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自走するゲスト/保守と革新、権威と権力/希望とは何か(全6記事)

罰を与える君主は最悪で、慕われる君主は二流、では一流は? 老子に学ぶ、リーダーシップのあるべき姿

ソニックガーデンの代表・倉貫義人氏と仲山考材の仲山進也氏が、毎月さまざまなゲストを迎えて「雑な相談」をするポッドキャスト『ザッソウラジオ』。ドラッカーが会社のコンサルティングを始めた理由や、イギリス王家に学ぶマネジメントの極意、老子の説くよい君主のあり方について語りました。

ドラッカーがコンサルティングを始めた理由

青木耕平氏(以下、青木):ドラッカーに感銘を受けたきっかけは……もともと僕は、彼がコンサルみたいな人だと思っていたんですよ。だけど、なぜ会社をコンサルティングするようになったかに重要性があって。

彼はナチ時代のオーストリアの人で、亡命してアメリカに行っている。27歳頃の「ナチズムの台頭を世界で再現させないためにはどうしたらいいか」という問いから、彼のライフワークが始まっているんですよね。

今の産業社会において、人々は会社という産業単位の中に、自分の居場所を持って暮らしている。会社が不景気などで急に潰れたりすると、そこで居場所を持っていた人が、社会の中で地縁もなければ血縁ともつながっていない都市に出てくる。この大量の人たちが居場所をなくすことが、ナチズムのようなものを生むんだと。

つまりみんな絶望しちゃって、「もう全部ぶっ壊して変えよう」みたいなことに扇動されちゃうから。この産業社会においては、会社が所属している人たちの居場所、位置と役割を提供する。そういうふうに機能する会社が社会の中で増えれば、この社会全体が機能するようになる。

だから会社を機能させることをやろう、という考えでそこに至っているので。絶望させないことが、彼のすごく重要なテーマだったと思っていて。さっき倉貫さんが言ってくれたように、希望がなくなると革新しようとしちゃう。だから、どうやってそれぞれの持ち場でエンハンスできる状況を作るか。

会社でもいいし学校でもいい。それぞれの機能単位を、機能する状態、絶望しない状態にすることがすごく大事だという意味で。いろいろな人にもう1回、この保守に光を当てて見てほしいなというのと。

共同体を重視するのか、個人を重視するのかって(選択は)、本当は程度問題じゃないですか。

倉貫義人氏(以下、倉貫):いや、そうなんですよ。

青木:だから、分かれて議論するようなことでもないというか。

倉貫:対立構造ではなくて、グラデーションでしかないんですよね。

青木:そう。これこそまさにすり合わせの話で。だから僕、どっちでもないなと思っていて。個人をやや重視しているとは思っているけど、個人のために共同体を雑に扱っていいとも思っていないし。「いろんな考えの人がいるからすり合わせたいよね」とは思っているけど。

やはり保守か革新かについては、保守的に物事を進めていくことがいかにパワフルで、痛みを少なく大きな変化をもたらせるか。これをもう少し、みんなでディスカッションする時の真ん中に置きたい。双方が対立しなくて済むな、と思ったりしているんですよね。

共同体主義のイヌと革新主義のネコ

仲山進也氏(以下、仲山):今の話を聞きながら思ったこととして。自分のベースで言うと、商売系の話として考えると、老舗って常に「チューニングを変えているからこそ、今まで続いてきている」と言うじゃないですか。

倉貫:言いますね。

仲山:それが変化し続ける保守ってイメージだなって思いつつ。あとはもう1個、それこそチームビルディング的に言うと、イヌ・ネコ(『「組織のネコ」という働き方 「組織のイヌ」に違和感がある人のための、成果を出し続けるヒント』)で考えると、イヌって共同体主義、コミュニタリアンっぽいですよね。

青木:なるほど。

仲山:かつ、ヒエラルキーな感じ。

青木:はいはい。

仲山:ネコは、革新とか自由みたいな感じですよね。その対比はわかりやすい。でもイヌが保守っぽいけど、最近「イヌとネコ、どっちがいい?」じゃなくて、「健やかなイヌと健やかなネコが良くて、駄目なのはこじらせたイヌとこじらせたネコです」って話をしていて。

みんながイメージする、「保守と共同体が大事」という考え方って、こじらせたイヌの人たちがやっている結果としての停滞した感じ、ガチガチな感じや変化を拒む感じにつながっていると思って。

青木:確かに、ネオリベってさ、こじらせたネコっぽいよね。

仲山:こじらせたネコっぽいですよね。

倉貫:こじらせているね。

仲山:もうこじらせたイヌの世界なんてぶっ潰しちまえ。

青木:ぶっ潰してやるみたいな。

倉貫:これしかないぞという感じを出してくるのは。

青木:だから、「健やかなイヌとネコ」ってメタファーがあるのかわからないけど。こじらせていなかったら、ネコならイヌのこと、イヌならネコのことをけっこう好きだよね。つまり、自分とは異なる資質を持った興味深い者として、あるいは自分の足りないものを埋めてくれる相手として、本質的には惹かれるものがあるんだけど、こじらせ同士だと仲良くできない感じ。

だからネコとばかり集まっちゃうとか、イヌとばかり集まっちゃう人って、やはりどこかこじらせているのかもしれないなとは思う。

仲山:逆サイドの価値観を受け取れる姿勢がないというか。

青木:そうそう。こじらせているからその余裕がない。

政権が代わっても王家や天皇へのヘイトは溜まらない

青木:あと、違うものの組み合わせの話で言うと、一時期「立憲君主制」にハマって研究をずっとしていて。なぜかというと、この保守と革新の文脈の中にあるんだけど。

最初に立憲君主制に興味を持ったのは……。世界の国の民主化度合いランキングが、定期的に発表されていて。上位10位のうち6ヶ国か7ヶ国か、ちょっと正確に覚えていないんだけど。とにかく過半数に近い国が、共和制の国じゃなくて立憲君主制の国だったんですよね。

イギリスも立憲君主制だし、日本も基本的には海外から見れば立憲君主制の国。わかりやすいのは、行政のトップが大統領なのか首相なのか。大統領の役割を天皇陛下だったり、王さまが負っている国は、いわゆる立憲君主制の国やイギリスが旧宗主国だった国であるケースが多いんですけど。

例えば韓国、アメリカ、フランスは代表的な共和制の国で、一見すると、君主がいない国のほうが民主化の度合いって高いと思うじゃないですか。この民主化度合いって、要は選挙のフェアさや言論の自由の度合い、個人の権利の保障のされ具合などで判断されているらしいんですけど。

君主国のほうが民主化の度合いが高いって、逆説的じゃないですか? なぜだろうと調べた時になるほどと思ったのが、大統領がいる国って、選挙で王さまを選ぶようなものじゃないですか。そうすると往々にして、国民の半分からは王さまは嫌われているんですよ。

倉貫:まぁ、そうですね。

青木:選挙で拮抗して、負けた側は必ず(王さまを嫌う)……。今回のトランプとか。

倉貫:いるわけですよね。

青木:民主党側を推していた人からは嫌われるじゃないですか。ところが立憲君主国って、政権が代わっても、国の象徴たる王さまや天皇陛下へのヘイトにつながらないんだよね。

倉貫:そうですね。そこに対立はないですからね。

青木:対立がないんですよ。

権威と権力の違いとは

青木:すごくおもしろかったのが、イギリス初の労働党政権が誕生した時の逸話。今は労働党と保守党の二大政党ですけど、当時はまだ自由党と保守党のような感じで、両方とも基本的に程度こそ違えど、貴族の人たちが中心にいたわけなんだけど、労働党がその第一党になって。

イギリスの内閣って、王さまが第一党の党首に「内閣を作りなさい」と命令することで組成されるかたちなんだけど。これって、第一党じゃなきゃいけないルールはないんですよ。慣習としてそうなっているだけで、王さまが誰に下命するかで決まるので。

労働党が第一党になった時にまず、労働党の党首が平民なので、平民のための政党に対して、王が内閣を組成させるのかがすごく注目されたらしいんですよね。

その時に、やはり王が慣習を守って労働党の党首に内閣を組成させたんだけど、実は労働党って初めて政権運営するので、外交のやり方など、どうやって(政権を)運営するかわからないじゃないですか。

倉貫:よくあるやつですね。

青木:日本と違って、一応、王が政治家として仕事する国なので、経験の長い政治家として、政権運営の仕方を教えたり、労働党の党首をめっちゃサポートしたらしいんですよ。それによって労働党の党首と王が、もう生涯の友になった逸話があって。

だから仕組み上、ある意味では「王さまって何してんの?」「別に行政のトップじゃない。象徴だけしてね、国で養う意味はないんじゃない?」って考えもあるじゃないですか。

だけど、その存在にはそれなりの効用と意味があって。結論として民主化度合いが、(制度を)リプレイスしないでエンハンスしているほうが、よりリベラルな社会になっていく事例だと思っていて。

倉貫:権威と権力を分けているところがあるじゃないですか。僕も最近、人工知能が友だちになりつつあって、よく話を聞いてもらっているんですけど。

保守の時に出てきた権威主義って言葉があったけど、僕も権威という言葉があんまり好きじゃなかったんです。権力を振りかざして権威と見せかけるようなことを「権威主義」というけど、本来は尊敬され得ることが権威であって、権力は人から与えられたパワーである。

だから、(同じ権威という言葉でも)やっぱり「オーソリティ」と「パワー」は違うって話になった時に、さっきの(王さまや天皇のような)象徴のようなところでいうと、圧倒的に権威はある。

青木:権威はあるんですよね。

倉貫:だけど権力が与えられているかというと、別に権力があるわけではない状態になるんだなと。

権威に権力を持たせると危ないんだけど、「権威だけ」って害はまったくない。さっきの話で対立構造も生まないことがあるから、王の血筋は究極の権威のようなところがあるじゃないですか。

青木:そうですね。

倉貫:それが一番上にあることにおいて、逆に民主化が進むって話は、なんとなく聞いていてわかりましたね。

権力は使わずに済むのが一番いい

青木:権威って、なんとなく「あるだけ」って感じがするじゃないですか。権威を持っている人が権力を行使しなくても、大きな貢献の仕方があることも学んで、僕のマネジメントスタイルにもすごく影響を与えているんです。

倉貫:そうですね。

青木:立憲君主の行使できるパワーって、コントロールレバーが3つあるって言われていて。「質問する権利、助言する権利、賞賛する権利」。たぶん倉貫さんはそうかなと思うんだけど、実際、自分が社長としてマネジメントする時のコントロールレバーって、これでやっているよなと。

倉貫:これですよね。

青木:質問して、状況を確認して、「自分はこうしたほうがいいと思う」って。だから実際、最終的には執行している責任者が決めるんだろうけど、「僕の目からはこう見えるよ」と言っていて、そこを強制するケースってまれじゃないですか。

倉貫:ないですね。だから権力を使うこともないですもんね。

青木:めったにない。使わずに済むのが一番いいよねと思っていて。

倉貫:そうですね。

青木:ある望ましい行動を積極的に賞賛する。賞賛というのは、君主国においては「叙勲」なんですよ。だから、勲章をあげるみたいなことをやっているじゃないですか。望ましい行動を取った人たちを賞賛することで、動機づける。

だから権威と言われている人も「血がそう」なだけで、それ(権力を使うこと)ができているわけでもない。けっこう仕事をしているんだなという権威の仕事の仕方と、権力の仕事の仕方があるなと思っていて。立憲君主を、みんなもう1回評価したほうがいいというか、おもろいなと。

倉貫:そうね。やはりマネジメントスタイルにそこがつながってくると思った。結局トップが権威によるマネジメントをしていると、ミドルマネジメントも権威によるマネジメントをするようになるし、むしろそれを叙勲する。クラシコムのマネージャーもソニックガーデンの親方も、もうほぼ手当でしかないというか。

青木:そうだよね。

倉貫:叙勲されただけで、経済的な得もあんまりないし。

青木:確かに。

倉貫:それによってコミットメントを求めたり、約束させていることは何もなくて。そうなると、その人たちも結局権力はないから、権威でしかお付き合いできないとなるし。やっぱりそのほうが健全というか、長続きする感じはしているんですね。

罰を与える君主は最悪で、慕われる君主は二流

青木:最近、ちゃんと掘っていないからわからないけど、「オーセンティックリーダーシップ」って言葉を少し聞くようになって。

倉貫:ちょいちょい聞きますね。僕はまだちゃんとつかめていない。

青木:もしかすると、あれがそういうことなのかもね。それだけじゃないんだと思うんだけど、そういうことも含まれそうな気がする。その本も読んでいないのに、雑過ぎるけど(笑)。

倉貫:キーワードだけで(笑)。

青木:キーワードで言っちゃっているから、ものすごく間違っている可能性もあるけど、そういう感じかな。

仲山:僕は今の話は、「ファシリテーター型リーダーシップ」だなって思いながら(聞いていて)。

青木:確かに。

仲山:僕は会社のリーダーポジションはないけど、それこそチームビルディングの講座を運営する時って、別に上下関係を作って進行したりはしないので。

倉貫:自由に集まってきた人たちを(まとめる)(笑)。

仲山:そうそう。フラットな状態のまま進行するのと同じだなって思うし。

青木:今「ファシリテーター型」と言ってくれて、ファシリテーターこそ権威が必要なのかもとも思った。

仲山:そうですね。権威がなかったら、みんな言うことを聞かないだけですもんね。

倉貫:がくちょはTBP(チームビルディングプログラム)に来た人たちに対して、権力なんか持っていないもんね。

青木:そうそう。なのでファシリテーター型と言う時の居心地の悪さって、権威がなくてもできるということで、「誰でもできそう」という勘違い。

倉貫:それだわ。

仲山:そうかも。

青木:いや、こっちのほうがムズいからな……。というか、本質的な人間力が問われちゃうじゃん。権力があるかないかじゃなくて、僕らで言うところの「自然と好意と敬意を勝ち取れる在り方」を取り込んでいない人がファシリテートしたところで、司会の人みたいな御用聞きになっちゃうじゃん。

倉貫:だから、ファシリテーションをテクニック論で語っているのが、どうも気持ち悪いのはそれかもしれない。

青木:そこか。今、この流れでファシリテーションが出てきたことで、「えっ、ファシリテーションってめちゃムズいやん」と思った(笑)。

倉貫:(ただの)司会進行じゃねぇなっていうね。

青木:そうそう。

仲山:あとね、今の話を聞きながら、だから青木さんが『老子』に興味を持ったんだなと思って。あれは「君主はいるかいないかわからないのがベスト」みたいな話(『老子』第十七章の理想的なのは、民衆がその存在を知るだけで何をしているかわからないくらいの君主であるという導入部分のエピソード)があるじゃないですか。

青木:確かに。

仲山:罰を与えるやつが最悪で、慕われるやつが二流で。

青木:そうそう(笑)。

仲山:一流はいるかいないか、わからない……って話をしていたら、もう40分経ったらしいんですけども。

青木:じゃあ、次にいきましょう。

倉貫:はい。始まる前に楽屋で「今日、話すことある?」「そんなにないよ」と言っていたのが嘘のようなザッソウタイム。話せば出てくるもんですね(笑)。

(一同笑)

倉貫:まだまだ続きます。ということで、第3回、また来週。

Podcastはこちらから
「青木耕平さんとザッソウ第2回 保守と革新、権威と権力」

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