2024.10.10
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日本テレビ報道記者・鈴木美穂ドキュメンタリー(全1記事)
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「Cancer gift がんって、不幸ですか?」
「がんになったからこそ伝えられることが、きっとある。」
私は乳がんを告知されてからずっと、そう信じてきました。右胸の全摘手術を受ける時も、抗がん剤の副作用で苦しんでいる時も、意識が朦朧としている時でさえも。
そう信じて、同僚や家族に頼んで映像を記録し続けてもらっていました。「いつか乗り越えて、この経験を活かせる時がくるんだから。」無理矢理でもそう思っていないと、今にも壊れてしまいそうだったのです。
そして、闘病から7年…ついに、その記録を全て紐解く時がきました。そして、それをドキュメンタリー番組として放送する日が、近づいています。
私ががん告知を受けたのは、テレビ局に入社して3年目の2008年、まだ24歳だった時のことです。夢だった報道記者になり、公私共に充実して忙しくも楽しい日々の中で、たまたまシャワーを浴びる際に右胸にしこりがあるのに気づきました。そして、念のため会社の診療所を訪ねて紹介された病院で検査を受け、あまりに簡単に、たった一人で、告知されたのでした。「残念ながら、悪いものがうつっていました」と。
「がんになっちゃった…」両親や会社に連絡をし、母親が駆けつけてくれるまでの間、病院の外に体育座りをしてなりふり構わず泣きました。希望に満ちあふれ、当たり前に続くと思っていた未来…それが、一瞬にして閉ざされた気がしました。「死」という言葉が頭の中をこだまして、怖くて怖くて仕方がありませんでした。
私は結婚も、出産も、いつかしようと思っていた世界一周もできないまま死んでしまうのか…記者としての仕事もまだこれから、という時なのに。絶望感でいっぱいになる中で、唯一、頭に浮かんだ希望…それが、「がんになったからこそ伝えられることが、私にはきっとある。必ずこの経験を活かせる日がくる。」という思いでした。
がんを告知されたことを会社の上司や同僚数人に打ち明けると、私の思いを見透かしていたかのように、ある先輩が言いました。「何があっても美穂は絶対に戻ってくる。そして、伝えようと思う時がくる。そんな日のために、記録しておこう。」と。
そしてその先輩は、がん告知から6日後の精密検査の日から、節目節目にわざわざ休みをとって撮影に通ってくれたのです。こうして、私の闘病記録は始まったのでした。
でも、気丈でいられたのは、手術を終え、抗がん剤を始める頃まで。副作用で脱毛が始まってから私はどんどん不安定になりました。死に怯え、一時は我を失い、眠れなくなりました。それでも、「記録」をしている時だけは、どこか「記者」のままの自分がいて、「いつか活かすんだ」という思いが、生きる原動力にもなっていたのでした。それを汲み取ってくれていた家族は、私が泣き叫んでいる時や、意識朦朧としている時でさえも、記録し続けてくれていました。
8ヵ月間の休職を経て、職場復帰をした後も、私は「がん」にこだわり続けていました。「闘病中の自分と同じように苦しんでいる人のために、何かしたい」そう思って、仲間を探して若年性がん患者さん向けのフリーペーパー「STAND UP!!」を発行して全国のがん拠点病院においてもらうところから始まった私の社外活動。
そのフリーペーパーがきっかけで仲間はどんどん集まり、現在若年性がん患者仲間が350人も集まる団体になりました。
そして、7年の月日が経った今は、英国発祥のがん患者さんとご家族が自分の力を取り戻すための「マギーズセンター」をまずは東京に作る「マギーズ東京プロジェクト」に力を注いでいます。
本業でも、記者として、震災や教育、政治などその時々の担当のニュースを追いかける傍ら、細く長く「がん」というテーマを取材してきました。そして、去年6月、念願叶って、医療や福祉、労働などをカバーするのが仕事の厚生労働省の担当になることができたのです。
「これで大手をふるって、堂々とがんの取材ができる!」喜んで厚労省担当になったその月に、友だちから「美穂ちゃんと合いそうな感じがした!」というメッセージと共に、あるURLが送られてきました。それは、19歳の時に19センチもの肝臓がんが見つかった山下弘子さんが母校で講演をされた時の原稿を載せたブログでした。
再発転移を繰り返しながら「幸せ」と言い切り、日々感謝して生きる…その生き方に深い感銘を受け、同時に、どうしてそんなに強くいられるのか、不思議でした。「もっと知りたい。伝えたい」思ったら即行動しないと気が済まないタイプの私は、本人と直接連絡がとれた翌日の予定を全てキャンセルし、新幹線の始発でデジカム片手に彼女の住む大阪へ向かったのでした。
それから一年、彼女の生き方をニュースで特集する度に、大きな反響がありました。そして、「撮り溜めた映像をまとめたい」という気持ちが芽生え、運良く企画が通ってひとつのドキュメンタリー番組にさせていただくチャンスをいただきました。そして、その放送を、新たなことにチャレンジするための新番組として行うため、「『がんを経験した記者』という視点で自身の闘病記録も含めて描いてほしい」とオーダーいただき、私は思いがけない形で初めて7年前の闘病記録を紐解くことになったのです。
「いつか活かしたい」そう思って記録していた闘病映像。でも、いざ闘病の時期を越えると、がんを受け止めきれずに取り乱し、周りに迷惑をかけていた弱くて器の狭い自分が嫌で、トラウマで、あえて見ようとは思えませんでした。
そして、番組制作をきっかけにいざ向き合おうとしても、それは決してたやすいことではありませんでした。案の定、クローゼットの奥にしまい込んでいた映像を初めて見てみると、自分でも受け入れがたい映像がたくさん出てきて、向き合いきれずにその翌日は寝込んでしまったほどです。
それでも、ありがたいことに、この番組のために素晴らしい制作チームを組んでいただいていたので、編集は進みました。私の闘病部分については、私が口を出してしまうと本当に触りの部分しか描けなくなるので、結局チームにお任せしました。
すると、もともと公にしてもいいと思っていたよりもはるかにディープなところまで描かれることになり、最初は「あり得ない」と思いましたが、それでも、伝えたいことが伝わることが一番大切。心を鬼にして客観的に見つめようと努力し、いつしか覚悟が決まりました。
そして、その「覚悟」までの過程を通じて、私は、ずっとトラウマだった「がんを受け止めきれなかった自分」をようやく乗り越えられた気がして、今はとても清々しい気持ちです。
こうして誕生する今回の番組。ニュース番組の特集では使うことはできなかった「がん経験者同士だからこそ」の会話や思い、プライベート感満載の映像もふんだんに使い、「生きる意味」や「幸せ」を真剣に考えました。
タイトルの「Cancer gift(キャンサーギフト)」は、「がんになったからこそ得られたもの」という意味。がんは悲しみや苦しみをもたらす一方で、人生にとってかけがえのない贈り物に気づかせてくれる存在だと思いたい…そんな願望がこもっています。そして、サブタイトルではあえて、「がんって、不幸ですか?」と皆さんに問いかけてみました。
がんを告知されると、人は少なからず「死」を想うものだと思います。命にはいつか必ず終わりがくる—。それを本気で実感しながら生きる時、「今」という時はより輝きを放つものなのだと私は思います。この番組が、見て下さった方々にとって、一度立ち止まって「生きること」を見つめ、自分にとっての「幸せ」に気づくヒントになってくれるよう願っています。
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