2024.10.10
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飯間浩明氏(以下、飯間):今年のおそらく流行語大賞をとるんじゃないかという言葉に「忖度」というのがありますね。
(会場笑)
今『三省堂国語辞典』を引いてみると、残念ながら「忖度」という言葉の、最近の意味が載っていないんです。「忖度……相手の気持ちをおしはかること。推測」。例文として「意向を忖度する」としか書いてありません。ちょっとこれは不十分ですね。
「忖度」についてもう少しくわしく言いますと、昔はただ推し量ることだったんです。「母の苦労を忖度する」「友達の心情を忖度する」という使い方をしていた。それだけのことだったんです。相手がどう思っているかを推し量ること。
でも、今年というか最近の使われ方はそうではない。「上役などに気に入られようとして、考えを推し量る」。これが今の「忖度」の使い方ですよね。その上役は政治家かもしれないし、社長かもしれない。「社員が社長の意向を忖度する」というような使い方をします。
これは、別に「社長がお疲れになってかわいそうだ」というふうに心中を推し量るんじゃないですね。「どうやったら社長が満足するか」と考えて社長の心を推し量る。これが今の「忖度」であるわけですね。
残念ながら、最新版の『三省堂国語辞典』にはこれが載っていなかった。載せようと思えば載せられたんです。最新の第7版が刊行されたのは2014年ですが、その当時すでに、今の「上役に気に入られようと、心を推し量る」という使われ方があったんですね。
あったけれど、私たちの目が行き届かなかったために、用例に注目することができなかったんです。それで、今年話題になって「ああ……」と。初めて「そうだ、そういう言い方があった」と気付いたわけですね。
(会場笑)
辞書編集者は、言葉の変化がマスコミで話題になる前にちゃんと気付いていなきゃいけないんですが、「忖度」に関してはうっかりしていたということですね。私はうっかり者ですから、残念ながらこういうことが多いんです。
でも、なるべく、まだマスコミに気付かれていない言葉の例をいろんなところから集めたい。言葉を集める作業を「用例採集」と言いますけれど、いろいろな用例を採集して、「今、こういうふうに言葉が変わってきている」と丹念に記録して、それを辞書に反映する。それを地道にやっていかなければいけないと思っています。
次に、私は国語辞典が権力を振りかざすということをやめたいんです。辞書というのは、なにか偉い権威のような存在として今まで考えられてきましたね。誤った言葉を見つけて、それを正すという役目を期待されている部分がありましたし、今もあります。
「辞書で『この言葉は間違い』と書いてあるから、間違いだよ」というような議論がよくありますね。たしかに、「この言い方は誤り」と厳しく書く辞書はあるんです。さっき『岩波国語辞典』を褒めたんで、今度は批判しようと思うんですけどね。
(会場笑)
例えば……「確信犯」とはどういう意味でしょうか? 『岩波国語辞典』を見るとこう書いてあります。「政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが(罪になるにせよ)正しい事だと確信して行う犯罪」。
でも、現在私たちが普通に使っている「確信犯」の意味は、「悪いとわかっていて、それでもやる」っていうことですね。「岩波」(『岩波国語辞典』)はそれについてどう書いてあるかというと、「1990年ごろから、悪いとは知りつつ(気軽く)ついしてしまう行為の意に使うのは、全くの誤用」って書いてあります。
(会場笑)
「全くの」ときましたね(笑)。きついですよね。単に「誤用」ならまだしもわかるんですが、「全くの」ってどこからきたのか、よくわかんないんです(笑)。
でも、これは1つの情報ではあります。「1990年頃からそういう使い方がされてるんだよ」ということがわかってありがたいんです。ただ、「全くの誤用」と本当に言えるかということです。
今は相当多くの人が、「悪いと知りつつ、それをやっている」という意味で使ってます。「じゃあ、多くの人が間違った日本語を使っているのかな」「みんな、間違った日本語を使ってダメだね」と考えなきゃいけないのか。私はそうは思わないんです。
辞書は「あなたのこの言葉は間違い」「そんな言葉はない」と、簡単に言葉を断罪するものであってはいけない。断罪するのは簡単ですが、別の面から見れば間違いではない、ということは非常に多いんです。
では、辞書はどういうものであるべきかというと、相手の言っていることがわからない人に対して、「あの人はこういう意味で言っているんですよ」と教えてあげる存在にならなければいけないんです。
「確信犯」にしても、おそらく今では年配の方の多くも「悪いと知りつつ……」という意味で使っているはずです。
でも、「超年配」の方は今でも「政治的に正しいと思って確信して行う犯罪」を「確信犯」と考えるかもしれません。だとすると、若い世代が「悪いと思って行っていること」を「確信犯」って言ったら、「超年配」の方は「どういう意味だろう?」って思うかもしれませんね。
そういうときは、辞書を引いてもらいましょう。そうして、「あ、若い世代は、今はこういう使い方をしてるんだな」と納得してもらう。そのようにコミュニケーションの媒介、仲立ちをする存在である。それがこれからの国語辞典ではないかと思っています。
『三省堂国語辞典』も、新しい意味をどんどん入れているんです。例えば「やばい」は「危ない」という意味が従来の意味ですけれども、今は若い人が「このケーキ、やばい」とか言ってる、あれはどういうことなんだと。
それはつまり、「中毒になって危ないな、と思うほどにうまい」ということなんでしょうね。そこで「すばらしい。むちゅうになりそうで あぶない」という新しい意味を記述しまして、「今度の新車はやばい」という用例を入れてるんです。昔であれば「欠陥品なのか?」となりますよね(笑)。
(会場笑)
それからもう1つ、「程度が大きい」という意味もあります。「やばいおいしいよ」という例文を出して、「『すごくおいしいよ』という意味で使う」と注を入れてあります。
さらに、年代の注釈「年代注」というのがあります。いつ頃からその意味が広まってきたのかを説明するんです。
「やばい」の場合、「すばらしい」という意味は1980年代から例があり、21世紀になって広まった言い方。そして、「程度が大きい」の意味、「やばいおいしい」などと使うものですね、これはその後に広まった言い方、と説明してあります。
これらは新しい意味なんですけど、「誤用だ」「間違った言い方だ」とは書かないようにしよう、というスタンスです。なにが間違いかというのは、学問的には決められませんからね。
学問的に言えるのは、「新しい言い方」「古い言い方」、それから「俗な用法である」「アウトローの人々が使う言葉である」「改まった言葉である」というようなことだけ。それは辞書にきっちりと説明しておく。でも、主観的に「誤りだ」というふうには書かないということですね。
「よい相談相手」になる国語辞典という話をしましたが、このキャッチフレーズ自体は、『三省堂国語辞典』の昔の版にも出てくるんです。
ただ、私の考える「相談相手」というのは、これまで無視してきた新しい役割も含みます。それは、人々がふだんの言語生活の中で困った時に、国語辞典を開くとコミュニケーション上の悩みが解消される。そういう辞書でありたいと思っています。
本に書いた例を1つ出しますね。学生が家に帰る途中で、道で(近所の)おばさんに会ったとします。そして、おばさんに「花子さん、お帰りなさい」と声をかけられる。花子さんは返答をしなければいけませんね。「お帰りなさい」に対して、「あ、おばさん、ただいま」と言えるか、ってことなんです。
「ただいま」と言うと、なんだかおばさんの家の子になったような気がしますね。ちょっと違和感があります。普通は「お帰りなさい」に対する答えの言葉というのは「ただいま」、あるいは「ただ今、帰りました」であるはずです。ところが、近所のおばさんに対してはそう言えないんです。
じゃあ、どうするかということですが、『三省堂国語辞典』では「お帰りなさい」の項目に、次のように説明しました。
まず、意味ですね。「お帰りなさい 帰ってきた人をむかえる あいさつ」。まあ、これはそうですよね。これに注をつけまして、「返事は、身内には『ただいま』。近所の人には『あっ、こんにちは』などとも言う」。
(会場笑)
つまり、おばさんが「お帰りなさい」と言った時に、花子さんは「あ、おばさん、こんにちは」と言えばいいわけですね。そうすると、そのおばさんの家の子になったという感じはしない、ということなんです。
(会場笑)
こんなふうに、日常生活の中で言語を運用する上で「困った、どうしたらいいか?」という時に、辞書を開くと参考になることが書いてある。コミュニケーション上の悩みを解消する1つの手引きになる。そんな辞書が作れたらいいな、と考えます。
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