なぜ「獺祭」は30年で売上を40倍にできたのか?
ピンチをチャンスに変えるビジネス戦略

常識反転のクロシング ピンチはチャンス!「獺祭」を世界へ届ける

「クロシング」では、思考が交差し「そうか!」「わかった!」「これだ!」に出会う瞬間を目指しています。慶應義塾の社会人教育機関、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)が主催する著名で多彩な講師による講演会、夕学五十講を素材に、深い学び、新しい視点、思わぬ発想、意外な出会いを探索します。今回は旭酒造株式会社の代表取締役社長・桜井博志氏が登壇。小さな酒蔵が「獺祭」を世界的にも人気の日本酒へと押し上げることができたのはなぜか? ピンチをチャンスに変えていく逆転の発想について語りました。

提供:慶應丸の内シティキャンパス

30年間で売上を40倍に伸ばした秘訣

桜井博志氏:「獺祭」というのは日本酒でございます。この日本酒という業界は40年間で売上が3分の1まで落ちてしまった、そういう業界であります。

実は私は、旭酒造、昭和59年に父の後を継ぐんですけれども、ということは、私は30年間社長をやっているわけですね。

その30年間社長をやる前の10年間、旭酒造を見ておりますと、40年間のうちの前半10年間で、旭酒造はもうすでに日本酒業界の40年分をいっぺんにやってしまって、売上は3分の1まで落ちておりました。

これはなぜかというと、わかりやすいのは、実は昭和48年が日本酒業界で一番よく売れた年で、旭酒造も一番よく売れた年なんです。

この年にオイルショックがあるんですが、それから日本経済が変わっていくんですね。それで、高度経済成長が終わっていくわけですから。

それまではどういう状況だったかというと、「まじめに努力すれば伸びていける」という時代だったわけですね。ところが、その昭和48年以降は、まじめに努力してるだけでは成長できなくなっていったわけです。

だから、例えば、知恵があるか、立地に優れているか、技術的に優れているか、なにより資金力があるか。これが一番大きいですけれども、こういった競争になっていくわけですね。

旭酒造はそういった競争のなかで負け続けておりまして、順調に売上が3分の1になっているところで、私が昭和59年に後を継いだわけです。

そのあと30年間で、数量で16倍、金額で40倍。実は、直近9月の決算を入れれば、金額は50倍まで伸びております。

そういうことを言いますと、ものすごい経営努力。精緻な将来予測を的中させている。その目標に向いて、夜も寝ずに努力してる。そう考えていただけるわけですけれども、個人的に考えてみると、そんな感じはまったくありません。

あっちの壁にぶつかり、こっちの壁にぶつかり、困ってなにかをやったらまた失敗し、「なんとなくそんなことをやってたら、いつの間にかここまできちゃったよ」という気がしております。

ただし、今になってみると、数字が伸びた合理的な理由は、後付けですけれどもいくつかあるんですよ。

そのあたりを今日はみなさま方にお話して、私どものお話の務めを果たしたいと思います。よろしくお願いいたします。

マイナスをいかにプラスに転化したのか?

旭酒造が伸びた理由は単純にこういうことです。山奥の過疎地だから。県内で米が入らなかったから。杜氏が優れていなかったから。そして、結果として杜氏にFA宣言されてしまったから。

「なんだこれ、全部マイナスの話ばかりじゃないか」という話なんですけれども、これが私どもがここまで来れた理由なんですね。

「山奥の過疎地だから」というのは、私はよく「旭酒造の私どもの酒蔵から半径5キロで円を書きますと、人口が300名」と言っています。この前テレビのニュースを見ていましたら、現地調査をやったら216名だったそうで。そんなとんでもない過疎地に住んでおりました。

そうすると、地元で市場がないわけですよね。ふつう酒蔵にとって、半径5キロはけっこう大事なおいしい市場なんですよ。ですが、人口がどんどん減っていくというのは、どうにもならない状況です。

売上は、だいたい山口県岩国市の税務署管内で上から4番目。人口がせいぜい10数万人の地域ですから、そこで売上序列4番目というのは、だいたいご理解いただけると思うんですが、「市場から去れ」「やめたほうがいいよ」と言われるような序列ですよね。

そんなことで、とにかく地元で生きていけないから、県外に出て行ったわけです。それはもう博多であろうと、大阪であろうと、名古屋であろうと、それから北海道の札幌であろうと、どこもかしこもみな行きました。どこということなしに行ったわけですが、結果として、言い方は悪いですけれど、東京市場が引っかかったからなんとか今があるわけですね。

ここで大事なのは、東京市場というのはやっぱりそれなりに競争の激しい市場です。だから、酒蔵はふつうそこまで東京市場に特化しないんですよね。

だいたい酒蔵というのは、地方の名士が多いわけであります。酒蔵としての経営は厳しくても、例えば組合の組合長やってたりとか、それから商工会議所の副会頭をやってたりとか、地元にいるとけっこう大事にしてもらえるので、地元に帰りたくなるわけですけれども。私どもにとってみれば、もう帰ったら飯の食い場がないという状況でございました。

やっぱりこれがいちばん、今になってみると、東京市場を開拓できた大きな理由だと。後ろに下がるところがなかったという、ルビコン川を渡っちゃってたわけですね。そういうところが大きかったんだと思います。

米を手に入れるため全国を探して歩いた

それから「県内で米が入らず」というのは、山口県は酒所とはどなたも考えられてなかったと思うんですね。これは他県のみなさんから見てもそうなんですが、情けないことに山口県内でもそうだったんですよ。山口県内のとくに農業関係者なんかは本当に山口県内の酒蔵に対して非常に冷たいわけであります。

山口県の地酒を全社集めた山口県の県産米の購入数量と、それから灘のある有名な酒蔵1社の購入量、どちらが大きいかというと、灘の有名な酒蔵のほうが大きかったんです。

ですから、山口県の経済連なんかはもう「山口県の酒といえばあそこだ」「なんとか鶴だ」とよく言っておりましたけれども(笑)。そういう状況だったわけですね。

そんななかで、酒は米と水で作りますから、結局私どもはなんとかいい米がほしい。なかなか県の農業関係者からいい米が入ってこないのであれば自分たちで作ろうと思って、自分たちで田んぼも手当てして、ある一時期作りかけたんです。でも結果として、これで3年間、“ケッチン”を食らうわけですよ。

というのは、米を作ると種籾が大きな問題になるわけですね。種籾というのは、遺伝子学的に純粋でないといけないので。そういう純粋な種籾を常に準備しようとすると、やっぱり県の経済連、農協の親玉クラスの組織体がないとなかなか難しいんです。

そこで、私どもは山口県経済連に「山田錦」という米の種籾をお願いしたわけです。最初の年は、春先に頼んだら、「今頃言ってきてもそれは応えられないよ」ということで断られました。それで、その場で翌年の種籾を頼んで帰りました。

これも翌年になってみると「合理的な理由なし」で断られました。ここでやめておけばいいのに、アホですから、もういっぺん頼んで帰ったわけですね。

3年目、やっぱり「合理的理由なし」で断られました。さすがに堪忍袋の緒が切れまして、「もう山口県経済連を通して米を1俵たりとも買いません」ということで啖呵をきって。山口県の酒造組合の事務局の応接間でしたけど、そこから腹立って出て行っちゃったんですね。

そのあと、20数年経っておりますけど、まさにその言葉どおり1俵たりとも買っておりません。

これがなぜよかったかというと、ふつうの酒蔵が買う購入ルートはまったく自分で退路を断っちゃったわけですから、翌年からは、しょうがないから自分で全国探して歩くしかないわけです。

昨年度、私どもが「足らない、足らない」と言いながら、酒米の帝王と言われる「山田錦」を43,000俵手当てしてます。全国生産量38万俵。38万俵のなかの43,000俵、1割強ですよね。これだけのものが手当てできる購入ルートができた理由は、自分たちでやったからです。

あの時に山口県経済連が「山口県の酒のことなんだから、俺たちが一肌脱いでやるよ」って言ってくれたら、おそらくその時の序列のままで来ますから、今がなかったわけです。意地が悪い話ですけれども、あの時に山口県経済連に断られて大正解だったわけですね。

酒に対する社会の要求は時代と共に変わる

「大量販売の論理からお客様の幸せ志向商品に」。なんかえらくかっこいい言葉が並んでおりますけれども。

これはどういうことかというと、要は「お客さんにとにかく酔っ払うまで飲んでもらって、たくさん飲んでもらわなきゃいけない」というお酒から「おいしさで納得してもらう、満足してもらう」。だから、たくさん飲めなくてもいいから、「おいしいから満足できるよ」というお酒にしていこうと考え始めたわけです。

というのはどういうことかというと、私は昭和25年生まれですから昭和30年代が小学生時代ですね。30年代の日本では、大工さんの1日の日当がだいたい500円です。

このなかでももしかすると覚えている方がいらっしゃるんじゃないかと思うんですが、大工さんの1日の日当が500円。ですが、日本酒、二級酒の一升瓶も500円。大工さんの1日の日当でやっとこさ一升瓶が1個買えるかどうかなんですね。これで飲み屋さんに行ったら、また何倍かになりますから、もっと飲みづらいですよね。

だから、この時代の日本にとって、お酒というのはどれだけ飲んでもよかったんですよ。へべれけになるまで飲むというのは、これは富、幸せの象徴ですから、まったく悪いものじゃなかったんですね。

だけど、もう昭和59年、1984年ぐらいになってきますと、そろそろ高度経済成長が終わってきていますから、大工さんの1日の日当でだいたい一升瓶が20~30本買える時代が来ておりました。

世の中がそれまで、言ってしまえば女房子供を質に入れなければアル中になれなかった時代から、お小遣いの範囲内でアル中になれるという時代になってきた。こういう時代になってきたら、酒に対して社会が要求する意味は変わるべきですよね。そう思い始めたわけです。

幸せな生活のためにシフトしていった

しかも、私どもは負け組で、とにかく酒が売れなくて売れなくて、「このままじゃもう将来がないだろうな」ってずっと思ってるわけですから、これに飛びついたわけですね。「これだ」と思って。

この時に勝ち組の酒蔵だったらこんなこと考えませんよね。こんなことを考えなくても、今、自分のところで売れてるわけですから、考えなくてもいいわけです。

私どもは、もうとにかく今の状況のままでは生き残っていけないと思ってるわけですから、こういうかたちにどんどんお酒の商品をシフトしていきました。

それが今になってみて、山田錦しか使わない、純米大吟醸しか作らないというのは「いや、すごいね」って言われますけど、要は結局この(「大量販売の論理からお客様の幸せ志向商品に」の)延長線上でしかないんですよ。

だから、私どもは言わばお客様の幸せというか、ある意味、健康を守りながらおいしい生活を楽しんでもらう、そういう幸せな生活のためにはこれしかないと思って、そういう方向にいったわけですね。

もう1つ、今度は物理的な製造のお話をしたいと思います。先ほど「社員とともに私どもで作り出した」と言ったでしょう。結局、社員と一緒に作り出してみると、夏もいるわけですよね。「どうしたらいいか?」みたいな。

それで結局は、1年間365日、作ることになりました。だんだん春の製造の終わりが遅くなり、秋の製造の始まりが早くなり。両方あって、ある時「もうこれはこのまま1年間ずっと作ったほうが都合がいいや」というので、えいやで1年間365日。ふつうは冬場だけしか作らない酒作りを、私どもは1年間365日の四季醸造体制を作ったわけです。

この結果、なにがよかったかというと、例えば酒造りに入る前の秋口から翌年の秋口まで、若すぎるお酒を出さないといけないときもあるし、それからちょっと貯蔵熟成が行き過ぎた「少しもうこれ限度すぎてるな」みたいなお酒も、冬場しか作らないんだから途中で売っていかなきゃしょうがないですね。

だけど、私どもは1年間365日つくってるわけですから、一番いい飲み頃の状態のお酒をお客さんにお届けできるわけです。

“3周遅れのランナー”だったからできたこと

製造技術というか、製造技術形態ですけれども、これを見ていただきたいんですが。

いちばん左の上の。「昭和40年の酒蔵」と書いてありますけれども。言わば木造家屋のなかで、タンクも小さい。杜氏さんたちが寄り集まって酒を作っている。

それで、2番目の真ん中の一般的な酒蔵。昭和40年代の後半ぐらいから、こういう状況にだんだんなっていくわけです。昔ながらの木造家屋ですけれども、中に入っているタンクはできる限り大きくなっていく。それから、米を洗う機械とか糀を作る機械とか、なるべく機械化していきますよね。

そうすることによって、コスト的にも下がっていくし、労働集約型から少し楽になっていくということです。

一番象徴的なのが、一番右上ですね。大手ナショナルブランドといわれる、月桂冠さんとか白鶴さんとか、ああいった酒蔵さんの製造形態を漫画にすればこういうことだと思うんです。ビルのような大きな建物。そのなかで本当にこの部屋1つ分ぐらいの発酵タンク、それで発酵させていくわけですよね。

結果として、こうするとものすごくコストも下がりますけれども、もう1つ、よく地酒メーカーが「灘の大手が変な酒作るから……」とかよく言われるんですけどね、この技術って大変なんですよ。これだけ大きな発酵をコントロールしていくというのは、そう簡単にできることじゃないんです。

ただ問題は、例えば大阪大学工学部発酵工学科、それから広島大学の発酵工学科かな、このあたりの大学を優秀な成績で卒業したような社員を何人も入れないと、なかなかコントロールしきれません。ハイテクの限りを尽くしていかないとこれは難しい。

そこで、旭酒造がなにをやったかというと、建物そのものは確かに新しい建物で、空調がかっちり完備されていて、だいたい大きな建物ですけれども、中に入ってるタンクはみんな小さいんですね。それこそ昭和40年代の酒蔵の造り方と同じような作り方を人間が寄り集まってやっているわけです。

そうするとなにがいいかというと、要は大阪大学を卒業してなくても、旭酒造の社員としてはなんとかなるんですよ。

地元の職安で「う~ん……ちょっと困ってて。就職する先がないから、旭酒造入れてもらえませんか?」って来てくれた社員で十分これがいけるわけです。小さいのをコントロールしていくのはかなり見やすいんですね。

だから、私どもはローテクの集合体で酒を作っているんです。ハイテクにいきすぎた結果として、酒はどちらかというとコスト的には下がっていくわけですけれども、品質的にはある一定限度超えて上にはいけなくなっていったんです。ローテクの集合体でやっていくほうが、いい酒が作りやすいんですね。

私どもが3周遅れのランナーだったから、先発隊を見てやったからできたわけですね。

酒を教育とセットで販売

「世界のなかで日本の文化的なポジションを造る」、これもちょっとかっこいい話ですが。「日本酒をどう理解させるか」。

だいたいよくワインの切り口で日本酒を語る方がいらっしゃるんですけど、これはやっぱり非常に調子が悪いんですね。というのは、例えばワインって原料はブドウでしょう? 日本酒は穀物、米ですよね。

それで、私どもなんかでもそうですけど、例えば「山田錦しか買わない」と言ってますけど、その一番の生産地は兵庫県です。私どもと村米契約を結んでいる兵庫県加東市藤田村から私どもの酒蔵まで直線距離で300キロ。

ところがワインの場合、だいたいブドウですから長距離移動できないという理由があって、やっぱり非常に地元の畑にこだわります。

だから、よく一般的にワインの詳しい方から「日本酒というのは本当にええかげんやなぁ。どこで作っとるかお前知らんやろう」「ワインの作り手というのは、みんな自分ところの畑みんな見てて。あそこのあの木から何粒取ってなんてそこまでやってるのに、お前たちは適当に300キロも先から米買うか」みたいな話ですよね。

だけど、それはおわかりのとおり、米だから長距離移動できる。ブドウは長距離移動できない。300キロなんて長距離移動、絶対できないですね。やっぱり米もブドウも同じように、最適な産地・土壌があるんですよ。一番いいところから買わなきゃダメですよね。こういう話、これをやっぱりちゃんと説明しないといけない。

それから、今の日本酒の品質ができあがってきたのは、実は日本のフラットな社会が作り上げてきた。そういった話をどう理解させるかがいちばん大事な話になってくるわけです。

液体として売ろうとすると、絶対「(値段を)なんぼにするんだよ?」という話になりますので、これは調子が悪い。ということで、実は教育とともに酒を売ろうと考えております。象徴的な写真がこれですけれども。

私どもが毎年フランスでやっている「獺祭」のセミナーですね。隣に立っているのが、1999年のソムリエの世界チャンピオンのオリビエ・プシェ。

彼と一緒になって、「獺祭ってこういう性質があって、このぐらいの飲用温度で飲んでもらったらよくて、こうなんだ」みたいなかたちで。今持っているのはスパークリング、発泡のにごり酒をグラスに入れて、なにか話しておりますけれども。

こういうかたちでずっとフランスでもやっておりますし、それからニューヨークでも、それからロサンゼルスでも、とにかくまず教育から入っていく。それができないと、ただ酒を液体としてお願いすると、すぐ「値引きしろ」とかそういう話になっちゃいますので、これはやらないという考え方ですね。

上位5パーセントのマーケットを狙うメリット

それから「お客さんはどう考えるのか?」という話ですけれども、日本の米で日本の工賃で酒を造るわけですから、相当高い価格になりますよね。

アメリカなんかでもやっぱり、関税がないけど、倍以上になるんですね。それからヨーロッパなんかですとやっぱり4倍近いものになります。そうすると、「そんなに高い値段でどうするんだ?」「本当に売れるのか?」みたいな話になるわけです。

だからこそ私らは、上位5パーセントの高額所得者をマーケットとして考えてます。その国のボリュームゾーンのマーケットに入っていく気はありません。そこに入っていくと、私どもの酒じゃ値段的に太刀打ちできないわけですから。

で、やってみてよかったなと思うのは、高額所得者は非常に日本人と似てるんですよ。よく「アメリカ人に日本酒がわかるのか?」とか「フランス人に日本酒……こんなもの、お前、甘くなきゃダメだろう」とか「酸っぱくなきゃダメだろう」とかよく言われるんですけども、そんなことありません。

それはボリュームゾーンのマーケットに入っていこうとすると、そうなるんだろうと思いますけども。

上位5パーセントというのは非常に日本人と味覚が似ている。非常に繊細な品質もわかりますしね。微妙なバランスもわかるし、その意味でいうと非常に日本人に近い。

もう1ついいことがあって。彼らは本当に世界中を飛び歩くでしょう? それこそニューヨークの金融マンがフランクフルトへ行って、フランクフルトの寿司屋で獺祭を飲んでくれたり。それから、香港で覚えて、日本に帰って来て、また日本で獺祭を飲み始めたりとか。

そういう意味でいうと、本当にそういう上位5パーセントのお客さんって世界中を飛び回っているので、その意味でもよかったかなと思っております。

「伝統の手法」は弱点でもある

なにをここで言いたいかというと、日本酒というのは、日本の歴史と文化により洗練されたすばらしい酒。ですが、結果として、そうすると細部の手法とその練磨にのみこだわるという、日本的な弱点があるんですね。

とくに「伝統の手法」ってよく言うんですけど、僕は伝統の手法というのは弱点に通じると思っています。

というのは、室町時代に日本酒の原型ができあがったんですね。米と水で作る、今のかたちができあがったわけですが、文献を調べて、昔の日本酒を作ってみると、まったく今の日本酒と似て非なるものなんですね。まったく違う。

なんでここまで変わってきたかというと、実は、私どもはFA宣言されちゃいましたけど、日本酒業界は杜氏という職能集団を伝統的に持つことができたわけです。

彼らは経営者でもないオーナーでもない、ただの雇われ人ですよ。雇われ人であるにもかかわらず、みずから工夫して改善して作り方を変えてきたんです。

おそらくヨーロッパなら、雇われ人がこんなことをやるって考えられませんよね。だけど、日本はこういうことなんです。

だから、日本酒の伝統のなかに「工夫」とか「改革」とか「改善」という言葉があるかもしれないけど、僕は伝統の手法というのは日本酒のなかにはないと思っています。もう1つ個人的に言うと、手法というのは結果のためにあると考えております。

山田錦を作りたい

獺祭がなかなか手に入らないというお話があります。これはなにが原因かというと、米が不足してるわけです。山田錦が不足してるわけですね。

山田錦って非常に高い米で、作れば作るほど儲かるわけですから、この農家のみなさん方も本音は作りたいわけですが、やっぱりまだ「本当に日本酒業界が山田錦買ってくれるの?」という猜疑心があるんですよね。だって、それはそうです。自戒の念を込めて言いますと、日本酒業界は騙し続けてうん10年ですから。

本当に山田錦がある一時期、平成5年が最高かな、平成5年がだいたい例えば兵庫県の山田錦だけで33万俵あったものが、平成22年に17万俵まで落ちていましたから。16万俵を落としたのは単純な話で、要は酒蔵が買わなかったからです。

こういう経験を彼らはしていますので、獺祭が「山田錦足らないから作ってくれよ」と言ったってそう簡単に本気にならないというのもあります。

そんなことで、まだまだ米が手に入るかわからないのに、酒蔵が必要になってるわけでありまして。それと先ほどちょっとお話しましたけれど、これと同時に、山田錦の全国生産量、昨年38万俵。これを私どもは60万俵まで押し上げたいと話しています。

最後にもう1つだけ、獺祭がここまでこれた理由として、大きな条件があります。それは業界が縮んだことです。

業界が健全に伸びていたら、業界序列って変わらないですよね。だけど、日本酒業界はおかげさまで、40年間で売上は3分の1まで縮んできたわけです。そうすると負け組にもチャンスが来ますよね。縮んだからここまで来れたというのも1つご理解いただけたらと思います。

ということで、私どもの説明とさせていただきました。どうも長い時間ご清聴ありがとうございました。

(会場拍手)

【常識反転のクロシング】 東大大学院卒の若き禅僧松山大耕師、人気の日本酒「獺祭」を世に送り出した桜井博社長、交渉学の第一人者慶應大の田村次朗教授。まったく異なる世界で活躍しながらも、常識とは異なる思考・発想・行動を大切にしているところに共通点があります。常識反転のクロシング」では3人の講演を素材にビジネスの本質や生き方のヒントを探索します。

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慶應丸の内シティキャンパス「クロシング」

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