2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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井本陽久氏(以下、井本):僕は学校の現場にずっと28年間いますけれども、なにが魅力なのか。それは「一人ひとり違う」ということなんですよ。子どもたち一人ひとり、みんな違うんです。
だからそもそも「こういう方法で勉強させよう」なんて、うまくいくわけがないんですよ。明らかにうまくいくわけがないことを、一生懸命やろうとしているんですね。
今、教育改革で「これからの時代はAIが大事になってくるから、こういう力が必要だ」とか言っているけど、それも結局変わらないんですよ。一人ひとりの違う子たちに同じ力をつけようとしているだけなんですね。そんなのうまくいくわけがない。
もしかしたら「一部でもそういう子が出てくればいい」と考えているかもしれないんだけども、もしそういうふうに教育をしていたら、潰れる子がたくさんいるんです。
今、不登校・引きこもりの子がすごく増えているんです。実際に彼らは、自分のことを「出来損ないだ」と思っているんですね。「もうダメだ」と思っているんです。
そりゃそうです、「できる・できない」のところでずっと勉強していたら、優劣がつくじゃないですか。優劣でものを判断されるし、自分もそうするようになるから「ダメな自分は出来損ないだ」となってしまうんです。
でもその子たち、おかしくないですよね。本当にもったいない。一人ひとりみんな違う、そこが楽しいし魅力的だし、そして愛しいんです。それが学校の一番おもしろいところ。
僕は去年、学校専任を出て非常勤になって、半分外に出たわけです。外に出て、ほかには絶対にない学校の圧倒的な価値、リモート教室には絶対にない価値がはっきりしたんです。
それはなにかというと、学校は「人・時間・場所がふんだんにある」ということなんですよ。一人ひとり違う子たちがいる。もう多様なんて考えなくていいんです。
別に多様なんていうのは、国籍のことを言っていません。2人揃ったら2人の多様さがあります。1,000人集まったら1,000人の多様さがある。人がたくさんいて、しかも時間は毎日朝から夕方までたっぷりあります。
そして、これは意外に学校にいるとわからないんですけど、場所。だって「外に行こう」と言ったら外があるじゃないですか。「ちょっとみんなで集まろう」と言ったら教室がありますよね。
ほかにそんな所はないんですよ。場所や教室を確保するのは大変じゃないですか。でも学校には人・時間・場所がたっぷりあるんです。
さっきの子どもたちを考えたら、これだけでなにかが起こりそうでしょう。だからもうすでに学校は、あのかたち自体で価値を持っているんですよ。じゃあその価値はどうやったら発揮できるのかを考えればいいわけです。
もう1つ学校のいいところがあります。それは「目的を持っていない」というところです。みなさん学校に行きましたよね。もちろん「学校は勉強する場所です」と言うけれど、別に勉強を目的に行っていなかったでしょう?
毎日行かなきゃいけないから行っていたけれど、「行ったらなにか楽しいことをやろう」という感じでやっていましたよね。だからおもしろいんですよ。目的を持って、その目的を達成するために学校に行ってたら、あらゆることを「使えるか・使えないか」みたいな見方で見るようになって、学校なんてまったくおもしろくない場所になってしまう。
(学校は)目的なんか持っていないんですよ。つまらない授業だったら外を見て「あー……」とやる。あるいは内職する、いたずら書きをする、みたいな。それでいいじゃないですか。
目的がないからこそ、自分でおもしろいことを見つけて,それにガーッとのめり込めるわけです。先生が彼らの没頭とかを全部作れるわけがないんです。目的を持っていないというのは素晴らしいんです。
人・時間・場所がたっぷりあって、しかも目的がはっきりしない。そういう学校が楽しい場所、価値のあるものになるためには、大人の役割がすごく大事になってくると思います。
それはその学校という場を「安心して自分自身でいられる場所」にすることです。ひと言で言うと「ジャッジされない」ということですね。
自分が「どういうことをやってみたい」「どういう考え方をしている」ということでジャッジされないこと。ジャッジされないということは、「優」「劣」がないということです。
子どもにとって、自分のやり方でやっていることを、大人がふっと見たときに「ニコッ」としてくれたら、それだけで子どもは100万倍のパワーを発揮します。僕は学校というのはそれだけでいい場所だと思っています。
栄光学園でずっと子どもたちと一緒に過ごしてきて、僕が学ぶこともすごく大きいです。(スライドを指して)23年前から、近くの児童養護施設に生徒たちと一緒に学習ボランティアに行っているんです。これはその風景なんですけど、僕は子どもたちにいちいち指示をしていません。彼らに全部任せています。僕はぶらぶら回っているだけですね。
基本的に一対一で教えるんですが、彼らは自分たちで「この子は今日は〇〇がついたほうがいい」とか相性を考えます。ずーっと、辛抱強く。見てわかるけれど、(距離が)近いでしょう。
施設に行ってよくわかったんですけど、やっぱり子どもは肌と肌をくっつけたいんですよ。それを当たり前のように生徒たちは感じ取るんです。
実際に教えるのは簡単だと思うじゃないですか。勉強はそんなに難しいことをやらなくていいから。でも、これが難しいんです。例えば、初めて来る生徒がいつもする間違いなんですけど、一生懸命親切に教えるんですよ。でも、それでもうダメなんです。
「一生懸命教えられる」というのは、その子からすると「自分ができていないことにずっと焦点を当てられ続ける」ということなんですよ。つまり、自信をなくすんです。
とくに勉強に対してコンプレックスの強い子たちだから、それをやってしまうと「もういい」「お兄ちゃんいらない」となって、ぷいって行っちゃいます。
でも、回を重ねるごとに(教える側の)彼らはそれを見事に感じ取って、子どもを受け入れて過ごします。本当に素晴らしい。僕は彼らの姿勢から学びましたね。僕の今の栄光学園の授業があるのは、本当に彼らのおかげだと思っています。
そして、この学習ボランティアの時間が終わると、みんなずっと待っていることがあって。お兄さんたちと遊びたいんですよ、こんなふうに(肩車をしてもらったり)ね。でも一度こんなこと(腕に子どもがぶら下がっている様子)をすると大変ですよ、こんな苦しい思いをするんですね(笑)。こんな感じ(数人の子どもたちが腕にぶらさがってきてどんどん重くなる)なんです。
(会場笑)
(スライドを指して)僕は「花まる学習会」をやっていますけれども、実は先日、その代表の高濱(正伸)さんがこんな写真を送ってきてくれたんですよ。
これは、大学でいわゆる子どもの支援、一緒に遊んだり勉強教えたり、そういう支援をするサークルをやっている若者たちの写真なんです。彼らが「花まる」に協賛をお願いしにきたみたいなんですね。
彼が長なんですけれども、この2人は一緒に学習ボランティアをずっとやっていたんですね。でもこの子たちも、最初からうまくいったわけじゃないんですよ。
僕は今でも覚えていますが、彼なんか最初に来たとき、僕も「どうなるだろうな」と思って見ていたら、女の子についたんだけど、隣に行くとその子が逃げちゃう。追いかけて隣に行くとまた逃げちゃう。そしてまた逃げられて……もう心が折れますよね(笑)。
最後までずーっと逃げられて、「もう来週は来ないだろうな」と思っていたんですよ。でも来たんです、来続けたんですよ。そして、ついには違う難しい子を彼にお願いするような、そういう存在になりましたね。
(スライドを指して)背の高い彼は……中1で入ったころはもっと小さかったんですけど。中学3年間、数学とサッカーを教えましたけど、まぁとにかく言うことを聞かない。「宿題はやらない」「言われたことはいやだ」「自分が興味あることしかやらない」みたいな。お母さんも随分心配していました。
サッカー部なんですけど、彼は覚えているんですよ。中1で入ったときに最初の部活でサッカー場に出したら、みんな「ワーッ」となるじゃないですか。「好きにやれ」みたいに言ったら2チームに分かれて試合をし始めて、彼はキーパーをやっていたんですよ。
そうしたら、相手チームのディフェンスがどーんとロングボールを出して、ちょうどフォワードが抜け出してこのキーパーと一対一になったんですよ。「どうするんだろう」と思っていたら、彼は絶対に止めたかったんでしょうね。「さぁ蹴る!」というときに「ガオー!」と言ったんですよ(笑)。
(会場笑)
バカでしょう(笑)。でも、なんとかしたくて「ガオー!」と言ったんですよね。しかも、それでシュートが外れたから、彼はあまり良くない成功体験をしちゃったんですけど(笑)。
(会場笑)
でも、この「ガオー!」とか、彼には自分のやり方があるんですよ。ほかはお構いなしという子だったんだけど、彼はやっぱりこの学習ボランティアをやってから変わったというか、彼の持っているものを発揮するようになりましたね。子どもたちも本当に彼のことが大好きで、それが今大学に行ってもこうしてやっているのが、僕はすごくうれしいです。
最後にセブ島のことについてちょっと話したいです。僕は2012年からずっとセブ島に行っているんですけれども、きっかけは学校の国際交流です。生徒が姉妹校の向こうの学校に短期留学するので、その引率でついて行ったんですね。
行く前は本当に嫌でした。「しょうがないから引率しよう」みたいになって、「あぁ嫌だ、英語もしゃべれないし。俺、本当になにもしないよ」とずっと言っていて。
「なにもしないでいいから、とにかく引率に行って」ということで行ったんですよ。英語がしゃべれないから、とにかくいろんな場面で絶対に人と目を合わせないようにして(笑)。
(会場笑)
目を合わせると話しかけられちゃうから、話さないようにずっと感じが悪いやつでいたんです(笑)。ただ、僕が引率する前半部分の最後に児童養護施設、孤児院に行って一泊したんですよ。そこですべてが変わったんです。
そこの施設には、ストリートチルドレンじゃ来られないんです。相当に過酷な環境で育ってきた子じゃなきゃ入れないんですよ。
その子たちは12戸の家に分かれて暮らしています。そこには「生涯自分はこの子たちに身を捧げる」と決めている、「ナナイ」というお母さん役がいます。彼らは、そのナナイのもとで12戸に分かれて暮らしているんです。つまり家族を失った子に家族を、ということですね。
僕はずっと日本の(児童養護)施設を見てきましたが、やっぱり彼らはどこか誇りを失っているし、自尊心がないし、ものすごく傷を抱えている子たちなんです。それに比べて、ここにいる子どもたちは生き生きしているんですよ。日本の子どもにまったく見られない生き生きさなんです。本当にすごい。遊んでいる姿までが美しいんですよ。
そこに僕は心を奪われてしまって、使わない英語を使って「How old are you?」「Ten?」と言ったら「Oh, I’m ten!」みたいな(笑)。
(会場笑)
どうしようもない英語なんですけれども、なんとか交流して、すっかり友達になって。それで「今度はいつ来るの?」と帰るときに言われたら「じゃあ12月に行くよ」と、その場でパッと約束して。日本に帰って最初にしたのが飛行機のチケットを取ることでしたね。
そのときからとにかく「あの子たちに会いたい」と思ってセブ島に通い続けました。(会場を指して)あそこにもいますけれども、教え子でもある川島に「一緒に行こうよ」と。
それで彼とずっと一緒にセブ島に行き続けて、向こうの子どもたちのために、文字のない思考(力を育むための)教材を日本で作って、それをセブに持って行って彼らにやってもらって。「これはちょっと意味が伝わらなかったかもしれない」と、ずっと試行錯誤してやっていたんです。
最初は突撃からです。子どもたちのいるところに行って「やってみてくれる?」みたいな感じでずっと続けて。
彼がすごいのは、最初に行ったときに「僕は将来タブレットが普及したら、全世界の子どもたちが、どんなに貧しい子でも教材を無料で使えるようなアプリを作る」と言って。それで1年半後に会社を建てました。花まるラボ、今はワンダーラボ、最近は「シンクシンク」ですね、かの有名な「シンクシンク」を作って、さらに躍進中です。
セブ島というのは、僕にとって本当に大きかったんです。セブ島に行って彼らを見て、決めたことがあるんです。「僕はこの先、日本の子どもたちに寄り添おう」と思ったんですね。
最初に向こうに行く前までは、「貧しくてかわいそうな子どもたちだよな」と思ったけれど、ぜんぜん違うんですよ。
彼らにあって日本の子どもたちにない、もっと言うと我々にもないものがあるんです。向こうは「生きて」いるんですね、生き生きしているんです。貧しいし、生育歴もないかもしれない。だけど生き生きしているんです。
僕が最近、数年前ぐらいから行っているGK(Gwad Kalinga、ガワッドカリンガ)という所のビデオを見せようかと思います。それは、もともとスラムだった場所にGKという団体が各家庭に家を作ってあげるんです。
家を作るといっても50万円ぐらいなんですけども、ベニヤで家を作る代わりに「ちゃんと仕事を持ってスラムから自立しなさい」と、そういうエリアですね。
そこの人たちと最近出会って通っているんですけれども、ちょっとその動画を見ていただこうと思います。
(動画が流れる)
はい、こんな感じですね。本当に生き生きしているでしょう。これは別にやらせでもないし、いつ行ってもこうなんですよ。本当にキラキラしているんです。あまりにも生き生きしているので、僕は子どもをつかまえて「Are you happy?」と聞くんですよ。そのぐらいは英語を使えます。
(会場笑)
「Are you happy?」と聞くと、みんな「Happy!」と言うんです。ある女の子は「どうしてハッピーなの?」と聞いたら、「お父さんがいてお母さんがいて、弟もいるから」と言うんですよ。
ほかのある子は「Are you happy?」「Yes」と。「どうして?」と聞いたら、「どうしてって何?」「幸せじゃないってどういうこと?」みたいな感じなんですよ。
つまり彼らは貧しいし、悪さもするし、学校をサボったりもするんだけれども、貧しいコミュニティの中でみんなから大事にされているんです。このGKにいる大人と話したときに聞いたのは、「我々フィリピンの人たちはDependentだ」と言いました。つまりIndependentじゃない。独立じゃない、依存し合っているんだと。
これを聞いたときに、「そうだよなぁ」と思って。我々は別に自立しているわけじゃないんですよ。みんなに頼っているんだけれど、それに気づいていないだけで。でも向こうの人たちは「自分じゃなにもできない、だからみんなで助け合っていこう」と言うんですね。
僕はこのGKの中のある1軒に泊めていただいて、そこのお母さんと話をさせていただいたんです。そのお母さんは僕に「もし可能なら、もちろんこの家ももっと大きい家にしたい。お金もあったらいいし、もっと豊かになりたいけれど、それは神様が決めることだ」と言ったんですよね。
そして続けて「Happinessを選んだらHappyになるんだろう、Unhappinessを選んだらUnhappyになるんだ」と言ったんです。
僕はそのときにどう思ったかというと、つまりこういうことだと思うんです。幸せは別に状況じゃないんですよ。同じ状況で「幸せ」と思う人もいれば、「最悪」「絶望」と思う人もいるわけじゃないですか。
つまり、視点なんですよ。それを幸せと思えば、幸せなんだとすれば、幸せになる。Unhappiness、幸せじゃない、足りないと思えば、同じことでもそれはUnhappyなんだと。そういうことだと思うんですね。
僕は幸せについて、偉そうなことは言えないです。僕もそれこそ、その中でもがいているわけです。だけど1つ言えるのは、幸せというのはなにか物を得ることでも、なにかになることでもないんですね。
なにかの状況に身を置くことでもない。自分がどう思うかです。もうちょっと堅く言えば、「自分の人生の縁一つひとつに意味づけができるかどうか」です。そこに意味を感じることができるか、ということだと僕は思います。
ふだん子どもたちと接していて、本当に愛おしいし、かわいいです。彼らは学校の中では普通にうまくやっているけれど、中には一生懸命周りの評価軸に沿おうとして、それがうまくできてしまっているから気づかれないだけで、本当はものすごくつらい思いをしている子がたくさんいると思うんですね。
僕は今、中学生を教えていますけれど、そんな彼らの状況を変えてあげることも、それこそ勉強をできるようにしてあげることもできません。できることは、ただ「君の人生はぜんぜんOKだ」と思えるようになろうとすること。
彼らの人生を受け入れる、もっと言うと彼らの縁を丸ごと受け入れてあげることですね。「受け入れてあげる」というのは、そういうふりをするんじゃなくて、僕が本当に心からそう思える自分になることだと思っています。
さっきいろんな場面を見ていただきましたけど、子どもはそのままでキラキラしているんですよね。本当にキラキラしているんです。それはみなさん、もうわかっていると思うんです。
なので彼らをぜひ、フィリピンの子どもたちのように安心してキラキラできるように、そういう環境を作っていくお手伝いを続けていけたらなと思っています。前半は終わりです、どうもありがとうございました。
(会場拍手)
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