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トップランナー達が語る「プロスポーツビジネス 私たちの成功事例(東邦出版/編)」出版記念特別イベント(全6記事)

日本で会社をクビになること複数回→世界最強レアルの一員に 日の丸サラリーマンの気合と根性の日々

「プロスポーツビジネス 私たちの成功事例」(東邦出版)の刊行を記念して、2017年7月5日に特別トークイベントを開催。本パートでは、酒井浩之氏がレアル・マドリードのメディア戦略を担当する部署に入ることになった経緯を深掘りしました。英語もスペイン語も話せなかったという酒井氏はどうやってレアルに入ることができたのでしょうか。

MBA取得に年齢は関係ない

岩本:じゃあ次にそういう下地なしで、レアルに飛び込んでいった酒井さんの話をしましょうか。全然下地はなかったですよね?

酒井: あるわけないじゃないですか。

岩本:とりあえず、簡単にどうチャレンジしたかを。

酒井:そうですね。もともと日本で社会人を10年やっていましたけど、行くところ行くところなかなかうまくいかず、言いたいことを言ってしまうと。ある日、朝来るとクビになっているというのが2、3回続いたことがありました。やっぱり人に使われてる人生ってどうなんだろうと。

そういう気持ちが湧いてきて、僕は使われるというか、働かせていただくんですが、そういう立場よりも上に行かないとダメだと。

じゃあ、どうすればいいのか考えたらMBAとよく言いますけど、経営学の修士。そういうなにか経営する人よりも上に行かないとダメだなと大きく思ったので、思い切って挑戦してみたんです。

岩本:いつ頃ですか?

酒井:もう2年前ですから35ですね。

岩本:期せずして玉乃淳さんがMBAをやろうと思っているんですか?

玉乃:結局そうじゃないとジャンプできないですよね。

岩本:マジで? 俺も行った方がいいですか?

玉乃:はい。岡部さんは「年齢は関係ない」と言ってくれてるので、それを支えに。これまで勉強をしてこなかった10年間不利な状況と思ってやるのかと、ずっと思っていたんですよ、正直。

僕がサッカーをやっている間、みんなすごく勉強して、いい大学に入って英語がしゃべれて勉強しているじゃんって思ってたんですけど、なんか岡部さんの目力を見ると僕にもできるんじゃないかなと思えるようになりました。

岩本:岡部さん、本当は目指していないけど、一応目指している体で。

岡部:それは自分で有言実行でやってください。

玉乃:本当「Never too late」。40、50でも挑戦しないと結局、道は開かれないんじゃないかと思って、MBAないし、なんでもそうですけど。

大きな扉を自分で行かないといけないんだと引退して7年目で気づきました。

岩本:酒井さんの話に戻っていいですか?

玉乃:お願いします。

岩本:35で。

酒井:そうですね。

岩本:レアルの門を叩いた。

酒井:はい。

岩本:どれぐらいの倍率の中で行ったんですか?

酒井:実は私はFIFAの大学院に行ってみたいと思っていたんです。宮本(恒靖)さんが当時行かれてすごく新鮮に映って、たまたま……。

岩本:FIFAマスターですか?

酒井:はい。

レアルへの道に光明

酒井:宮本さんが株式会社電通で講演されたときに、私はアディダスで仕事をした経験があったので、アディダスを通じて、ちょっと裏で話聞かせてくれと(頼んだ)。突撃アタックで。

(それで)5分間だけならということで「実際のところどうだったんですか?」といろいろ話を聞いた。

岩本:5分だ、10分だ、20分だって実際は……

酒井:そうですね、実際は30分ぐらい。

岩本:やっぱりね。

酒井:すごく世界に出てみたい気持ちが大きくなった。ただ、先のことを考えないといけないので、それを取得してどうするのかが一番大切だと宮本さんもおっしゃった。それがないと、たぶん後が続かなくなると言われちゃった。

なので、それを考えていた時に、「とにかく人に使われる側じゃダメだな」という気持ちが強かったので、別にFIFAマスターじゃなくてもいいと思い始めたんです。

そうすると今度はアメリカです。いろんな選択肢がガーっと出てくる。でも、自分はやっぱりスポーツが好きで、サッカーの仕事をやってみたい。ヨーロッパのサッカーを見てあそこで何が起こっているんだろう?っていう気持ちもあった。

その中で、ある先輩から連絡をいただきました。「そういう世界に興味があったら1個紹介する」と。そこがどこだか(その時は)教えてくれなかったけど、「覚悟決めたら電話してこいと」と言われた。

1日よく考えて次の日の朝、「僕は全然、会社を辞めていいと思っている。人生を懸けて勝負したい」と言ったら、「レアル・マドリードの大学院がある」と(教えてくれた)。

当時、英語とスペイン語のサイトしかなかったので、日本語で検索しても出てこないんです。英語のサイトはできたばかりで、半分ぐらいしか英語を重ねていなかったので、自分で読んでもよくわからん。

岩本:英語ができなかったんですか? 

酒井:まったく。まったくではないですけど、自己紹介と台本を用意したプレゼンテーションをしゃべるぐらい。

岩本:俺も英語できないから。学生がだいぶ近くなりましたね。

酒井:そうですか。

岩本:さっきまでできると思っていた。

(会場笑)

酒井:もう全然です。電話をとって、とりあえず取り次ぐぐらいしかできなかったです。

そこからスイッチが入ったらこっちのもんです。もう会社の行き先ボードをバッと書いて、朝から新橋のSL広場のファーストフードで、英語の勉強です。100円のコーヒーで1日中ずっとやっていました。そういう経緯でレアル・マドリードが出てきて、受けた日本人も初めてだった。

岩本:受けること自体が初めてですか?

酒井:そうですね。MBAの受験者も初めてで、受かったのも……。

レアルに合格した経緯

玉乃:なんで受かったんですか? コネとかあるの?

酒井:いや、まったくなかったと思います。レアル・マドリードがなにを考えているかというグローバル戦略も含めて、選んでいただけたのかな。

岩本:受験するときには英語ができるようになっていたんですか?

酒井:いや、でも全然不安の塊でしたね。でも実際、面接は英語じゃないんです。スパングリッシュでした。

岩本:相手が?

酒井:はい。何言ってるかわからない。それで大至急、横の部屋にいた弟を呼んできて、「お前どう思う?」って聞いたら「まったくわからない」と言っていました。

とにかく不安で不安で。就職活動と一緒です。面接で聞いてくるポイントを自分で考えてそれを英語でちゃんと用意して、この質問かなっていうのを、しゃべってやっていました。

岩本:実際に入ってみて、それで結局、何人だけ入って何人残れたんですか?

酒井:MBAコース自体は100人です。50人が英語コース、50人がスペイン語コース。要はスペイン語圏から。50人の英語コースに私は入りましたけど、だいたい各国1人です。世界中から集まってくる感じです。

僕らのときで、アジアは中国が4、5人。韓国が2人、日本1人、あとは中東からのかたちだった。けど、レアル・マドリードの初日に人事部長が来て、「基本的にレアル・マドリードに入れると思わないでくれ。そういうチームじゃないから」と。

俺たちレアル・マドリード入るために来たんじゃないの? という感じだったんですけど、結果的に1年経って、声がかかったのは私だけでした。

岩本:100人で1人?

酒井:はい。同期350人。MBAが100人いて他のコースで250人ぐらいですね。そこから3人です。私がそのうちの1人だった。

岩本:マジでこの人すごいんじゃない?

玉乃:一見持ってなさそうじゃないですか。

(会場笑)

岩本:どんだけ失礼なんだよ。

酒井:持ってます持ってます。

玉乃:ここは、マドリードダービなんでなんでもありです(笑)

多国籍の言語に悪戦苦闘

岩本:何でだろう?

酒井:会議は全部、スペイン語です。というか、いろんな言葉が飛び交うんです。スペイン語で言えばスペイン語で返し、英語で言えば英語で返し、中にはアラビア語で質問するやつもいるし、フランス語で質問するやつもいる。

でも、この前イタリアのローマのOBのマッチがあって記者会見がイタリア語であったけど、スペイン語を聞いていると(同じラテン語なので)イタリア語もわかるんですね。岩本:とりあえずスペイン語とかイタリア語ができる人はよくそう言いますね。タマジュンなんてスペイン語ペラペラだよね?

玉乃:そうですね。

岩本:すごいよね。結局、そっち側の人じゃん!

(会場笑)

岩本:一瞬、酒井さんにシンパシー感じたのに、結局、英語もスペイン語もペラペラなんじゃないの?

玉乃:どれぐらいでそうなったんですか?

酒井:実際スペイン語を話して使い始めたのはここ1年ですね。大学院時代は英語なので。スペイン語は話せなかったです。

あちらではちょっと買い物するとかそのぐらいでした。実際「会議にちょっと来い」と言われて、お前どう思う?と言われて全くわからなかったですから。

最初は何言っているのかわからないですけど、でも相手の言うことって日本でも同じだと思うんです。

何を言うかを予測して、多分こういうこと言うだろうと考えていくと、ミーティングの目的や、そこで起こっていることを総合して、多分こういうことを言っているだろうなって感じです。慣れてくると、それがなんとなくわかってくるじゃないですか?

玉乃:でも僕、14の時、すっごく頭が柔らかいときに行っても3年はかかりましたけど。僕も時間がかかると思っていました。それ嘘なんですかね? やれば1、2年でできちゃうもんなんですか?

酒井:やっぱり気合と根性でしょうね。

岩本:すごいね。推測すればだんだんわかってくるってよく聞くセリフ。

酒井:でも最初、大学院に行ったとき、僕は10月に行って12月に一度日本に帰国したんですけど、そこでの単位は全部落としましたから。言葉がわからなくて。先生が何を言っているかわからないですもん。

岩本:じゃあ、どうして抜けたの? 

酒井:運が良かったとしか思えない。

岩本:運が良くて100人に1人になるかな?

酒井:実はアメリカだコロンビアだと、アメリカ大陸からいっぱい来ているわけです。ハーバード大学を出ている、コロンビア大学を出ていると、みんなすごく頭がいいわけです。ハーバードのビジネススクールまで出ているのにスポーツ業界に来ている。

でも彼らはブリティッシュのイングリッシュだとか、アメリカンのイングリッシュ、スぺイン語だとか関係ないんです。先生が言っていることに対して対応しちゃうんです。

「僕がやってきたことはこうなんですけど、先生、これってどうなんですか?」。もうこっちは何を言っているかわからない。でも言葉がわからなくて困ったときに言われたんです。

日本語が話せるという強み

「お前は日本語がわかるじゃないか。これで英語とスペイン語がちょっとわかればお前のほうが強いぞ」と。実際に就職活動して、何百通とか履歴書送るわけです。電話アポとって今すぐ行っていいですか?ぐらいの話なんです。

でもスペイン語や英語ができるやつは世の中にごまんといる。なので、誰も相手にしてくれない。そんなやつ腐るほどいる。

でも自分は日本語がわかる、日本の世界がわかる奴はいない。向こうで地図を調べるとスペインがど真ん中なんですね。

当たり前なんですけど、日本って極東なんです。そういう人たちにとって日本人って極東、地球の裏側です。だから日本語なんてわかる人いないし、寿司の文化なんて間違えて伝わっていると思います。

そういうところで自分の武器が改めて再認識できたので、これを思う存分使うしかないです。

日本がわかるのは自分だけ。100人いても自分しかわからない。だから質問に対して答えたり発言をしていると、酒井はどうなの?から発展して、じゃあ日本だとどうなの?と聞かれるんです。今度は自分の意見が日本人の意見になっちゃう。

そうすると余計なことを言えないので、しっかり下調べをしなきゃいけない。(なので)循環が変わったのを自分も感じました。

それがちょうど3ヶ月たって年明け1月。12月のお正月に帰ってきたときに、本をいっぱい持って帰りました。荷物超過がだいたい20キロぐらいなんですけど、本だけで30キロいっていました。もうアタッシュケースが本だけでした。

岩本:ぜひ今の感覚について、バルセロナのなかで戦っていた斎藤さんにもお聞きしたいです。今の感覚ってわかります? 日本のことをわかっているのは自分だけみたいな。アジアも含めて。

斎藤:そこはもう当たり前というか、そこぐらいじゃないと(ダメ)。サッカーなんて世の中で好きな人は日本人だけじゃないですから。自分の人生を懸けてヨーロッパにわたる。レアルやバルサで働きたい人はいくらでもいますから。

その中でどうやって差別化するかというと、本当に日本語や、学べない日本のカルチャーなど。あとは自分自身がアジアを代表している。

これは本当に岡部さんはうまいと思います。ヨーロッパで岡部さんがアジア担当だと、「自分以上にわかっている人はいませんよ」と言い切るわけです。

そうするとそこで差別化されて、価値を見出して、アジアについて何か聞きたいことがあると岡部さんのところに行く。日本人が出るなら彼のところに行こうとなるわけです。そういうサイクルをどうやって作るかを当たり前にやっていかなきゃいけないです。

プロスポーツビジネス 私たちの成功事例

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