性能の「良し悪し」を決めるもの

楠木建氏(以下、楠木):ビジネス、商売というものは、すごく重層的な文脈の中で動いているんですね。例えば、会社の中の戦略のストーリーも1つの文脈です。いろんなものが関連づいた文脈を形成しています。お客さまも、その物やサービスを買ったり、使ったり、楽しんだりする文脈を持っているわけです。

すごく古い、1955年の話ですが、おもしろいなと思ったことがあります。家電の三洋電機という会社があって。井植(歳男)さんという人が松下電器から独立して作った会社で、戦後復興期から高度成長期にかけていろいろな商品を出していったんですね。

主力の商品の1つに洗濯機があります。洗濯機の洗い方は2つの大きな方式があるそうです。1つが撹拌式。もう1つが噴流式、今でいう渦巻き方式です。この2つの洗い方があるということは1955年当時からわかっていたと。

それで井植さんが国内外のさまざまな洗濯機を集めて比較検討した結果、あらゆる次元において撹拌式よりも渦巻き式のほうが優れているという結論に達したそうなんです。

撹拌式は機械が大きくなるし、原価も高いし、故障も起こりやすい。しかも、洗う能力も渦巻き式と比べると落ちる。ところが、アメリカではほとんど撹拌式が使われていたといいます。あらゆることに合理的なはずのアメリカが、なぜ機械的には劣位にある撹拌式を使うのかがわからなかったと。

結局、答えというか、彼の結論はこういうものでした。「洗う」という、生活文脈に埋め込まれている1つの要素が日本とアメリカでは違うと。

ヨーロッパも日本と同じで、その後渦巻き式になりました。ヨーロッパや日本は戦争で貧乏になったと。「汚れたら洗う」というのが、貧乏国民の常識なんだけど、アメリカはずっと豊かなので、汚れようが汚れまいが1日着たらとにかく全部一度洗濯機に入れると。大して汚れていないから、洗浄力は弱くてもいいと。

撹拌式って、ごしごし揉んで洗うから洋服が傷むんですよ。でも、生活が豊かで服をいっぱい持っているアメリカ人はそんなことを気にしない。つまり、このエピソードが物語っているのは、「性能のような極めて客観的なものも、実は客が決めている」ということなんです。

顧客の文脈の中で、性能の良い・悪いが決まる。僕は、こういうのは今おっしゃったイマジネーションがないとなかなか考え及ばないと思うんですね。

人を活かす、AIの使い方

松田雄馬氏(以下、松田):日本の技術者は、短絡的に「いいものを作れば売れる」と考えがちで。そのため多くの日本の電機メーカーが凋落したと言われています。当然ながら、お客さまが生活の中でその製品を使うというストーリーがあって。

楠木:そうですよね。僕の言葉で言うと、こっちの商売にも文脈があり、お客さんにも使用状況の文脈がある。非常にたくさんの文脈がぶつかりあうところで取り引きが生まれて、売れたり売れなくなったりしている。そういった非常に複雑な体系なんですよね。

それを、瞬時に「これだ!」と見つけるのが、ここで言っている生命知であり、イマジネーションであり、直観、センスであって。

松田:そうですよね。

楠木:その一番根本にあるものを、AIに任せてしまうのは単純に効率が悪い。AIには、速い、正確、疲れないというイメージがあるけど、逆にそういうことをやるのには非常に遅いと思うんですよ。

松田:単純にそうですよね。必要なデータがあって、それを集めるとか、必要な分析を行って、その結果を見て自分たちの直観につなげていくという使い方であれば、まさにAIと人間は共生できるわけですけど。そうじゃなくて、「とにかくAIが言っているから正しい」というのはまったく検討違いで、むしろそのほうが余計に時間がかかってしまいますよね。

楠木:顧客とのインタラクションのことを考えても、やっぱり要素を分解していかないとAIなどのアルゴリズムには乗っからないんですよね。ある意味ビッグデータとして、いろいろな顧客の声、行動の要素、断片などが大量に取れる。それを経営の意思決定や判断に活かしていこうとなると、僕はかえってイマジネーションを阻害する面もあると思うんですよ。

AI x ビッグデータ解析では、ウォークマンは生まれなかった

楠木:歴史的な例では、ソニーがウォークマンというプロダクトを作りましたと。ウォークマンというものは、機械的・機構的にはカセットテープの再生装置です。その前から、カセットテープで音楽を聴くという行為はずっとあって、カセットテープの技術は非常に成熟していました。ユーザーもいっぱいいると。

そこで、もしAIをぶん回してビッグデータでやったら、「もっと薄くしてくれ」「軽くしてくれ」「電池を長持ちするようにしてくれ」「音を良くしてくれ」という話は出てきても、「ウォークマンを持ってこい」というアイデアは出てこないと思うんですよ。

松田:そうですよね。

楠木:「お客さんはこういう音楽の楽しみ方をするのではないか」というのは、かなり生命知に依存して出てくる発想ですよね。それまでは「音楽を聴く」という行為は「人間がスピーカーの前に行く」という、物理的な制約の中で行われてきたわけですよね。その物理的な制約から人間を開放して、音楽が人間行動を追いかけてくるという。これが新しい音楽の楽しみ方だったと。今も完全にそうなっているわけですけどね。

その時、顧客の声や行動など大量のデータをAIにかけてぶん回したとしたら、もっと音がいい、薄くて軽いものが出てきて、それはウォークマンにならなかったと思うんですよね。

松田:おっしゃるとおりですね。

AIより、人間がやったほうが速いこと

松田:昨今、AIがデータを生成することもできるようにはなっていますが、あくまで限られた画像データ、文字データ、言葉のデータだったりする。直観力、発想、イマジネーションが生まれるのとは、まったくもって別次元なんですね。

楠木:まあそれは、生成できると思うんですよね。でも、人間の直観と比べるとまず遅いし、コストもかかる。しかも有効性という意味でも、ぴりっとしたものがあまり出てこないんじゃないかという。

松田:そうですね。おっしゃるとおり、いわゆるアイデアとかキーワードとかフレーズとか、キーになるような画像は出せる。でもやっぱり、そこから何かしら「これいいね!」と選出するのは人間が行うわけで。

楠木:そうですよね。

松田:データだけに頼ってしまうと、逆に時間がかかってしまうというのは、まさにそういうことですよね。抽出するの、どうするのって考えた時に、いつまでたっても抽出できないと。

実は今のお話は2つ目の「『ストーリー』、そして『生命知』を生み出すには時間がかかるのか?」というところにも、密接に関係してくるお話だと思いました。

このテーマを何のために書いたかと言うと、やっぱり昨今ビジネスの環境の変化がすごく速い。だからストーリーや生命知のことを論じようとすると「それもわかるんだけど、でも今はやっぱりこの目の前の問題に対処しないとだめだよね」というお話が必ず出てくると思うんです。

でも、今楠木先生と2人で考えたように、どちらかというと、データに任せてしまうほうが時間がかかってしょうがないという結論で。

楠木:種目によりますよね。だから順番の問題で。直観とか生命知によってコンセプトみたいなのが決まって、「よしこれでいこう」となった後は、非生命知のほうが速くて効率が良く、正しいということも多いと思うんですね。

だからまず、その生命知なるものを錬成するには時間がかかるよと。これがさっきの話ですよね。

松田:そうですね。

楠木:生命知を使って、何かを成し遂げるのがどれだけ速いかというと、種目によってはAIより速いこともあると。

大恐慌より、リーマンショックのほうが再起が速かった理由

楠木:松田さんは「今非常に変化が激しい」とおっしゃいましたが、僕はちょっとそこからずれた考えもあると思っていて。しばらく前に、思うところがあって、僕は『逆・タイムマシン経営論』という本を書いたんです。これ、要するに「新聞・雑誌は10年寝かせて読め」という話なんですよ。たまには過去を振り返ってみると、本質がわかるんじゃないかと。ビジネス雑誌の最新号を読んでもおもしろくもなんともないんですけど、30年前のを読むとすごくおもしろい。それは僕、好きでやっていることなんですけどね。

何が言いたいかというと、この100年ずっと「今こそ激動期」と言っていて。だから僕は、「今こそ平常期」っていう特集記事を、どこかの雑誌がやってくれないかなと思っているんです。「本当に激動なのか?」という。人間は、ことごとく不確実性を削減するために制度・仕組みを作っているわけですよ。

だから大恐慌の時とリーマンショックの時を比べると、後者はIMFだなんだと人間の制度がより整っていたので、明らかにリカバリーが速かった。ダメージも小さかった。これは不確実性が削減されているからなんですよ。

僕は基本的な進化の方向としては、どんどん激動が減っていくと思うんですね。だから、今のVUCAとかいう言葉が好きな人は激動期だって言いますが、それは明治維新の人が聞いたら怒ると思うんですよ。「こんなに何もない安定した時期はないだろ」って。戦後復興期の人も「何言ってるんだ。全部見通せるじゃねーか」と。

僕はそもそも、「激動期だから」というふうに問題を立てないほうがいい気がするんですよね。ちょっと話がそれちゃいましたけど。

松田:今のお話、まさにおっしゃるとおりだと思います。「ストーリーを描くのって時間がかかるよね」「生命知を育てる、手にするのは時間がかかるよね」と思われがちですが、逆に今、目の前の激動であるというところに囚われてしまうこと自体、ストーリーを持っている人間からするとものすごく遠回りだと思える。

楠木:そうでしょうね。結局変化する現象がある。円がすごく安くなるとか、大きく物事が変わることもあるわけで。「激動期だ、激動期だ」と言っている人は、激動する現象にばかり目を向けていて、追いかけている。すると目が回っちゃって、なんら有効なアクションが打てなくなる。そういうことじゃないかなと思います。

経済産業省によるDX戦略の実態

松田:今日来ていらっしゃるみなさんは、代官山蔦屋のお客さんだと思います。やっぱりしっかりと本を読んで、時間をかけて何か「知」を生み出すということを大事にしている方々が多いと思うんですね。やはり、そうした方を通してこそ、ビジネスは実は速く展開できる。これも1つの結論かもしれないですね。

楠木:そうですよね。急がば回れという話ですよね。

松田:確かに(笑)。本当に昔の人はよく知っていますよね。

今のお話で、ちょっとヒントめいたところもあるかなと思いましたが、次は3つ目の問いです。「経済産業省のDX戦略には、『ストーリー』、そして『生命知』は見出せるだろうか」。これはちょっと逆説的な包み方をした問いでもあります。

やっぱり経済産業省をはじめ、国家戦略って、昨今なかなか難しいよねと。いい政策がないよねと。というか、失敗ばかりしているのは当然だと思うんですよ。でも、ひょっとしたらDX戦略については、当然ながら学んでブラッシュアップしているかもしれない。彼らも馬鹿ではないというと失礼な言い方ですけれども。

そうした中で、彼らのDX戦略にはストーリー、生命知は見出せるだろうか。これはお聞きするよりも、2人で論じたいと思って書かせていただきました。昨今のDXについて、楠木先生いかがですか?

楠木:僕は経済産業省のDX戦略を細部まで知っているわけじゃないんですが、僕が知る範囲では、まったく違った2つのことをごっちゃにしている気がするんですね。

経済産業省が言っているのは、8割「DS」なんですよ。DSとは「デジタル・サブスティチューション」、つまり「デジタル代替」なんですよ。DXのXというのは「Transformation」なので、「儲け方が変わる」という話なんです。だから今言われているDXなるものの大半はDSで。これまでアナログでやっていたことをデジタルに代替しようと。

「非競争領域」は、単純にやればいいだけ

楠木:これは生命知以前の問題です。やりゃあいいだけなんですよ。こういうのは僕の分野、競争戦略では「非競争領域」と呼んでいます。

1990年代の後半では、「我が社はインターネットを使っているんだ」というのが雑誌の記事になっていたわけですよ。今、先進的な企業で「うちはネット入っているんだぞ」って人、あんまりいないじゃないですか。

松田:(笑)。

楠木:さらにその前は「我が社は全事業所にファクシミリが入っていて、ドキュメントを同時に配信してみんなで共有しているんです。これはまったく新しい経営モデルなんです」とか言っていたんですよ。今、「うちはFAX使いこなしてるぞ」って言ったら、逆に何か奥深いものがあるのかなという気になりますよね。

こういうのが非競争領域です。あまりにもそれが、前の方法と比べると効率的・効果的なので、時間の差こそあれ、みんな同じになるという。それは、単純にやればいいだけだと思うんです。戦略的な意思決定の必要がないんですね。それをやるために、非常にコストがかかるとかなら、ちょっと判断は必要だと思いますけど。

そういうデジタル代替を進めるツール、技術、システム、ソフトウェアなんかは、それはそれで業界のみんながドッタンバッタン競争しているので。その競争はタフなんですけど、絶対の勝者はユーザーなんですよ。常にユーザーが儲かるんです。競争するから、どんどんコストが下がって、性能が上がっていく。

「デジタル・ディバイド(格差)で使えない人もいる」という話もありますが、それは嘘で。「新しくプログラムを書け」なんて話じゃないから、単に慣れの問題ですよね。