2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
提供:新経済連盟
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司会者:お待たせいたしました。これよりセッション8「Tokyo as a New Silicon Valley」を開催させていただきます。
モデレーターはジャーナリスト、大西康之さまにお務めいただきます。パネリストはラクスル株式会社代表取締役、松本恭攝さま。Creww株式会社Founcder&CEO伊地知天、新経済連盟幹事。グリー株式会社代表取締役会長兼社長、田中良和、新経済連盟幹事。株式会社サイバーエージェント代表取締役社長、藤田晋、新経済連盟副代表理事。
それでは大西さま、よろしくお願いいたします。
大西康之氏(以下、大西):まず自己紹介からさせていただきます。ジャーナリストの大西と申します。この3月31日に日本経済新聞を退職いたしまして、起業はしてないですけれども、遅まきながらスタートアップしてみたというところです。
今日は全員先輩なので、先輩方の話を聞きながら、起業について「東京をシリコンバレーにするにはどうしたらいいんだ?」という話をしていきたいと思います。
では、まず最初に自己紹介を兼ねて、それぞれの方のスタートアップ時のエピソードを交えながら、「なぜ起業を決断したのか?」というところからお話をうかがっていきたいと思います。では、藤田さんからお願いします。
藤田晋氏(以下、藤田):サイバーエージェントの藤田です。よろしくお願いします。もう僕が起業したのは18年前ですから、ちょっとスタートアップというよりはけっこういい年齢に……。
大西:大御所ですね。失礼いたしました。
藤田:24歳の時に会社を作ったんですけれども。大学を卒業して1回就職して、そこから1年で辞めて企業したんですが。
僕の場合すごくよかったのは、まず大学に入学するために、受験勉強を半年ぐらいかなり集中してやって、一気に一時的に上がった学力で青山学院大学に入学したので、学歴がそんなに惜しくなかったんです。
就職も大学の偏差値のように高い大企業を受けるのではなくて、ベンチャー企業を中心に就職活動をして。当時80人ぐらいしかいなかったインテリジェンスという会社に就職したんですが、そこに就職したことを捨て去るのにもぜんぜん戸惑いがなかった。
だから、学歴も職歴もとくになくて1年で辞めて起業する時は、確かにリスクはとても大きかったんですけれども、失うものがなにがあるかというと、大したものはないなと。
大西:でも、やっぱり青学だと同期の人たちはけっこうなところに行きたがりません?
藤田:と言っても、やはり東大とか早稲田とか慶応と比較すると、たやすく捨てられる学歴かと。これを言うと青学に失礼ですけれど(笑)、なにより長く受験勉強したんじゃなくて、半年で集中してやっていたので。
大西:小学校からずっと積み上げてきていたら、捨てられなかったかもしれない?
藤田:どこかで回収しないといけないという感覚が芽生えると思うんですよね。
大西:その頃からもう事業の感覚ですよね。
藤田:そういう意味ではリスクとリターンはけっこう考えていて。起業して失うリスクが大したことないのに対して、万一大成功した場合のリターンは計り知れないので、それはやはりやるべきだと。
大西:なるほど。そうすると、最初から起業を前提にベンチャーに入った?
藤田:そうです。起業前提、というよりは早く力がつく環境を、と。20代でビジネスマンとしてそれなりに力をつけたいと思っていたんですけれど、日本の大企業は20代は研修みたいなところが本当に多かった。それでは僕が考えているスピードに間に合わないということで、ベンチャー企業に就職しました。
大西:なるほどね。すごいな。僕らの世代の感覚だと、「とりあえず大手入っておこうか」、それで、入ったら、「そこでどうやったら偉くなれるか?」みたいになる。
藤田:今、思えば、そこもリスクだったと思うんですけど、これが本当に日本の人気企業、大企業に、例えばフジテレビとか当時すごく人気だったんですけど、就職できていたら、まず辞めなかったと思うんですよね。
大西:なるほど。
藤田:電通とか、僕が考えてるところでとても素晴らしい会社に。そうすると、もう辞めるきっかけを失って、今の僕の人生はなかったはずなので、そういう意味ではすぐに辞められるベンチャー企業に就職してよかったと思います(笑)。
大西:入って、 宇野(康秀)さんとか 島田(亨)さんとか、いらしゃったと思いますけど、ああいう立ち上げた人たちからはどんな影響を受けたんですか?
藤田:影響というか背中を、10歳しか歳が違わない30代前半の若い経営者たちが苦しみながら会社を経営している姿をもう目の当たりに見ていたので。自分もやりたいと思いましたし、自分もやれるんじゃないかというリアルさがあったんですよね。
大企業だと経営者がおじいちゃんたちなのでイメージできないと思うんです。そういう意味でも肌感覚が得られたというのはよかったです。
大西:目の前にメンターがいたという感じですね。ありがとうございます。田中さんお願いします。
田中良和氏(以下、田中):グリーの田中です。よろしくお願いします。私も就職活動したのが20年近く昔の話なので、もはや最近の話ではなくて、参考にならない部分もあるとは思うんですが。
私は1999年に大学を卒業して新入社員になったんですが、私が就職活動をしていた時に一番思っていたことは「インターネット業界に就職したい」ということでした。
ですが、当時は、パソコンを持ってる人がほとんどいない、インターネットやってる人はまずいない、携帯電話もない、という時代なので、友達に話してもまず何を言ってるかわかってもらえないという。
当時、「良和はWordとExcelが好きなんだね」ってよく言われて(笑)。「いや、インターネットの話をしてるんだけど」というぐらいの乖離幅を埋めるところで、時代を生きていました。
インターネットが使われていない以上、「インターネットの会社に入りたい」と言ったところで会社があるわけがない、という状況で就職活動をしていたんですが、何社かは受けました。
例えばNTTさんにも内定したんです。リクルートさんは2次試験の集団面接で落ちて、IBMは筆記試験で落ちて、ヤフーにいたっては社長の最終面接で落ちるということがありまして(笑)。
結果的に、So-netというソニー関連のところに受かりました。「今更、『テレビ作れ』って言われても困るな」と思っていたら、So-netはインターネットの仕事しかないということで。
NTTさんに行くと「何を担当するかわからない」と言われたので、当時「インターネット業界で絶対就職できるのはここだ」という、唯一の選択肢ということで、(So-netに)入れていただいたというのが、私の就職活動になっています。
大西:でも、NTTって超優良企業じゃないですか。惜しくなかったですか? IBMとかより、NTTのほうが難しくないですか?
田中:そんなことはないと思いますけれども(笑)。当時、私の両親は本当に普通の道路系の、一部上場してるかどうか定かではないような会社の課長か部長か、そんな感じだったので「なぜNTTに行かないんだ?」と非常に怒られました。
ただ、自分としては「インターネットの仕事をどうしてもしたい」ということで、説得じゃないですけど「俺はこうする」と、そこに入りました。
大西:なるほど。インターネットに目覚めたのはいつですか?
田中:今でもそういうところあるんですけれども、僕、勝手に若干考えすぎなところがありまして。「20歳ぐらいまでに『一生この仕事をする』という目標を持てないとダメなんじゃないか」という強迫観念に中学校、高校ぐらいから襲われていまして。
そう考えていた時に、たまたまインターネットが高校生ぐらいの時に現れたので、「これはすごくいいな」と。Yahoo!とかAmazonとか、当時そういうのが創業されて。
「こういうことが将来日本でも起こった時に、自分もそこにプレイヤーとして参加する人生を送ることが、自分の夢なのではないか?」と。「どうやったらその業界に入れるのか?」ということを高校生ぐらいの時からずっと考えていたというのがあります。
ちなみに、So-netの新卒1期生だったので、もし1年早く大学を卒業していたら、本当にどこ入りたいのかわからなかったかもしれませんね。
大西:なるほど。しかし、Yahoo!とかAmazonを知っている高校生だったんですか? それ自体すごく変わってますよね。ものすごく感度が高いというか。
田中:そうですね。子供の頃からゲーム好きでして。ドラクエの発売日とかがすごく気になってしょうがなかったんですけれども、最も発売日情報が早いのは実は『ファミ通』ではなく、日経新聞であることに気づきまして。
強烈に株価に影響するので、一番最初に書かれていたんですよね。なので、親に頼んで、(当時、取っていた)朝日新聞か読売新聞を「日経新聞に絶対変えてくれ」と。
大西:早熟だな。
田中:それを読んでたら、その横にある「インターネットがこれから来る」みたいな記事を見て、「そうなんだ」というので興味を持ち始めたという(笑)。
大西:日経が役に立ってたんですね。
田中:本当に日経さんのおかげで。「シリコンバレー通信」みたいなやつをずっと子供の頃から読んでいて。しかも、切り抜きもしていましたね。
大西:やっぱりすごい。普通の高校生じゃないですね。変わってますね。
田中:強迫観念に襲われていたので。
大西:おもしろいな。
田中:そうは言って(So-netに)入ったんですけれども、そのあとすぐ1年ぐらいで辞めて、楽天に入っちゃうという。三木谷さんのおかげで現在があるということです。
大西:楽天は、その当時できて2年目? 3、4年目?
田中:これもまさに「コネクティング・ザ・ドッツ」ってやつだと思ってるんですけれども。
僕は日大の法学部なんですけど、周りにインターネットどころかパソコンを持っているという人もいないなかで、そういうことを本当に考えていました。周りにそういう話が通じる人が1人もいないという状況のなかで「どうしたものか」と思って、検索エンジンで「インターネット」って検索して、それで出てくる会社に上から連絡して会いに行く、みたいなことを大学生活でしていました。
何件か「なにをしに来たの?」って言われて、「インターネットに興味があるんですけど」って言ったら、「忙しいから、遊びに来るな」って言われたり、怒られたりもしたような。
そういうことをしていた時に、たまたま知り合った友人が慶応のSFCに行ってまして。それまでよく知らなかったんですけれど、「慶応SFCにパソコンとかそういうのがあるらしいよ」って聞いて。
まったく関係ないんですけれど、SFCに勝手に遊びに行きまして。学食とかにたまに入り浸りながら友達を作るという活動をした結果、その友達が就職活動をした時に、「アクセンチュアに内定してるんだけど、MDM(楽天の前の社名)に就職する」って聞かされて。
「どういう会社なの?」って聞いたら、「ハーバードの人がいるから大丈夫なんだよ」って聞かされて。「そんな安直なことが、この世の中にあるわけねえだろう」と思ってたんですけど(笑)。
僕はその友達のことを「すごい優秀だな」と当時から思っていて。僕の本当に数少ない「インターネット業界はこれからおもしろいんじゃないか」ということを語り合える友達で。
その彼がそういう6人だか10人の会社に就職すると聞いたので、「ぜひ紹介してほしい」ということで、何の理由もないんですけれども、三木谷さんと僕と彼で3人で焼き肉を食べに行ったというのがきっかけで(三木谷さんと)知り合いました。
そのあとに(So-netに)就職をしたんですけれども、「やっぱり楽天いいかな」と思って、転職したのがきっかけです。
大西:最初の三木谷さんの印象はどう?
田中:極めて普通の35歳のおじさんだなと思ったんですけど。もはや自分も39歳なので、もっとおじさんだなと思ってるんですけどね(笑)。
ただ、すごく印象的だったのは、さっき藤田さんのお話もありましたけど、興銀でハーバードと言えば、よくわかりませんが、とにかくエリートコースっぽいということが学生の自分が思ったことなんです。だけど、「なんで会社なんかやってるんですか?」って聞いたら、「これから日本をよくするためには『こうしたほうがいい』とか『こうあるべきだ』とか、そういうことを口で言ってる場合じゃないんだ。なにかしら実例を作って、実例をもってして『こういうことができる』ということを社会に証明することが必要なんだよ」ということを言っていて。
「なにも成し遂げてない35歳の人がなにを言ってるんだ。早いんじゃないか」とも思ったんですけれど、非常に共感して。「そのとおりだな」と本当に心から思って。そういう人はすごく信頼できるなと思ったのが記憶としてありますね。
大西:それで楽天に入ったのは、さっきの藤田さんみたいに、「自分もいつかやるぞ」と思って入ったのか、それとも「とりあえず楽天でがんばろう」と思って入ったのか。
田中:自分としては、So-netに入れていただいて、1年間で辞めてしまったので、本当に恐縮というか、「申し訳ない」という気持ちが今でもあるんです。インターネット業界で働くというコンセプトとは合ってたんですが、自分はAmazonとかYahoo!とかeBayとか、そういう業界がいいなと思ったんですが、それらは全部ベンチャー企業だということに入社してから気づきまして。自分は間違いを犯したなと思って。「本当に申し訳ない、自分のわがままというか、考え違いでした」と。
その時、自分が知っているベンチャー企業って楽天しかなかった、という現実がありまして。僕が唯一知ってるベンチャーだし、友達もいるし、どうやらネットの仕事ができるらしいということで、三木谷さんのところに会いに行って。
「僕は22歳でなにもできないんですけれども、なんでもしますので、この会社に入れてもらえませんか?」と言いに行ったら、三木谷さんに「じゃあ、田中君、給料いくら?」って言われて、それで入れていただけることになって。
「じゃあ、そうだな。400万だから」って、僕の給料が勝手に決まって。
しかも、「田中君どこに住んでるの?」って言われて、実家が三鷹市なんですけれども、三鷹市と答えたら「遠いね」って言われたんで、会社の目の前に引っ越したんですよ。
大西:当時は?
田中:祐天寺にありまして。
大西:愛宕から祐天寺に移った時ですね。
田中:祐天寺に引っ越して出社したら、「田中君、なんで祐天寺に引っ越したの?」って言われて。いや、あんたが「引っ越せ」と言ったから引っ越したんだと。勝手に給料決めるわ。引っ越せと言うわ、どういう会社だと思って働いてましたね。
大西:なるほど。ありがとうございます。じゃあ、伊地知さん。伊地知さんは最初から外に出ちゃってるんですよね。
伊地知天氏(以下、伊地知)Crewwの伊地知です。よろしくお願いします。そうですね。15歳か16歳か、覚えてないんですけど、それぐらいからアメリカに1人で飛んでいきました。
大西:それも変わった子供ですよね。
伊地知:向こうで高校に行って、大学に行って、会社を作って。2009年か2010年に会社の事業を売却しまして。それからフィリピンに行って、また会社作って売却して。震災がきっかけで日本に帰国しまして。その時に今のCrewwという会社を作りました。
インターネットの力を使えば、いわゆるスタートアップとかアントレプレナーみたいな人たちに対して、必要な経営資源を、もう少し効率的、民主的に仲介できるんじゃないかなと考えていて。
スモールビジネスとスタートアップってよく区分されると思うんですけど、スモールビジネスに関しては、すでにいろんな人が手厚く支援しているんじゃないかなと考えていて。だから前例のないことに取り組む、スタートアップとかそういう起業家の人たちをもっとしっかり支援したいと。
そういう人たちがたくさん生まれて、経済にドライブをかけていくような。そういうふうになるのが好ましいと。僕は西海岸やいろんなところにいて、そういうことを強く感じていて。
震災をきっかけに日本に帰ってきた時に、そういうプラットフォームに挑戦しようと思って始めたのがこのCrewwという会社になっています。
大西:最初そもそも15歳でアメリカに行かれたのね。有名なのは孫さん。孫さんは高校生の時に、実家を飛び出してアメリカに行って、そこからバークレー行って、って始まるんですけど。高校生で日本を飛び出したのはなんでですか?
伊地知:たまたま家の近くに国連で働いている人が引っ越してきまして。その人と話をしていたら、「なんかでかい世界があるな」と思って。
それで、ちょうど国がやっていた交換留学プログラムみたいなのに奇跡的に合格して、ほぼ無料で行けるみたいな状態ができたので。行き先は選べないんですけど。
アメリカに着いてから3週間はサンフランシスコなんですけど、その間もまだ行くところが決まってなくて。3週間が終わる頃にようやく行く場所が決まって、勝手に飛ばされるんです。
大西:どこに飛ばされたんですか?
伊地知:僕はサウスカロライナという……。
大西:田舎ですね。
伊地知:東海岸のフロリダの上の上の、日本人は1人もいないようなところに飛ばされまして。そこで高校生をやってました。
大西:日本に大学で戻ってくるとか、就職で戻ってくるとか、そういう選択肢はなかったんですか?
伊地知:いや、あったんですけども。向こうが楽しくなっちゃって。それで、向こうで高校卒業するって言って、今度カナダに行きまして、高校を卒業して。それから、カリフォルニア行って、大学行ったんですけど。
18歳ぐらいの時に日本に冬休みかなにかで一時帰国して、バイトをしたんですけど、コンビニで働いた時に3日目ぐらいでクビになったんですよ。
大西:冷蔵庫で横になって写真撮ったとか?
伊地知:いやいや、そういうことはやってないんですけど。でも、なんでクビになったのかは今もわかってないんですけど、「もう日本社会はムリだ」と思って(笑)。それで「向こうで生きて行こう」と思って。ですけど、順調に今やってます。
大西:向こうで高校、大学と過ごした人にとっては、会社を作るというのはわりと自然なチョイス?
伊地知:そうだと思います。会社を作るということもそうですね。みんな周りもやってましたし。そういう意味では、そんなに特別な感じはなかったですね。
大西:向こうで大学出て、アメリカの企業にそのまま就職しよう、みたいなことは考えなかったんですか?
伊地知:もともと弁護士になろうと思っていまして。そういう勉強を向こうでもやっていた傍ら、IT系の会社を始めて。そっちにしちゃったんですね。
大西:なるほどね。起業する時の誰かとの出会いとか「これがやりたい!」みたいな強烈なモチベーションはあったんですか?
伊地知:当時はそんなに強烈なモチベーションはなかったんですけれども、やっているうちに。なにも知らない学生がそういうことを始めると全部一からで。周りに習う人もいなかったので。
そういう意味では、やっていて本当に学ぶことが多くて、すごい楽しくなっていっちゃったというところですかね。
大西:なるほどね。わりと自然にスーッと入っていった感じですね。
伊地知:そうですね。ただ、今のCrewwに関しては、1つの社会課題というか、すごく問題だと思ってるところがあって。そこに対するソリューションをどう見つけるか、どういうふうにそれが解決するかというような、もう少しミッションドリブンなことをやってるんですけども。
大西:社会の課題というのは何ですか?
伊地知:起業を、いわゆるスタートアップの人たちをどう活性化させるかとか。エコシステムどうこうみたいな話とかですね。でも、21歳の時に会社を始めたときはそんな高い志もなくやっていました。
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