山本一郎氏のクレームにまつわる話
別所哲也(以下、別所):続いて山本さん。
山本一郎氏(以下、山本):すいません、なんか場違いなところに来てしまって。
別所:何をおっしゃいます。
山本:先ほどクレーマーの話があったんですけど。私、子どもが幼稚園に行ってて、幼稚園に併設されてる公園があるんですよ。そこでタバコ吸ってる人がいて、「子どもが遊んでたりするのに、なんでタバコ吸ってるんだ」っていう話なんですけど。
たまたまちょっと親しい女の子が、タバコの火に当たっちゃったのを見てたんで、その人に文句言ったうえで、幼稚園に「ちょっとタバコ危ないんじゃないですかね」っていうことを、電話でお伝えしたんですね。
その翌々月ぐらいにタバコの灰皿が撤去されたんですよ。区役所の人もちょうどいたんで話聞いたら、「ちょっと最近クレームがありましてですね」。
(会場笑)
山本:「クレームですか」と。よくよく話を聞くとですね、どうも私なんじゃないかな、と。
(会場笑)
別所:あー。
山本:「ご家族の方から大変強いクレームがあった」と。私、確かに電話はしたんですけども、その時は、「一緒に遊んでた女の子がちょっと当たっちゃったんで、危ないんじゃないですか?」っていうようなことを言ったはずが、「保護者の方からクレームがあった」っていうのが区役所にいって、灰皿が撤去されて、タバコを吸ってたおっさん方がいなくなった。こういうシステムがあるんですね。
問題がある人を正面から真っ二つ
山本:やはり今回(のオーサーの方は)、いろんな発信のテーマ、切り口、専門性でやられてる。例えば、生と死と向き合う。もう少しみなさんとお話ができる環境があったほうがいいんじゃないか。それはそれで専門性を押していきます。最後、江川さんみたいに、いろんな人に寄り添って、そういう人の立場に立って、共感を呼んで、人に伝えてくっていうこと。
私は問題がある人に対して正面から真っ二つにしにいく、と。いろんなスタイルがあると思うんですけども。
別所:(笑)。
山本:やはり何を伝えて、どう受け取って、行動を変えていくか。ずっとオーサーカンファレンスをこの3年間拝見している中で、一貫したテーマだと思うんですけど。
別所:そうですね。
山本:だんだん粒度が上がってったっていうんですかね、うまく機能し始めて、いろんな発信が増えていって。自分や他の方もそうだと思うんですけど、どういうものを発信するべきかっていうのも、やっぱりこの3年間で随分洗練されてきたと思うんです。
私なんかは、どっちかの陣に立って、誰かの味方をするというよりは、公平公正であるべきだということで、例えば、私は産経新聞にモノを書いてる、いわゆるネトウヨと間違われるんですけどね、ネトウヨな側面はあるかもしれないですけど。
ただ、ネトウヨ的なことを言う人でもおかしいことをしたら、真っ二つにしなきゃいけないんですよ。これは人間として、どうしても言わなければいけないんですけども。それを言わせてもらえる側として、「Yahoo!ニュース 個人」がちゃんと見守ってくれてるっていうのは1つ大きい。
あわせて、かなり新聞的っていうんですかね。いろんなジャンルのものが、しっかりとした専門性とか、いろんな方に寄り添われるかたちの記事が増えたので、いろんなものが必ず「Yahoo!ニュース 個人」のところで、目に入るようになったっていうのが大きい。
なので、左翼の非常に活動を先鋭化されてる方も含めて、よく知ってらっしゃる方の記事を読むこともあれば、逆に右翼な方が書いてる記事も読むこともあれば、いろんなジャンルのものがきちんと読めるっていうのが、これは非常に重要なことなのかな、と。
なので、個人個人いろんな発想で切っていくし、それこそ「専門性」で、「そうだ、真っ二つです」とか、いろんな立場あると思うんですけども、それが総体として「Yahoo!ニュース 個人」という全体となった時に、いろんな多面的な見え方が出てくるのかな、というふうには思います。
編集権は個人に任されている設計
別所:はい。岡田さん、僕もトラディショナルなメディアであるラジオやテレビにも関わってるわけですけど。
やっぱりニュースの発信は、ビックリマークとクエスチョンマークってよく言いますけど。「へぇ!」「あー、あるある!」「なるほど。あ、そこに疑問を提起した」、いろんな捉え方がある中で、「へぇ!」「あるある!」と思うことをそれぞれのオーサーが個人で、みなさん発信してらっしゃる。
ここに、トラディショナルなメディアと大きく違うのは、私たちはよく編集権とか、編成権みたいなもの、こういったものはヤフーのこの場での表現、発信の場には、個人に任されてるという理解でよろしいんでしょうか?
岡田聡氏(以下、岡田):はい、基本的には設計としてはそうなっています。
やっぱりインターネットの本懐とは何かを考えた時に、個人をエンパワーメントすることだと思ってますし、それは同時に個人が責任を担うことでもありますし、我々がそれをサポートしていくことを、同時に意味してると思っています。
どの部分を我々が担うことが一番いいか、あるいは、個人の方たちの力が思いっきり社会に反映されていくためになるかという時に、いろんな手法があると思います。「Yahoo!ニュース 個人」はそのやり方の1つだ、と思っています。
我々は届けることができる力を持っていますので、それをどう使うかという観点も、非常に重要だなと思っています。編集という行為ではないかもしれないですけど、どう届けるかという編集をするのは、ヤフーがずっと取り組んできた部分です。
その点では2つポイントがあると思っていて。1つはデータを活用したパーソナライズで、興味・関心がある人の手にきちんとオーサーの方が書いた記事が届く、というのが1つ。それからもう1つは、人間の手できちんとみなさんに見ていただくものをピックアップする、っていうのがもう1点。この2軸が両方あることによって、きちんと世の中に広まっていくんだと思っています。
とくに後半大事なのが、人間の手によって、これはもうみなさんに見てもらいたい。MVA(Most Valuable Article)の精神にもつながってますけど。そういうものをきちんと設計しておくのは、世の中に対して創造的な誤配を生むことができると思っているんで。
まったく関心がない人のところにも届くっていうことを、自分たちの思い込みでなにか決めるというよりも、そういう仕組みや仕掛けに応じて、編集という行為を体現できればいいなと思っています。
紙媒体とネット媒体、発信の仕方に違いはあるか
別所:「課題解決につながる発信と、その手法について考える」ということなんですけど、手法の部分についても、みなさんにおうかがいしていきたいんですが。江川さんですと言葉、活字に代わる従来のメディアである紙媒体とネット配信の在り方の手法でなにか違うことを感じられてますか?
江川紹子氏(以下、江川):私自身はあまり変わんないんですけども、どっちみち言葉で伝えてるわけなので。ただ新聞ですと、だいたい何字かける何字とか、制約があるわけですよね。
「Yahoo!ニュース 個人」の場合にはそれがないので、やっぱり自分が書きたいことを存分に書けます。ついつい記事が長すぎになる問題もあるんですけれども。やっぱり「なぜこうなるのか?」っていう話をじっくり書けるんじゃないかな、っていうのは感じていますね。
別所:そういう場合は、全体をお作りになってから、分けたり、小見出しを付けたり、っていう手法ですか? それとも、取材できたところから、どんどん出していくっていう。
江川:いや、だいたいこう、全体が見えてから、「こういうふうな構成で」っていうふうにやるんですけども。
ただ、それ以外のメディアは、だいたい字を書いてるわけですけれども、「これの場合には写真をやっぱり増やさないとよくないよ」っていうことをアドバイスしていただいたので、写真をどうするかっていうことも、最近は取材の段階から、メモのための取材じゃなくて、ちゃんとアップするための写真を「どういうふうに撮ろうかな?」っていうことを、少しずつ考えるようにはなりました。
山本:ちょっと1つだけ質問があるんですけど。
別所:はい。
山本:江川さんって、昔から書き方がものすごい一貫されてるじゃないですか。
江川:そうですか?(笑)。
山本:と僕は思ってるんですけど。ウェブになってから、読ませ方の工夫をされることは増えました? こう読ませたい、もしくは、小見出しでこういうことを知ってもらいたいとか。
江川:そう。小見出しとかをやっぱりちゃんと付けたりとか。あと、ずっと同じような文字がつながってるのはよくないので、写真入れたり、あるいは囲みにしてみたりですね。
私はずっとパソコンでやってたので、最近は全部スマホで見る人が多いということも聞いて。だから、スマホで見たらどうなるかとかは少しずつは考えるようになりましたけども、まだ成長の跡があんまりないかなって……(笑)。
記事が長く、専門的なものをどう読ませるか
山本:なんでそんな話をさせていただいたかっていうと、自分も書く量が長いほうなんですよ。やっぱ長いと、専門的なものになると、なかなか読んでいただけないんじゃないかということがやっぱりあって。
実際、おもしろく書く記事のほうが、専門的に真面目に書く記事よりも圧倒的に読まれることが見えてしまうと、どうしてもそっちに流れてしまうとは言わないんですけど、「おもしろく書いたほうがいいんじゃないか」ってなっちゃう。
そうなるとやっぱり、真面目に書いたほうが本来望ましいテーマのはずのものでも、ライトな読み物として消費されていってしまうんじゃないかとか。本当の意味で、考えてもらって行動に移してもらうような記事にならないんじゃないかみたいなところが、ジレンマというか、悩みとして持ってるんで。
江川:私もエンターテイメント性がぜんぜんないかと思うんですね(笑)。だから、それがもう少し身につけば、もっといろんな人に呼びかけられるんじゃないかなっていうのがある一方で、今から変えることも難しいと思うので、仕方ないからこのままずっといって、読んでくださる方には読んでくださいという(笑)、そんな感じですかね。
別所:難しいところですね、これはね。
スタイルと文体に迷う場面もある
山本:ちょっとその塩梅をどこに持っていくのか、いろんなサポートをしていただいてる分だけ、すごく「読んでもらわなきゃいけない」っていうモチベーションがまずあったうえで、ただ自分のセンス(に左右されます)。それこそ映画とか、医療だとかもそうだと思うんですけど。
自分はどっちかというとスキャンダルとか、いろんな人の話をする時は、その人にも尊厳があったうえで、いいところもあれば悪いところもあるような人間だけど、「ここは悪いよね。だから、それはテーマとして取り上げよう」という話をしなきゃいけない時に、ちょっとおもしろおかしく書いちゃうと、ある意味、小馬鹿にするような表現になってしまったりとか。
ご本人が非常にストレスに思われて、「ここはこういうふうに変えてもらえないか」というようなご連絡をいただいたりする時、「ちょっとやりすぎたな」って思ったりする時はあるんですね。
別所:確かに手法という意味で言うと、それは新聞でも週刊誌でも、いろんな雑誌でも、いろんなジャンルが、タブロイド的なものもあれば、マガジン的なものもある。そして、専門学術書的なものもある中で、自分がオーサーとしてどういう立ち位置の、どういう手法にスタイルとして文体を置くべきかは、みなさん議論があるところだと思います。