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パネルディスカッション「遠距離介護・同居介護、どう考えていくのがベスト?」(全4記事)

母の認知症に気づいたものの、「認めたくない」思いがあった 現役ビジネスケアラーと振り返る、8年半の介護生活のきっかけ

団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、仕事をしながら介護もする「ビジネスケアラー」が増加していきます。「大介護時代に、『すべての人の物語』が輝く世界を。」 をビジョンに掲げる株式会社リクシスが主催するビジネスケアラー会議では、「働きながら介護している人が、当たり前に輝く社会」を目指すためのヒントを、働き方の専門家や介護経験者が語ります。本セッションでは、後半のパネルディスカッションをお届けします。ノンフィクション作家の松浦氏が、8年半にわたる母親の介護生活の「きっかけ」を語りました。 ※前半の基調講演はこちら

体験者に聞く、ビジネスケアラーの「仕事と介護の両立」

佐々木裕子氏(以下、佐々木):それでは大嶋寧子さん(の基調講演)に続いて、第2部に移っていきたいと思います。

第2部では、ビジネスケアラーとして仕事と介護の両立をしながら、お母さまのケアをされておられるお二人をお迎えしたいと思います。

特に松浦さんは同居介護。そして山中さんは遠距離介護を体験されていらっしゃるので、お二人の体験を行ったり来たりしながら、「何が肝だったのか」というリアルなところをみなさんと一緒に探究していきたいと思います。

それでは最初にご紹介させていただきます。あらためまして、ノンフィクション作家で、ジャーナリストでもいらっしゃいます。ベストセラー『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』をお書きになりました松浦晋也さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

松浦晋也氏(以下、松浦):よろしくお願いいたします。

佐々木:松浦さんは『母さん、ごめん2』も刊行されておられるということで、まさに……。

松浦:はい。現在も介護継続中ですから。

佐々木:介護歴8年半ということで、ぜひ、いろいろなお話をうかがえればと思います。

編集者として「介護を知る機会を得てしまった」

佐々木:そして、その本の編集者であり、さらに松浦さんのご経験も踏まえつつ、ご自身なりに新たな介護モデルを模索しておられる、日経ビジネス編集部の山中さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

山中浩之氏(以下、山中):よろしくお願いいたします。

佐々木:山中さんは、松浦さんの本を出される時には、まさかご自身がケアをする側になるって想像されてなかったと思うんですけど。

山中:そうですね。松浦さんからお話をいただいた時に、「あー、そうか。いずれ自分にも来るんだ」というのに初めて気がついて。

話が始まっちゃいますけど、松浦さんが自宅で介護して、どんなに大変だったかっていうお話をこう……。ふつうだったら自分からは読まないわけですね。介護の話なんて別に聞きたくもないし、見たくもないって思っていましたから。

でも編集者は仕事として松浦さんの原稿を受け取って読まなくてはいけない。松浦さんは、ノンフィクションライターとしての筆力で、お母さまと向き合った介護の数年間のお話を書いてくださる。もう、否応もなく、「自分はどうなんだろう」と考えてしまう。

仕事として、「介護を知る機会を得てしまった」っていうことだと思います。

佐々木:なるほど。ぜひ、その話を通して我々も疑似体験をさせていただきたいなと思っておりますので、今日はどうぞよろしくお願いいたします。

8年半の介護のストーリー

佐々木:そして、弊社リクシスのチーフケアオフィサー木場もパネリストとして参加させていただきたいと思います。木場さん、自己紹介をお願いします。

木場猛氏(以下、木場):株式会社リクシスの木場と申します。よろしくお願いいたします。私自身は在宅介護の専門職として20年以上の経験があります。1,000組、おそらく2,000世帯ぐらいのご自宅に実際に入ってサポートしてきた実績を元に、リクシスでは両立相談窓口の担当をさせていただいております。よろしくお願いします。

佐々木:ちなみに、みなさんからいただいた事前の質問をちょっとご覧いただきながら、松浦さん、山中さんの体験を通して学んでいきたいと思います。

「在宅介護、遠距離介護にはどういうメリット・デメリットがあるのか」「実際に、自分が介護しているだけではなくて、老老介護の中で介護してる側のケアも、もし可能であれば知りたい」。

あと、「親子の関わり方。コミュニケーションについて気をつけたほうがいいことがあれば教えてほしい」「もし、年末年始の帰省時に、何か親と共に決めておくことがあればしりたい」。こんなご質問を数々いただいています。

また、「認知症のご家族にはどんな罠があるのか、どんな工夫があるのか」。そして「罪悪感をどうやって取り除くのか」。このあたりも、ぜひおうかがいできればなと思っております。

それでは、まず松浦さんからぜひご体験をうかがえればと思っております。もちろん、本2冊にわたる8年半のご経験なので、なかなか数十分でというのも難しいかもしれないんですけれども、事前にご体験をふまえて、3ページにまとめてみました。

こうやってみてみると、松浦さんの8年半には、本当にたくさんの山があるんだなと思います。では松浦さん、少しハイライトをたどりながら、どんな道のりだったのか、ストーリーをお話しいただければと思います。

後から考えるとわかった、認知症の「前兆」

松浦:じゃあ、1枚目に戻していただけますでしょうか。

これで言うと、一番最初のところに、まず「預金通帳が見つからない」と書いてあります。これで気がついたんですが、実は後から考えてみると、前兆があったんです。それをやっぱり全部見過ごしていたんですね。

佐々木:どんな前兆なんですか。

松浦:実はもともと母は太極拳で外へ出ていたんですけれども、この2年ぐらい前に突然やめてしまった。これ、後から考えると、どうも太極拳の何かが覚えられなくなって、それが嫌になってやめたんじゃないかということがありました。

それと母はわりとまめにメモをつける人だったんですけれども。後から机を見てみると、そのメモが2014年1月で止まっている。

佐々木:なるほど。

松浦:いくつか前兆は出てるんです。4月に「腰が痛い」と言って、整体に連れていった時も調子や反応がいつもとは違った。そういうのはいくつもあるんですが、それにぜんぜん気がついてなかった。それで、お金絡みのトラブルが起きて、初めて気がついた。

ただ、気がついたはいいんですが、気がついても、その後、「これが認知症ではないか」という認識に至るまでにこの7月から9月って書いてありますけど、だいたい2ヶ月ぐらいかかっています。

佐々木:振り返られてこの時間のかかった背景は何だと……?

松浦:自分が認めたくないわけです。

佐々木:認めたくない......。

松浦:認めたくない人間が2人顔合わせたって認めるわけがないわけです。

佐々木:ご家族、お母さまもそうだし、松浦さんもそうだってことですね。

病院を探すも空きがなく、公的介護も知らず、どんどん視野が狭くなる

松浦:そうですね。ところがうちの母の場合はアルツハイマーだったんですけれども、認知症は症状が進むわけですね。だからもう無視しきれなくなる。それが段階的に来たのがこの9月・11月・12月あたりです。だんだんしんどくなっていくわけですね。

佐々木:そうなんですか。

松浦:12月、こっちが種子島に行ってる時に、(事前に)こんこんと説明して出かけたにもかかわらず、「あんた、どこにいんの。早く帰ってきて」と突然母から電話がかかってきた。これは、言ってることがどうも本当に頭に入っていないんだと。

佐々木:うーん。なるほど。

松浦:まずは医者に連れていくという頭になるわけです。医者を探したんですけれども、なかなかどこもすぐに診断してくれない。

佐々木:(病院が)いっぱいだっていうのはなんでなんですか?

松浦:ここがいいと評判が立つと、やっぱり患者が集まるみたいなんですよ。だから、これもう、完全に失敗でして。むしろ、手早く行けるところへなるべく早く行くべきだったと。

佐々木:そういうことだったんですね。。

松浦:ここで重要なのは、この時点で、実は公的介護があることにぜんぜん気がついていないんです。

佐々木:確かに。じゃあお一人でずっと、お母さまと?

松浦:いや、兄弟で相談しながら。私の弟が今、東京にいます。それから、この時、妹はドイツ在住でした。

佐々木:じゃあここまではご家族の中で相談しながら。

松浦:そうですね。すると、目の前の母の状態にどんどん振り回されるんですよね。一番近くにいる私自身の視野がどんどん狭くなり、目の前で起こる状況に対応していくのに精一杯になる。それが、2015年の2月から5月ぐらいまでです。

どんどんつらくなる「茹でガエル状態」に

松浦:ここで1回ストレス状態の数字が10になっていますけど、きつかったです。母親という人間が、今まで知っていた母親ではなくなっていくのを体験するわけで。しかも状況がどんどん悪くなっていくわけですよね。

それに対応していくのが、ものすごく大変だった。

松浦:自分に妄想が出ちゃうとか、もう完全に精神的にぎりぎりのところまできちゃったんです。

佐々木:これはどれくらいの頻度でそういうトラブルが起きたり、後始末みたいなことが……。

松浦:3月ぐらいからはほぼ毎日ですよね。

佐々木:毎日ですか。

松浦:ええ。

佐々木:例えばどんなトラブルが?

松浦:母は日常生活ができなくなるんです。でも日常は続いていくわけですから、毎日がトラブルなんです。

佐々木:松浦さんが同居されていらっしゃるので、ご自身で物理的にもやるってことですよね。

松浦:自分がカバーすればいい。カバーした時点では、大した負荷じゃないんですが、(母の状態は)悪くなる一方なんでカバー範囲はどんどん広がっていくわけですよね。どんどんつらくなっていく。そうすると、茹でガエル状態ですよね。

温度がどんどん上がっていくのに、なんかいつも「いい湯だな」とか言って、風呂に入るカエルみたいな状態になっていくわけですね。

離れているからこそ逆に見える、現状の問題点

佐々木:そして、5月に弟さんが公的介護を導入してくれたんですね。

松浦:「そういうものがあるぞ」ってことに彼が気がついたんです。ここまで1年ぐらいかかっています。7月から10ヶ月ですね。何をやったかっていうと、地域包括支援センターに相談に行っていろんなことを聞いてきて、「あれが使える、これが使える、これをやってしまおう、使ってしまおう」という話に、ばばっとまとめてくれた。

佐々木:弟さんが動かれたのは、何かきっかけがあってったんですか?。

松浦:いや、離れてるから逆に見えるんですよ。

佐々木:同居されている松浦さんよりも、いろいろこう……。アンテナが立ちやすいってことなんですか。

松浦:立ちやすいってことですね。今日、目の前で起きている事態を片付けなくてはいけないから、逆に言うと見ることができたということです。

佐々木:そして、ヘルパーさんたちが来られたんですね。

松浦:5月後半ぐらいだったかな。要介護1の認定があって、それでいろんな制度が使えるようになったわけですね。

佐々木:要介護1になると、ヘルパーさんたちも来られるでしょうし、デイサービスなども使えるようになるってことですかね。

松浦:そうですね。この9月のところに(ヘルパーさんが)入ってるな。これ、ちょっと後で調べたら……。もう少し早いです。6月ぐらいだったかな。

支援センターでは、「このお母さんの状態だったら、必ず要支援2か要介護1が出ますから、先行してサービスを使い始めましょう」って言ってくれたんですね。

佐々木:そうだったんですね。じゃあ、認定調査を待たずなかったわけですね……。

松浦:柔軟に対応してくれました。

増えるサポートと加速する症状とのいたちごっこ

佐々木:でも、ヘルパーさんが入られても、ストレスレベルが8っていうのはすごく気になるんですけれども。

松浦:そうそう。それは、そこからまた段階の変わった問題が起きてくるんです。そこに書いてある一番大きいのは失禁ですね。

佐々木:なるほど。

松浦:本人もやっぱりね、恥ずかしいから隠すんですよ。母はもともと専業主婦でしたから、自分で汚した下着を自分で洗おうとするんです。そうすると、もう洗えなくなってるんで、今度は洗濯機の周りで、被害を拡大するわけです。それを私が片付ける。これはもう、思い出すのもつらいぞというか……。

佐々木:そうですよね。やっぱりお母さまとの軋轢がひどくなるのは、そこでのコミュニケーションでなかなか尋常でいられないっていうことですかね。

松浦:本人は結局「できる」って言い張るわけですよ。今にして思えば、できなくなっていく自分を認めたくないからでしょう。

「できる」と言って、しかも自分でやって、事態をもっと悪くするわけです。それを隠すものだから「いったい何をやってるんだ」ってこっちも怒って、結局喧嘩になるわけです。

佐々木:そうすると、公的介護が入られて、いろんなサポートが追加していかれるものの、症状も加速するのでいたちごっこですね。

松浦:そうですね。ここからは(特に次のページにかけての時期は)ある体制を組んで介護して「これで僕は楽になるぞ」と思ったら、(母の)症状が進んでいって、またもう1回(体制の)組み直しになる、その繰り返しです。

結局、2年半、自宅はもう本当にそういう感じでした。

佐々木:下がっては上がり、下がって上がりが続いているんですね。

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