山田氏の自己紹介

山田展子氏:ブラウザから失礼いたします。「社会人20年目エンジニア、発信で技術学びなおしてる話」ということで。

(スライドを示して)私について、発信と私、発信にまつわる難問、発信へのいざないという構成で、私からお話ししたいと思います。よろしくお願いします。

まず、私についてです。山田と申します。2021年の夏にQiitaエンジニアフェスタ総合賞をいただいて、その後、Qiita Top Contributorというものもいただきました。(スライドを示して)アカウントはこんな、ちょっとよくわからないモノなんですけど。

個人的には2児の母をやっています。前職では約20年間、開発職をやっていました。2022年秋、人生で初めて転職しました。今まさに、(新しい会社で)3ヶ月たったばかりの新入社員をやっているエンジニアです。

日々の業務に全力で、ゴタゴタゴタゴタして、走っているところです。今日は業務どころではなく、どちらかというと育児に全力でした。

小学生になる娘ちゃんが作ってくれたこの作品がテンパった私みたいになっています。さっき晩ご飯を食べて、(今は)お風呂前の遊びタイムなので、うるさいことになったらごめんなさい。

今日は前職も現職も(含めて)会社という組織の話は一切しないつもりで来たんですが、それはただの前振りです。

「息をするようにアウトプットする」ために意識していること

自慢です。前職の、Meetupのスポンサーをしている相方、友だちみたいな人から「息をするようにアウトプットしている人」と言われて取材を受けたことがありました。

(スライドを示して)こんな記事です。この記事の上に「山田登壇」と書かれていてすごく恥ずかしいんですよね。「『日々息をするようにアウトプットしている人は何を意識しているのか?』を話してよ」と言われたので、すごくうれしかったです。

「魚が泳ぐように、鳥が飛ぶように、人が息をするように、私がアウトプットしているだと? ほう、でも、それって何なんだろう?」日々、息をするようにアウトプットしている人は何を意識しているのか。いや、事実、私は何も意識してないんじゃないか、という話です。

これは自慢でもなんでもなくて、私はただ書きなぐるのが好きなんです。(スライドを示して)ここに20年分のほぼ日手帳があります。2003年からのほぼ日手帳、見てみたらこんなにいっぱいありました。

「2022年、55冊本を読んでみた」みたいな(記事を)書きました。

(スライドを示して)まとめてみるとこんな(感じ)です。これは事実で、雑誌を読むのと同じように(本を)あさってきて。オライリーのサブスクとかを愛用していたんですが。

そもそもアウトプットとは何か?

とはいえ難問です。(スライドを示して)魚がエラ呼吸を説明できないのと同じように、先ほどの記事で説明できた気が私の中ではまったくしなくて、記事の内容も、求められた答えではないと思っています。身も蓋もないことを言ってしまうんですけれど。

「そもそもアウトプットって何やねん?」。今日のLTのテーマもアウトプットと言っているけれど、「アウトプットって何やねん」とずっと思っていました。

引用、アウトプット、出力。いや、わかっている。わかっているよって。何かが出てくること、出てきたもの。何かが出てくること全般を指す。「わからないよ、ぜんぜんわからないよ」と思っていました。

あと、そもそも私が(このセッションで)最初に何を話そうかと考えていた(かという)話です。(スライドを示して)これは、いわゆる退職エントリです。「自分で動かないと人生は変わらねぇよ」とか、「何歳からでも、いつからでも学べばいいんやで」みたいなことを書いてきました。

これも自慢ですが、はっきり言って、「前職についてこんなにいいことしか書いていない退職者がいる?」と思います。「すごくいい仕事をしたな」と思って書いていた記事です。

「でも、その話をするのも旬をすぎちゃったな。」「アウトプットって何なんだろう?」「アウトプット、何もわからない。」「アウトプット、うさん臭いな。」「そして、うさん臭い私がそれを語るという。」「そんなのいいのかな」と思っていたんですけれど。

冒頭に書きました。私は今、日々の業務に全力の最中ですし、そして「それどころじゃない」の気持ちも久々に味わいまくっています。アウトプットどころじゃない。でも(今回)話したいのは、「それは普通のことなんじゃないかな」ということです。

何を話そうかと思った時、あらためて己に問いかけてみました。これは今日の話の結論なんですが、アウトプットとは発信です。それは「普通の人の普通の学びのログ」なんじゃないかな。「アウトプット。何のために発信するのって?」と言ったら、それは見える化したいからで、それは自己の学びのログなんじゃないかと思ったんです。

ログ、監視ログですね。ログだから、出しすぎればただのノイズだし、出さなすぎてもやはり何もわからない。だめです。

「よっしゃ、やった!」と思ったら発信のチャンス

(発信への)いざないとしては、試験を受けたとか、本を読んだとか、勉強会に参加したとか、エラーを解決したとか、「よっしゃ、やった!」と思ったら、それは発信のチャンスなんじゃないかと思っています。転職したとか、登壇したとかも、それなのかもしれないです。

誰かにとってはまったくもって自慢にならない話かもしれないですが、こんなファンダメンタル資格に一挙に受かった出来事が最近ありました。「でもいいじゃん!」と思っています。

(スライドを示して)最近書いた私の記事、証拠の品です。初めて真面目にAzureをさわってみた。真面目に勉強してみた。うれしかった。できたぞ。全部事実だし、それを書いてみることで誰かの背中を押せるかもしれません。

“普通の人”のアウトプットにこそ等身大のリアリティと価値とおもしろみがある

アウトプットはいろいろありますよね。自分が先生となってストイックに諭してくれるものだったり、あるいは属性をさらして、謙遜しながらもつつましく魅せるものだったり。両方あると思います。でも、どっちでも良し。

そもそも「つよつよ」な人だけに発信の権利があるのかというと、そうじゃないでしょう。「『普通の人』にこそ、等身大のリアリティと価値とおもしろみがあるんだぞ」と思っています。

自分なりにがんばったことを書き留めて謙虚に放流したら、きっと誰かが見ていてくれる。そうしたら、なんということでしょう。「Qiitaを開いたらタイトルに私のアイコンがデカデカと」なんて体験をさせてもらえる。すごいですよね。そして、こんなところでしゃべらせてもらえる体験ができました。

前職を辞める時も、「最終目標はあるんですか?」と聞かれました。テクニカルサポートを極めたいと言う前に、「本を書きたい」「ライターになりたい」とか。いろいろごちゃごちゃ言ってきたんです。(でも)ずっとモヤモヤして。

でも、私もやはり思う時があります。「それどころじゃない」と。日常業務との戦いがあると思います。

突然(セッション)タイトルから(ワードを出しますが)「社会人20年目だから何だ?」と。女性とか育児とか。(私は)氷河期世代だし、文系だし。HR Techをちょっとかじったり、いろいろあります。

バッチジョブだったりキュー管理だったり、スケジューラー、ワークフロー、オートメーションなど、好きな技術はいろいろあります。

仕事に近いものもそうだし、(仕事に近くないところで)携わってきたものもあります。自分の中のメモ書きだったり、書ける範囲でのナレッジを放出してみる。

お仕事未満のものもたくさんあります。社会人20年なんて、本当にただ続けてきただけです。それがトロフィーとなってたたえていただける経験なんて、本当に感謝ばかりです。

自分を実験台にして、日々の「やった!」を発信をし続けていく

2023年は信頼と実績のオンプレからクラウドということで、冒険できるように、現場の悩みに寄り添いながらも問題を解決できるエンジニアになりたい、学んでいきたいと(思っています)。

それを日々の自己のログとして、自分を実験台にして、なんでも記して冒険したり発信したりする。それが「それどころじゃない」人の戦いで、普通の人のログだと思うんです。それを積み上げていく。それがアウトプットなのかなと思っています。

私の最終目標は何だろうとあらためて考えてみたら、平野レミ。IT界隈の平野レミみたいな、主婦を名乗りながら料理を続けるような人になりたいなとあらためて思います。 普通の人として、日々の「やった!」をアウトプットしていきたい。今日のこのLTの経験自体をモチベーションにがんばりたいと思っています。

最後にオチなんですけど、OpenAIさんの「ChatGPT」にアウトプットについて聞いてみた結果です。「アウトプットというのは、自分自身の知識やスキルを深め、自分自身のブランディングを構築し、社会貢献をすることができると思います」と教えてくれたので、たぶんそうなんだと思います。

これからもどうぞよろしくお願いします。今日見てくれているみなさんが、自己の出力というログをシンプルに楽しんでみようと思うきっかけになれば幸いです。私の小噺は以上です。お粗末さまでした。以上です。ありがとうございました。