2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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――まずは、戀塚さんがプログラマーになったきっかけをおうかがいします。中学生の段階でプログラマーになることを決めていたとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか。
戀塚昭彦氏(以下、戀塚):小学生の時の家庭用コンピューターはマイコンと呼ばれていて、使い方としては、プログラムを作る以外ありませんでした。そもそもソフトウェアそのものが入手できないというか、自分でプログラムを作るか、雑誌に掲載されたソースコードを打ち込んで、それを実行したり自分で改造したりするのが基本で。
カセットテープに保存したソフトウェアの販売とかも一応ありましたが、小学生的には高くて、わざわざ買うのは大変だったので、欲しいものは作る必要がある世界だったんですね。そのため、あの当時にコンピューターを始めていれば、プログラムを書くのが当たり前。プログラムを始めるのは、コンピューターを始めるのと同義だった感じです。
その当時はインターネットなんてまだ存在しない時代なので、情報交流をする場所は、雑誌か、直接の友だち同士のつながりしかありませんでした。誰かがパソコンを買ったとなったら、使い方がまずわからないので、わかる人を探します。そんな時に、私によく声がかかって、あちこち遊びに行って教えつつ、私もいろいろなパソコンを使えて楽しいということを繰り返していました。
なので、周囲ではよく知られたマイコン少年みたいな感じになっていて。「パソコンが周りの人よりもだいぶ得意だから、仕事になるんじゃないか」と思ったという感じでしたね。
――すごいですね。周りからの評価は、ご自身の自信にもなっていたのではないでしょうか。
戀塚:そうですね。中学の段階でプログラマーになるという選択は、つまりは高校を情報系の高校にするという選択だったわけですが、その時もちょうど運がよく、一番近所に情報系を含む総合技術高校が新設されて、1期生を募集していました。
中学を卒業して高校入学のタイミングで、ちょうど1期生だった私の中に、「コンピューターは新しい機械のほうが性能が高くて楽しい」という考えがあり、なるべく設備が新しいほうがうれしかったので、周辺にも既存の高校で募集しているところはありましたが、新設校が一番楽しそうということで、そこに行きました。そうしたら、今度は先生方に「噂のマイコン少年がやってきた」みたいに言われていたみたいで。
1期生なものだから先輩がいなくてやり放題というか。最初は設備が全部は揃っていなくて、高校2年になる時に実習棟が完成しました。初めて汎用機の大型のコンピューターから基盤までを使える環境ができるということで、1期生の生徒たちで開封の儀をやったりとか。そんなこともやっていましたね。
先生方にも恵まれていて、先生方も期待にあふれていたというか、新しいことにチャレンジするような人たちでした。実習棟の校舎も設計も先生方が自分でやっていたようなレベルで。
その設備ができた時に、生徒たちに「これらの設備はピカピカだけど、とにかくどんどん使って壊せ」と言ってきたんです。「壊すことを恐れてはいけない。むしろ壊すことは大歓迎だ」と言われて、もうバンバン遊びました。あれはすごく恵まれた環境でしたね。
――戀塚さんの代名詞といえば、やはり「ニコニコ動画」ですよね。
戀塚:キャッチーですね。
――「ニコニコ動画」のシステムは3営業日で作られたとのことですが、なぜそのような短期間で開発できたのでしょうか。
戀塚:これも運というか。その直前にいくつかやっていた仕事が、ニコニコ動画のシステム開発で使える技術だったんです。当時は、AdobeのFlashのFLV(.flvファイル)を使って、HTTP上に流せる動画の仕組みが登場していました。Web動画自体の技術はそれ以前もありましたが、FLVの登場で手軽にコンテンツを作れるようになりYouTubeなんかができました。
それまでのネット動画は、基本的にWindows Media PlayerやQuickTimeなどのメーカーが提供したプレーヤーを載せる以外はできませんでしたが、新しく登場した技術はプレーヤー自体をカスタマイズできることが特徴だったんですね。
それから、Webサーバーの実装については、当時はPHPが流行っていました。私はPHPに関しても、PHPを使ってFlashのコードを生成する超高速なサーバーを作る仕事をやっていました。そのため、PHP自体のソースコードも書くことができ、さらにチューニングのスキルと、Flashのより細かい中間コード、仮想マシンの仕組みについても勉強していたという状況があったので、「それらの知識を活かすと、すぐ作れるな」という話でした。
また、動画に対してコメントを載せることは、その数年前に「2ちゃんねるの転送量危機」という騒ぎがあって、その時にチューニングする有志をユーザーから募っていたんですね。私も参加していたので、そのあたりの掲示板のコードに関するノウハウもありました。
これらを組み合わせることで、もうわりと作れるなと。あとは、「こういう見え方がいいな」ということを自分が思うように作ったら、コメントが書けて、動画の上にそのコメントが流れて、サーバーに蓄積されて、そこから誰にでも配信されるという基本構造が3営業日でできたと。そんな感じでしたね。
――依頼がきた時点で「すぐできる構想はあった」ということですが、3日で開発できる自信はありましたか?
戀塚:その時の上司である川上会長(当時)が、「戀ちゃんならできるよ」「最高速で作ってくれ」みたいなことを言ってきたんですね。
もともと2ちゃんねるなどで実況文化があり、テレビ番組を見ながらリアルタイムでコメントをしていくこと自体は親しみがあり、それをどのように載せればおもしろい見せ方になるかは考えていたところでした。なので、そのアイデアをうまく使うことができたという。
ちょうど話が来た時に、それまでに必要な情報がほとんど揃っていた状況だったのが、早かった理由だと思います。
――戀塚さんは“生涯現役プログラマー”を目指しているとのことですが、戀塚さんが考える“生涯現役プログラマー”とは、どういった人、あるいはどういった状態のことを指すのでしょうか。
戀塚:“現役プログラマー”という言葉を使うということは、文字どおり、“コードを直接書く”ということだと今の段階では思っています。
ソフトを開発する工程の中で、何がソフトを形作るかを突き詰めると、何を作るかを決める部分だと思います。しかし、今の時代ではまだコードを直接書くところが大きな比率を占めています。将来的にはだんだん減っていくと思うんですけれど。
なので、今の段階では、コードをいっぱい書いている状況が、“生涯現役プログラマー”と名乗るためには必要かなとは思っています。
マネジメントの比率を上げていくと、当然その時間は削られていくので、マネジメントの時間は自分の中から減らしていく必要がある。そのためには、どのように組織全体でカバーしてもらうかとか、自動化するかという話になると思います。
――自分の中からマネジメントの時間を減らしたくても、会社から「マネジメントをやってくれない?」と言われるようなことも多いかと思います。戀塚さんは、これまでのキャリアで、マネジメント職が業務の中心になったことはありましたか?
戀塚:メインにしたことはないです。部下的な人がついたりしたことはありましたが、それでも、マネジメント中心ではなかったですね。
かつ、私も含めて、社内で「開発とマネジメントは異なるスキルである」という主張を昔からしている人がいた関係で、一時期いわゆるテクニカルラダーを人事制度に導入したことがあって。テクニカルラダーは、マネジメントに進まなくても、技術職のまま給与グレードが上がっていく体系のことです。
それを作ってもらって、私はそれを選択したので、「マネージャーになりたくない側の人である」というアピールにはなっていました。もちろんその時に、テクニカルラダーを選ばなかった人たちもいたので、マネージャーの声がかかるのは、基本そちらからという状況にはなっていました。なので、わりとそういう話は来にくい環境でしたね。
――組織の中でキャリアの意思表示ができたのはすごくいいですね。
戀塚:一応そういうこともできる状況ではあったということです。
――戀塚さんは自分の意思表示がしやすい環境にいたとのことですが、一般的には年齢を重ねることでマネジメント職に進まないといけなくなる傾向が強いように思えます。“生涯現役プログラマー”としてキャリアを進めていきたいという思いがあった時に、どのように対応するのがよいでしょうか。
戀塚:組織の中の需給関係がまずあって、マネジメントが足りない状況は、開発の現場では恒常的に起きる構造を持っています。需給関係として、会社組織が開発に求めているスキルの総量に対して、開発が余ってマネジメントが足りなかったら、組織としては調整したくなります。
そうなった時には、会社にとって、組織にとって、残さなければいけない開発の人を選別する必要が出てくる。“生涯現役プログラマー”を希望しつつもマネジメント職に進まなければいけなくなるということは、その結果、「そうではない」という烙印を押されてしまったという状況です。
需要供給とは別に、向き不向きもあって。好きか嫌いかとは別に、向き不向きもありますよね。実は開発よりもマネジメントのほうがうまく回る人もいるので、そういう人を見つけ出して拾うことができるのであれば、組織としても全体としてハッピーになるはずです。
そもそもやっていないことに向いているかどうかはわからないので、まず試す必要はあって。そういう意味で、1回マネジメントを順繰りにやってもらって、向いてそうな人を残すような運用もあると思います。その結果、開発のほうが向いていたとなったら、開発に戻り続けるケースもあったりします。
――ちなみに、戀塚さんができるだけ手を動かす側にいるために工夫されていることなどがあれば教えてください。
戀塚:マネジメントの担当になってくれた人には、「お互いがやりやすいように、どうやっていくか」を決めていくことをよく話しています。あとは、開発者としての価値が高いという印象を与える動きをする。
新しいこと、ほかの人がやっていないようなことを学び続けて、かつ実際になにかをやり続けていく、実績を積み上げていくことが大きいというのはあるかな。
あとは、会社としてマネジメントが足りない状況になったら、マネジメントへの圧力が発生するので、そういう状況ではチームメンバーの人たちを助ける方向で、なにかしら手伝うこともあるかもしれません。
(次回につづく)
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