2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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ファウスト学校長、ハーバードコーポレーション、ボードオブオーバーシアーズの皆さま、教授陣、そしてお集まりの卒業生のご両親、そして何よりも卒業生の皆さん。まず初めにお礼を言わせてください。
今日この場に呼んでいただいたことはもちろんなのですが、私はこの数週間、この場に立つことへの緊張から、食欲がなくなりダイエットに成功しました! WIN-WINですね。ここまで来たらやることはひとつ。深呼吸して、あの赤旗を見ないようにして、「私は世界最大のグリフィンドールの同窓会に参加しているだけなのよ」と自分に言い聞かせるだけです。
(会場笑)
卒業式でのスピーチなんてそんな大それたこと、私には荷が重いわ……という考えは、自分の卒業式を思い出したときにどこかへ吹っ飛びました。私の卒業の時には有名なイギリスの哲学者、バローネス・メアリー・ワ―ノックさんがスピーチを行いました。当時の彼女のスピーチは、今回私がこの場に立ってお話をする緊張を解くのにとても役立ちました。気が付いたのです、彼女のスピーチを全く思い出せないということに!
(会場笑)
この気づきが「もし私のスピーチが卒業生の皆さんに変な影響を与えてしまったらどうしよう? ビジネス業界、法律関係や政治関係で将来有望な仕事のチャンスを“ゲイの魔法使い”になるために、足蹴にするきっかけを与えてしまったら……?」という不安を掻き消しました。つまりですね、もし皆さんが今後何年か先に、私の「ゲイの魔法使い」ジョークを思い出してくれたとしたら、私はバローネス・メアリー・ワ―ノックさんに勝つことになります。実現可能なゴールをまず設定する。これが、自己改革の最初の一歩です。
(会場笑)
今日この場で何をお話しようか、とても悩みました。「私が卒業する時、何を知っておきたかったかしら? 大学卒業してからこの21年間で何を学んだかしら?」と自分に問いました。そして2つの結論を導き出しました。皆さんの素晴らしい功績を称える「今日」という素晴らしい日に、私は「失敗することはとても大切である」ということについてお話することにしました。
今日から皆さんは現実社会と向き合っていくわけですが、「現実」に生きていく中での「想像力」の大切さについてもお話しなくてはならないと決めました。なんだか矛盾する話だな、と感じる方もいらっしゃると思いますがお話しさせていただきますね。
21歳の自分を振り返るのは、現在42歳となった私にとって少し変な感じがします。半生前、私は自分の夢を追うことと、周囲の期待に応えることの間でもがいていました。私は「自分は小説家になるのだ」と断固として信じていました。
しかし、私の両親は小説家になるなんて夢のまた夢、そんな夢を追っても住宅ローンは払えないし、年金も保障されない、きちんとした収入をえることはできないだろうと思っていました。これには彼らが貧しい家庭に育ち、2人とも高等教育を受けられなかったことが背景にあります。振り返ってみれば、本当に皮肉なことですよね。
そういったことから、両親は私に将来の職に繋がる学位を取って欲しいと願っていました。反面私は英文学を学びたいと思っていました。両親からの期待と私の夢の中間点として、現代言語を専攻することに同意したのですが、あれは誰も喜ばない妥協でしたね。
それからすぐに私はドイツ語を学ぶことに見切りをつけ、古典文学にのめりこみました。両親には古典文学を勉強していると打ち明けた記憶がありません。今思えば、彼らは私が古典文学で学位を取ると知ったのは卒業式の日だったように思います。両親は、ギリシャ神話を学ぶのはキャリアを積むために全く役にたたないだろう、と思っていたに違いありません。
しかしここで明確にしておきたいのですが、私は両親を責めているわけでは決してありません。自分の手で人生の決断をしていく、と決めて行動を取れるような年齢を過ぎたら、そこからはすべて自分でその責任を負わなくてはなりません。両親が悪いのだ、と責められるのはまだ自分で責任を取ることができない、若かりし日々だけです。更に言えば、貧乏だけはしないように、と心配する両親をどうして責めることができるでしょうか?
彼らは貧しさとはどういうことか知っています。そして私も貧しさを知っています。貧しいとは崇高な経験ではないことを、私自身とてもよく理解しています。貧しさは、恐れ、ストレス、時にうつを引き起こします。貧しさとは何度も何度も襲い掛かる恥と困難の繰り返しです。貧しさに立ち向かい、自分でそこから抜け出す努力をして、実際に成功したらそれは誇るべきです。しかし、貧しいことは清く生きていることだ、と貧しさを正当化してはなりません。
私が皆さんと同じくらいの年ごろにもっとも恐れていたのは貧しくなることではありません。失敗することを何よりも恐れていました。皆さんの年齢の頃、大学で優秀な成績を収めることに必死にならなかった私です。在学中は時間が許す限り、カフェで小説を書いていました。講義にはあまり出席しませんでした。しかしどういうわけか、テストを乗り切る術を身に着けたお蔭で、無事に卒業することができました。この技は私の友人達をも助けることに繋がりました。
「皆さんは若いし、才能があるし、学もあるのだから辛いことなど経験したことはまだないでしょう」と愚かな推測をしたりしません。才能や知性があるからといって、人生のアップダウンから逃れられることはありません。ここにいる皆さん全員が様々な困難を乗り越えられてきたことでしょう。
しかし皆さんは、かの「ハーバード大学」を卒業します。つまり、皆さんは失敗することに慣れていないのではないでしょうか? きっと失敗することへの恐れを、成功願望と同じくらいに感じているのではないでしょうか? 皆さんの考える「失敗」は、一般の人の考える「成功」と近いのではないかと思います。皆さんは世界のトップレベルですからね。
(会場笑)
最終的に何を失敗とするかは、私達自身が決めることです。しかし、世間は何を失敗とするかの基準を皆さんに押し付けようとしますね。失敗とはどういうことなのか色々議論はあると思いますが、いずれの基準にしても、卒業してからの私の7年間は「失敗」の連続であったと言えるでしょう。
卒業後、私の結婚は短期間で破たん、その後無職、更にホームレス一歩手前の極貧シングルマザーでした。私の両親が恐れていたこと、そして私自身もが恐れていたことが現実となってしまいました。「失敗」をどの基準で測っても、私は「失敗」そのものでした。
今日この場で、失敗がどんなに楽しいかを語りたいのではありません。当時の私は絶望していました。そして当時の私は、後に自分が「おとぎ話」のような成功を収めるなどと知りもしませんでした。どれくらいこの絶望に耐えなくてはならないのか……。長い間、この絶望の先に私が見ていたのは、現実ではなく希望でした。
私が「失敗」についてお話する理由はひとつ。「失敗」すると、自分に必要なものと不要なものがはっきりするからです。自分が本当は望んでいないものになろうとするのをやめて、すべての労力を自分が真に欲するものに捧げ始めました。もしも小説ではない分野で成功を収めていたら、自分の夢を常に頭の奥に押しやり、忘れなくてはならないものとして扱っていたかもしれません。
私は自分の自由を感じました。すでに最も恐れていたことは現実になっているにも関わらず、私はまだ生きていたのです。娘もいる、古いタイプライターもあるし、素晴らしいアイディアもある。失うものは何もありません。私は困難を糧にして、人生を一から立て直しました。
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