作家・岸田奈美氏の家族について

澤田智洋氏(以下、澤田):じゃあ、岸田さんもせっかくなんでスライドを使ってお願いします。

岸田奈美氏(以下、岸田):岸田です。本当は4年前から東京都に住んでシティガールやってたんですけど、お母さんが1ヶ月くらい前に病気になってしまって。今はすごく元気になってきているので、今週末か来週くらいには退院なんですが。

私は(普段)面倒を見られてるほうが多いんですけど、お母さんがいない間は、弟やおばあちゃんの面倒を見たり。神戸市北区という、みんなが想像する神戸とはまったく違う神戸におります。海は見えません。六甲もおろしません。六甲(山)は登るほうなんで、おろさないほう。

澤田:なるほど。

岸田:人ってやっぱり、変化に弱いんだなと思うんです。ちょいちょい物忘れが激しいと思っていた70歳後半のおばあちゃんが、お母さんの入院でパニックになったのかボケちゃって。

今、デイサービスに行ったり介護認定を受けたりと大変なんですが、お年寄りになると脳のCPUが狭まって、視界もどんどん悪くなってきて。例えば、書いてあるメモを読もうとしないんですよね。

だから、部屋の外に「今はイベント中。入らないで」と張り紙してるんですけど、すでにこないだのリハーサルで4回おばあちゃんが突撃してきて。「明日高校なんやから、早よ寝なさい」と怒ったりするんです。もしかしたら今日、ワンチャン“おばあチャンス”があるかもしれないですけど。

澤田:おばあチャンス! さっきリハーサル中も2回入ってこられましたもんね。

岸田:そうです。「ご飯食べてきたからいらない」と言ったら、「あぁ、そうかぁ」と言ってたのに、さっきこんなに山になった卵と、謎のケチャップをぶわーってかけたものを「食べろ」とドンッて置いてきて。それが今そこに置いてあって、ちょっと本当に……。そんな感じです(笑)。

澤田:そんな感じ(笑)。

岸田:まず最初のwarningとしては”おばあチャンス”があるかもしれないけれども、そういう事情があるので、それもあたたかく見守ってもらえると嬉しいです。

他界した父、車椅子の母、ダウン症の弟

岸田:後で説明するんですけど、大学1年生の時に家族の事情でベンチャー企業の株式会社ミライロの創業メンバーとして加入をしました。なので、大学生の時からずっと社会人をやっていたという、謎の経歴でございます。

なんでそんなことになったかというと、これは幡野広志さんという写真家の方が撮られたすごく好きな写真で、真ん中にいるのが車椅子の母です。私が16歳の時に、大動脈解離という心臓の病気の手術の後遺症で下半身が麻痺して、車椅子になっちゃったという。

当時は「死にたい」「歩けないくらいなら、死んだほうがよかった」と言って、私も母もすごく絶望して。なにかしてあげたいけどなにもできない状況で、1年ぐらい苦しんだんですけど。

なんとか母も、歩けないからこそできること(を見つけたり)、私も私で母のためになにかしようと思って。歩けない人が「生きててよかった」と思える世界を作ろうと思えたので、今は楽しく生きているんですけど。

一番右にいるのが、生まれつきダウン症という知的障害のある弟です。ちょうど一昨日の3月21日が「世界ダウン症の日」だったんです。人間の染色体は数が全部決まっていて2つで1セットなんですけど、(ダウン症は)21番目の染色体がなぜか人よりも1本多くて、3本あるから3月21日。

人より染色体が1本多いのに、なんで障害になるんかなってずっと思ってるんですけど、誰もそれは解き明かしてくれないので。いつか生まれ変わったら、科学者になろうかなと思っています。

(スライドを指して)「この辺に父がいる」と書いてるんですが、どうやらめちゃめちゃ見える人や占い師の人とかは「たまに来てる」みたいなことを言ってるから、いるんじゃないかなって思ってるんですけど。

私が16歳で高校1年生の時に、お母さんが車椅子になって。お父さんは経営者だったんですけど、起業家のストレスで疲れちゃって、私が14歳で中学2年生の時に心筋梗塞という大きな心臓の病気でそのまま亡くなってしまったという。

話だけ聞くとけっこう特殊な、マイノリティもマイノリティというか。家族どっちも障害があって、お父さんは亡くなっているというのはあまり聞かないですよね。

何気なく書いたnoteが立て続けにバズる

岸田:そんなことで昔から、人との違いとか、「家族のためになにかしたいな」と思うことや、怒ることや悲しむことが増えて。それがきっかけで、2010年にバリアフリーのコンサルティングをする株式会社ミライロに、創業メンバーとして大学に通いながら入社しました。

はじめ、会社は社長と副社長と私の3人だけでした。入社した時から、私はポンコツすぎて。約束を守れない、朝起きられない、物をなくすという、営業マンとしては最悪の状況で。営業もできないし、総務・経理も講師もできない。できることがなにもなくて。

唯一できたのが「会社の自慢」というか。自分のことや会社のことを人に好きって伝えることが大好きだったので、広報をやっておりました。2013年から2019年にかけて広報をやる中で、我流で原稿やブログやメールを書いたりしていくうちに、本当に敬語の使い方から始めて、少しずつ少しずつ文章が書けるようになってきて。

それまで1回も書いたことがなかったんですけど、弟のことやお母さんのこと、ぜんぜん関係ない「ブラジャーの試着をしてめっちゃ感動したこと」みたいなエッセイを2019年の夏に何気なくnoteに書いたら、それが立て続けにすごくバズって、たくさんの人に読んでもらえて。

noteだけじゃなくて、今は糸井重里さんの「ほぼ日」で、亡くなったお父さんについて探るエッセイを連載させてもらったり。noteから飛び出して、『小説現代』という小説誌に、毎月連載で原稿を書かせてもらってたりとか。

あとは、原稿を書くだけじゃなくて、本当に好きなことをたくさんやっています。これは「ヘラルボニー」といって、澤田さんたちもいろいろと関わられているかと思うんですけれども。障害のあるアーティストの絵を使って、異彩を放つイケてるアパレルを作っているところとコラボさせてもらいました。

赤べこのnoteがすごくバズった記事だったので、それに合わせて赤べこグッズを作ってもらったり。

コロナの特別給付金の10万円を、みんなで楽しむために使いたいなと思ったんです。1人で全部読んでおもしろい文章を発掘する「キナリ杯」というのをやったら、いろんな人から「おもしろいから乗った!」という感じで、賞品や景品がカンパされて、100万円を超えて。

応募が4,300件来て、受賞者50名という。3日間で4,300件の原稿を1人で読んで、審査しました。読書感想文のフェスとかもやってます。

Forbesの“世界を変える若者30人”に選出

岸田:これはいまだに選ばれた理由がわかっていないんですけど、Forbesの「30 UNDER 30」で、“世界を変える30歳以下の若者30人”に選ばれて。

なぜかもわからず登壇して、受賞して。その後に「なんで選ばれたんですか」と聞いたら、「障害のある弟やお母さんのことを、文章で人に明るく広げてくれた結果です」と言われて。「ありがとうございます」って感じになりました。

そんな感じで、いろいろとネットで発信したりお祭りをしていたら、小学館さんから……。小学館というと、私が大好きな『ドラえもん』『名探偵コナン』『美味しんぼ』という、3大小学館作品と私が呼んでいるものがありますが。その小学館から本を出させていただいて。

noteで無料で読めるものを本にする意味ってないんじゃないかなと思ってたんですけど、装丁をしてくださった祖父江慎さんという方が、すばらしいブックデザイナーで。ノンブルと言って、(本の)下のページ数を、文字が書けない弟に「がんばって書いてもらいましょう」と言ってくださったり。

先ほどの幡野さんの写真も挟んでいただいて、素敵な本になりました。本を書くだけじゃなくて、私はラジオとかで話すのがすごく好きなので、今はテレビやラジオでもお話をさせてもらってます。基本的にあまり賢いことは言ってなくて、とぼけたことばっかり言っております。

父の愛車・ボルボを、車椅子の母のために改造

岸田:最近起こったこととしては、亡くなったうちのお父さんが大好きだったけど手放しちゃったボルボという車を、母のために車椅子が乗れるように改造しました。

いろんな壁にぶち当たったんですけど、たくさんの人から声をかけてもらったり。運よく改造してくれる人や、運よく母に売ってくれる人とか、いろんな人が出てきて、日本に1台しかない車を改造して作る状況になりました。

noteって、「いい歌だった」みたいな感じでお金を投げるような、サポートで投げ銭の機能があるんですよね。それがかなりの額をいただいてしまって、「投げ銭を使ってボルボで旅行に行きます」とは言ってたんですけど。

普通に旅行に行っても(金額的に)何回か行かないと使えないなと思っていた矢先に、お母さんが入院しちゃって、ボルボを運転できるのに2~3ヶ月かかるということで。

岸田家の家系的に、でかいお金をもらってそのまま置いとくと、本当に不幸が起きちゃうんですよ。たぶん「招き猫の殴るバージョン」みたいなのがいると思うんですけど。

澤田:(笑)。

岸田:私だけじゃなくて、みんなのために……。みんなも家族も楽しくなるためになにかしたいなと思った時に、朝日新聞と東京新聞で3月21日に広告を出しまして。知的障害のある弟のために、弟の写真を使って広告を作りました。本当は勝手にデザインを作ってくれた人がいたり、ポスターを貼ると言ってくれる書店があったりして。

私は本当に「やりたい!」と言っただけだったんですけど、朝日新聞と東京新聞にバッと載って。まさか20代のうちに、個人でお金を払って1面フルカラー広告を載せて。ようやく、広告の人とちょっとドヤ顔でつながれる瞬間ができたなと。

澤田:(笑)。いや、これすごくいい原稿ですよね。

岸田:ありがとうございます。「広告主ですが?」みたいな感じで。

澤田:確かに。クライアントさまだ。

岸田:そう。私、クライアントさまなんですよ(笑)。みなさんのおかげなんですけど。

これは一緒に取材記事も出てたので、ダウン症の人やそのご家族から「勇気が出ました」と言ってもらえたり。弟が紙面を持っていろんな人に見せびらかしているらしくて、うれしいなと思います。

基本的には、noteというWebのサービスで書いています。おばあちゃんがボケて、お母さんが入院してからの日々がちょっとしんどすぎて。泣き寝入りするより、笑い寝入りしないと精神衛生上よくないわ、ということで。今は毎日21時に、その日起こったちょっと辛かったことを笑い飛ばすというコンセプトで『もうあかんわ日記』を書いております。

ちょっと長くなってすみませんが、そんな感じの岸田です。

行き詰まったときには、“からこそ精神”が大切

澤田:すごい。全ページキャッチーですね。

岸田:いやいや、そんなことはない。

澤田:すごいな。すごい人生やな。

岸田:すごいですね。お互いそうですね(笑)。

澤田:今のプレゼンで一番印象に残ったフレーズが、まさに幡野さんの写真のスライドのところです。お母さんが車椅子になっちゃったからこそ、「できることは何だろう」とか。あとは岸田さんが、総務や営業ができないからこそ、「何をやってみよう」と考えるという。

意外とその、“からこそ精神”って超大事だと思って。僕も含めてだけど、そういう時に「もう本当に八方塞がりやん」という感じで、けっこう立ち止まっちゃうんだけど。

“からこそ”といって、次に行っている。もちろん時間もかかっているし、一筋縄じゃいかない背景もあるんだろうなと思うけど、結果的には“からこそ”で前に来ているのがすごいなと思っていて。

岸田:(本を出して)こちらの『マイノリティデザイン』……。えぇ!?(本がバーチャル背景と同化)

【4/15重版出来→以降、順次発送予定】マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう(ライツ社)

澤田:すごい、お父さんが来てるのかと思った。

岸田:これ消えるんだ。なんだ? 色的に? 

澤田:バーチャル背景、本人の後ろは全部消えちゃうんです。

岸田:すごいですね、これ。

澤田:一瞬、霊的現象かと思った。

岸田:なるほど、一瞬で見てください。『マイノリティデザイン』。

澤田:呪われそう。