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トップランナー達が語る「プロスポーツビジネス 私たちの成功事例(東邦出版/編)」出版記念特別イベント(全6記事)

FCバルセロナにアジア人で初めて入ったビジネスマン いかにして世界最高峰クラブの経営改革に関わったか

「プロスポーツビジネス 私たちの成功事例」(東邦出版)の刊行を記念して、2017年7月5日に特別トークイベントが開催されました。本パートでは、FCバルセロナ 国際マーケティング部にかつて所属していた斎藤聡氏がどうやってバルサに入り、経営改革に携わったのかを述懐。2000年代初頭にバルセロナが欧州最高峰のクラブに上り詰めた経緯を語りました。

FC バルセロナの経営改革に携わった男

仲島修平氏:リーガ・エスパニョーラ×ビジネスと題してたくさんのゲストにお越しいただいております。

まずは、冒頭の20分、元FCバルセロナ国際マーケティングの斎藤聡さんにお越しいただいて、みなさんにお話させていただきます。みなさん大きな拍手でお迎えください。

(会場拍手)

プロスポーツビジネス 私たちの成功事例

斎藤さんから、今日はプロモーションムービーというかたちでバルセロナのムービをいただいておりますので、まずはみなさんに、そちらの映像をご覧いただきたいと思います。

(映像視聴)

斎藤聡氏:みなさん、こんにちは。今見ていただいたビデオは、2004年、私がバルサで働いていた時のものです。当時バルサを知っていた人はほとんど世界中で少なかった。

このビデオを持って世界中を回って、とにかくバルサを紹介しようと。クラブを紹介する時になにが大事かというと、サッカーだけじゃダメです。

バルセロナの綺麗な街、バルサの持っている歴史、あとは相互クラブというところで、ハンドボールや、バスケがあったりというところも含めて紹介した当時のビデオです。

この音楽「バルセローナー♪」というのも、バルサの1つのアイデンティティとして、みなさんに紹介しました。私の自己紹介と、私がどうやってバルサに入ったかを話します。

私がバルサを辞めてから10年ぐらい経ちますけど、そこから各ヨーロッパのクラブに入った方はなかなかいらっしゃらない。今日はレアル・マドリードに日本人で初めて入った酒井さんの対談もありますので楽しみにしています。

そういったかたちでどうやって入ったかを話をしたいと思います。メインとしては当時のFC バルセロナの経営改革、どうクラブに関わったかも話したいと思います。

私の自己紹介ですが、現在、日本サッカー協会の特命室で日本のサッカーの課題に取り組んでおります。特命室ってなんだ?と思われるかと思いますが、今日はそこが大事ではないので。

それ以外のFIFAのコンサルタントとしてFIFAから認定を受けて、例えばカンボジアやタイ、インドネシアで、サッカーをどう発展させればいいかをやっています。

どうやってバルサに入ったか

それ以外に、オリンピックのサッカーに関わりもしますが、その前にサッカー協会の現在の仕事の前にはAFCのアジアサッカー連盟というところで、ダイレクトマーケティングをやったり、FC バルセロナというところで働いていました。

その前に、大学を出て伊藤忠商事で働いていました。それで、商社に入った時から岡部(恭英)さんを知っているんですが、「お前、暗いぞ。仕事は楽しくないのか?」と言われ、自分の夢ってなんだったかと、すごく考えたんです。

私も帰国子女で日本の社会でやっていけない人間ですが、「自分に何ができるんだろう?」と考えました。実は私アメリカで育ったんですが、14歳のときにアメリカの中西部の代表でオランダに遠征した時に、ロマーリオがPSVアイントフォーヘンでプレーをしていて。

彼に会いに行った時に、練習が終わった後に「サインをしてください」と言った。その時に、ロマーリオが僕のサインの紙をパンとはたいて、どっかに行っちゃったんですね。

「なんでこんなことするんだろう?」「この選手、どうしてこんなに性格が悪いんだろう?」と、そこから大好きになっちゃったんです。

(会場笑)

そのロマーリオを受け入れたFCバルセロナって「どんなところなんだろう」と、そこからすごく興味があってファンになりました。それでFCバルセロナで働くためには「どうしたらいいんだろう?」と、いろいろとウェブを見ていた時に、この学校が出てきたんです。

ESADEというバルセロナにあるMBAですが、この大学院って、この中に聞いたことがある人って何人ぐらいいらっしゃいますか? 

(会場挙手)

ありがとうございます。当時のサンドロ・ロセイ副会長。そのあとバルサの会長にもなりました。そしてフェラン・ソリアーノ。バルサの副会長を経て、今はマンチェスターシティのCEOをやってる人の出身だったんです。

そこに入ってOB会みたいなものを作って、この人たちを呼んだらバルサとの関係ができるかもしれないと思って行きました。

これは去年のデータですけど、ファイナンシャルタイムスが出しているエグゼクティブエデュケーション、要はその大学院の中でESADEって、結構いいところにあるわけです。

世界中のトップの大学院の中で8位。ハーバードビジネスが5位なので、非常に難しいところで、私みたいに勉強が不得意な人間にとっては何回も不合格って言われたんです。けど、とにかく頼み込んで「バルサで働きたい。日本から来た」と頼み込んだ。

とにかく、諦めなければ何とかなるものなんです。とにかく何回も何回も自分を信じ込んで、頼み込んで入れてもらいました。

アジア人として初めてバルサへ

バルセロナの生活がスタートして、最初はなんて綺麗なところなんだと思いましたけど、バルサが全然勝てない時だったんです。レアル・マドリードが「ギャラクティコ」っていう銀河系集団で、ジダンやロナウド、フィーゴだったりベッカムとかロベルト・カルロスとか、とにかく強いチームで、バルサは非常に低迷していた。

私自身もバルサでの就職の糸口が非常に見えない状態でした。スペイン語を話せなかったですけど、とにかく履歴書を送り続けて諦めずにいきました。ちょうどその時、ジョアン・ラポルタ会長が、プロの経営者として来ていて、バルサの国際化を推進しました。ロナウジーニョの契約だったりとか、ダーヴィッツの契約ですね。そこでバルサに国際マーケティング部が新設されて、110年の歴史の中でアジア人で初めて私が入りました。

当時、 FC バルセロナがどんな経営改革をしたか。そこに入る前にみなさんにちょっとお聞きしたいですけど、皆さんが最も好きなヨーロッパクラブってどこですか。どこかありますか? バルサって方どれぐらいいますか。

(会場挙手)

じゃあ、マンチェスター・ユナイテッドが好きな方は? ドルトムントは? じゃあレアル・マドリード。

(会場挙手)

いらっしゃいますね。ありがとうございます。当時我々が、すごく気にしたのが、とにかくグローバルでファンを作るときに、こんな言い伝えがあります。

「人生において、例えば車を替える人もいる、家を替える人もいる。場合によっては奥さんだったりとか、旦那さんを替える人もいる。ですけど、クラブを好きになったら、一生そのクラブは替えません。

だから、とにかく最初に自分のクラブを好きになってもらおうと。そんなことを考えていました。

2003年~2005年当時、どうやってクラブを立て直そうかと考えました。フットボールの好循環のサイクルは、今でも当てはまると思っています。

3つのレイヤーがありまして、スポーツアクティビティと、ソーシャルアクティビティと、ビジネスアクティビティ。

まずはソーシャルアクティビティの中で、先ほど言った通り、グローバルなファンの数をとにかく増やそうと。それによってメディアの露出が増えて、新しい収入源が増えます。

その収入によって、きちんとコストをコントロールして、新しいベストなプレーヤーとサイン(契約)しましょう。

2000年代初頭のバルサは欧州では準トップ

それによってチャンピオンズリーグを勝てば、またグローバルなファンベースが増える。これは、とにかくグルグル回すことによって、バルサが成長する。そして復活するというのが基本的な戦略でした。

当時を見ていただくと、2003年、このプロフェットロスの収支のバランスが、マイナス73億円ぐらいです。だんだんとこうなったわけです。ここの時点でジョアン・ラポルタが会長になって、プラスに持っていった。

当時考えたのは、3-4-3か3-2-5か、これは我々が例えていたサッカーのポジションだったんですが、だいたいレアル・マドリードとマンチェスター・ユナイテッドは収入においては、ツートップでとにかく群を抜いてたんです。

じゃあバルサかどの辺にいたかといえば、ユヴェントスとかバイエルン、アーセナルとかACミラン、だいたいこのミッドフィルダー5人くらい、この5のところで生きていた。

それを一気に3トップの3-4-3のトップに上げようと。トップ3にとにかく並ぼうと。そのためにはとにかくこの2つをベンチマークしようということでやりました。当時、これは売り上げの数字ですけど、今は大体700億円ぐらいになっています。

当時はまだ240億とかです。マンチェスター・ユナイテッドがあって、そこからバルサが追い上げようというところでした。

だいたいの収入の割合で、他のクラブも実際に研究した時に、とにかく我々が考えたのが「グローバライズド・エンターテイメント・レベニューモデル」ということで、世界中にファンをできるだけ多く作ることによって、とにかく収入を大きくしようと。それも我々のエンターテイメントとしての価値を高めようと考えました。

これは収入のトレンドと言われているところで、バルサの場合は3-3-3で、スタジアムからの収入と、メディアからの収入と、マーケティングの収入を考えました。

スタジアムとは何かということですが、当時のトレンドとしては、VIPのエリアがあったり、シートのプライスをどうやって上げるかということ。それから、フットボールがない日に、どうやって収入を増やそうかということを最初にやりました。

あと、どうやって世界中でファンを増やして収入を上げられるか。それから、マーケティングにおいてはマーチャンダイズの点や、スポンサー収入を上げる。あとは、アジアツアーをやろうということ当時考えました。

バルサの経営改革はいかに達成されたか

こっちのコストですけど、スポーツビジネスにおいて選手にどれぐらいのお金がかかるか? バルサではこれをコストとして考えたんです。

コストの考え方を我々としてはとにかく、グッドプレイヤーはとにかくキープしながらも、他の選手を一定の給料と変動の給料を分けてやった。またこれは後で詳しく説明します。

2003年までがどういう状況だったかというと、ずっと4位、4位、6位。今のバルサでは考えられないかもしれないですけど、とにかく成績も悪く、72億のロスが出てるという、もうどうしようもない状況でした。

それをとにかく戦略を持って変えようというのがありました。何があったかというと、とにかく改革をしようと。進化じゃなくて、時間がないんだから、変えるんだったら今変えなきゃいけないということで、職員すべて、みんなで一つになってやろうと。

集中と選択を決めたら、臆することなくどんどん投資しようと、2年間で100億も選手に対して投資をしました。例えばユース育成に投資しようとなったり、どういう選手がいいかの特徴をはっきりと明確にしながら選ぶようになりました。

でもその代わりに、チームができ上がってきて、当時のリケルメなどを外に出してプラス7億が出たという数字でした。あとは、プレーヤーにインセンティブをどうすれば出せるかを当時の経営者は考えました。

要するに、選手にとってもバルサでプレーすることで、一緒にチャンピオンズリーグを勝とうと。例えば60%のゲームを出た選手で、1つチャンピオンズリーグで5000万もらえて、もう1試合勝ったらまた5000万と、どんどんアップしていくわけです。

選手スカウトの哲学

それを選手と一緒に共有しました。これは理論的にはすごく簡単ですが、選手やエージェントをどう説得するかが、当時の経営者が持ってた手腕だったと思います。

例えば、どんな選手を集めるか? 今だから言えますが、小野伸二選手をバルサに入れようと動いたことがありました。ただ、ここにはなかなか入らない。

ということで、日本でプレーした選手で非常に日本のことをわかっているチキ・ベギリスタインがテクニカル・ディレクターでした。ここで小野伸二選手とも色んな話ができたんですけども。

バルサはどんな選手を求めているか? 非常にハッキリしているんです。例えばテクニックも持っていて、とにかくボールをコントロールする選手。バルサのサッカーはとにかくポールポジションの美しいアタッキング・サッカーをやるんだと。

だからそれに当てはまらない選手は獲らない。どんなに上手くても、安くても獲らない。あと、バルサはやっぱり育成です。育成で下から上がってくる選手。

年間6億円くらい投資して使いますが、投資で年間6億円使っておきながら、選手としてはだいたいスターティングで4名の選手が出ている。これはもうプラスなわけです。

ですから、そこできちっとした投資は育成にあって、育成から上がってきた選手をトップに使おうと。それによって、経済的なP&L(注:損益計算書)。例えば、スタジアムの観客の平均人数が上がる。放映権収入も上がり、マーケティングも日本からスポンサーがつく。

バルサの経営改革とは何だったのか? 最初はスピード感。「変える」ということにおいて、進化じゃなく、革命を起こそうと、経営者から私のような職員までも徹底した。それから、選択と集中のポイントを決めたらとにかく臆することなく投資をした。

あとは結果へのインセンティブのモデルを採用する。目標達成できたら、「よくやった」ということで選手ももらっていましたし、職員もみんなで勝ったら分配しようとしました。

あとは、自分たちがなりたいクラブってなんだろう? 特徴を明確にして、それを絶対にブレない。ここが難しいんです。気持ちがなんとなく甘い誘惑に乗っちゃうところもありますが、とにかくブレないことをやりました。それから、育成には継続的な投資をしました。それがバルサの経営改革です。

そういう意味では、最も好きなクラブはどこですか?というところで、色んなクラブのいろんな特徴があると思いますけども、バルサは当時こういうことをやっていました。以上になります。

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