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東日本大震災追悼復興祈念式(全1記事)

【全文】「行かないで」瓦礫の下に母親を残し… 菅原彩加さんによる遺族代表スピーチ

3月11日、東日本大震災追悼復興祈念式における宮城県遺族代表・菅原彩加さんのことば。震災で瓦礫の下敷きになっている母親を残し、ひとり生き残ってしまったというつらい体験を告白した彩加さん。震災から4年経った今、「前向きに生きることが、亡くなった家族への恩返し」と、これからの人生を力強く生きていくことを誓います。

瓦礫の下に母親を残し…

菅原彩加さん:私は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。小さな集落でしたが、朝学校へ行く際、すれ違う人みんなが「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、あったかい大川がとても大好きでした。

あの日、中学の卒業式が終わり、家に帰ると大きな地震が起きました。逃げようとしたときには、すでに地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人を飲み込みました。

しばらく津波に流された後、私は運良く瓦礫の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると、釘や木が刺さり足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。

右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私1人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り一夜を明かしました。

そんな体験から今日で4年。あっという間で、そして、とても長い4年間でした。家族を想って泣いた日は数え切れないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが今もまだ夢のようです。

しかし、私は震災後、たくさんの諦めない人々の姿を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにも関わらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。

「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い、復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中・世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることができます。

震災で失ったものはもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることもないと思います。

しかしながらこれから得ていくものは、自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていけるものだと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失ったものと同じくらいのものを私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

最後に、東日本大震災に伴い、被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々のご冥福をお祈りし、追悼の言葉とさせていただきます。

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