カミングアウトされない=信頼されていない

瀬尾傑氏(以下、瀬尾):こういう話をしているとあっという間に時間が経っちゃった(笑)。時間がなくなっちゃうんで、最後にみなさんに改めて課題についてお聞きします。

LGBTというのもだいぶ知識が浸透してきて、ある意味、社会もいろいろ変わってきてる部分もある。社会も理解が進んで、政治も企業も多様性について非常にプライオリティが高いテーマとして取り組んでいると思うのですが。

そのなかで、どういう課題が残っているのか。あるいはそれにどう取り組めばいいのか。それについてお1人ずつ、最後におうかがいしたいと思います。では文野さん、お願いします。

杉山文野氏(以下、杉山):はい。課題は、違いをお互い受け入れるということ。お互いの違いをちゃんと受け入れながら、応援できる関係性になるということだと思うんですけれど。

誰1人として、同じ人っていないんですよね。みんな、それぞれの個性を生きているなかでそれをお互い応援できる。あと素直な自分を表現できるということと、ありのままの相手のそれを応援できるような関係性というのがいいなぁと。それが一番ですね。

そのためにはやっぱり信頼関係が必要です。

よくこういう話をすると、「カミングアウトを受けたらどうしたらいいですか?」とあります。大前提としてカミングアウトを受けるということは、カミングアウトをする側からだと「あなたのことを信頼しています」という証でもあるんですね。なので、ちょっと意地悪な言い方をすると、カミングアウトされないというのは信頼されていないということでもあるんです。

その信頼関係があるかどうかというのを、ちゃんと目の前の人とつくっていく。そうすると、最終的には人として……という話だと思うんですね。だからLGBTといってもいろんな人がいるし、良い人も悪い人もいれば、クリエイティブな人もクリエイティブじゃない人もいると思います。いろんな人がいるんですけれども、そういった中でちゃんとバイアスをかけずに、目の前の人と、対人としてどういう関係性を築いていくか。

「基準」に縛られず、柔軟な対応を

それともう1つ。さっきのバニラエアの話もそうなんですけど。

僕、まだ戸籍上は女性なんですね。それでとあるスポーツクラブに行ったら、戸籍が女性なので男性の更衣室は使えないということで今ちょっと保留になっている。実は、男性から女性に移行された方が、女性用の更衣室を使えないということで訴訟が起きた、と。それはこの間、和解になったんですけれど。その判断基準がやっぱり戸籍だということなんですね。

企業として基準を設けるというのは、すごく大事だと思うんです。基準がない、決まりがないという中で「自由にしていいよ」はやっぱり難しい。けれども、一番大事なのはその基準を設けたうえでどう臨機応変に現場が対応していくか。例えば、基準は戸籍だとしても僕はこのひげ面で(笑)。戸籍が女性だから女性のほうって言われても、それはみんなが困っちゃうじゃないですか。

そうしたときにどうしたらいいのかは、ある程度は現場に任せてそれぞれが行動に移して、なにかトラブルがあったときも、自分たちでリカバリーできるだけの個人の力をもうちょっとつけていかないといけない。さらに多様化が進む時代に大きな会社で本社の基準だけでやってくというのは、すごく難しいことだな、と思います。

変化や違いに対してそれぞれが柔軟に現場でもっと対応できる力、個人個人が個人を対応できるような力がついていくといいんじゃないかと思っています。

瀬尾:現場が対応できる権限を与えるということですよね。

杉山:そうですね。

瀬尾:わかりました。

LGBTの子どもは「親が味方じゃない」可能性もある

谷家さん、お願いします。

谷家衛氏(以下、谷家):今、ヒューマン・ライツ・ウォッチがすごく一生懸命やってますけど、子どものLGBTの人たちが傷つかないようにすること。

人種問題のときでも、みんな家に帰れば自分の親だけは味方だったんですよね。でも、LGBTの人たちが本当に大変だと思うのは、家に帰っても、ひょっとしたら親御さんは味方じゃないかもしれない。本当に孤独になる可能性が高いと思います。

ある程度大きくなったら、文野くんも活躍してるし、まささんも活躍してるし。そういう人がいっぱいいるんだっていうのはわかってくると思うんです。しかし、小学生とか中学生ぐらいでは、まだそういうのはわからない人はたくさんいる。

しかも家に帰っても、ひょっとしたら親御さんたちが、LGBTという問題だけについては味方じゃないかもしれない。だからそこは、できるだけ社会で守れるようにしてあげたいなと思いますね。

LGBTについてフレンドリーに話せる環境を広げてほしい

柳沢正和氏(以下、柳沢):はい。私はすごく希望を持っていて。

この間ですね、私の友達の子どもに会ったときに、テレビでマツコ・デラックスが出てたんですね。それで、その子はたぶん4つか5つぐらいで、言葉を自由に操りはじめた世代なんですけれど。「女装」「お姉タレント」という言葉は知らなったんですけど、なぜかその子は「ナマハゲ」という言葉は知っていて。マツコに対して「ナマハゲ」って言ってたんですよ。

ああ、そっか。若い世代は、秋田のあの伝統的なナマハゲの化粧とマツコ・デラックスの区別はしないんだと(笑)。そう思って、だんだん市民権を得てきたんだなと思っています。

つまり、時代が変わっていく。時間の問題だとも思うんですね。LGBTということが、こういう場で話されるようになったのはこの1〜2年だと思うんです。だから、急速に変わっていると思うんです。

いくつかのアンケート結果に出てるんですけど、例えば「就職のときに非常に困難に感じましたか?」という問いに、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルの44パーセントが「非常に難しかった」と回答している。

大学時代にLGBTのサークルなどで活躍していたのに、言えないわけですね。そうすると就職してからカミングアウトできないんで、みんな困っちゃう。トランスジェンダーの人にいたっては、7割以上が求職時困難だと言っている。

残念ながらすごく能力を持っているのに、水商売にいくという人も多くいらっしゃいます。こういう現状がまだまだあるということですね。身近な人にカミングアウトしている割合は、まだ5割を切っています。

このあすか会議というのは非常にいいコミュニティで、LGBTということをフレンドリーに話せるような環境をここから外に出したい。

今日、「LGBTのセッションに行ってみたよ」と家族やお友達に話していただくのは、ちょっと恥ずかしかったり、もしかして心のなかで抵抗があるかもしれないんですけども。そこからもしかしたら、ご家族のなかでお子さんが実は自分のことをLGBTだと思っていたりしたときに、「親がこういうふうに言ってくれたんだ」ということで、だいぶ変わると思います。

ですのでこの部屋から、ぜひその新しい風を外に持ち出していただきたいと思います。

(会場拍手)

無理解な人の心を開くにはどうすればよい?

瀬尾:ありがとうございます。では、会場から、ご意見とかご質問を受け付けたいと思います。ご質問、ご意見のある方手を挙げてください。

はい、後ろの方。2人くらい続けて。

質問者1:本日はありがとうございました。私は、小さいころから女子校に通っていました。

女子校のなかではレズとかが当たり前というか、けっこう受け入れられる状況で。私も小さいころは男性になりたかったりというところがありました。それが普通だったのに、大学へ行って社会人になって男性がいる状態になると、それがけっこうイレギュラーであることがだんだんわかってきて。

その中で、自分が女性であるということを改めて意識してしまったり。今ちょっと混乱してる部分ではあるんですが。そのなかで、子どものときにそれを周りが受け入れてあげるっていう、そういう社会がすごく大事だなと思っているんです。

そのあたりの制度とか、子どもたちにどういう教育をしていくのかというところを、ぜひおうかがいしたいなと思います。私自身も教育業界にいるので、そういったところは参考になるかなと思いまして。よろしくお願いします。

瀬尾:もうお1人、うしろの方。

質問者2:はい。今日のお話を聞いて、ここ数年でもLGBTに対する許容度とか、理解があがっていることがわかってすごく良かったんですけれども。一方で、本当に問題なのは、ここに来られてない方々にどう広げていくかということだと思うんですよね。

ちょっとLGBTとはズレますけど、あれほどセクハラで問題になったUBERですら、次にきた社外役員が早速「ピーチクパーチク言うやつが増える」とか言ってすぐにクビになる……みたいな。

やっぱりまだまだ無理解の壁ってすごくあると思っているんです。その無理解の壁な人に「このひと言があればちょっとは心を開いてくれるよ」みたいな、そういうキラートークがあれば、ぜひ教えていただきたいです。

まだ教科書にないからこそ、教育者から発言を

瀬尾:ありがとうございます。まず教育をどうしたらいいのか。

杉山:教育に関してはですね、教科書に入るのが一番だと思います。現状では、学校教育でLGBTについて触れるところが一切ない。学習指導要領にも入らないということなんですけれども。

例えば保健体育の教科書なんかは、二次性徴について触れるところがある。そこには必ず「この時期に異性に興味をもつのはごく自然なことであり」という一文があるんですね。それは嘘ではないかもしれないですけれども、そこで終わってしまうと「じゃあ、同性に興味をもつのは不自然なのか?」という裏メッセージになってしまいかねない。

そうしたときに、教壇に立たれてる方が一言でも、LGBTについてなにかしら触れたり肯定的に発言することによって、教室の中にも必ずいるであろう当事者の子が疎外感を感じたり、自分を責めなくてよくなる。

そしてそれだけではなくて、周りの子たちが加害者にならないためにも、やっぱりすごく大事なことだと思っています。

「かっこいい大人」がちゃんとミングアウトできる社会に

あともう1つは、LGBTの可視化ということ。子どもたちは、かっこいい大人に憧れて未来を描くものじゃないですか。「プロ野球選手になりたい!」というのも、かっこいい大人が見えるのでそうなりたいと未来を描くんですけれども。

でも今、日本の「かっこいい大人」の中で、LGBTであることをオープンにしている人はほとんど目に見えない。プロスポーツ選手もゼロですよね。国政もゼロ。政治や経済でも、有名な方でオープンにされてる方がいない。そうすると、未来を描けないっていうのが一番問題だと思っています。

僕自身もそうだったんですけれども、将来どう生きてこうかと思ったときに、自分が女性として年を重ねていく未来をまったく想像できなかった。かといって男性として生きていくという選択肢があることも知らなかった。

「自分は大人になれないんじゃないかな?」「大人になる前に死んじゃうんじゃないかな?」「どうせ死ぬなら早く死にたいな」と、そういった学生生活が長かった。

でも、どこかにいないかと探して、その結果、新宿二丁目にオナベバーというのがあるらしいと。「じゃあ僕はオナベというのになって生きていくしかないのか?」となる。決して、水商売がいけないと言うつもりはまったくないんですけれども。選択肢がそこにしかないというのがやっぱり問題なんじゃないかと思っているんです。

「かっこいい大人」がちゃんとカミングアウトできるように。カミングアウトできないのはなにかしらの不利益を被るんじゃないかと不安があるからできない。じゃあその不安を、周りからどんどん取り除いていくということが大事なんじゃないかと思います。

「ソジハラ」という言葉で認知度を上げよう

瀬尾:柳沢さんはいかがですか?

柳沢:そうですね、2番目にいただいたご質問のところがすごく大切だと思っているんです。キラートークを教えていただきたいくらいなんですけれども、2つあると思います。

1つは、やっぱり可視化ということがすごく重要です。

アメリカで、同性婚が可決されたときに、保守派の人たちがどうして意見を変えたかというと、自分の子どもがそうだったとか親友がそうだったということに気付いた、ということですね。ですので、周りにいるということの大切さはすごくあると思います。

もう1つは、ちゃんと言葉に定義していくということがあると思います。LGBTという言葉があるから、初めてこの問題をお話できるようになった。そして5パーセントから7パーセントという数字が出てきて、頭の中で理解できるようになったわけですね。

そこで私は、今広めたいと思っている言葉があるんです。「ソジハラ」という言葉なんですけれども。

マタハラという言葉がありますよね? マタニティに対するハラスメント。これは3年間で、認知度が1桁から90パーセントに上がった言葉なんです。言葉によって初めて認知されることがあると思います。

「ソジ」とは、性自認と性的指向ですね。先ほど、好きになる性と自分の性をどう捉えるかという話をしたんですけれども。これの英語の頭文字が「ソジ」で「SOGI」なんです。

国会の委員会答弁などで使われ始めています。性的マイノリティに対するハラスメントというのを、ちゃんと言葉として定義していく。これによって問題があるということを顕在化するのが、甲乙というんでしょうか、両方のアプローチとして有効かなと思っています。

瀬尾:「ソジハラ」ですね。

柳沢:はい。もう来年には誰もが「ソジハラ」という言葉を使っているような世の中にしていきたいと思っています。

瀬尾:いいですね、流行語大賞を狙っていきましょう。

柳沢:狙いましょう。