AIによって、私たちの仕事はなくなるのか

財前英司氏(以下、財前):今日は「Web3とメタバースは人間を自由にするか」という話なんですが、何年か前に、オックスフォード大学の(マイケル・)オズボーン准教授が「AIによってなくなる仕事、なくならない仕事」など、未来の雇用についてセンセーショナルな発表をしました。

「10〜20年後ぐらいには、今の仕事の半分ぐらいがAIやロボットに置き換わっちゃうよ」という、けっこう怖い内容が予測として出されて、みんな「自分の仕事はいったいこれから先どうなるんだろう? どうすればいいんだろう?」という不安があったと思うんですね。

そして今はいろんなテクノロジーの用語があふれています。この本(『Web3とメタバースは人間を自由にするか』)にも書かれているような「DAO」とか、最近は「Chat GPT」がすごく話題になってきていますよね。

今日は、こういった個別のテクノロジーの用語について詳しく解説したり、それがどういう意味なのかという話よりは、テクノロジー全体が我々の生活にどういった影響を及ぼしていくのかという話をメインに進めていきます。

我々は、テクノロジーに対する理解やリテラシーを身に付けていく必要があるんですが、その上でどう考えていけばいいのかというビジョンや方向性を、佐々木さんと一緒にお話ししながら確認していければいいなと思っています。

テクノロジーの急速な発達に対する、希望と不安

財前というわけで、本日の華麗なるゲスト講師の佐々木俊尚さんにお越しいただきたいと思います。みなさん、拍手でお迎えください。

(会場拍手)

佐々木俊尚氏(以下、佐々木):よろしくお願いいたします。

財前:よろしくお願いします。前回は2022年の4月にお越しいただきましたね。

佐々木:そうですね。確か『読む力』という本の時に呼んでいただいて以来、1年弱ぶりぐらいですか。

財前:はい。また今回もお越しいただきまして、ありがとうございます。先ほど申し上げたように、この本の内容に沿って今からお話ししていきたいと思います。

テクノロジーやAIが急速に発達して、「我々はこれからいったいどうなるんだ?」「このままではダメじゃないか?」と、テクノロジーに対する期待や幻滅、もしくは希望や不安を持ち合わせている中で、我々はいったいどこに向かうのか。それについて、今からお話ししていきたいなと思います。

本の内容は5章立てになっていまして、今日は5章まで話しちゃうと1時間で終わらないので、最初の3章ぐらいまでになっちゃうかなと思うんですが、まずは1章目のところです。

GAFAのFが「Meta」に変わったのでMに変えていますが、ビッグテックと言われている企業がありますよね。これらの企業のおかげで、我々は暮らしの利便性や安全性をすごく享受できています。

つまり、AIによる最適化が行われているんですが、快適な「暮らし」と生活上の「自由」というのは両立できないのでしょうか。

個人情報を吸い上げる「監視資本主義」とは

佐々木:最近よく「あまりにも支配が強すぎている」と言われています。アメリカでベストセラーになった本で、向こうの大学の先生(ショシャナ・ズボフ氏)が書いた『監視資本主義』という本があったりします。

監視資本主義とは何かというと、我々の行動を監視して個人データを吸い上げて、個人データを広告とかのビジネスに使って大儲けしています。

ということは、「我々を監視することによって資本主義が成立している」という批判があるわけなんですね。これ、確かにそうなんですよ。ありとあらゆる我々の個人データを吸収していくのは間違いない。

例えば例を1つ挙げると、情報をどこから入手するかを考えてみてください。インターネットがなかった頃は新聞・テレビ・雑誌だったわけですが、だんだんとそっちのほうが衰退に向かっている。

『週刊朝日』がついに休刊を発表したことが話題になっていましたが、インターネットの時代になった。インターネット時代の今、何で情報が流通しているかというと、実は主にTwitterです。ちょっと前までは検索エンジンだったりニュースアプリだったりもしたんだけど、やはり中心はTwitterです。

Twitterがおもしろいのは、SNSって人と人がつながる人間関係のツールだったはずなのに、途中から「リツイート」という拡散能力の極めて高い機能が作られたことで、ニュースや現場の情報がどんどん拡散されるアプリケーションとして使われるようになってきた。

若者にとって、SNSは情報発信よりも「収集」がメイン

佐々木:今の10代や20代の人の話を聞くと「なるほどな」と思うのは、あんまり投稿はしないことです。投稿はしないけど、Twitterを使っている。要するに、ニュースを見るのに使っていると言うんですね。(Twitterが)ニュースアプリになっちゃっている。

じゃあ、どうやってTwitterで情報が流れているかというと、誰かをフォローして、そのフォローをした人が紹介している記事とかが流れてきます。フォロー・フォロワー関係が「情報が流れる軸」になっているわけですよね。だから、人の手が介在しているわけです。

多少は人の手が入っているんだけど、基本的にはAIはあんまり関係がないです。じゃあTwitterが次にどうなるのかというと、今はけっこう話題になっていますよね。

ちょうどイーロン・マスクというテスラの社長が買収して大混乱しているので、「Twitterがなくなるんじゃないか」「終わるんじゃないか」と話題にもなっています。

じゃあ、最近の若い人たちが使っている新しいSNS的なものというか、コンテンツのプラットフォームが何かというと、一番有名なのはTikTokですよね。

SNSが無料なのは、個人情報を“売っている”から

佐々木:TikTokを使ったことがある人は、みなさん考えてみてください。あれってフォロー・フォロワーってまったくないですよね。じゃあ、どうやって自分が見たい動画が流れてくるのかというと、完全に自動再生です。

YouTubeもそうだけど、1個見ておもしろいと思って「いいね」すると、「いいね」したことや、あるいはその動画を最後まで見たという行動を分析して、「たぶんこの人はこういう動画がおもしろいと思うだろう」とAIが判断して、その人に興味がありそうな動画を次々に送り込んでいくんですね。

「いいね」をつけているうちに、「この人にとって何がおもしろいか」をさらに深く分析して、どんどんその人の趣味に合わせて送り込んでいく。そうすると、もはやTwitterにあったような人間関係は存在しない。みなさんが見たいものや欲しているものは、完全にAIによって分析される。

言い方を変えれば「AIによってあなた方の好みは支配されている」という言い方ができるわけですよね。そういうのに対して「監視資本主義」という話になってきているわけです。

ところが一方で、この本の中で書いたのは「監視資本主義がけしからん」というわかりやすい話ではなくて、もう一歩進んでいます。

じゃあ、監視資本主義はなくなったほうがいいのか。個人のプライバシーを切り売りして、その代わりにFacebookで人間関係があって、メッセージを送ったり、TikTokでおもしろい動画を見たり、YouTubeで何かを見ている。ほとんどがタダなわけですよね。

Facebookもタダ、Messengerもタダ、LINEもタダ、YouTubeもタダ、TikTokもタダ。なんでタダなのかというと、我々がプライバシーを切り売りしているからです。

娯楽を享受するための、プライバシーの切り売り

佐々木:それを「けしからん」と思うのかどうかというと、その人の懐事情によりませんか? お金持ちの人が「そんなものはけしからん」と言うのは自由なんだけど、一方で小さな子どもを育てているシングルマザーをイメージしてください。

家で子どもに何かを見せてあげたいけど、「Disney+」に入ったら月額1,000円かかる。YouTubeなら無料だから、とりあえずタブレットでYouTubeの動画を子どもに見せてあげる。そうするとお金がかからない。

そういう親子がいたとして、その子たちに「監視資本主義だから、もうYouTubeを見るのはやめろ」「お前は月1,000円払え」と言えるのかどうかという問題がそこで生じてくるんですよ。

確かに、監視資本主義というのは一面では当たっているところがあるんだけど、一方で「それって金持ちの道楽の反対だよね」という面は、やはりどこかにあるんじゃないかなと思います。我々は、そこのバランスを考えなきゃいけない。

無料でいろんな楽しみを享受させてもらっている代わりに、プライバシー切り売りしている。それをどう引き受けるのかというのが、今求められているわけです。

文明が滅びない限り、テクノロジーの消滅はあり得ない

佐々木:「これは完全に『支配』であって『自由』じゃない」ということだったら、みんながお金を払わなきゃいけなくなっちゃうと思うんですよね。どっちにすればいいのかという議論が、今は求められているんじゃないかなと思うんですよ。

財前:事実上、もはや不可逆になっていますよね。じゃあ、みなさんが今享受しているものをなくしたとして、よく「江戸時代がいい」とか「昭和時代がよかった」という話がけっこうありますが、そういう時代に本当に戻れるのか? というところがありますよね。

佐々木:そうですね。残念ながら文明が滅びない限り、テクノロジーが逆回転して後退したことは人類史上一度もないんですよ。

古代ローマの時にあったすごい水道技術とか、最近もよく話題になっていましたが「古代ローマ時代のコンクリートは今のコンクリートより優れている」みたいな話があるんだけど、それが失われたのは古代ローマが滅んだからですよね。

今の近代文明が1600年ぐらいからとしたら、400年ぐらい続いている文明が崩壊しない限り、残念ながらみなさんが使っているテクノロジーが消滅することはあり得ない。

今、AIはものすごい勢いで進化しています。さっきもお話にちょっと出ていましたが、ChatGPTとか、StableDiffusionという画像を作ってくれるAIとか。それらを総称して「ジェネレーティブAI」と言いますが、ジェネレーティブというのは「ものを作り出す」という意味です。「生成する」という意味のAIがどんどんできている。

AIの学習用データは「インターネット全体」が対象

佐々木:ちょっと前までのAIは、単純にたくさんのデータの中から人間が見つけられない傾やか特徴を抽出してくれるだけだったんです。

ところが、かつては1万とか2万とかたくさんの学習用データを用意することが必要だったんだけど、最近のAIにとっての学習用データは、ぶっちゃけて言えばインターネット全体みたいなものなんですよね。

その画像生成AIは、例えば「ゴッホが描いた渋谷」とテキストで打ち込むと、立ち所にゴッホが描きそうな渋谷の街みたいなものを生成してくれる。

なんであれができるかというと、インターネット上には大量の画像データがあるわけですよね。写真共有サイトだったり、Instagramだったり、あるいはECサイト、ショッピングサイトにたくさんの商品データがあるじゃないですか。あれを全部学習しているんです。

なんでそういうことができるかというと、一応「AIの学習は著作権侵害に当たらない」というルールになっているので、いくらでも学習できるんですよ。

大量のデータを学習した結果、「ゴッホと言えばこんな感じの絵」いうのを、全部AIの脳みそに詰め込むことができるようになってしまう。だから、なんでも生成できるようになってきたんですね。

AIに奪われた仕事は元に戻らず、存在しなくなる

佐々木:例えばデザインの仕事でも、今までだったらディレクターが「こんな感じのイラストが欲しいな」と思ったらイラストレーターに発注して、イラストレーターが一生懸命描いて戻してくるという作業でした。

ただ、我々が画像生成AIを手にしてしまった以上、使うと1秒で答えが返ってくるわけですよね。そうすると、クリエイターの仕事はもはや絵を描くことじゃなくて、「いかにAIにいい絵を描かせるか」という、指導やディレクションをする仕事のほうが重要になってきたりするわけです。

そうなってくると、仕事としては後ろに戻らないですよね。今さらゼロから絵を描く下請けの仕事は、存在し得なくなるのは間違いないんじゃないかと思います。

財前:新たにプロンプトエンジニアという職業も出てきましたが、プロンプトというのは、さっき言ったような画像生成のAIに「呪文」と言われている言葉を入力するんです。入力する内容によって画像が生成されるので、いかに洗練された言葉を入れられるかどうかが重要になってくる。

佐々木:そうですね。だから、クリエイターの仕事はもはや自分で描くことではなくて、言語化する能力とディレクションする能力に移っていくと言われているぐらいです。AIがどんどん進化していくと、そういうのが当たり前になっていくわけで、もうこれはしょうがないのかなと思います。

日本は、テクノロジーに対して突出してネガティブ

佐々木:ただ、日本では総務省から「情報通信白書」という白書が毎年出ていて。僕はこれの編集委員をもう10年以上やっているんですが、だいたい何年かに一度4ヶ国調査をやるんです。日本・中国・イギリス・アメリカとか、日本・中国・韓国・ドイツとかね。

何を聞くかというと、「AIについてどう思いますか?」「企業でDXを導入していますか?」とか、いわゆるありがちなそのテクノロジーに対する向き合い方の調査をするんだけど、もう10年以上前からずっと日本は最低なんですよね。しかも、突出して最低。

例えば「テクノロジーを利用して生活を豊かにしたいですか?」みたいな質問をすると、中国は90パーセント以上が「イエス」なんだけど、日本は3割ぐらいに落ちてしまう。

日本って、戦後は『電子立国 日本の自叙伝』なんていうNHKスペシャルがあったくらい、テクノロジーで苦労して社会を作ってきたはずだったのに、21世紀に入るくらいの頃には急に後ろ向きになってきました。

テクノロジーの話をすると、みんな「怖い怖い」と言うようになって、どこに行っても僕がテクノロジーの話をすると「そんなふうになったら怖いですね」と言う。そういう社会になっちゃったんです。だからたぶん、AIに対しても「怖い怖い」と言っている人がいっぱいいると思うんです。

だけど「怖い怖い」と言っていないで、「この安楽な暮らしでいいのか、それとも自由を求めるのか、支配から逃れるのか」という議論を、もうちょっととロジカルにやらなきゃいけないんじゃないかなとすごく感じているんです。それが、この本を書いた1つの理由でもあります。

財前:ありがとうございます。