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『ナマケモノ教授のムダのてつがく』刊行記念トーク~時間をムダにする生き方へ」(全5記事)

「ムダ」を省く努力を怠ると、社会的ペナルティが課せられる今 文化人類学者が説く「ムダは本当にムダなのか?」の問い直し

文化人類学者・辻信一氏の新刊『ナマケモノ教授のムダのてつがく』刊行記念イベントが開催されました。コロナ禍でよく聞いた「不要不急」という言葉や、「コスパ」「タイパ」などの現代的な価値観では、「ムダ=良くないもの」として捉えられています。しかし、その捨ててしまったものは本当に「ムダ」なのか? 南米に棲むナマケモノの生態に魅せられ、スロー思想を深めてきた同氏が、「ムダ」について問い直します。

落語から「ムダ」を省くと、なにも残らない

辻信一氏:こんにちは。今日は「ムダ」にふさわしい泥染めの服を着てきました。今日は1月11日ですけども、実は1月15日に僕も出る落語の会があるんですね。僕の仲間たちと一緒にやってる「ぼちぼち亭」という落語会があって、日本橋のお蕎麦屋さんで高座に座らせていただきます。

今日のこの会は、もちろん新しい本を広めたいという企みがあるんですけれども、実はその裏側にもう1つの企みがありまして、それは15日の宣伝もしちゃおうということで(笑)。

15日の落語の出し物を今、一生懸命稽古してるんです。落語の最初には「枕」というものがついてますが、その枕の部分だけやらせてもらいたいと思います。

みなさん、あけましておめでとうございます。めでたいといいますと、これ私ごとになるんですけれども、ほんの数日前に僕が書いた本を出版していただきましてね。そのタイトルが『ムダのてつがく』というんですね。ムダ、つまり役に立たないこと、無益なことですね。「読んだけどムダだった」なんてことがないように一生懸命書いたつもりなんですけども、さて、どうなりますことやら。

さて、この落語というのは、ムダとは切っても切れない縁があるんですね。というのも落語からムダなこと、そして役に立たないことを省いたら、もうあとにはなんにも残らないものだと言われてるわけでございまして。

ですから今日のお話が、「なにかの役に立つんじゃないかしら」なんて、もし思ってる方がいらっしゃったら、その心配はご無用でございます……ってんで噺が始まるわけですね。

ということでみなさん、15日、もう会場はいっぱいになりそうなんですけれども。後日オンラインで見られるようにもなっているようなので、ぜひ見ていただければと思います。

スローライフとは「ムダに時間を過ごすこと」

さて、それではこれから話を始めますけれども。1時間ちょっとかな、僕がしゃべることになりますけど、みなさん大丈夫ですか? スライドを用意してます。いつもどおりムダに用意しすぎてるんですけど(笑)、いけるところまでいこうと思います。

さて、ここに本の目次が出てるんですけれども、序章と終章があって、その間に1章から11章まであるんですね。だから全部合わせると13章、かなり欲張っていろんなことを、ムダに詰め込んだんですけども、今日はそこからいくつかテーマをピックアップして話をしていきたいなと思っています。

『ナマケモノ教授のムダのてつがく』

今日の話には「ムダ話は案外、深い」というお題を付けてあります。僕は『スロー・イズ・ビューティフル』という本を、もう今から21年前に書いたんですが、以来、“スロー”、つまり時間についてずっと考えてきました。哲学の中で時間というのは一番難しいテーマなんですけど、僕なりに考えてきたんですね。

で、さっそく言えることは、「スローって何だろう」っていう問いへの一つの答えは、「ムダに時間を過ごすこと」じゃないかなと。そんなちょっと挑発的な仮説に向かって、これから話をしていきたいと思います。

この写真、いろんなムダなものの中に囲まれて僕の本があるでしょう。これ、ほかの人にとってはみんなムダな、ゴミみたいなものなんですけど、僕にとってはみんなめちゃくちゃ大切な宝物なんですね。一番手前にちらっと見えてるのはブータンで拾った石なんですけど。僕の家の、僕の仕事部屋にはそこいら中に石が転がってるんです。

さまざまな「ムダ」について問い直す1冊

まずこの本を、目次に沿ってざっと見ていきたいんですが、特に現代社会にとって大事だなと僕が思うのは「テクノロジーと孤独」について書いた第5章なんですね。コロナパンデミックで世界中大騒ぎしてきましたけど、実はそれよりもっと深刻なのが「孤独のパンデミック」じゃないかって思うんです。

6章、「ムダな抵抗」ってタイトルにありますよね。よく言うでしょ、「そんなのムダな抵抗だよ」って。僕としては「ムダな抵抗は本当にムダなのか」って、そういう問いを立てて考えてみたんですね。それから、第7章では、20年以上僕が提唱してきた「スローライフ」っていうのをあらためて考え直してみる。ムダという観点から。

それから第8章はですね、これ主に農業についてなんですね。土。僕たちの多くが、土なんてのはムダなもんだと思ってるわけですよ。でもその土の上に僕らは立っていられるわけですよね(笑)。

僕らが住んでる家もその上に建ってる。だから、ムダなわけないんだけど。それから僕たちが食べるものっていうのは、ほとんど土からきてるわけですよね。というわけで、農業についてあらためて考え直そうと。

第9章は「遊び」についてですね。これも僕の長い間のテーマです。それから10章は「教育」です。最近話題の『夢見る小学校』という映画で扱われた「子どもの村」という名前がついた5つの学校があるんですが、そこで行われている自由教育というものに注目してみる。

9章と10章にまたがって、遊びと学びの関係について考える。ふつうは、学びと遊びは対立していて、学びは必要だけど遊びはムダだと思われている節がある。そういう考え方をひっくり返したいと思うんです。

さて、それで一番最後の終章を見てください。「愛とは時間をムダにすること」という題になってますね。ほら出てきたでしょう、「時間をムダにする」。これなんです。これが僕らのゴールなんです。そこへと向かって考えていこうよ、というのがこの本なんですね。

ムダを省く努力を怠ると、ペナルティが課せられる現代

さて、この本の冒頭に戻ってみると、出発点となるのはこういう考え方なんです。「ムダというレンズを通して眺めてみたら、世界はどうなるんだろう」って。最近は、ムダに対する風当たりが一層強まっている。もともとムダに対して風当たりは強いんですよ(笑)。

「ムダなことをするな」とか「そんなのムダだ」とか、みんな言い続けてるんだけど、最近はもう「ムダを許さない」、「ムダを全部、世界から撲滅せよ」みたいな、そういう激しい勢いを感じるんですよ。僕は、それを非常に危惧してます。

ばい菌、体臭、シワやシミ、ムダ毛、贅肉。こういうのはみんな除去しなきゃいけないってんで、最近電車なんかに乗ると、僕らを取り囲んでるのはそういうことに関わる広告なんですね。それだけ広告費が出せるっていうことは、それだけこういうことが今流行ってるってことなんですよね。

ムダを省く努力。例えばムダ毛をとるっていう努力をちょっと怠ってる人には、社会的なペナルティが課せられる。そういう恐るべき時代がきてるということなんですね。

つい最近ですけども「タイパ」っていう言葉が出てきてますね。ファスト映画とかファスト教養とかね。なんか倍速で映画見ちゃったり、ヒット曲からイントロが消えてったり。短時間で必要な栄養を全部摂れる「完全メシ」とかね。これらはみな、時間効率を上げることに躍起となるタイパ社会の姿です。

とにかくこうやってムダを省いていくわけですけども、これムダの身になってみたらどうなんだろうと考えてみるといい。ムダにとっちゃ、ずいぶん生きづらい世の中になってるに違いないですよね。「ムダにとって生きづらい世界とは、果たして僕たちにとって生きやすい世界なのか」。これって非常に重大な問いだと僕は思ってます。

ムダについて考えることはムダではない

さて、みなさん。今日集まっていただいたんですけども、中にはちょっと心配してる人もいるかもしれないですよね。つまり「ムダについて考えるなんてムダなんじゃないか」って(笑)。でも心配しないでください。結論を言いますけど、ムダじゃないんですよ、ムダについて考えることは。それどころか、僕はますますそれが重要になってると思うんですね。

ちょっと見てみましょう、ムダって言葉がどんなふうに使われてるか。まずムダが今、人類全体を脅かしてるという言い方ができる。水だとかエネルギーのムダ使いがあるでしょう。食料廃棄と動植物のムダ使い。資源のムダ使い。果ては時間のムダ使い、そして時間をムダ使いしないようにみんな必死に働かされて、しまいに人間のムダ使いになっちゃうという。

多くの人が、「今自分がやってることはムダなんじゃないかな」とか「自分が生きてること自体がムダなんじゃないかな」って悩んでいる。これって本当に深刻な問いですよね。自分の存在そのものさえ肯定できないというところにまで、僕たちは来てしまっている。

こういう問いに果たして答えはあるのだろうか。ムダはなぜこんなに増殖しているように見えるのか。ムダはいつ生まれたのか。人類が生まれる前にムダはあったのか。縄文時代にムダってあったのか。ムダは本当にムダなのか。

ムダをムダにしてるものは何なのか……とこういうふうに考えただけでもうお腹がいっぱいというか、頭がいっぱいになっちゃいそうな、一連の重い問いが並んでいるわけですよ。

「ムダはよくない」という常識は本当か?

僕がこの本でやろうと思ってるのは、基本的に、「ムダはよくない」っていう常識を、とにかく疑ってみようよっていうことなんです。現代世界では否定的な意味を背負わされた言葉ですよね。でもなんでそんなに否定的な意味を持たされるようになっちゃってるのかと問い直してみる。このちょっとバカバカしいくらい当たり前の「ムダは悪い」という常識を疑問符を突きつけるんです。

考えてみると、スロー、スモール、シンプル、ローカルなど、僕がこの30年ぐらい、ずっと活動の中で使ってきたキーワードなんですけど、よく考えてみたら、これらはみんな否定的な意味を背負った言葉たちなんですね。

そうでしょう。速いほうがいいわけですよ、この世界では。「あなた、スローだね」とか、きみの考えはスモールだね、シンプルだねって言われて喜ぶ人はあんまりいないわけですよね。「あなたの言ってることはローカルね」って言われると、なんか馬鹿にされたような感じするでしょ。そんなふうなんです。

僕はでも、これら否定的な意味を背負った言葉たちにこそ可能性がある、希望があるっていうことを考えてきたわけです。『スロー・イズ・ビューティフル』っていうのもそういう本だったわけですね。

「ムダ」を考えることは、現代社会の考え方を疑うことにつながる

もう言うまでもないですけど、ムダっていうのは「役に立たない」ことです。それをしただけの甲斐がないとか、効果がないとか、無益だということです。どんなふうに使われるかっていうと「ムダ金を使う」とか「時間をムダにするな」とか「努力がみんなムダになっちゃったじゃないか」とかって。

実は、ムダという言葉の背景には、あるいはそれが否定的な意味を担わされる背景には何があるのかというと、「合理主義」とか「功利主義」とかいわれる考え方が働いてるんですね。

ですから「ムダはよくない」という常識を疑ってみるっていうのは、合理主義だとか功利主義とか効率主義という、現代社会にとって非常に重要な考え方を疑ってみるということになるわけです。

そして、できることなら、そういう考え方そのものに抵抗していく、僕はこの本を通じてそういう可能性を見出したいと思ったんです。

「『ムダ』というのは、いつでもある特定の視点からの、『ひとつの』価値判断にすぎない」と書かれています。これを忘れないようにしたいものです。

なにかをムダと断定するのが一つの視点からの判断に過ぎないということは、そう断定されているモノやコトやヒトの中に、そういう視点をすり抜けるような、ほかの誰かやなにかにとっての価値、あるいは誰もが予想できないような、なんらかの可能性があるかもしれない、ということでもある。だから、そういう可能性を見出していこう、ということなんです。

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