組織課題を丹念に読み解く調査&コンサルティング会社「ビジネスリサーチラボ」が開催するセミナー。今回は「ビジネスに活かせる意思決定の科学」をテーマとしたセッションの模様をお届けします。特定のタスクが後回しにされる理由や、先延ばしを防ぐマネジメントのポイントなどが語られました。
「仕事の先延ばし」問題
黒住嶺氏:では、井上さんからバトンを引き継ぎ、私のパートをお話しします。私のパートでは、「遅延価値割引に対する組織の向き合い方」というテーマでお話しします。
まず、結論からお伝えすると、遅延価値割引は避けられないものと考えるのがいい、という視点で組織の支援について提案していきます。
先ほど井上さんの説明にもあったように、遅延価値割引は発達的な要因や状況的な要因によって生じます。つまり、従業員、上司、部下を問わず、誰にでも起こりうる現象です。報酬が遠いほど、その価値を低く見積もってしまうメカニズムは、人間にとって自然なものだと考えられます。
このことを踏まえると、「遅延価値割引を完全になくす」「予防する」といった発想よりも、それが起こることを前提に、どう対策を講じるかを考えるほうが現実的です。そこで、私のパートでは、組織としてどのように支援を行うかについて、3つの話題に分けて紹介していきます。
まず、1つ目のサブパートとして「基本方針の整理」についてお話しします。ここでは、職場における遅延価値割引の具体的な現れ方を整理し、それに対して組織としてどのような対策が可能かを考えていきます。
井上さんの話にもあったように、遅延価値割引は人間のメカニズムとして生じるものですが、職場ではどのようなかたちで表れるのか。その代表的な例の1つが「仕事の先延ばし」です。
人が後回しにしがちな仕事とは?
具体的な仮想例を2つ取り上げてみます。1つ目は、「メールチェック vs. ベンチマーク調査」の場面です。

例えば、次々と届くメールの内容をチェックすることと、「今度のプロジェクトのために先行事例を調べておいてほしい」と依頼されたベンチマーク調査と、どちらを選びやすいかという状況です。
同様に、仮想例の2つ目は、「ルーティンワーク vs. 企画案作成」の場面です。来週締め切りのルーティンワークを片付けるか、来月の会議に向けた企画案を整理するか。どちらも必要な業務ではあるものの、いざ両方が目の前にあると、どちらを優先するべきかを選択することになる。これは、私自身も含めて、多くの人が経験する葛藤ではないかと思います。
おそらく、多くの人が選びやすいのは、(スライド)左側のメールチェックや来週締め切りのルーティンワークのようなタスクでしょう。これらは、すぐに終えることができる、あるいはすでにやり方がわかっているため、取りかかりやすいという特徴があります。
一方で、右側のベンチマーク調査や企画案作成のようなタスクは、事前に確認しなければならない情報が多かったり、参考資料の量が膨大だったり、さらに企画案の場合はアイデアを考える必要があるため、すぐに進められないことが多くなります。その結果、どうしても後回しになりやすくなります。
このように、即時的に完了しやすいタスクが優先される一方で、時間や労力がかかるタスクは後回しになりやすいという傾向がある。これは、遅延価値割引の影響が職場の仕事にも表れている例と言えます。
特定のタスクが後回しにされる理由
では、こうしたタスクの後回しを防ぐために、単に「すぐにやるように促せばいいのか?」というと、必ずしもそうではない点がもう1つのポイントになってきます。
先延ばしに関する研究では、なぜ特定のタスクが後回しにされるのか、その背景や原因についても明らかになっています。

例えば、タスクに対する嫌悪感が影響するケースがあります。やり方がわからない、難しそうに感じるといった理由で苦手意識を持つことで、なかなか着手しにくくなります。
また、回避的な認知も関係します。進めるのが難しく、成果がすぐに見えにくいタスクほど、「やりたくない」「気が進まない」と感じる傾向があります。このような心理的要因によって、タスクが先延ばしにされることが研究でも指摘されています。
そのため、すぐに完了できるタスクと比べて、時間や労力がかかるタスクはどうしても価値が低く見積もられがちです。ここで、「とにかくがんばって着手しよう」と促すと、苦手意識を持っているタスクに対して無理に取り組ませることになり、精神的な負担がかかるリスクが生じます。
「すぐ終わるタスクよりも、時間がかかるタスクをとにかくやるべきだ」と強く推奨することは逆効果になる可能性がある。これが、もう1つのポイントになります。
部下のタスク先延ばしを防ぐ2つの具体策
ここまでの2つのポイントを整理し、基本的な方針を考えていきます。遅延価値割引が起こることを前提に、組織として何を基本方針とすべきかというと、遅延報酬の価値が割り引きされる割合を減らす、あるいは、割り引かれた価値を足してあげる、という点が重要になります。
対策としては、時間がかかるタスクやコストのかかる業務が「価値の低いもの」と見なされないようにすることが大切です。そのために、業務の価値を保つ工夫をする、あるいはすでに低く見積もられてしまった価値を高める支援を行うというのが、組織としての基本的な考え方になります。
このような支援を行うことで、短期的にすぐ終わるタスクと、時間がかかるタスクの間でバランスが取れるようになります。時間がかかるタスクにも適切な価値を付加することで、自然と選択されやすくなるはずです。
では、この基本方針をもとに、具体的な対策について考えていきます。ここで注目したいのが「状況」と「特性」です。

井上さんのパートでも紹介があったように、遅延価値割引には発達的な要因や状況的な要因が影響を与えます。つまり、人の特性によるものと、その時の状況によるものの両方が関係しているということです。
そこで、具体的な対策として、まず状況的な要因に対してはマネジメントによる支援を行うこと。そして特性的な要因に対しては、制度や環境整備による支援を行うこと。この2つの視点から、それぞれの対策を紹介していきます。
先延ばしを防ぐマネジメントのポイント
まず、マネジメントに関する提案について紹介します。ここでは、状況によって生じる価値割引への対策を考えていきます。
先ほど説明したように、状況的な価値割引は、個人の状態や取り組んでいるタスクの特徴によって生じることが研究で報告されています。そのため、状況や個人によって異なる要因を細かくフォローしていくことが重要になります。
こうした状況的な価値割引に対応するには、上司や同僚など、マネジメントを通じた支援が有効です。状況に応じた適切なマネジメントを行うことで、価値割引の影響を抑えるということです。
では、具体的にどのようなマネジメントの方法があるのか、大きく2つのポイントに分けて紹介します。1つ目は、タスクの明確さを高めること。2つ目は、上司が受容的に接することの重要性です。それぞれ詳しく見ていきます。
まず、タスクの明確さを高めることについてです。これは、タスクに着手する際のコストを下げることを目的としています。

具体的には、タスクの達成水準を明確にし、どのようなアウトプットが求められているのかをはっきりさせることが重要です。また、どのように進めればいいのか、役割分担がどのようになっているのかが曖昧なままだと、取り組むハードルが高くなり、先延ばしが起こりやすくなります。
例えば、「アウトプットとしてこの資料をA4一枚でまとめてください」と指示された場合、A4サイズという形式は決まっているものの、その中にどの要素を含めるべきかが曖昧だと、達成水準が不明確になってしまいます。
このように、タスクの内容に曖昧な部分が残っていると、取り組むための負担が大きくなります。その結果、進め方や達成水準が明確なタスクよりも、後回しにされやすくなる傾向があります。
例えば、「テンプレートがあるので、それに従ってまとめてください」といったかたちで、アウトプットが明確になっているタスクは取りかかりやすく、優先されやすくなります。それに対して、着手する時点で曖昧性が高いタスクは、価値が割り引かれてしまい、先延ばしにつながるということです。
そのため、タスクの曖昧さを減らし、取りかかりやすくすることで、遅延価値割引を抑えることができるようになります。
丁寧な引き継ぎとチーム内での役割分担
では、タスクの明確さを高めるためにはどうすればいいのかという点について考えていきます。1つの提案としては、丁寧な引き継ぎを行うことです。

例えば、先ほどの例にもありましたが、「この資料をA4一枚にまとめてほしい」と依頼する際に、曖昧な指示だけを伝えるのではなく、「先輩はこういう形でまとめているよ」と具体的な参考例を示すとで、アウトプットのイメージが明確になります。
また、「A、B、Cといった要素を含めてほしい」と事前に示しておくことで、受け取る側が迷わずに作業に取りかかれるようになります。このように、期待するアウトプットの基準を具体的に提示することが、丁寧な引き継ぎの一例となります。
さらに、チーム内での役割分担を明確にすることも、タスクの明確さを高める手段のひとつです。「誰がどの工程を担当するのか」「誰の作業が終わったら次に誰が進めるのか」といった情報を可視化することで、それぞれの役割やタスクのつながりが明確になり、作業がスムーズに進みます。
こうした工夫によって、タスクへの着手コストを下げることができます。特に、すぐに取りかかれる単純なタスクと比べて、抽象度が高いタスクは価値が割り引かれやすい傾向がありますが、その割引率を下げることができれば、結果として先送りされがちなタスクの選択を促すことにつながります。
以上が、タスクの明確さを高めることで遅延価値割引を防ぐという、マネジメントの方針の一つ目です。
部下の「タスクの先延ばし」が少ない上司の特徴
続いては、上司が受容的に接することによって、価値の割引を抑えるマネジメントの方法についてです。
「上司が受容的に接する」とは、コミュニケーションを通じてタスクに取り組む際のコストを下げることを指します。研究でも指摘されているように、上司が部下と積極的にコミュニケーションを取ることは、タスク遂行のための資源を提供する役割を果たします。

例えば、上司が部下から相談を受けたり、タスクについて話し合ったりすることで、次のような支援が可能になります。1つは、タスクの進め方に関する情報提供です。タスクがどのような背景で発生しているのか、何を目的としているのかを共有することで、部下の理解が深まり、取り組みやすくなります。
もう1つは、具体的なアドバイスの提供です。ただ情報を伝えるだけでなく、「こういうやり方をすると進めやすい」といった具体的な方法を示すことで、タスクへの着手を促しやすくなります。
このように、上司が積極的にコミュニケーションを取ることによって、部下がタスクに取り組む際の負担を軽減し、遅延価値割引を防ぐことができるのです。
特に重要なのは、受容的に接してくれる上司の存在です。ここで言う「受容的」とは、単に話を聞くだけでなく、部下が相談しやすい環境を整え、意見を受け止める姿勢を持つことを指します。
まず、受容的な上司とは、部下が「このタスクの進め方がわかりにくい」「どうやって進めればいいかわからない」といった相談を気軽にできる存在であることが大切です。上司が相談に乗ってくれると、「困ったら相談すればいい」と考えられるので、タスクへの着手のハードルが下がるためです。
また、相談の機会を意識的に設けることも重要です。上司が忙しく、つかまりにくいこともありますが、例えば「毎週◯曜日の◯時は相談を受け付ける」と明確に時間を確保する、午前中は会社にいるようにする、オンラインならチャットを開放するなど、相談しやすい仕組みをつくることで、部下が抱える課題を早期に共有できるようになります。
さらに、相談を受けた際に、頭ごなしに「こうすべきだ」「それは良くない」と否定するのではなく、まずは部下の意見を受け止めることが大切です。「そういう考えもあるね」「状況は理解した」といった言葉をかけることで、部下が安心して課題に向き合えるようになります。
こうした受容的な対応を示してくれる上司のもとでは、部下の先延ばしが少なくなることが研究で示されています。言い換えると、すぐに成果が出にくいタスクであっても、積極的に進める傾向が強くなることが確認されています。
受容的な上司が部下の仕事への姿勢を変える
ここでもう少し踏み込んで、受容的な上司がなぜ良い影響を与えるのかについて説明します。
受容的に接してくれる上司は、部下の相談に親身になって応じることで、モチベーションの向上につながるという点が指摘されています。

まず、受容的な上司の存在によって、部下は「自分はチームの一員として認められている」という感覚を持ちやすくなります。上司が積極的に部下を受け入れ、意見を聞いてくれることで、「このチームの中で自分は必要とされている」という承認欲求が満たされるわけです。
このようなメンバーとしての認識が強まると、仕事の楽しさにつながります。「この職場では自分が必要とされている」と感じることで、単に報酬を得るためではなく、仕事そのものを楽しめるようになる。このような仕事への前向きな姿勢は、内発的動機付けと呼ばれ、成果を出す上でも重要な要素となります。
このように、受容的な上司が部下をサポートすることで、仕事に対する価値の割引を抑えることができます。さらに、上司が意見を積極的に取り入れたり、話を聞いてくれることで、単に割引を防ぐだけでなく、仕事に対する価値そのものを高めることにもつながります。
その結果、先延ばししがちなタスクにも積極的に取り組めるようになり、価値割引の影響を抑える効果が期待できるということです。ここまで、マネジメントによる対策について紹介してきました。