村:それで複業も順調になって、本業はもともと3年間営業をやっていたんですけれど、複業があったから、自分が希望していた新規事業開発部門に異動することができました。それで本業も新規事業開発をやって、複業もうまくいって、個人事業主から会社をつくるところまでいきました。

すごく順風満帆の中で、勝手に自由にやっていた複業が、後からたまたま世の中で流れが来たんですね。僕ももともと独立する気がなくて、そこで「働き方を変えることを仕事にしたい、働き方を変えることによって、社会に良いことを与えたいと思っていたな」と思い出しました。

働き方はいろいろあるけれども、複業を軸に据えて、本腰を入れてやってみてもいいんじゃないかなと思って、実験的に「複業研究家」と名乗ってみたんです。それが仕事になったら面白いなと思ってやってみました。

Twitterのアカウントに複業研究家と入れてみてツイートしていたら、たまたま国会議員の方に拾っていただいて、「詳しく聞きたいです」という感じでバンバン依頼が舞い込むようになったんです。「あ、いけるじゃん!」と思いました。

今村:なんか漢字が多くて読めなかったんですけれど、国のやつで、小難しい役職みたいなやつがありましたよね。

西村:あー! 「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」という、噛まずに言うのが難しいんですけれど、略称で「人材力研究会」と言うとわかりやすいですよね。

その研究会も、僕以外はみんな40~50代の重鎮で、唯一の20代最年少という非常に緊張するというか、恐れ多いような研究会です。それもありがたいことに、「複業と言えば西村」という第一想起というか、認知をしていただけたから、そういった場にも呼んでいただけたのかなと思います。